弱師のよわよわブログ

胃と頭の弱い投稿者が綴るクソしょーもない持論と考察

理解されないコト

2024-10-21 19:06:01 | 日記
 どうも、弱師です。つまらない身の上話なのですが思春期にちょうどさし掛かったくらいの頃から割りかしずっとイケメンになりたいとか思ってて。小五くらいでしたっけね。でもそういう願望を伝えたら大体いい顔はされないんですよ。お前は女なんだから女としてやれ、みたいな周りの圧が嫌でしょうがなかった。だから自分は男なんじゃないか、とか淡い期待を持ってた時期もありました。

 まあそんなこんなで迷い続けて十年くらいは経つのですが自己分析の結果を思い返す限りどうも自分は異性装を好む女性らしいのですよね。男性として見られたいけど男性ではない。まだ確定ではないのですがカテゴライズするならクロスドレッサーってやつですね多分。もちろん同性愛の気はないです。むしろ純度高めなくらいの男好きだったりして…んで、ここで難しいのが恋愛対象になりがちな男性像と自分に求める男性像が結構違うってとこです。


↑恐らくこれが一般女性の言う「カッコいい」の区分けでしょう。違うかもですが。


↑自分はこんな感じです。男性のカッコよさが分割されて二種類になってます。

 自分に求める男性のカッコよさというのは同性への憧れに近い感覚かと。例えるとすれば女性がキャリアウーマンに対して抱く憧れとか、或いは男の子がヒーロー好きになるみたいなノリかな?


↑憧れと恋愛対象のカッコよさがどんな風に違うかという分かりやすい例です。
(ソースは自分)

 まあ、自分に求めるカッコよさを持つ男性を見ても全く異性としての魅力を感じない訳ではないです。というか人にもよるし。

 男女平等とか多様性とかデカい事はこの際言いません、ただ単に分かってほしいんです。皆さんにとっては至極どうでもいい事かもしれませんが「こんな風になりたい」という意味で言ったカッコいいが「こんな人に異性としての魅力を感じる」という意味に取られてしまうのがめちゃくちゃもどかしいので。正直、何故かは分からんが…

野球について

2024-10-19 00:25:03 | 日記
 どうも、弱師と申します。ファイターズ負けましたね。日本シリーズまであと一歩及ばず家族も傷心でした。ここは道民たるもの来年に期待する以外道はないので気長に待ちましょう。いや、待てるだろうか。

 今年のファイターズは他球団ファンを戸惑わせる程に強かった。

 もう「いきなりどした?」の世界である。強くなったファイターズの裏には恐らく新庄監督の策略があったのだろう。ただ新庄監督めっちゃ出しゃばるからある意味裏というより表では?と思ったり。
(まあどうでもいいかそこは…)

 新庄監督はその型破りでトリッキーな采配故に監督としての評価が分かれているが、個人的な意見を述べるとすれば新庄監督の「プロ野球はショーである」論には大賛成だ。なぜならスポーツはエンタメの一つ。エンタメが無くたって人は死なない。視聴者に生きる希望を与える事は多々あるかもしれないが、世の中に直接的かつ物質的な利益をもたらす事はおそらくないだろう。

 ただし野球がショー、或いはエンタメだからと言って勝つ気もなく魅せる事だけに注力するのは違う。研鑽されたプロ選手同士がガチンコでぶつかり合うのが野球の価値に繋がるのであって、ファンもそれを観るためにテレビをつけたり球場に赴いたりする。そんな所で手を抜いてしまえばファンも流石に察するし、エンタメとしての面白さもなくなってしまう。だからプロ野球選手になっても最前線で戦うための努力は続けた方がいい。まあ結論言うと観て楽しければなんでも良いんだけどね…

3種の神器

2024-10-14 19:46:36 | 日記
 どうも、ファイターズトレカのせいでスマホ中毒になった弱師と申します。アレです、スマホ上でファイターズの選手達があしらわれた仮想のトレカを集めたり交換したりするやつです。ポチポチゲーってクセになりません?まあ集めた所で特にどうって事もないですし、ゲームって言うのかも怪しいですが。まあでも待ち時間とか普通につぶれるし楽しいのでオススメだよ←おい

 さて、本題に入ります。皆さん「三種の神器」はご存知でしょうか。草薙の剣、八尺瓊勾玉、八咫鏡?ノンノン、今日はそっちじゃないよ。詰めが甘いな。

 じゃあどっちだよ、という方もいらっしゃると思いますが今回話す三種の神器というのは昭和30年代に普及した3つの家電を表す言葉です。具体的には、

・洗濯機
・冷蔵庫
・白黒テレビ

 この3つを指します。多分今この記事を読んでる皆さんも持ってますよね。でも、当たり前になりすぎて有難みが薄れてる。じゃあ現代で三種の神器に相当する物ってなんだろう。個人的には3つも無いと思うのですよね。だってスマホ1つで事足りるのだから。

結論:令和の三種の神器
・スマホ
・スマホ
・スマホ

占いについて

2024-09-12 17:16:50 | 日記
 どうも、9月生まれ乙女座の弱師です。最近は12星座占いにハマりました。占星術師目指しても良いんじゃないかなーデュフフくらいには思い始めたりしなかったり。

 これ知ってる方案外少ないと思いますが、12星座にはそれぞれ属性があります。英語でエレメントです。12星座は全て火、風、水、土の4つのうち1つに当てはまります。ゲームでよくある四元素ですね。そして同じ属性を持つ星座には共通する要素があります。色々あるのですがかいつまむと火はエネルギッシュ、風は柔軟かつ知性的、水は感情的で思いやりに溢れ、土は堅実みたいな感じらしいです。因みに自分は乙女座なので土属性ですね。悪しからず。

 さてここからが本題です。かなりぶっちゃけなのですが、自分は風属性星座を持つ人に苦手意識があります。なんか、風属性の人が全員嫌というよりはムカつくなーと思った人の誕生日を調べたら風属性星座がめちゃくちゃ多かったんですよね。

 なんでかなーと思い自分なりに考えた結果、いくつか共通点が見つかりました。
・気まぐれ
・器用。適当にやってもそれなりにモノにする
・何か施してもすぐ忘れる(恩知らず)
・物事への執着が全般的に薄い
・いくらプレゼンしても占いを信じない

 まあ、これだと漠然としすぎるので実例を出します。双子座の妹と天秤座の祖父と水瓶座の知人N。みんなそれぞれ風属性らしさが如実に表れている良いサンプルです。風属性三銃士とでも言いましょうか。

 双子座の妹は才色兼備の優等生。絵も上手ですがよくいる美術部員っぽさはありません。ただ家では物を置きっぱなしにします。片付けられないというか、忘れる。そういう雑な所があるのに顔にも能力にも恵まれてるから美味しい所を持っていってしまうんですよね。非常に悔しい。あと批判精神はかなり旺盛です。ちなみに双子座は社交的で器用らしいです。

 天秤座に生まれた祖父も、なんでもできる才人でした。歌が上手くカラオケ喫茶で他のお客様に歌を教えていたりとみんなから慕われ愛される存在だったのですが、故にストーカーまがいの脅迫をされたこともありました。いわゆる老年版メンヘラ製造機ですね、恐ろしい。でも家に帰ると戸は開けっ放し、物は置きっぱなし。妹もそうでしたがきっとガサツな面が出てしまうんですよね。そして一度話しかけると無限に喋る(自慢話9割)普段コミュ強なのが裏目に出るのか、めちゃくちゃ喋ります。だから晩年はみんな話しかけませんでした。おじいちゃんごめんなさい。そしてやはり天秤座はコミュ強らしい。

 そして水瓶座の知人Nについて。この人もかなり適当な感じだった。人間性で評価すれば恐らくクズの部類ですね。ついでに言えば遊び好きの不良です。これだけ聞いてもあまり品の無いイメージが先行すると思うのですが、それは違う(少なくとも私見では)彼にとって大切なのはきっと普遍的な正しさとは一致しない理想の遂行。まあ端的に言えば捻くれ者なんですよね。でもそういう自身の考え方に根ざした生き方ってどこか美しい。ちなみに水瓶座のキーワードは「個性的」です。

 まあ……自分は根っこの部分が真面目寄りなのでこういった風属性の人方に対する嫉妬があると思うのですね。だからこそ対峙した時ムカつくんですよ。憧れるからこそ突き放された時余計に悔しいっていうか。信じたくないけどこれが風属性に対する苦手意識の真実なのかな。以上です。

ピカソについて

2024-05-30 17:43:59 | 日記
 どうも、弱師と申します。皆さんパブロ・ピカソという画家はご存知でしょうか。多分知ってますね。トンチキな絵を描く変わり者という印象が強いのではないかと。しかしこのピカソという画家、実はめちゃくちゃ絵が上手かったらしいんですよね。画力は十代の頃から筋金入り、画家である父が筆を折ったという逸話すらあります。戦意喪失といった所でしょうか。

 しかしピカソはその画力に傲ることをしませんでした。晩年の「この歳になって、やっと子どもらしい絵が描けるようになった」という言葉が示す通りピカソは人生を通し様々な作風に挑戦しましたが「子供らしい」絵だけは中々上手く真似られなかったのです。

 何故ピカソは自分の才能をなげうってまで子供らしい絵を描こうとしたのでしょうか。それは多分、一般ピーポーが努力して掴みとろうとする物を最初から持っていたからではないかと自分は思っています。スタートとゴールの位置がおおよそ逆なんですよね。普通は右端から左端に走るところを左端から右端に走ったのがピカソだと思うのです。
(わかりづらい例えですみません)

 話は変わりますが昔々インドでシャカ族の王子・ゴータマシッダールタとして生まれたお釈迦様は非常に裕福な暮らしを送っていましたが老いや病、死による苦しみを目の当たりにしたのち、自らが進むべき道を探すため出家を心に決めます。

 要はピカソは元から絵が上手だったので見せかけの上手さに拘らない作風を獲得できたし、お釈迦様は王子として生まれたがため「望めば手に入る」状況を体験していたので煩悩を捨て去ることができたのではないでしょうか。多分、人間は生まれつき持っている物を欲しがらないのです。隣の芝生は青く見えるって言うし。