その日のこと

2022-08-11 10:40:56 | 日記
6月3日金曜日。
月曜日に迫った通常総会の資料の点検と、月初の帳票作成に追われて、
私はいつもの朝より余裕がなかった。
それに長期欠勤者二人へ送る傷病手当申請書もまだだ。
うち一人は社会保険料をなかなか振り込んでくれず、
そのため傷病手当の振込先を変えられないか昨日調べてみたら、事業主も可とあり、その件の手続きも相談
しなければならない。
ああもう、あれもしたい、これもしなきゃと心の中で焦っていると、2階から降りてきたA部長がB取締役に
「ちょっと〇〇の件でいいですか」と打合せを始めた。
すると、漏れ聞こえて来る中に、ええ、社会保険料が未払いで・・・とか、傷病手当が・・というワード。
ん、これは?たぶん昨日調べた件だ、と咄嗟に判断、じゃあ、その振込先が本人以外にできないか社労士に
聞いて、とB取締役が口にしたと同時、「できます」とプリンターと机を往復しながら私は横から言った。
その瞬間だった、おい!こらあ!というB取締役の怒声が部屋中に響いたのは。
そのあと、B取締役の更なる雷が落ち、私はプリンターの向こうへ姿は隠し、けれど大声で、
申し訳ございません!と二度謝った。
二人は席に座り、何事もなかったように打合せを続けた。
全てはこれが始まりだった。

月曜日の総会フォローを一人でバタバタとこなし、引き継がなければならない二人が付いてくれたにも関わらず、
二人への配慮などする余裕はなかった。続く締め処理、会議資料作りに総務業務、年間報告作成、溜まった調査
報告記入等々、ひと段落の目途は遠かった。

6月10日金曜日。
会計入力用の資料を仕上げて、郵便物を発送して、と段取りに追われていた朝一、
C部長からちょっと小会議室へ、と声がかかる。
赴くとA、C、D部長のお三方勢揃い。??な私。
C部長が口火を切った。
そこからの話しは細部まで憶えているが思い出したくない。
なんというコンコンチキなこじつけ、脅し、横暴。
C部長の表情と話しには納得し難いものを感じ、はっきりと、思い当たる節がないと突っぱねた。
がA部長の話しには一部、主観では推し量れないものがあったけれど、やはり思い当たる節はない。
ただ一人、D部長だけは、私を弁護するような口ぶりを見せてくれた。
何れにしろ、この話しは三部長の意志ではなく全てB取締役の意志で為されたものだということは一目瞭然だった。

6月13日月曜日。
席につくなりC部長から、ちょっといいね。
横の応接机で向い合う。
先日の面談の結果ですが、あなたには異動してもらうことになりました。
異動先は〇〇〇です、今日からすぐ準備して下さい。
は? と思ったが、言葉が出ず、その場は終わった。

自分の席に戻り、パソコンに向かいフォルダを探すが気持ちは上の空。
異動?〇〇〇へ異動?!今更?何でやねん!
と、立ち上がりC部長席へ行った私はきっぱり言い放った。
退職させて頂きます。

17年前、この会社へは寿退社の補充員で入社した。
そのうちもう一人の社員も寿退社、結果、それまで二人で回していた部署を一人で回さなければならなくなった。
毎年売上げは順調に伸び、従業員の数も増え、総務・経理の仕事も増えていった。
加えて会社は重要な案件を抱えてB取締役(当時は部長)もピリピリした毎日を送っていた。
のちにこの案件は終了報告が間に合わなくなる事態に陥り、担当者はB取締役から無理難題を
押し付けられ疲労困憊していた。ひとり問題を抱え込まされ苦しそうな担当者に何の手助けも
できない私は、B取締役の一番そばにいる者として、ああいう性格だからあまり深刻に真正面
から受け止めず、やれることだけやって後は受け流したほうがいいよ、と慰めることしかでき
なかったが、実はその後、その矛先が自分に向けられるとは思いもしなかった。

2月の給与計算処理日、まだ当時は手計算がほとんどだったため処理期限5日ではかなりきつかった。
残業して集計表をまとめているとB取締役から別件の資料作成の指示を受けた。
期限を聞くと、なるべく早く。
これはすぐにでも、の意味だ。
仕方がないので給与計算は一旦保留にし、私は指示された資料作りに取り掛かった。
しかし、これがとんでもなく面倒な資料で、賃金台帳を何年か遡り、そこから一個
ずつ数字を拾っていかなければばならなかった。
終わったとき、事務所には人がいず、ポツンと一人残されていた。
そして給与計算を終えた翌日から、私は体調不良になり、更に一週間、出勤してきて
は早退を繰り返さざるを得なかった。
体調が戻った後も、少し込み入った仕事をすると動悸がしたり吐き気がしたりするようになった。
更年期障害だろうと思ったが他に人がいないので簡単に休むわけにいかず、そのことがまたプレッシャーになった。

あの頃から、私はB取締役に対し、ひとつの確信を持って接するようになった。
それは、この上司は自分のことしか考えてない、
一見、相手を思いやって言っているような言葉の中にも思いやりの欠片も入ってはいない、
全ては自分にどう還ってくるかが重要なんだ、と。

そんな上司の下ででも、環境の変化や新入社員の配属、自分のスキル向上等で一人でもなんとか全部の仕事をこなせるようになった。
しかし同時にそれは、私でなければ仕事が回せなくなったことも意味していた。



結局は、やがて定年で消えていくだろう社員が、
自分しかできないだろうと思って自分勝手に部署を仕切っている、
生意気にも細かな手続きを知らないこちらの打ち合わせに横から口を出すようにまでなった、
なんだこいつは、もう我慢ならぬ、、、、ということだと思った。

そもそも、私にはB取締役に対する尊敬の念が微塵もない。
人間的に尊敬できない相手と、仕事はできても上司と部下として続けて行けるか。
否である。

だから、退職したことは1ミリも後悔していない。
清々しい限りだ。


さあ、16日から、新しい職場へ出勤だ。








クラッシャー

2022-06-17 22:04:19 | 日記
クラッシャー上司だった。
正にその通りだった。
17年間、真面目に仕事してきたのに、
最後の最後になって、
こんな後味の悪い辞め方をさせられるとは・・・。

辞めると決まった途端、
有休消化を勧めてきたり、半日有休を特別に認めたり、
兎に角一日でも早く最終出勤日を迎えさせるにはどうしたらいいか、
あの手この手で結局はテレワークして下さい、って。
理由は、退職が決まった人間を、個人情報を扱う部署に置いておくわけにいかないから。

何かい、昨日までマイナンバー管理やら、給与計算やら、オンラインバンキングやら、
重要書類やら扱ってた人間でも、「退職します」と言った途端に
機密情報盗むかもしれないってこと?
昨日の今日でそんなに信用なくすの?
てか、そこまで言われるとげっそりするわ。

そこまで疑われるんだ~、て悲しくなったね。
お互いのためです、何かあってから疑われるのは嫌でしょ、って、
何かあるとしたら、機密文書盗まれた!って
そっちがでっち上げで私を訴えたりするかもですね。。。。

こんなクラッシャー上司のいる職場なんて
こっちから願い下げです。
17年任されてた仕事をほんの一週間かそこらで
引き継げっていうのもどうかと思うわ。
引き継がされた現場は混乱してます。
かわいそうだけど私にはこれ以上どうすることもできません。
まあ、大した仕事内容ではありません。
ただただ、ややこしくて面倒くさいだけの仕事です、総務、経理なんてのは。
ただただ地味で、会社全域の小さな事を処理していく仕事です。
1年我慢してこなしてみれば、2年目にはサイクルが分かって楽になりますから、
どうか引き継がされた皆さん、頑張りましょう。
そして、お元気で。


兄のこと

2021-02-02 18:29:18 | 日記


兄は1月12日早朝、息を引き取った。
私が病院に駆けつけたとき、すでに息はなかった。
なぜか病室の床にマットレスがダブルで敷かれてて、その真ん中に横たわっていた。
午前5時の入院病棟は少ないスタッフさん達があちこちの病室で静かに忙しく働いていて、
兄の病室には誰もいなかった。
跪いてほっぺたを触ってみたら、まだ温かかった。
目はつむっていた。
口は開いていた。
酸素マスクがついていた。



昨年1月から、兄はだんだんと体調が悪くなった。
B型肝炎からの肝硬変が進行したのだと思う。
肝硬変がわかったのは7~8年前。
その後糖尿病にもなった。
それ以前に兄は、20歳のとき交通事故に遭い左膝を悪くし身体障碍者だった。
歩けるが走ることは難しかった。


3つ違いの兄と小学校の頃までは、女ながらに取っ組み合いの喧嘩をよくした。
あんまりひどいと止めに入るのは父で、よく二人とも庭の木に背中合わせにくくられて、
反省させられた。口が立つ私に兄が言い返せず手を出す、というパターンだった。
背が高くひょろりとした兄は、それが目立つくせに何もカッコイイところのない男の子だった。
気が弱く、優しいくせに口下手で近所の子にはいじめられていたのだと思う。
勉強も運動も普通。短気でわがままで要領が悪く、高校生の頃は親が何度も学校に呼び出されていた。
それなりに悪さもしていたのだ。
それでも、慕ってくる友人は何人もいた。
高校時代の友人が最後まで兄を心配してくれた。

私が早く家を出たいと思ったのは、兄がいたからだ。
高校卒業と同時に、さあいよいよこの家を離れ一人暮らしができると思ったときの喜びは忘れない。
短気な兄の母を怒鳴る声が大嫌いだった。
うまく自分の気持ちを相手に伝えられなくて、もどかしくてつい大声になってしまう、
そんな兄の気持ちなどわかるはずもなかった。

20代30代と医療関係の職場で兄は兄なりに頑張って仕事をした。
独り暮らしも始めた。
国家資格もとった。
けれど、経済観念ゼロ、家事能力ゼロ、どこまでも要領悪すぎ、
それが私の兄への評価だった。

やがて兄は両親のもとで、家賃ゼロ、三食昼寝付きの気ままな暮らしに戻り、
左足の不具合や体調不良を繰り返しながらも、だんだん年老いていく親にとって
なくてはならない存在になった。


振り返ってみると、兄は本当に気の優しい、要領の悪い人間だった。
ただただ、要領が悪かった。
口は悪いが心根はやさしい人間だった。
だから一度でも兄の心根のやさしさに触れた人は、
最後まで好きでいてくれた。
伝わらない人には伝わらなかったけれど。


身内である私は、わかっているからこそ、何でもっと要領よくやれんの?
あんたいくつになったのよ、とずっと思っていた。



今頃はきっとあっちで、父と再会している。
叔父や伯母と宴会している。
えらく早く来ちゃったね、と伯母に言われてる。

兄ちゃん、あんたのこと私、大嫌いだからね。
それは変わんないからね。
だから、あんたが一番心配してた母のことは、
私に任せなさい。
あんたと違って私、要領いいんだから。
要領いいんだから・・・



真心

2017-11-29 19:39:09 | 日記
♪起きたらすぐに太陽を見なさい
ゴハンの前にお菓子を食べ過ぎるな
ほっといていいことは ほっときな
食べたくなくなったら残しなさい
  ~真心ブラザーズ「レコードのブツブツ」より~


当たり前のことを言ってるんだけど、
分かってても、これがなかなかできない。
歌はさらに続く。


♪ボタンを正しい穴に入れなさい
天気に合った服を着なさいね
スマホを見ないで食事をしなさいよ
雨の日は傘を持ちなさい      
  ~真心ブラザーズ「レコードのブツブツ」より~


はぁ~~~~ん、なんて、いい歌なんだ!