キプチョゲ、世界初のフルマラソン2時間切りを達成
オーストリア・ウィーンのプラーター公園に設置された特設コースでフルマラソン2時間切りを達成し、歓喜するエリウド・キプチョゲ(2019年10月12日撮影)。(c)HERBERT NEUBAUER / APA / AFP
【10月12日 AFP】陸上、男子マラソンのエリウド・キプチョゲ(Eliud Kipchoge)が11日、フルマラソンの2時間切りを達成して歴史を塗り替えた。
オーストリア・ウィーンにあるプラーター公園(Prater Park)に記録達成をより可能なものにするため設置された特設コースで、キプチョゲは非公式ながら1時間59分40秒2を記録し、史上初めてフルマラソンで2時間切りを達成した。
キプチョゲは、総勢41人のペースメーカーとスピードを設定する先導車にともなわれ、2年前にイタリア・モンツァ(Monza)で達成を逃した記録を打ち破った。
キプチョゲは「自分が最初の男だ。人間には誰にも限界がないと、多くの人に知らしめたい」と語っている。
かなり整然と1キロ2分50秒のペースを保ち続けたキプチョゲは笑顔を見せながら手振りを交えてフィニッシュラインを通過。沿道ではケニア国旗を振る多くのファンが並び、大声援を送る中、中盤頃には記録を11秒上回るペースで走っていた。(c)AFP/Julia ZAPPEI
グラディエーター描いた鮮やかなフレスコ画、古代都市ポンぺイで発掘
イタリアの古代ローマ都市ポンペイの遺跡で発掘された、重武装したグラディエーターが闘う様子を描いたフレスコ画。ポンペイ考古学公園提供(2019年10月9日撮影)。(c) AFP PHOTO / PRESS OFFICE OF THE POMPEI ARCHAEOLOGICAL PARK
【10月12日 AFP】イタリア文化省が11日、古代ローマの都市ポンペイ(Pompeii)で、剣闘士(グラディエーター)を描いた鮮やかなフレスコ画が発掘されたと発表した。フレスコ画には、よろいを身に着けて立つ勝者と、傷口から血を流しながらよろめく敗者が描かれている。
青と赤と金色で描かれた美しいフレスコ画が発掘された場所について、専門家らは、剣闘士らの行きつけの酒場だったと考えている。当時、剣闘士は市民の娯楽のため、同業者や囚人、野生動物と闘った。
このフレスコ画は縦112センチ、横150センチ。地下室とみられる場所で発掘され、フレスコ画の上には木製階段の跡も見てとれる。酒場だったとみられる建物は、ポンペイの発掘エリア「レッジョ5(Regio V)」で見つかった剣闘士の宿舎から遠くない場所に位置していた。
これまでのところ、レッジョ5でのおそらく最も重大な成果は昨年発見されたもので、遺跡の家屋跡に書き残された文字から、ポンペイがベスビオ火山(Mount Vesuvius)の噴火で壊滅的な被害を受けたのは、これまで考えられていた西暦79年8月24日ではなく、同年10月17日以降だった可能性が出てきた。(c)AFP/Ella IDE
巨大ワニが漁師襲い殺害、ボートから引きずり落とす フィリピン
フィリピン・ミマロパ地方警察が公開した、バラバク島で殺処分された体長4.9メートルのイリエワニの写真(2019年10月10日提供)。(c)AFP PHOTO / MIMAROPA POLICE
【10月12日 AFP】フィリピン南西部バラバク(Balabac)島で、漁師の男性(20)が巨大なイリエワニに襲われ、ボートから引きずり落された後に死亡した。地元当局が10日、明らかにした。約3万5000人の人口を抱える同島では、イリエワニに襲われる事例が相次ぎ、住民の間では恐怖が広がっている。
地元警察のソクラテス・ファルタド(Socrates Faltado)氏はAFPの取材に対し、この男性が8日夜、仲間とともに漁からバラバク島に戻る途中、体長4.9メートルのワニにボートから引きずり落とされたと説明。翌日になって住民が、ワニの顎に残っていた男性の遺体を発見したという。
バラバク島があるパラワン(Palawan)州で自然保護を統括する自治体機関によると、この地域では2か月近く前にも、10歳の少年がイリエワニに襲われて死亡したばかり。
さらに今年は他にも、漁師と15歳の少年がバラバク島沖でワニに襲われ死亡。昨年には同島周辺で2人が死亡しているという。
同機関の報道担当者は、「生息地の減少など、事故の根本的な原因に対処する必要がある。イリエワニにはもう潜む場所がほとんど残されておらず、生息地には十分な餌もない」と指摘した。(c)AFP
農村高齢者世帯の「ぬくもりの家」を訪ねて 中国・江西省
【10月12日 Xinhua News】中国の農村部ではここ数年、「空巣老人」(1人または夫婦のみで生活する高齢者)にいかに食事を保障するかが問題となっている。江西省(Jiangxi)南昌市(Nangchang)南昌県はこの問題を解決するため、新築物件または遊休不動産を利用して、各郷・鎮の村に養老サービスセンター103カ所を設置した。
「政府の負担、社会・企業の寄付、村の収入からの拠出、公益団体の資金援助」の資金調達で専門職員を招聘し、夫婦2人暮らしや1人暮らしの高齢者および「五保サポート」(衣・食・住・医療・葬儀の保障)を受ける高齢者に毎日2食分の食事を無料で提供することで、食事と安心、ぬくもりを届けるとともに、養老サービスセンターに持続的な発展の原動力を与えている。(c)Xinhua News/AFPBB News
台風19号が首都圏に接近、記録的な大雨の恐れ 千葉県で1人死亡
台風19号が接近する中、東京都内で水しぶきを上げて走るタクシー(2019年10月12日撮影)。(c)William WEST / AFP
【10月12日 AFP】(更新、写真追加)大型で非常に強い台風19号(アジア名:ハギビス、Hagibis)が12日、首都圏に接近している。記録的な大雨となる恐れがあり避難指示が出ているほか、上陸前から交通が混乱し、停電も発生している。
気象庁によると、台風19号の最大瞬間風速は約60メートル。12日夕から夜にかけて東海または関東地方に上陸する見込み。
NHKによると、航空各社は12日、国内便1660便超、国際便約260便の欠航を決めた。東京発の多数の新幹線や首都圏の在来線、地下鉄も運休となる。
東京ディズニーランド(Tokyo Disneyland)と東京ディズニーシー(Tokyo DisneySea)も、12日から13日昼ごろまでの休園を余儀なくされた。台風による終日休園は、開園以来初めて。
気象庁によると、13日正午までの24時間に降る雨の量は、いずれも多いところで、首都圏で500ミリ、東海地方でそれ以上となっている。
■千葉県で1人死亡
台風19号の上陸前にすでに犠牲者も出ている。千葉県市原市の消防によると、横転した軽トラックから49歳の男性が見つかり、病院に運ばれたが死亡が確認された。千葉県は先月、台風15号(アジア名:ファクサイ、Faxai)で大きな被害を受けていた。(c)AFP/Shingo ITO
*上記はAFPBBNEWSの記事から引用しました。
*今日の一言
5歳で米国へ養子、性的虐待や差別も 亡き母探し来日しました。
太平洋戦争後、貧困のため米国人夫婦に養子縁組されて5歳で渡米した女性が、66年ぶりに来日した。人種差別や虐待など異国で苦難に直面するたび、優しかった実母の思い出だけを頼りに生き抜いてきた。長い旅の果てにたどり着いた生まれ故郷で、彼女は何を見たのか――。
横須賀に生まれて
2日夕方、成田空港第2ターミナル。白髪で小柄なバーバラ・マウントキャッスルさん(71)=米テキサス州フォートワース=が姿を現した。日本の土を踏むのは1953年以来、66年ぶりだ。
バーバラさんは47年、神奈川県横須賀市で生まれた。当時の名前は、「木川洋子」といった。
母の名は「信子」。父親は、日本に駐留していた米軍の兵士と思われるが、はっきりとは分からない。戸籍の父親欄は空欄だ。
5歳になるまで、母の実家があった横須賀市秋谷周辺で育った。
バーバラさんの記憶では、母は米兵がよく出入りする場所で働いていたという。生活は貧しかった。
でも、母親はとても優しかった。
「母と一緒に人形劇を見ながら、水あめを食べたの。母との間には楽しい思い出しかない」
米兵と日本人の子
横須賀は明治以降、日本最大の軍港都市として発展した。敗戦後、旧軍施設は占領軍に接収され、多くの米兵が駐留するようになる。市史によると、50年代前半、性産業に従事する日本人女性と米兵との間に生まれた子どもたちが、貧困や社会的偏見など劣悪な状況に置かれ、社会問題になっていた。
生活に困窮していたため、バーバラさんは、日米にルーツを持つ子どもを保護する神奈川県葉山町の児童養護施設「幸保愛児園」に預けられた。
そこで、日本に駐留していた米軍中尉との養子縁組の話が持ち上がる。
53年7月の朝日新聞神奈川版は、この施設から初めての海外養子縁組に「木川洋子」さんが決まったと報じている。
渡米前、母信子さんは何度も訪ねてきた。
「アメリカには行きたくない」。バーバラさんはこう訴え、激しく泣いたという。
「必ず迎えに行くから」
母は、娘を必死になだめた。会ったのはこれが最後となった。
米国へ、苦難の暮らし
米オレゴン州で始まった新しい暮らしは、苦難に満ちていた。小学校に通い始めたが、英語が全く分からない。つい数年前まで激しく戦った米国と日本。対日感情は悪く「ジャップ」とののしられた。
バーバラさんは養父から性的虐待を受けたという。頼れる人は誰一人いなかった。
「お母さん助けて」
そう祈ることだけが心の支えだった。実母が迎えに来ると信じていたが、やがて日本語も、信子さんの顔さえも忘れてしまった。
「私の若い頃はずっと孤独で悲しく、傷ついていた」。孤独感が薄れたのは19歳で子どもを授かってからだ。「実母が私にしてくれたように、子どもたちを愛しました」。男女4人の子どもを育て上げ、今は12人の孫がいる。
日本人の協力者
18年8月、和歌山大観光学部の木川剛志准教授(43)のもとに、フェイスブックのメッセージが届いた。
送信したのは、バーバラさんの長女シャーナさん(42)。日本生まれの母親のルーツを探しており、祖母に当たる信子さんのことを知らないかと、尋ねる内容だった。
シャーナさんは「木川」という同姓の日本人をネット検索し、たまたま木川准教授にコンタクトした。
普段は都市計画や映像制作などを研究している木川准教授。バーバラさんの縁者には、全く心当たりはなかった。
だが、5歳で米国に養子縁組に出された経緯などを知り、心が傾いた。自身の息子もちょうど5歳だ。
「この年で異国に渡り、どれだけつらい思いをされたんだろう」
母親探しを手伝い、その過程をドキュメンタリー映画に記録しようと思い立った。
当初の段階で分かっていたのは、名前だけだった。
木川准教授は書類を精査し、横須賀市に住んでいたことを突き止めた。聞き込みを重ねたり、委任状をもらって市役所で戸籍を確認したり。お墓の場所や、信子さんの元同僚まで探し当てた。来日旅費や映像制作費用は朝日新聞社のクラウドファンディングサイト「A―port」で募った。
「アメリカでバーバラさんに会って苦労話を聞き、この人のために何とかしたいと思った。この1年、人生をこれに懸けてきた」
母との再会
ようやく実現したバーバラさんの来日。さっそく、母の足跡をたどった。
横須賀市で、母の実家跡を訪ねた。「お母さんと顔の輪郭が似ている。本当によく帰ってきてくれた」。近くに住み、昔、信子さんと遊んだという天都(あまつ)カネ子さん(95)は、バーバラさんと抱き合った。
信子さんは東京都八王子市に移り住み、日本人男性と結婚。87年に亡くなっていた。墓前に花を手向けたバーバラさん。「母は私のことを心配していたと思う。『私は大丈夫』と伝えたい」
旅の終盤、サプライズが待っていた。信子さんが生前働いていた店の関係者が、一枚の写真を見つけた。大勢の同僚と共に、和服姿の信子さんが確かに写っていた。帰国予定日のわずか数日前のことだ。
「これがあなたのお母さんよ」
信子さんを知る久保公恵さん(74)が6日夜、写真を持って駆けつけた。
「母がどんな顔をしていたかこれまで一生懸命思い出そうとしたけど、どうしてもできなかった。本当にうれしい」。バーバラさんは、あふれる涙を何度もぬぐった。66年の時を経て、ついに「再会」を果たした。
◇
再会を支援した木川准教授は今後、ドキュメンタリー映画「yokosuka1953」の編集作業が待っている。来年3月完成予定。「戦争が終わった後も、その影響で過酷な人生を送り、苦しみ続けた人たちがたくさんいた。そのことを記録し伝えていきたい」
一方、朝日放送テレビ(大阪市)では、バーバラさんや木川准教授の母親探しに密着した特集を、10月16日夕の情報番組「キャスト」で放映予定(変更の可能性あり)。
*上記は朝日新聞デジタル版の記事から引用しました。
*戦争で悲惨な出来事があっても、生きることを失わなかったのは勝ち組ですよ!素晴らしい再会です!
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