海洋にボートで釣りに出たことはない。 小さい頃オヤジがみていた11PMでの服部名人と大橋巨泉のフィッシングが夜遅いこともあり妙に艶かしかった。 小学校2年の時に祖父の家、余市で初めて父親に釣りに連れて行ってもらった。雨のなか
裏庭でミミズをとり、自転車の後ろに乗せてもらい近くの用水路のような川で初めて鮒を釣った。小二の自分には竹の竿おそらく3.6M 12尺の竿か、重かったのを覚えている。対岸の葦の際に振り込めばつれるが、うまくいかず葦に針を放り込んでしまい絡ませて、父が何度となく50mぐらい 迂回して対岸で針を外したことは鮮明に覚えている。そしてドブネズミがバシャっと飛び込み父親が驚いたことにこちらも驚いた。小樽の大学に通ったころ、その川を見に行ったが、さびれて無残な用水路となっていた。魚はもういそうになかった。7歳から22歳15年も経っていたのだから無理はない。
今東京の多摩川の近くに家を建て釣りに行くが、鯉はつれるが鮒が珍しいという環境になっている。 海洋でカジキを釣るなどということはないが、鯉ののべ竿釣りは、十分その刺激を与えてくれている。別な機会にそれは、ご紹介します。
ここでは Real Fishing サイトから(Facebook) シイラ(ドラド マヒマヒ、ドルフィン)の緑金色と青の鮮やかさ。大きなカジキなどの写真をあつめましたのでご覧ください。
裏庭でミミズをとり、自転車の後ろに乗せてもらい近くの用水路のような川で初めて鮒を釣った。小二の自分には竹の竿おそらく3.6M 12尺の竿か、重かったのを覚えている。対岸の葦の際に振り込めばつれるが、うまくいかず葦に針を放り込んでしまい絡ませて、父が何度となく50mぐらい 迂回して対岸で針を外したことは鮮明に覚えている。そしてドブネズミがバシャっと飛び込み父親が驚いたことにこちらも驚いた。小樽の大学に通ったころ、その川を見に行ったが、さびれて無残な用水路となっていた。魚はもういそうになかった。7歳から22歳15年も経っていたのだから無理はない。
今東京の多摩川の近くに家を建て釣りに行くが、鯉はつれるが鮒が珍しいという環境になっている。 海洋でカジキを釣るなどということはないが、鯉ののべ竿釣りは、十分その刺激を与えてくれている。別な機会にそれは、ご紹介します。
ここでは Real Fishing サイトから(Facebook) シイラ(ドラド マヒマヒ、ドルフィン)の緑金色と青の鮮やかさ。大きなカジキなどの写真をあつめましたのでご覧ください。
