あさがはじまるとき

27歳クリスチャンの日記
書く時は寝ぼけてる事が多いのであまりまじめにご覧にならないように笑

一週間。

2013-10-20 22:38:38 | Weblog
この一週間、というか10日間くらい。
めちゃめちゃ忙しかった。
飛行機乗って、車飛ばして、帰ってきて、札幌は通過も含めて3回行ったし。
そのひとつひとつが守られたことにまず感謝。
まあハードだったことは間違いないけど、意外と乗り切れた。
最近寒いけど、体調も守られてる。
そしてひとつひとつの関わり、出会いがたまらない。
どんどん想像と違っていって不安があった旅も予想を超える交わりが与えられた。
主の恵み。
不安が襲ってくることがある。特に僕は見えることにとらわれやすい。
その自分のイメージとずれてくるとすごく不安になる。
でもそれは心配しすぎなんだよな。
その中でも主の導きがあることを信じること。主に委ねて、ただ目の前のことをひとつひとつ誠実にクリアしていく。どんなに小さなことでも。
ディボーションでも学んだ。自分の力でやろうとすれば、どんなに有利な状況に合っても上手くいかなくなる。
はじめに神さまの御心を知る。それがクリスチャンにとって一番大事なんだ。

ともに祈り合える、腹割って話し合える仲間が与えられた。
元からあったものだけど、それを見いだすことができたこと。それはたまらなく嬉しい。
神さまからのプレゼントだと信じる。
ほんとにこれは嬉しい。
そして、自分が深く悩んでいることは、意外と自分だけじゃなくてほかの人も悩んでいることなんだって気づいた。
そこでつながって、互いに祈り合えたのなら、これ以上の励ましはないよな。
とにかくここで書くのは抽象的すぎるけど、感謝だった。
これからも、まだこれだ!って道が見えたわけじゃないけど、一歩一歩進んでいこうと思う。

memo
知っていることと、知らないこと、そこでの平安の違いはでかいな、と思った。
アタマがいいこと、アタマがよくはないこと、その違いは神さまの前には大きな問題にはならないと気づいた。
何よりも神さまがどう願っておられるか、どう歩むように願っておられるかをいつも問うこと、その大切さにも気づけた。
こんなおれだけど、役割が与えられている。へたくそかもしれないけど、精一杯力を出せばいいんだ。

嫉妬

2013-10-06 22:53:38 | Weblog
おれをだめにしている原因のひとつ、嫉妬。
嫉妬はいけないよ。
人がうらやましくなることがある。
どうしてそれがおれにはないのだろうって思ってしまうことがある。
でも神さまは一人ひとりにそれぞれの計画を用意しておられる。
それをあれがいい。これはいやだ。とか言うのは神さまに対して失礼だ。
うらやましくなることはある。
けれど、そこでその人に嫉妬してちゃなにも生まれない。
その人はその人。おれはおれ。それぞれに与えられてる持ち場、立場で尽くすべき。
おれは弱い。最近特にそれを思う。
でもそこで主に頼るなら、必ず前進できる。
もっと成長して、もっと主に近づきたい。
一歩一歩、しっかり歩いていこう。

いつも素っ裸でありたい。

2013-10-01 18:37:37 | Weblog
いや、心の中の話だよ。
自分に正直でありたいと思うし、偽りたくもない。
でも、いつの間にか何かをごまかすために何枚も何枚も被ってる。
自分の弱さを隠すため。

それをあるときが来ると一気に引き剥がされる。
そしてその自分の姿に打ちのめされる。
受け入れられない心。その弱さ。

どうすれば立ち直れるのか、完全に脱却できるのか。
考えては見るけれど、気づかぬうちにまた服を着る。
そしてそんな悩みも忘れる。
そこにあるのは高慢。

いつの間にか偉そぶって、いつの間にかカッコつけてる。
裸の王様みたいに。
ほんとは弱いのに。
この現実を突きつけられたとき、どうすればいいのか。
やっぱり自分には何もする力はないって気づく。
そのとき頼れるのは神さまだけ。

神さまとつながること。
十字架の前に明け渡す。
そこにこそ、ほんとの力があるんだ。
そこに生きる。