「徳」ってお得!?

~何人かの霊能者の先生に「あなたは徳が高いですね」と言われ「徳」について考えてみました。
感じるまま発信してみます!~

瀬戸内寂静さん発言に思う

2016-10-15 23:17:44 | 日記
すでにメディアでやいのやいのと取り上げられたのでご存じの方も多いと思いますが、瀬戸内寂静さんの「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した件です。
私は神仏に仕える身としての寂静さんの発言の意図も理解できますし、一般市民としてご遺族の気持ちも分かります。
敢えて申し上げるなら寂静さんの発言は意図の次元が異なり現世的価値観では受け入られないであろうと言うことです。

今日に及んで発言をご撤回されていますが、私には心痛いばかりです。
と申しますのは寂静さんもご遺族も加害者に対しては(社会的に)最善の道をもって罪を償うべきとの点では一致しているのです。
でも一般には「極刑(=死刑)」=「もっとも重い罰」と思われているのですが、実はそうではないのです。
仏に仕える寂静さんはその事を重々ご存じの事と思います。
ご遺族は大事なご親族、お友達を亡くされて加害者に対して恨みの念をもお持ちでしょうから極刑をもって償ってもまだ足りないとの思いは至極当然の事です。

しかしながら・・・
事実を事実としてお伝えするならば・・・
あえて誤解を恐れずに言うならば「極刑」=「ご褒美」なのです。
殺される経緯についてはこの世的には因果応報、「自分の蒔いた種」と評価されるものですが、あの世的には経緯は評価されません。
評価は自分でするものであって、刑罰の対象として死んだ後に苦しめられるわけではないのです。
この世的には「死んだらおしまい」の概念があり、「死ぬこと」=「一番辛いこと」と思われがちですが、実は殺される事はさほど死んだ後に苦しみを伴わないのです。
この辺りの感覚のズレが寂静さんとご遺族とのギャップに至るわけなのですが・・・。

自殺する人は浄化するまで死んだ状態を保持します。 自分で「生きること」=「修行」をボイコットした事は罪に価し、その事は死んでなお追求されます。
なので死んでしばらくは苦しい状態が続きます。
殺された人は自分が死んだことを認識し、浄化した時点で苦しみから解放されます。
死刑囚とて「殺される人」ですから自分が死んだ事を認識したら生きる苦しみから解放されます。
さらに悪いことは修行途中であちらに行った人は、また転生して同じ状態・・・つまり人を殺めた心のまま人生を再開します。
来世で事件を起こすまでに成長すればいいですが、そうでない場合にはまた同じ罪を犯すことになるかも知れません。
そしてその被害者があなたのご子孫かも知れないのです。

なので罪を犯した人間をすぐさま死刑にてあの世に送るのではなく、辛いお勤め=「生きること」を通じてお送りするのが最善だと言えるのです。
寂静さんにはお気の毒ですが今しばらくご健在でいて頂いて世の為にご尽力頂きたいと思うのです。
できれば私が寂静さんの弟子になって世の方々のために余生を尽くしたいと思うのです。

コメントを投稿