【閣僚のアキレス腱】
この閣僚の「長所と短所」徹底分析
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小宮山洋子厚労相
“猛女”小宮山厚労相、清廉潔白というわけでも…
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.15
初入閣直後、「たばこは1箱700円に」と発言した小宮山洋子厚労相(62)=衆院東京6区。安住淳財務相が「個人的見解だろう。(税制の)所菅は私だ!」と不快感を表明するなど、閣内は混乱した。
小宮山氏は、東大総長を務めた故加藤一郎氏の長女。成城大卒業後、NHKにアナウンサーとして入社し、ニュース番組のメーンキャスターや解説委員など「女性初」の冠を次々と獲得した。
その知名度を生かし、1998年にNHK退局、同年夏の参院選に民主党から出馬し、比例代表で当選。2003年、石井紘基代議士刺殺に伴う東京6区の衆院補選に「弔い合戦」で出馬して当選し、現在4期目だ。
「学者一家のお嬢さんに思われがちだが、母方の祖父は参院議員で、愛知県知事を務めた大伯父もいるなど、加藤家は政治家一家の血脈もある。小宮山氏はその血を引き継いだ」と都議会関係者は明かす。
いつも笑顔で温厚な性格に見えるが、芯はとてつもなく強い。一度、こう思ったらテコでも動かないタイプだ。
「09年3月、当時の小沢一郎代表の秘書らが政治資金規正法違反罪で逮捕・起訴された際、小沢氏は続投を表明したが、小宮山氏は記者団の前で『政権交代のための態勢をとることが第一だ。ここでお引きいただくのがいい』と辞職を求めた。党内では『まさに猛女だ!』と感嘆の声が出た」(民主党中堅代議士)
政治的には「国旗、国歌法に反対」「外国人参政権の推進者」「ジェンダーフリーで夫婦別姓推進者」と左派的活動や言動が目立つ。清廉潔白、一点の曇りのない政治家のようにも見えるが、そうでもない。
「小宮山事務所は、参院時代の選挙で選挙カーのガソリン代を不適切請求していたと一部で報じられた。東京選挙区の場合、通常、選挙カーのガソリンの公費負担が認められるのは1台分だが、伴走車の分も請求したと指摘されて返金した」(都議会議員)
また、特定商取引法に基づき、都から改善指導の行政処分を受けた訪問販売会社社長から、小宮山氏の政治団体が07年、10万円の献金を受けていたことも明らかになっている(返金済み)。
2度の結婚、離婚歴があり、子供は3人。戸籍上の姓は加藤だが、最初の夫の性を名乗り続けている。(ジャーナリスト・田村建雄)
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中川正春文科相
中川文科相、“軽薄発言”がチョ~心配!
夕刊フジ 2011.09.16
「国家百年の計」である教育を担当する中川正春文科相(61)=衆院三重2区。同郷の岡田克也元幹事長に近く、民主党代表選では、岡田氏が推す、野田佳彦首相の選対事務局長を務めた。
地元高校を経て、米ジョージタウン大学(国際関係学科)を卒業。帰国後、国際交流基金で働き、33歳で三重県議に当選した。1996年に衆院議員に初当選し、連続5期当選している。
鳩山、菅内閣時代は文科副大臣として文科行政の基本を学び、今回、初入閣を果たした。
「以前から、党内で実力を認められていた。野党時代は『次の内閣』の財務相だったし、政権交代後は、衆院予算委員会筆頭理事に就任。難しい国会を乗り切ってきた」(民主党担当記者)
文科行政だけでなく、金融・財政、外交安保にも詳しい。党外交・安全保障調査会長として、防衛大綱の見直しにもかかわった。「寝技もできる議員」として知られる一方、「やや軽薄」との指摘もある。
「2009年の政権交代直前、英BBCの番組で『民主党が政権を握ったら、ドル建ての米国債は購入しない』と発言し、ニューヨーク外国為替市場でドルが対円で売り込まれた。近く、政権担当の可能性がある民主党幹部の発言で、ドル不安が高まって円高になるという事態。当時、あまりにも軽い発言と批判されれた」(金融アナリスト)
また、民主党娯楽産業健全育成研究会会員、パチンコストア協会政治アドバイザーも努め、在日韓国人などに参政権付与に賛成する議員連盟にも参加するなど、朝鮮半島問題に関心が高い。
「就任早々、沖縄県で八重山教科書問題が起こり、『民主党文科相が、いかに民主主義に乗っ取った教科書採択に指導力を発揮するか』が注目されている。さらに菅前首相が退陣直前に“最後っ屁”のように指示した、朝鮮学校に対する高校無償化適用の審査手続き再開問題もある。拉致被害者家族や拉致議連の反発は強い。国民を納得させられる結論を、どう出すのかが注目されている」(野党関係者)
中川文科相の結論次第では、野田政権の綻びになりかねない重大判断が迫られている。(ジャーナリスト・田村建雄)
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古川元久経済財政・国家戦略担当相
古川経財相、摘発業者からの献金など盛りだくさん
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.14
古川元久経済財政・国家戦略担当相(45)=衆院愛知2区=は、愛知県の名門・旭丘高校から東大法学部に入学。在学中に司法試験に合格し、旧大蔵省入省という華麗なキャリアを持つ。
大蔵官僚時代、米コロンビア大大学院に留学したとき、「このままの日本ではダメになる。官僚では何もできない」と痛感し、政治家を志した。30歳で民主党公認で初出馬し、比例区で復活当選を果たした。
「古川氏が全国区になったのは1998年の金融国会。金融機関の不良債権処理や破綻処理をめぐる与野党協議で中心的な役割を担った。現在の枝野幸男経産相や、自民党の石原伸晃幹事長、みんなの党の渡辺喜美代表らとともに『政策新人類』と呼ばれた」(自民党ベテラン秘書)
政権交代後は、国家戦略室長や官房副長官を歴任。仙谷由人元官房長官の政策知恵袋として実力をつけて、初入閣した。
挫折など無縁のようだが、過去に厳しい局面に立たされたことも。
「04年、偽装牛肉事件で摘発された名古屋の大手食肉卸グループから、計1320万円もの多額献金を受けていた。『便宜供与がなかったのか?』と疑惑を持たれたが、古川氏は否定した」(全国紙社会部記者)
このほか、消費者金融業界によるパーティー券購入や、パチンコ・チェーンストア協会のアドバイザーを務めたことが問題視されたこともある。
もう1つ、「古川氏が、野田佳彦首相とともに政治経歴で忘れられないのは、永田寿康元衆院議員の自殺では」と民主党関係者はいう。
永田氏は2006年の「偽メール事件」で議員辞職し、当時の前原誠司代表と野田国対委員長は引責辞任した。永田氏は09年、政権交代の直前に命を絶ったが、古川氏は、永田氏が議員になる前に自らの公設秘書にしていたのだ。
さて、古川氏にとって当面の課題は「円高」や「税と社会保障の一体改革」「共通背番号制度の導入」をどうするか。国の経済成長戦略の青写真や、規制改革などの具体策なども迫られる。
座右の銘は「対立を超えた調和」。大蔵官僚時代に感じた国家の問題点を、どうやって克服していくのか。まさに真価が問われている。(ジャーナリスト・田村建雄)
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山岡賢次国家公安委員長兼消費者・拉致問題担当相
舌禍多い山岡氏、自民が早くもロックオン!
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.13
山岡賢次国家公安委員長兼消費者・拉致問題担当相(68)=衆院栃木2区=は、慶大法学部から会社員、小説「徳川家康」で知られる義父で作家の山岡荘八氏の秘書を経て、1983年に自民党から参院議員に初当選した。1期で衆院にくら替えし、その後、当選5回を数える。
新生党時代から、民主党の小沢一郎元代表(69)と行動をともにしてきた側近中の側近。若手主体の小沢グループの貴重なベテランで、3男の達丸氏(32)も民主党衆院議員だ。
「国会対策委員長を務めるなど国対畑が長い。政権交代前は、強い対決姿勢で自民党を追い込んでいた。“プチ剛腕”といった印象。話し好きで、毎晩のように、番記者と2時間近く懇談をしていた。その分、舌禍も多い」(民主党関係者)
今回の入閣を受け、野党陣営は「担当分野に爆弾を抱えている」(自民党中堅)として、国会で追及する構えだ。
まず、公安警察や公安調査庁が監視対象としている「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」(革マル派)との接点が指摘される。
山岡氏が支部長を務める「民主党栃木県第4区総支部」の2009年分の収支報告書によると、政府答弁書で「影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透している」というJR総連とJR東労組から、それぞれ30万円の献金が。永田町事情通はいう。
「警視庁公安部が05年12月、JR総連本部やJR東労組本部などを家宅捜索した。このとき、山岡氏や枝野幸男前官房長官らが、警察庁や法務省の担当者を議員会館に呼びつけた。山岡氏は『あまりにも自己中心的な捜査のありよう』などと、圧力を感じさせる発言もしていた」
マルチ商法業者や業界の政治団体から計254万円の献金や資金提供を受けていたことも発覚している。
警察官僚出身で、民主党と革マル派との関係を徹底追及してきた自民党の平沢勝栄衆院議員(66)は「取り締まる側のトップが、取り締まれる側とつながっている。あり得ない人事だ。役人が良識を発揮しなければ、行政がおかしくなる」と語る。
山岡氏はJR総連について、10年の参院選で総連が支援していた民主党候補者の応援をした際に「ご縁があった」と説明。マルチ団体からの献金については返金したといい「合法的に運営されたビジネスと認識している」と話している。(夕刊フジ取材班)
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安住淳財務
安住財務相“軽薄発言”がシンパ~イ
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.12
衆院5期、49歳の安住淳氏=宮城5区=が、初入閣で射止めたのが閣僚ビック3の筆頭格、財務相だから驚く。何しろ、小沢一郎元代表(69)批判の急先鋒として、ついたあだ名が「ちびっ子ギャング」だ。
父親が宮城県旧牡鹿町(現石巻市)の元町長で、小さいころから政治を近くで見て育った。早大時代、政治家を志してか、かつて海部俊樹、小渕恵三両元首相らを輩出した雄弁会に所属した。
「大学卒業後、NHKに入局。政治部記者を経験して退社し、1993年の衆院選に無所属で出馬するが落選した。96年に民主党公認で再挑戦して初当選した」(宮城県議会関係者)
安住氏が注目されたのは、2005年の小泉郵政選挙。宮城県選出の民主党候補が全滅するなか、安住氏だけが議席を死守して「選挙に強い」と印象づけた。前原誠司代表のもとで選対委員長に抜擢された。
昨年の参院選も、安住氏は選対委員長として臨んだが大敗し、衆参ねじれを招いた戦犯に。ところが、菅直人首相(64)は責任追及を放置した。安住氏は恩義を感じたのか、菅氏と小沢氏が激突した直後の代表選でいち早く「菅支持」を打ち出し、その後、国対委員長に出世してしまう。
「降格すべきなのに、調子よく立ち回り、主要ポストを手に入れ、『民主党の牛若丸』と揶揄された」(民主党関係者)
そんな安住氏の地元が東日本大震災で被災した。石巻市の自宅も全壊。大震災後、高まる菅批判に対し、安住氏は「誰が首相でも大変。菅批判は乱暴」と菅首相を擁護し続けた。与野党折衝は徐々に慣れたが、舌禍すれすれの不注意発言も多い。
「今年6月、菅首相が退陣条件とした2011年度第2次補正予算案をめぐる民自公3党の幹事長・国対委員長会談が行われた。一部に『これは1・5次補正』という声があったため、自民党の石原伸晃幹事長が『2次でいいですね?』と念押すと、安住氏が『そうじゃなかったら、後ろから(菅首相の)首を絞める』と発言した。公明党の漆原良夫国対委員長は『君は軽い。だから信頼を失う!』と激怒した」(全国紙記者)
財務相は、国家予算や税制、通貨、国債などを所管する「最強官庁」を統括し、その重職ゆえに国際会議も多い。
英紙インディペンデントは「49歳の安住氏は日本の政治の基準でいくと赤ちゃん」「経済財政について公式発言はない」と嘲笑した。
安住氏の軽薄さは、自身の政治生命だけでなく、日本経済にも悪影響を及ぼしかねない。(ジャーナリスト・田村建雄)
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平岡秀夫法相
平岡法相に“失言癖”…犯罪者擁護のトンチンカン
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.09
平岡秀夫法相(57)=衆院山口2区=は、東大法学部から旧大蔵省入省というエリート街道を歩んできた。民主党代表選への出馬も検討した、当選5回の中堅議員である。
「旧大蔵省出身だが、大学在学中に司法試験を突破し、内閣法制局参事官の経験もある。刑事事件の取り調べ可視化は持論だ」(霞が関関係者)
菅グループに属し、民主党の中堅・若手左派「リベラルの会」の代表世話人でもある。左派的持論や行動が多く、「普天間飛行場閉鎖論」や「防衛庁省昇格反対」など徹底している。
北朝鮮への姿勢も際立っている。
「北朝鮮との融和的な外交政策の復活を目指す『朝鮮半島問題研究会』のメンバー。朝鮮大学校創立50周年記念祝賀会(2006年)に出席して祝辞も述べている。『対話と圧力』を掲げる拉致議連とは対極にある政治家。法相は、北朝鮮の動向をウオッチする公安調査庁を所管する。まったく不適格な人事だ」(自民党閣僚経験者)
日本テレビ系の番組「太田光の私が総理大臣になったら…」での発言が、ネットなどで猛批判されたこともある。
「少年法を取り上げた際、少年2人にリンチ殺害された被害者遺族の前で、平岡氏は『彼らにも罪を犯す事情があったんですよ』と言い放った。『許しがたい暴言』『議員辞職すべきだ』などと批判された」(テレビ局ディレクター)
平岡氏は後に、被害者遺族に配慮を欠いたと釈明に追われた。
「政治とカネ」の問題もある。平岡氏の資金管理団体「秀友会」が08年から10年にかけ、脂肪吸引手術で女性が死亡し、医師が業務上過失致死罪で起訴された「品川美容外科」の総院長から300万円の献金を受けていたことが発覚した。平岡氏側は返金手続きを取るとしている。
また、支部長を務める地元政党支部が3日、政治資金パーティーを開催していたことも判明した。出席者は約500人。現職大臣による大規模パーティーの自粛が明記された大臣規範に抵触する可能性も指摘されたが、平岡氏は「大規模なパーティーではなく、大臣規範には反しない」と説明した。
野党はこれに対し、「500人も集まれば大規模だ。法相として拡大解釈、我田引水的な言質には疑問がある」(自民党中堅)などと批判している。(ジャーナリスト・田村建雄)
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一川保夫防衛相
一川防衛相、短気な素人…普天間で“即死”か
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.08
「挙党態勢」の構築を掲げた野田佳彦首相(54)が、小沢一郎元代表(69)のグループから初入閣させたのが一川保夫防衛相(69)=参院・石川=だ。
「石川県の農家の生まれ。三重大学農学部を卒業して旧農林省入省。25年間の官僚生活を経て、『政治による農業への配慮が必要』と政治家に転身した。小沢グループで、農家の戸別所得補償制度を確立した農業一筋男」(農水省関係者)
つまり、農業問題のプロであり、「農水相ならば、最も力を発揮する」(同)とみられていたが、人事は難しい。
「農水相には、民主党代表選の決選投票で『野田支持』を決め、野田首相を誕生させた鹿野道彦氏がいた。再任せざるを得なかった」(官邸筋)
このため、野田首相は一川氏を畑違いの防衛相に起用した。それが、野田内閣の不安材料に転じたのだから皮肉だ。
2日の認証式前、一川氏は「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と記者団に述べて、周囲をあぜんとさせた。
この発言に、防衛相経験者である自民党の石破茂政調会長は「閣僚解任に値する。任命した野田首相の見識も問われる。政治家が実力組織を統制するのがシビリアンコントロールだ」と猛然と噛み付いた。
一川氏はこれに、「ほとんどの国民は(安保政策は)素人だ。一般の国民を代表する国会議員が監視するのがシビリアンコントロールだと思っている」と言い返し、火に油を注いだ。
一川氏の短気で激高しやすい性格は有名。
「昨年春、小松市で開かれたタウンミーティングで、会場から『子ども手当で配偶者控除がなくなり、生活が大変になる』などと民主党政策への不満が続出すると、一川氏は『ならば、民主党を支援してもらわなくていい!』とブチ切れ、会場の空気を凍り付かせた」(民主党関係者)
このため、自民党は早くも問責決議案も視野に、一川氏を徹底した論戦で舌禍辞任に追い込む意気込みだ。
さらに難題が降りかかる。オバマ米大統領が野田首相との電話会談で、米軍普天間飛行場移設問題を最優先で解決するよう求めてきたのだ。
「就任直後の電話会談で、具体的な懸案事項の解決を要請されるのは異例中の異例。野田内閣は早急に取り組まざるを得なくなった」(官邸筋)
歴代防衛相が積み残した難題を、素人大臣がどう処理していくのか。(ジャーナリスト・田村建雄)
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玄葉光一郎外相
玄葉外相、線が細く非常時には心配
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.07
戦後最年少、47歳で日本外交を背負うことになった玄葉光一郎外相。「民主党7奉行」の1人で、当選6回。韓国の聯合ニュースは「次か、その次の首相候補に挙げられている」と報じた。
福島県内の造り酒屋「玄葉本店」の御曹司。父方、母方の祖父がともに元町長で、夫人の父も参院議員や県知事を務めた佐藤栄佐久氏。上智大を卒業後、政治家を目指して松下政経塾(8期生)に入塾する。福島県政史上、最年少の26歳で県議になり、29歳で衆院議員に初当選した。着実に当選回数を重ねてきた。
玄葉氏が脚光を浴びたのが2004年、岡田克也代表のもと民主党選対委員長に抜擢された。そして、07年に党分権調査会長として力をつけ、菅直人内閣では国家戦略相と政調会長を兼務した。
「東日本大地震の後、菅首相の暴走に閣僚たちは翻弄された。玄葉氏も被災地出身ながら、存在感はかすみがちだった」(官邸担当記者)
要因の1つは、週刊文春が報じたスキャンダルだ。
震災後、製油所の被災や道路網の寸断により、東北や関東などの東日本全体がガソリン不足に陥った。連日、ガソリンスタンドには長蛇の列ができ、福島県もその例にもれなかった。
「文春は、玄葉氏が閣僚兼党幹部という立場を利用して35台のタンクローリー車を福島県内に入れ、特に自分の選挙区などに優先的にガソリンを配布した疑惑を報じた」(福島県議会関係者)
玄葉氏側は疑惑報道を全面否定している。
ただ、「玄葉氏の動きは何かと鈍く、菅内閣退陣まで、パッとした動きがなかったのも事実」(全国紙政治部記者)
地元福島の県議も辛口でこういう。
「原発事故の後遺症で、福島県全体が『故郷の喪失』という未曾有の危機に陥っている。だが、玄葉氏はほとんど目立たず、何かをやるという気概も伝わってこない。平時にはスマートでイケメンで弁が立つが、非常時にどうなのか。国益をかけて、他国と丁々発止のやり取りをする外相が務まるのか疑問だ」
霞が関からもこんな声も聞こえる。
「外相として実績を残せれば『次』が出てくるが、平均点、それ以下では、線が細いだけに政治家として失速する可能性もある。岳父のように最後に失速しないことを祈りたい」
政界サラブレッドにとっては試金石だ。(ジャーナリスト・田村建雄)
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藤村修官房長官
藤村官房長官に“政策秘書疑惑”蒸し返されるか
ZAKZAK(夕刊フジ) 2011.09.06
イメージキャラが「ドラえもん」という藤村修官房長官(61)は、大阪のベッドタウンである吹田市などが地盤(大阪7区)。「車の運転大好き」「のり弁好き」「風呂掃除当番」…という普通さで、逸話といえば「底抜けバケツ」といわれ1升酒も平気という大酒豪ぶりぐらい。
経歴も真面目。広島大学時代にボランティアに熱中し、そのまま交通遺児育英会に就職。交通遺児諸問題解決のために政治を志し、1993年に44歳で衆院選に初出馬して、日本新党ブームに乗ってトップ当選した。
「同期の初当選組に野田佳彦首相がいた。藤村氏は当時から『地味』『縁の下の力持ち』タイプ。普通、国会議員になると一度ぐらいは『俺は首相を目指す!』と豪語したがるものだが、藤村氏はそんな気配はゼロ。酒を飲んで意気投合した野田氏を『必ず総理に…』と意気込んでいた」(元日本新党関係者)
以来、野田氏とは一心同体。野田氏が民主党国対委員長時代、藤村氏は国対委員長代理として仕え、「永田メール問題」でともに引責辞任した。
「誠実」「温厚」な藤村氏だが、いくつかの不安材料もつきまとう。
まず、閣僚経験なしで「内閣の要」である官房長官に就いたこと。
「官房長官は官邸機能の強化で、党と官邸や、閣僚・省庁間の調整、マスコミ対応など、さまざまな能力が求められる。藤村氏は最高ポストが幹事長代理止まり。要職中の要職である官房長官が務まるかどうか疑問だ」(民主党関係者)
民主党の歴代長官といえば、平野博文氏が普天間問題で撃沈し、仙谷由人氏は尖閣問題などで問責辞任。枝野幸男氏は原発事故問題できりきり舞い、という体たらく。
そして、蒸し返されそうなのが政策秘書疑惑。
2000年に民主党議員が秘書給与搾取事件で逮捕された前後、週刊誌などで藤村氏の疑惑も何度か取り上げられた。
「看護師をしていた藤村氏の妻が政策秘書も務めており、『二足のわらじは難しい』『勤務実態があるのか』という疑惑だ。官房長官就任で、疑惑が再燃される可能性もある」(同)
決断力にも不安が。藤村氏は長官受諾を最終的に妻に相談して決めた。そのため、「国家を左右する決断が求められたときに大丈夫なのか?」という声も聞かれる。
「どじょう丸」のかじ取り役の腕前、大いに気になるところだ。(ジャーナリスト・田村建雄)
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【閣僚のアキレス腱】 前田武志/川端達夫/枝野幸男/蓮舫