兄のこと

2021-02-02 18:29:18 | 日記


兄は1月12日早朝、息を引き取った。
私が病院に駆けつけたとき、すでに息はなかった。
なぜか病室の床にマットレスがダブルで敷かれてて、その真ん中に横たわっていた。
午前5時の入院病棟は少ないスタッフさん達があちこちの病室で静かに忙しく働いていて、
兄の病室には誰もいなかった。
跪いてほっぺたを触ってみたら、まだ温かかった。
目はつむっていた。
口は開いていた。
酸素マスクがついていた。



昨年1月から、兄はだんだんと体調が悪くなった。
B型肝炎からの肝硬変が進行したのだと思う。
肝硬変がわかったのは7~8年前。
その後糖尿病にもなった。
それ以前に兄は、20歳のとき交通事故に遭い左膝を悪くし身体障碍者だった。
歩けるが走ることは難しかった。


3つ違いの兄と小学校の頃までは、女ながらに取っ組み合いの喧嘩をよくした。
あんまりひどいと止めに入るのは父で、よく二人とも庭の木に背中合わせにくくられて、
反省させられた。口が立つ私に兄が言い返せず手を出す、というパターンだった。
背が高くひょろりとした兄は、それが目立つくせに何もカッコイイところのない男の子だった。
気が弱く、優しいくせに口下手で近所の子にはいじめられていたのだと思う。
勉強も運動も普通。短気でわがままで要領が悪く、高校生の頃は親が何度も学校に呼び出されていた。
それなりに悪さもしていたのだ。
それでも、慕ってくる友人は何人もいた。
高校時代の友人が最後まで兄を心配してくれた。

私が早く家を出たいと思ったのは、兄がいたからだ。
高校卒業と同時に、さあいよいよこの家を離れ一人暮らしができると思ったときの喜びは忘れない。
短気な兄の母を怒鳴る声が大嫌いだった。
うまく自分の気持ちを相手に伝えられなくて、もどかしくてつい大声になってしまう、
そんな兄の気持ちなどわかるはずもなかった。

20代30代と医療関係の職場で兄は兄なりに頑張って仕事をした。
独り暮らしも始めた。
国家資格もとった。
けれど、経済観念ゼロ、家事能力ゼロ、どこまでも要領悪すぎ、
それが私の兄への評価だった。

やがて兄は両親のもとで、家賃ゼロ、三食昼寝付きの気ままな暮らしに戻り、
左足の不具合や体調不良を繰り返しながらも、だんだん年老いていく親にとって
なくてはならない存在になった。


振り返ってみると、兄は本当に気の優しい、要領の悪い人間だった。
ただただ、要領が悪かった。
口は悪いが心根はやさしい人間だった。
だから一度でも兄の心根のやさしさに触れた人は、
最後まで好きでいてくれた。
伝わらない人には伝わらなかったけれど。


身内である私は、わかっているからこそ、何でもっと要領よくやれんの?
あんたいくつになったのよ、とずっと思っていた。



今頃はきっとあっちで、父と再会している。
叔父や伯母と宴会している。
えらく早く来ちゃったね、と伯母に言われてる。

兄ちゃん、あんたのこと私、大嫌いだからね。
それは変わんないからね。
だから、あんたが一番心配してた母のことは、
私に任せなさい。
あんたと違って私、要領いいんだから。
要領いいんだから・・・