家族の元々の出身が今住んでいる地域ではなく、
先祖のお墓参りにも親戚のあつまりにもほとんど参加してきませんでした。
親戚は親しいようで裏の顔があるので私にとって怖い存在です…
(全員ではないことを願います)
私は先祖を知る機会がほとんどなく、
今まで自分の容姿から想像するしかなかったのですが、
このゴールデンウィークで新しい展開がありました。
母側の先祖の詳細は、
祖母の思い出話ならきけますが名前まではわかないところがあってもう詳しいことはよくわかりません。
祖母側は庄屋で、
祖父側は祖母側の小作人だったとか、
祖母側の家族や身内には、
お城の建築に携わっていて彫刻もしていたとか、
農家だった、校長先生だった、祈祷師だったとか、会社で偉かった役職とか、化学者だったとか、姉が女学校に通っていたとか、職業はきけました。
欧州出身の身内(女性)がいたことも話してくれました。
戦争でレンガ造りの家が焼かれて失ってしまったとも話してくれました。。
当時の取り決めで土地を小作人に分配した話もききました。
祖父の話は祖母から小作人以上の詳しい話はよくきけませんでした。
父側はすでに亡き祖母とはとこが家系を調べてくれていて、
インターネットを使ってだいぶ遡ることができました。
父はアメリカ出身ですが、
お墓が個人ごとになっていて教会で記録が残っているということなので、
どうにか情報を今につなげることができたようです。
私が確認できた父側の先祖の出身は、イングランド、アイルランドやユダヤ系でした。父側の先祖だけでも本当に多い人数ですので、他にも出身があったかとは思いますが…。
家族の話から、他にフランス出身やドイツ出身、スコットランド出身、スウェーデン出身、アメリカの先住民族の先祖がいてもおかしくないと睨んでいますが、私がみつけた資料で知れた限りの内容に収めておきます。家族の話からも漏れているご先祖がいたらごめんなさい。
(父側の先祖がアメリカに長くいたので、先祖の出身地がばらばらなのはわかっていました)
アメリカに移民した当初、生活が貧しい先祖もいましたが、
裕福であったり名が知られた先祖もいたようです。
独立戦争でほどんどの家族を亡くしたことや、
国内戦争で負け、すべての財をなくしてしまい一部の先祖は農地も耕せなかったこと。数百年程前の(私が知る限り一部の)アメリカはとても貧しく、常に空腹が続いていたことと、今は今で苦しいですが、他の苦しみもあることを知りました。
先祖を知ると、自分ではないのに自分を知れたような気持ちになれるのと同時に、
空が晴れ渡ったような気分になります。
先祖を知ると、なぜか自虐的な感情もなくなります。
先祖の資料がしっかりとあるわけではないので探すのに限界がありますが、
記憶からなくなってしまって闇に葬られないうちにできるだけ少しでも見つけてあげたいです。