原爆の日
2014-08-06 | 文
この日は我がにとっては良い日ではない祖母と叔母が原爆にあった日
1945年8月6日朝観音町に緑井から引っ越し移動中の出来事 太田川の堤防を荷車と
一緒に広島市の見えるところまで来たときピカドンに遭遇 爆風が身体全体を覆い
叔母は15歳なのに吹き飛ばされ 堤防を転がり落ちていた たいした怪我はなかったが
爆風の当たった場所に小さなガラス片が刺さっていたそうで
祖母は6年後に 叔母は7年後に急に病にかかり他界した 祖母53歳 叔母22歳
祖母が亡くなる1年前に3ケ月一緒に暮していたその時二人とも元気だったのに
一言もの申したい
なぜ 平和記念公園なのか 原爆に関した會舘がある 落された我が国が
この場所を記念の場所にするのか理解が出来ない
産業奨励會舘を世界遺産にするのも理解できない
原爆の落した側は戦争を早く終わらせる為と
落された側は戦争した日本が悪いからと
これは違う 原爆は戦争で使用禁止の代物
化学兵器の部類に当たる
1945年8月6日朝観音町に緑井から引っ越し移動中の出来事 太田川の堤防を荷車と
一緒に広島市の見えるところまで来たときピカドンに遭遇 爆風が身体全体を覆い
叔母は15歳なのに吹き飛ばされ 堤防を転がり落ちていた たいした怪我はなかったが
爆風の当たった場所に小さなガラス片が刺さっていたそうで
祖母は6年後に 叔母は7年後に急に病にかかり他界した 祖母53歳 叔母22歳
祖母が亡くなる1年前に3ケ月一緒に暮していたその時二人とも元気だったのに
一言もの申したい
なぜ 平和記念公園なのか 原爆に関した會舘がある 落された我が国が
この場所を記念の場所にするのか理解が出来ない
産業奨励會舘を世界遺産にするのも理解できない
原爆の落した側は戦争を早く終わらせる為と
落された側は戦争した日本が悪いからと
これは違う 原爆は戦争で使用禁止の代物
化学兵器の部類に当たる