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検察審査会が起訴相当を2回出すと・舛添要一(雅美(長男=龍之介)厚労大臣当時実姉の生活保護への援助を拒否

2009年06月18日 16時50分31秒 | Weblog
19900文字数

【幼少期のひもじい生活が今のセコイ,ドケチ,タカリ屋舛添を作った】
1996年に現在の妻[雅美]と結婚した[2000長女出産,2003長男出産]
『2014正月セコ家族温泉宿泊当時、長女14歳中学生/長男(龍之介)11歳小学生』
[長女のパジャマも政治資金で購入]
[その他扱いで、長女のパンティ,ブラまで買っているかも,政治資金の服を着ている一家]
[長男の名前=龍之介➽アサ芸+2016/6/13より]

アサ芸プラス:
静岡県湯河原町の別荘に50回近くも通っていた舛添。実家が湯河原の資産家という妻(雅美)をおもんばかってか、そんな舛添の湯河原好きについて、

文学に詳しいライターはこんなエピソードを口にする。
「~高校生の頃は文学青年で、夏目漱石や芥川龍之介を乱読していたそうです。とくに芥川への傾倒ぶりはすさまじく、息子に『龍之介』と名付けたことは新聞のコラムで明かしているほど。その芥川が湯河原に長逗留していたことは、現地の人なら誰でも知っている史実です」(金田麻有)

現在の雅美との間に生まれた子供が、
長女で名前は果連、年齢は今年15歳。
その次に生まれた長男の名前は龍之介、年齢は13歳である。

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検察審査会が法的拘束力を持つ法改正が施行された。
検察審査会が起訴相当を2回出されると裁判が自動的に行われる。

よくTV取材報道で、不起訴になった交通事故で、
遺族が起訴すべきと、検察審査会に訴える。
そして、
検察審査会が、起訴せよと判断されても、検察は、無視or不起訴のまま。
となって、遺族のくやし涙を見ることがある。

裁判員制度と検察審査会強化は、車の両輪で、不可欠である。
裁判員制度は【裁判官が独占していた判決権】をど素人の民意を反映すること、
ど素人であっても良い。むしろ、ど素人の判断を必要とする。

検察審査会の法的強化は、【検察官が独占していた起訴権】を、
ど素人の民意を正当に反映出来たこと。

あと残るは、菅家さんの足利事件。の様に冤罪事件です。
調書を取っている部屋をモニターカメラで撮る事だけでは、冤罪は防げない。
被疑者が、調書を取られる時など、警察官刑事などに、個室部屋で、調書を取られる時、
被疑者が、民間人の立会いを求める意志の時、民間人の立会いを認める制度です。

おそらく民間人立会い制度、が出来れば、
ほとんどの20歳以上の国民が登録されるほど、多人数を必要とされる。
これは、、国民みんなで、裁判制度に参加する事になる。
みんなで、犯罪事件に何らかの関与する。

そして、被疑者が、民間人の立会いを求めない時は罪を認めている。のでないか?
むろん、いちがいに、そうとも言えないかもしれないが~。

菅家のインタビューでは、
菅家は刑事の手を引きながらにぎって、涙を流した~
その時、刑事は(落とした、とうとう観念した)と錯覚。
菅家自身はいくら言ってもダメダ、というつもりで、くやしくて泣いた。
この、くい違いです。

それだけ、警察の孤立隔離部屋では、高圧的、威圧的です。
どんなに、がんばっても、勝てない心理。

足利事件と同じDNA鑑定法で飯塚事件がある。
しかし、すでに死刑が執行され、70歳で死刑執行された。
ただ、足利事件との違いは、再鑑定のできない証拠であった??との事。
そう言う意味で、足利事件は幸運であった。

冤罪で、処刑されたのなら何で、生まれてきた、その叫びは~~と思う。
民間人立会い制度はいつ出来るのか?
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舛添要一【疑惑の支出一覧】週刊朝日2016年6月3日号より

●2010年
8月20日 一の俣温泉観光ホテル(山口県下関市)76,077円

●2011年
1月3日 横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ 195,167円
1月16日 自宅近くのイタリア料理店 34,265円
4月1日  高島屋 178,710円
8月19日 タクシー代(沖縄)25,000円
8月20日 沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザ 119,822円
9月7日 喫茶店(東京・赤坂) 18,000円 [➽オーナーとの対話👇]
10月9日 コミック『クレヨンしんちゃん』400円、コミック『イナズマイレブン スペシャル』499円
10月14日 虎屋 41,994円
10月19日 ホテルセントラーザ博多 58,199円

●2012年
4月24日 中古車両代 985,000円
5月7日 車両修理整備代 400,390円
5月15日 中古車両代 990,000円
8月13日 花衣の館 日光千姫物語 83,985円
12月16日 湯河原の回転寿司店 16,560円

●2013年
1月3日❶【龍宮城スパホテル三日月(千葉県木更津市)237,755円】
1月24日 イタリア料理店 40,590円
3月23日 回転寿司店 15,560円
4月28日 回転寿司店 15,190円
5月2日 自宅近くの天ぷら店 18,050円
6月1日 イタリア料理店 16,665円
8月16日 天ぷら店 17,700円
8月26日 イタリア料理店 56,090円

●2014年
1月2日❷【龍宮城スパホテル三日月 133,345円】
1月10日 天ぷら店 16,800円
1月22日 舛添政治経済研究所 ハウスクリーニング代 281,500円
4月15日 イタリア料理店 83,416円

[➽オーナーとの対話👇]
喫茶店の手書きの領収書には「18,000円」2011/9/7。
宛先は舛添の資金管理団体「グローバルネットワーク研究会様」となっている。

繁華街の一角にある東京都港区赤坂のこの店を訪ねた。
店内には10脚ほどのテーブルが並び、スーツ姿の客が数人くつろいでいた。
オーナーに舛添の領収書を見せると、首をひねった。

「この領収書は切っていないと思う」(オーナー)

コーヒーは1杯400円。1万8千円となると45杯分。
「こんな大きな金額は切った覚えがない」(オーナー)と言う。
サンドイッチは600円・コーヒーと合わせて18セット注文した?

「いいえ。うちは貸し切りはやっていません」(オーナー)[店内:10脚ほどのテーブル]

※週刊朝日2016年6月3日号
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1996年に現在の妻[雅美]と結婚した[2000長女出産,2003長男出産]
『2014正月家族温泉宿泊当時、パジャマ長女14歳中学生/長男(龍之介)11歳小学生』
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舛添知事の面談相手はゴースト? 際立つ「ホテル会議」の不自然さ
2016年6月9日THE PAGE/フリー記者本間誠也

都議会でも政治資金疑惑で集中砲火を浴びている舛添知事。
「ホテル会議」の面談相手の名はかたくなに口をつぐんでいる➽実は存在しない幽霊!?

舛添要一都知事の政治資金をめぐる一連の疑惑の中で、「本命」とされるのが千葉・木更津のリゾートホテルでの「面談疑惑」だ。

弁護士の調査報告では政治資金で2013、14年1月の家族旅行の宿泊費37万円【龍宮城スパホテル三日月(千葉県木更津市)】を賄ったことは「不適切」と指摘した一方、支出理由としたホテルでの面談については「事実と認定」した。
だが、両年とも正月に木更津まで駆けつけ、政治的に重要な相談を受けた出版社社長は、知事の政治資金から支出された会食相手としては、なぜか一度も登場していない。
姿を現すのは千葉のホテル三日月の場面のみ。
都議会も面談や社長の存在を疑問視する中、知事はこの人物についていつまで口をつぐむのか。(フリー記者・本間誠也)

■「事務所関係者ら」から「出版会社社長」に

「いずれもホテル内の宿泊した部屋で事務所関係者らと会議をしています。室内は数人で議論できるスペースはあったと思います。会議は昼間、相当(な時間)やっていたと思います。家族といた部屋を利用して誤解を招いたことを反省します」

週刊文春による知事の公私混同疑惑のスクープ記事を受け、
2016/5月13日に知事が最初に釈明会見を開いた際の発言内容だ。
この日は次のようにも説明している。

「13年(2泊)は前年末の総選挙で新党改革は惨敗し、年明けには自分の参院選があったので調整のため日程も限られていたのでこの場所で会議を。14年(1泊)は都知事選出馬をいつまでに決めるか、どの党から支援を受けるか、この日しか会議する日がなかった。ただ子供たちと(旅行の)約束をしていたので」

こうした弁明は知事自らが依頼し、「第三者の厳しい目」と名付けた弁護士2人による調査の結果、事実内容が変化する。

「13年1月1日から3日までの宿泊中、付き合いが長くかねてより相談相手としていた出版社社長(元新聞記者)を客室に招き、政治家としての今後のことを相談したとのことであり、面談は数時間程度」
「14年1月1日から2日までの宿泊期間中、前年と同様に出版社社長を客室に招き、都議選出馬について相談したとのことであり、面談時間は1時間程度」

ただ調査報告書は、「いずれも全体としては家族旅行と判断するしかない」としながらも「舛添氏の説明内容を踏まえると、政治活動に無関係であるとは言えない」とし、「政治資金からの支出は適切であったと認めることはできないが、違法とは言えない」と結論付けた。

長い付き合いのはずが「飲食費」には登場せず

「事務所関係者ら数人による会議」が「出版社社長との面談」に変わった経緯について、知事は6/7日の和泉なおみ(共産)による代表質問の答弁として、「相手に迷惑がかからぬようにとの思いからそのような表現になってしまった」と釈明した。

だが報告書に沿って、仮に出版社社長なる人物が正月早々、わざわざ知事の求めに応じて2年連続して1時間か数時間の相談のために木更津まで足を運んだとしよう。そうした知事と長い付き合いを持つ濃密な関係であるはずの出版社社長はどういうわけか、政治活動に関する意見交換などの会食相手としては調査報告書の中に一度も姿を見せていない。

報告書によると、知事が代表を務める政治団体の収支報告書に記載された飲食費は、09年から14年までの5年間で計65件。その内容を記した「調査検討結果」欄のすべてに目を通しても会食相手として「政界関係者」「マスコミ関係者」「支援者」「神奈川県の政治家」などはあるものの、出版社社長の文字はない。

2人の弁護士は、表記の統一性の見地からも、宿泊費の欄で出版社社長とした人物について、飲食費では「マスコミ関係者」に変えたり、再び「事務所関係者ら」に戻したりはしないだろう。今後の政治活動や都知事選出馬を相談するほどの相手との付き合いは、正月のリゾートホテルに限ってのことだったのだろうか。

また知事は2016/5月の釈明会見の場で、正月に家族旅行先のリゾートホテルで「重要な会議」を開いた理由について、「日にち。これに尽きます」と強調していた。重要な会議の前後であれば、中、小規模の飲食を伴った会議なども行われたと予想されるのに、報告書によると13、14年の正月前後に支出された政治資金は2件のみ。

その内訳は、13年1月24日の事務所関係者らとの世田谷区内レストランでの打ち合わせと、都知事選のあった14年は「不適切」支出とされた1月10日の世田谷区の自宅近くの天ぷら料理店での食事で、知事が自費で会食したのでない限り、正月中の旅行先での「重要な会議(面談)」の唐突さが浮き彫りなってくる。

■あまりにずさんな「第三者」の事実認定

こうした知事の政治資金調査をめぐり、弁護士2人による報告内容を「ずさん」と指摘する声は少なくない。

数ある調査の中でも木更津のリゾートホテルについては、最重要項目だったはずだ。ところが、「第三者の目」の一人である元東京地検特捜部副部長の【佐々木善三弁護士】によると、出版社社長本人にはヒアリングできておらず、「舛添氏の説明内容を踏まえ」たうえで、「周囲の方」からのヒアリングで事実関係の裏付けを確認できた、という。「それを疑うことはできない」とまで言い切った。

知事の依頼を受けてから調査結果の発表まで約2週間。出版社社長との直接の面談はかなわずとも、電話などでのヒアリングすらできなかったのか。しぶとい捜査手法から、特捜部時代に「マムシの善三」とまで評された佐々木の「事実認定」は、あまりに知事に傾きすぎてはいないか。ヒアリングしたという「周囲の方」について具体的な説明はなく、証拠に関しても言及しなかった。

「関係者は関係者ですよ!!」――。調査報告発表の場で、「(調査のために)ヒアリングした関係者とは誰なのか」という記者からの問いに対し、佐々木弁護士はこう言い放った。

特捜部副部長の立場なら捜査上の問題から、そうした記者への冷淡ともとれる回答は日常的なものだったろう。だが、知事に依頼されて調査を担った弁護士の立場なら、知事に代わってもっと丁寧な詳らかな説明を尽くすべきだったのではなかったのか。

「『第三者の目』という弁護士は知事を守るための『盾』でしかない」。6/8日の都議会一般質問では、こうした批判が相次いだ。
佐々木弁護士ら2人が在籍する法律事務所には調査結果の発表以来、連日のように抗議が殺到していると言う。
[THE PAGE/フリー記者本間誠也]
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舛添都知事、姑息な延命策“文春砲”は新疑惑「公用車でG戦&N響第九」
2016年6月9日ZAKZAK(夕刊フジ)

東京都の舛添要一知事67が、自身の給与減額で延命しようとしている。
6/8日の都議会終了後、議会側に給与減額の意向を伝えたが、この程度のごまかしで都民が納得するわけがない。夕刊フジ既報通り、都議会総務委員会は6/9日の理事会で一問一答方式の集中審議開催を決定した。
そんな中、2016/6/9日発売の週刊文春が、
公用車でのクラシック鑑賞や巨人戦観戦など私的利用疑惑を報じた。

6/8日に行われた都議会一般質問は15人が質問し、全員が舛添の疑惑を追及した。自民党から「早急に結論を出してもらいたい。政治家なら出処進退だ」(木村基成)という厳しい言葉が出たほか、公明党からも「いかなる理由で知事にとどまろうとするのか」(公明党の斉藤泰宏)などと進退を問う声が相次いだ。頼みの綱である自民、公明両会派からも見放されているのが実態といえる。

だが、舛添は相も変わらず「地道に都民や議会の理解を得たい」と繰り返すだけだった。しかも、一般質問終了後には、混乱を招いた責任を取り、舛添が自らの給与を50%減額するという苦し紛れの提案を都議会側に行ったという。

そもそも、舛添氏の「政治とカネ」の問題は、人間としての「卑しさ」が根底にあり、政治家としての資質が問われているわけで、金を返せば済む話ではない。何を勘違いしているのか。

給与は月額145万6000円で、2016/6月1日には約380万円の夏のボーナス支給が確定したばかりだ。年収ベースでは約2900万円に達するため、月額給与を減らしても、1000万円以上の報酬はちゃっかり手にする計算だ。まさに姑息(こそく)としか言いようがない。

舛添は、6/15日の閉会日までに改正条例案を提案するとのことだが、各会派の反発は必至で、辞職要求がヒートアップする可能性が高い。

新たな疑惑も舛添をさらに追い詰めそうだ。6/9日発売の週刊文春は、
舛添が昨年2015/12月、東京都渋谷区のNHKホールで開かれたNHK交響楽団(N響)の「第九」演奏会に妻同伴で公用車で訪れたという都庁関係者の証言を報じた。
また、昨年2015、計3回にわたって公用車を使い、家族で東京ドームでの巨人戦を観戦した疑惑もある。

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舛添要一【母介護の偽り・姉生活保護援助拒否の非情】

舛添知事、地元の親族も「とにかく昔からケチ」…遠距離介護は「顔を見て帰る程度」
2016年5月26日スポーツ報知

TBS系情報番組「白熱ライブ ビビット」(月~金曜・前8時)が5/26日、舛添要一東京都知事(67)の政治資金流用疑惑に関し、舛添知事の地元である北九州市を取材。
親族の女性のコメントを紹介した。

舛添知事は2014年に「母と子は必ず、わかり合える 遠距離介護5年間の真実」を出版。
「政治家としての原点は、5年間にわたり母親を遠距離介護したことだ」と、北九州市に住む母を遠距離介護した体験を著書で語っている。
その遠距離介護について、取材を受けた親族(女性)は
「1か月に1回来るか来ないか。それも母親の顔を見て帰る程度でした」と話し、
見舞いに訪れてはいたが、「介護」ではなかったと証言した。

また、舛添知事の人柄については
「(自分が)小学生くらいから知っていますが、お礼などを渡しているのを見たことはない。とにかく昔からケチでした」と厳しかった。
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週刊文春2007年9月13日号26-29p・9月20日号36-40p

【母の介護・長姉との確執について】

・4人の姉のうち長姉とは母の介護を巡って絶縁状態
・「他の妹は要一の方についた」(長姉談)
・舛添が母親の介護をしていたのは平成12年(2000年)に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度
・母親の日々の介護は舛添の会社の取締役に名を連ねる3番目の姉が行なっていた(近所の老人談)
・舛添が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、母親の死も知らされなかった
・舛添は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが「全部嘘」(長姉夫婦談)。
・母が関わった病院や施設関係者への<文春の取材>では
「長姉夫婦が虐待をしていたなんて事はない」。
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舛添要一「生活保護の姉 北九州市の扶養要請を断わった非情」
週刊文春2007年10月4日号42-45pより

【姉の生活保護についての記事の内容】

・舛添要一が母親の介護を始めるのは平成8年(1996年)から
・4人の姉のうち4番目の姉が生活保護を長年受けていた
・平成4年(1992年)、北九州市の担当職員が
「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」
と頼みに<舛添の家>を訪ねたが追い返された(元市職員談)。

・当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり(年間3億円程度)、億単位で不動産を買い漁っていた。
・北九州市は生活保護率が全国一だった事もあり、当時は生活保護の適正化に一生懸命だった。
・当時、舛添要一は厚生労働大臣であった[そのトップが実姉の生活保護で1万円でさえ援助を拒否]。
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【舛添要一 姉の生活保護援助を断る!】

舛添要一(1948年11月29日生まれ)
4人の姉がおり、4番目の姉が長年生活保護を受けていた。

1992年、4番目の姉が生活保護を受けていた北九州市の職員から
「可能な範囲でいいから、1万でも2万でもいいから仕送りをしてほしい」と頼まれたが
舛添はこれをキッパリと拒否、断った理由は明らかにされていない。
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市の担当者から依頼されたとはいえ、舛添に姉(4番目の姉)の生活を援助する義務はありません。
姉の方から申請があれば援助に協力しなければならなかったのですが、それもありませんでしたので、
舛添が姉の援助を断っても法的に何も問題はありません。
生活保護不正受給の問題とも関係ありません[河本準一問題]。
しかし法的には何んら問題はなくても、

❶舛添が当時テレビ出演などで年間3億円近く稼いでいて、億単位で不動産を買いあさっていた事、
当時舛添は政治家タレントとして大儲けをしていたので、生活保護の受給額を減らすために月数万円の援助もできないのか!!と批判が出ました。
❷北九州市は生活保護率が全国一で改善に向けて対応している最中だった
当時、生活保護の不正受給・過剰受給による赤字化を改善しようとしていた厚生労働省の大臣が舛添だった。
その中でも北九州市は生活保護率が全国一で特に改善させなければいけない地域だった。
そのトップに立つ人間が自ら改善に協力しない姿勢をみせた事で批判があがった。

以上のような理由で批判を集めていますが、
舛添は大臣時代に生活保護世帯の「母子加算」を廃止しています。
後に民主党が復活させていた時には激怒し「受給額を増やしたら人間がダメになる」と発言しています。
他人にはとことん厳しいのに、本人は税金を使って贅沢三昧~。

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【愛人に産ませた子への非情】

舛添の元愛人の父が怒りの告発 子供認知も冷ややかな態度…養育費減額を要求
2016.05.28夕刊フジ

東京都の舛添要一知事(67)に、人格や人間性を疑うようなエピソードが続出している。一連の「政治とカネ」の疑惑の原点には、首都のリーダーとは思えない「モラルの欠如」が関係しているのか。夕刊フジが、かつて舛添の愛人だったというA子さんの父親(91)を取材すると、
舛添が認知した障害を持つ孫(婚外子)への冷たい対応を明かし、
「ああいうのは死ななきゃ治らない」と言い切った。 

都内にあるA子さんの実家を記者が訪ねると、父親が出てきた。
一連の舛添疑惑にうんざりしながら、
▼「娘は東京大学の大学院に進学して、教官だったあの人と知り合いました。一度、うちにメシを食いに来たこともありました。『おかしな人』という印象はなかったのですが…」と、約30年前、初めて舛添と対面したときのことから振り返った。

❶舛添が最初に結婚したのは、
パリ留学中の1970年代後半で、相手はフランス人。その後、離婚した。
❷1986年、大蔵省のキャリア官僚だった片山さつき(現・自民党参院議員)とお見合い結婚したが、1989年に離婚している。2人との間には子供はいないが、
❸3番目の妻で「舛添政治経済研究所」代表を務める、雅美夫人との間には男女2人の子供がいる。

実は、舛添は、
❶愛人女性A子との間に1人[男児1988出産=重度の障害]➽後に認知(1990)
❷別の愛人B子との間に2人[女児1991出産・女児1995出産]
の婚外子がいるという。

❸1996年に現在の妻[雅美]と結婚した[2000長女出産,2003長男出産]
『2014正月家族温泉宿泊当時、長女14歳中学生/長男11歳小学生』

愛人B子さんは婚約不履行を理由に訴訟で慰謝料を請求、
愛人A子さんも出産した男児が重度の障害を抱え、ここまでの生活は並大抵の苦労ではなかったと言う。

現在50代半ばになるA子さんとの間に男児をもうけたのは1988年で、
何と片山と結婚中だった[片山と結婚中に愛人A子は出産する]。

A子さんの父親の目からみても「付き合っている」という認識だったが、子供が生まれるとは考えていなかった。誕生から2年後、舛添はようやく子供を認知した。
ただ、月々の養育費の「値下げ」を求めて調停を起こすなど、
ここでも【セコさ、卑しさ、小ささ】を発揮したという。

A子さんが女手ひとつで育て上げた子供は、現在28歳になっている。
ただ、障害があるため病院通いを続けている。
舛添がわが子と面会したことは、ほとんどないという。

父親は
「結局、娘とは結婚することはありませんでしたが、それはまだしも、その後のフォローがない。普通だったら『息子は元気ですか?』ぐらい声をかけるものでしょう。男としてどうかと思います」と話す。

そうした素顔を見てきただけに、舛添が2014年に都知事選に出馬した際は不安を覚えたという。
「どういう人物かも知らず、自民党や公明党は『厚労相経験者で人気もあり当選しそうだ』ということで、支援したわけでしょう。『人間って怖いもんだなぁ』と思いましたよ」
2年後、その不安は的中した。

■【「幼少時代、舛添氏は貧しかったそうですが、それが尾を引いて『一銭も身銭を切らない』ような性格になってしまったのでしょうか。とにかく、他の人では考えられないような話ですよ。ああいうのは死ななきゃ治らないでしょう」】■

確かに、都民・国民は、政治資金を家族旅行に流用していた政治資金規正法違反(虚偽記載)のようなレベルの疑惑だけでなく、舛添の人間性を示すエピソードの数々に不信感・嫌悪感を覚え、世論調査で約7割が「辞職すべきだ」と突き放しているようだ。

舛添は5/27日午後、3度目の釈明会見に臨んだ。その前日、遠慮のない言動から「イブキング」の異名をとる自民党の伊吹文明元衆院議長は、顧問を務める同党二階派の総会で、舛添について以下のように講話した。

「自分に厳しくない人が権力を持った組織は非常に怖い」「法律で許されても、やってはいけないことがある。『伝統的な定め』や『道徳』というものだ。これをしっかり持っていないと、人から後ろ指を指されたり、法律では罰せられないが『お天道様の下を歩けない』などといわれる」(伊吹文明)

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【ドケチ、タカリの人物像はいかにして形成されたのか!!】

「いつか要一は…」 疑惑だらけの舛添都知事の亡き姉の予言
[AERA 2016年6月6日号/大平誠,作田裕史,宮下直之]

東大法学部で鳩山邦夫と首席を争った、天才政治学者の政治資金流用疑惑。

すでに「釈明会見」も3回目。記者からの追及にも慣れた様子で、5月27日の会見では、舛添要一東京都知事(67)にはかつてのプライドの高さが戻っていた。

「疑惑のすべてが黒という訳ではない。今にでも言いたいことはありますよ」

先週の会見では声に弱々しさをにじませていた。しかし、政治資金の私的流用疑惑などについて元検事の弁護士2人へ調査依頼を済ませたことで安堵したのか、受け答えにはどこか自信が見受けられた。とくに、回答を引き延ばしているのではないかとの追及に対しては、

「まったく違います! 集中して(調査を)やることが最大の目的であって、厳正にやらないといけない。一日も早く結果を出すために(弁護士名を明かさないという)判断をした」

自身の能力に絶対的な自信を持ち、人を見下さんばかりの高いプライドを持つ舛添。外遊の往復はファーストクラス、宿泊は最高級ホテルのスイートルーム。部屋で要人と会うこともあるから仕方ないのだそうだ。

●生活保護の姉の扶養要請を断る

他者への比類なき攻撃性と、自分の欲望を満たすことにかける絶対的な情熱の源流を辿った。

「あんなにウソばっかりついて他人を傷つけて、いつか要一は手痛いしっぺ返しを食らう。5年前にそう言い残して膵臓がんで亡くなった、母の予言通りになりましたね。ずっと詐欺のようなことをしてきたのですから、同情の余地はありません」

▼舛添の姪(48)がそう語る母とは、11歳年長の長姉の事。
4人の姉を持つ末っ子として八幡市(現在の北九州市)で生まれ育った舛添は、中学2年で父・弥次郎さんを亡くした。戦前は炭鉱を持ち、戦後は市場で八百屋を経営していたという父が死んでから、舛添家は教員資格を持つ長姉と、長姉と結婚した会社員の夫が大黒柱になった。成績優秀な舛添を東大進学で東京に送り出した長姉夫妻は、年の離れた舛添を我が子のように可愛がった。東大の体質を批判して1989年に教員を退官、国際政治学者としてテレビの討論番組に出演するようになると欠かさずビデオ録画して応援していたという。

母親のユキノさんの面倒を長年見てきたのも、長姉夫妻だった。ところが舛添は98年に出版した『母に襁褓をあてるとき─介護 闘いの日々』を出版、認知症が進む母の介護を巡って長姉夫妻を悪しざまに罵った。その後もあらゆるメディアで介護体験を自慢して名を売り、「母」「介護」「痴呆」などのキーワードのタイトル本を少なくとも9冊も著し、2007年の第1次安倍政権で厚生労働大臣の座を射止めた。

長姉夫妻は長年沈黙を守っていたが、同年、週刊文春が3回にわたって掲載した「舛添要一『消せない過去』」で重い口を開き、「要一が本で書いている内容は、全部反対の話だと理解してもらったらいい」と当時、取材した筆者(大平)に語った。

このシリーズでは、長年生活保護を受給していた4番目の姉を扶養するよう北九州市が要請したにもかかわらず、断ったことも報じた。92年ごろのことだ。当時、売れっ子の国際政治学者だった舛添は、バブルを謳歌していた。講演だけで一日300万円、多い年で年間3億円を稼いだ。北海道白老町に建てた別荘で女優たちと温泉に入ったり乗馬を楽しんだり、都内にも複数のマンションを所有して、世田谷の自宅は3億円で購入したなどと、インタビューで臆面もなく語っていた。その一方で、実の姉に救いの手を差し伸べようとしない理由が、「冷血」以外奈辺にあるのか問い質そうとしたが、舛添は「ダメです。不愉快です」と意味不明の対応で取り付く島もなかった。

さらに、片山さつき参院議員や、フランス人女性との結婚だけでなく、片山と結婚していた88年当時に愛人Xさんに男児を産ませて後に認知、さらに91年と95年には別の女性Yさんに2女を産ませた後、96年に現在の妻と結婚したことなども報じた。Yさんは婚約不履行を理由に訴訟で慰謝料を請求、Xさんも出産した男児が重度の障害を抱え、ここまでの生活は並大抵の苦労ではなかったという。

●お金出ない人と付き合わない

これだけではない。県立八幡高校時代からの親友だったFさんには四つ年下の妹Zさんがいて、舛添は彼女との結婚をほのめかして土建業のF家からも多額のカネを引っ張った。それでもFさんは舛添を支援したが、母の介護を巡って実情を知るF家とは疎遠になった。Fさんは6年前に亡くなり、Zさんも現在末期がんの床に伏せっている。

長姉にも、後を追うように同じ年に亡くなった義兄にも、Fさんに対しても、舛添からは何のお悔やみもなかったという。

「あの人は、お金が出ない人とはお付き合いしません。私は、もう関わりたくありません」

2016/5月27日の会見では、記者の質問をさえぎって「いや」「しかしですね」と反論したり、声を荒らげたりする場面もあった。

2年前の都知事就任時、そう落胆していたZさんは今回、舛添が政治資金で「龍宮城スパホテル三日月」に2年連続で正月家族旅行に興じていた週刊文春報道を受けた記者会見のテレビ中継を見て、筆者にこうメールしてきた。

「テレビみました。すっきりしました。私は、がんの末期であと少ししか生きませんがよくぞやってくれました」

これまで数々の疑惑を報じられながら、運良く切り抜けてきたが、今回ばかりは外堀を埋められ浮かぶ瀬が見つかりそうもない。

舛添はかつて、中学時代に死んだ父のルーツを求め、『花と龍』『麦と兵隊』などで知られる芥川賞作家、火野葦平の旧居「河伯洞」(北九州市若松区)を訪れたことがある。00年の初夏。手には1930年に若松市議選を戦ったという父の選挙ビラがあった。「舛添弥次郎」の右横には片仮名で、左横にはハングルでルビが振ってある。その謎を解くために、当時の選挙戦の様子を『花と龍』などで描いた葦平に、縁を求めてやってきたのだ。

●火野葦平の掛け軸を「購入」

葦平の三男で河伯洞管理人の玉井史太郎さん(79)が振り返る。

「そのハングルの選挙ビラを持って、臨月でおなかの大きな奥さんと一緒に来ました。昭和16年に出版されて絶版になっている葦平の『美しき地図』の中で、選挙協力を求められていた主人公の朝鮮人の友人が『入れられなくなりました。こらへて下さい。今度、朝鮮のひと、候補に出る。仕方ありません』との記述を見つけ、喜んでいました」

舛添は「現代」01年1月号でこのエピソードを
「参政権が朝鮮人にあった『戦前』を考える~立候補した父親とハングルの選挙ビラ」
で書き残している。

そんな縁もあり、舛添はその後も2度ほど河伯洞を訪れ、玉井さんも毎月「河伯洞だより」を欠かさず舛添に郵送してきた。10年12月に発刊した記念誌「あしへい13」には舛添がこんな寄稿をしている。

<先日、懇意にしている東京本郷の古本屋が葦平の掛け軸を持ってきた>

河童の絵をあしらった葦平の軸を額装し、背景にして舛添が一緒に写真に収まっている。玉井さんは嘆息した。

「掛け軸も政治資金で購入されてたりしたら目も当てられません。みみっちいと言うか、あれがあの人の本質やったんかな。厚労大臣のときはSP5人に若松警察署長まで連れて嬉しそうに来てましたけどね。河伯洞だよりも今月から送るのやめます」

⇈(AERA 2016年6月6日号編集部/大平誠、作田裕史、宮下直之)⇈

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「人間失格」舛添要一都知事が実姉に送った“恫喝文書”
2016年6月1日週刊文春WEB

「週刊文春」取材班は、舛添要一東京都知事(67)が、実母・ユキノさんの介護をめぐり、
自らの長姉・A子さんに1997年に送付した一連の文書を入手した。
長姉A子さんは既に鬼籍(死亡)に入っているが、A子さんの実の娘で、
舛添の姪(48)が当時の背景をこう説明する。

「当時、祖母(舛添の母)と私の両親は北九州で30年来、同居していました。叔父(舛添)は東京にいて国際政治学者として活躍していましたが、こちらにはほとんど帰ってきていませんでした。それが祖母に認知症の症状が現れてきたことを知ると、突然、祖母を介護している様子を『テレビに取材させる』と言い出したのです。母はこの取材には反対の立場でした」

結局、舛添が車椅子を押す場面などを撮影したが、後日、テレビ局スタッフから「放映してよいか?」と電話で尋ねられたA子さんが「私は反対です」と答えると、ほどなく舛添から「放映を中止されたら損害賠償を求める」旨の文書がFAXで届いたという。

以降、
舛添はA子さん夫妻に対して、「警告書」「告訴準備書面」などと題した文書を送り付けたが、
その内容は次のようなものだった。

■[<(A子さん夫妻がユキノさんに)罵声を浴びせかけ、恫喝により恐怖のどん底に陥れ、病状を悪化させたことは、人間失格ともいえる行為>警告書より]
■[<金の亡者と化した長姉一家の思考は、所詮は金のことにしかめぐらないのです>告訴準備書面より]

小誌の取材では、A子さん夫妻が舛添の指摘するような行為を行った事実はなかった。

舛添は、この騒動の直後、母親の介護体験を綴った『母に襁褓(キョウホウ)をあてるとき――介護闘いの日々』(襁褓=オシメ)を上梓し、介護問題の論客としての地位を築き、
2007年には厚労大臣に就任している。舛添に一連の文書を送付した経緯を尋ねたが、回答は得られなかった。

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👇【週刊ポスト2014年1月24日号】👇

『舛添要一の凄すぎる「女」と「カネ」
結婚3回、離婚2回、子供2人に愛人の子3人、現在「隠し子、養育費裁判」係争中』

類い稀な男性的魅力を持つ舛添要一氏 結婚3回で子供は5人

首都の顔を決める都知事選挙。有力候補の一人と見られているのが無所属での出馬を表明した舛添要一・元厚労相(65)だ。実は舛添、類い稀な男性的魅力を持っているようで「永田町イチの艶福家」として知られているのだ。

舛添氏の最初の結婚は1978年、相手はフランス人女性だった。出会いは、舛添氏が東大法学部政治学科を卒業後、パリ大学研究所やジュネーブ高等国際問題研究所の研究員を歴任したヨーロッパ留学中のことだった。帰国後の1979年、舛添氏は31歳の若さで東大教養学部の助教授に就任。だが、プライベートも順風満帆とはいかず、1981年に破局を迎えている。

1986年に再婚した相手はというと、いまや政治家として全国区の知名度がある片山さつき・参院議員だ。片山氏は大蔵省(現・財務省)入省後、フランス国立行政学院に留学。帰国後の27歳の時、東大助教授の舛添氏とお見合い結婚した。結婚当時は“ミス大蔵省”との呼び声も高く、後に女性初の主計官も務めた。
そんな片山氏は結婚生活について、最近のインタビューでこう振り返っている。

<舛添さんと結婚したことがそもそも間違いであったと思います。愛のない結婚をしてはいけないということ。私の人生における大変大きな間違いだった>(『婦人公論』2013年2月22日号)

そう振り返る結婚生活はわずか2年3か月で終わりを告げる。
離婚の理由を片山氏はこう打ち明けている。

<慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒鳴り始めたんです>(『週刊新潮』2010年5月6・13日号)

一旦怒り始めると、舛添氏は怒鳴る、手当たり次第にモノを投げつける、そして、ある時にはいくつものサバイバルナイフを片山氏の目の前にズラーッと並べたこともあったという。

<彼は、ナイフの収集が趣味だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。(中略)結局、結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることも分かった>(同前)

その「妊娠中の愛人」を仮にA子さんとしよう。A子さんが東大の学生だった時、舛添氏が指導教官という立場で知り合った。すぐに「もう妻(片山氏)とは別れるから」と舛添氏がA子さんに猛アプローチ。押されるまま付き合い始めたA子さんは1988年、男児を出産した。A子さんの知人が当時の状況を振り返る。

「A子さんの存在を知って激怒した片山さんが、バッグに包丁を忍ばせてA子さんと舛添氏がいた部屋に怒鳴り込んできたことがありました。真っ先に部屋を飛び出した舛添氏が逃げ込んだ先は、もうひとりの愛人B子さんの部屋だったそうです」

A子さんの子供を舛添氏が認知したのは1990年。認知するまでの2年間に、B子さんが女児を出産、さらに同時期に他に2人の女性とも交際していたことがわかったという。目まぐるしい女性遍歴の末、舛添氏が15歳年下の現在の夫人である雅美さんと再々婚したのは1996年だ。

なお、その前年(1995)にB子さんは2人目の女児を出産した。もちろん父親は舛添氏。
その後、雅美夫人との間には、2000年に長女、2003年に長男が生まれている。
振り返ると、結婚は3回、離婚は2回。2人の愛人が産んで認知した子3人と、雅美夫人との間の子2人を合わせると、舛添氏には計5人の子供がいることになる。

⇈週刊ポスト2014年1月24日号⇈
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セコすぎる舛添のドケチ伝説
ママチャリも政治資金?ケチ過ぎる舛添都知事のお宅訪問!!
2016/5/31デイリーニュースオンライン/文=橘カイト

唐突だが、つるピカハゲ丸という漫画をご存じだろうか。小学館発行の子ども向け漫画雑誌『コロコロコミック』で1985年から10年間連載され、現在では不定期刊の『コロコロイチバン』に掲載されているギャグ漫画で、小学生ながら髪の毛が3本しかないというハゲ丸一家がいかにおカネをかけずに日々を過ごすかを描いた作品だ。

随所にセコさが散りばめられ、そのタイトルとあわせた「つるセコ!」というキメゼリフは、当時の小学生の間でちょっとしたブームになった。いまネット上で、「リアルつるピカハゲ丸」と呼ばれる人物がいる。誰であろう、東京都知事の舛添要一だ。

目下のところ、舛添をめぐっては公私混同の疑いがある政治資金の支出が指摘されている。家族での温泉旅行に政治資金、趣味の美術書の購入に政治資金、回転ずしに政治資金……。人並以上の稼ぎがあるにもかかわらず、可能な限り身銭を切ろうとしないその姿勢が漫画と酷似しているというわけだ。

■「つるセコ」すぎる舛添のドケチ伝説■

その政治資金収支報告書から、また新たに「疑惑」と思われる支出がみつかった。

ある週刊誌記者が話す。
「舛添氏の資金管理団体のひとつである『グローバルネットワーク研究会』の2012年の収支報告書に、東京都世田谷区の自宅近くにある自転車店で1万2000円の自転車を買ったとあります。近所の人に聞くとこの頃、舛添氏の自宅にやってきたのはいわゆるママチャリだったそうです。これを『備品、消耗品費』に計上しているわけですが、このとき舛添さんは新党改革の代表でした。移動には公用車を使っていたはず。ママチャリが政治活動に必要だったとは思えないのですが……」

その舛添の自宅を筆者(橘カイト)が訪れると、自転車が2台とまっていた。
うち、1台が疑惑の政治資金ママチャリなのだろうか。
自宅前のポリスボックスにいる警察官がいぶかしそうな目でこちらを見ていた。

ちなみに都内在住の筆者(橘)の年収は手取りで300万円だが、自転車は自腹で買っている。
都政の長に持ち上がる数々の疑惑。税金を払うのがつくづく悲しくなる今日この頃だ。

文・橘カイト(たちばなかいと)
※1979年島根県生まれ。編集プロダクションを経て、フリーに。週刊誌などで芸能関係の記事を執筆。また、民俗学などにも精通し、日本のタブーにも数多く取材。主な著書に『真相!禁忌都市伝説』(ミリオン出版)ほか多数。
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舛添は「確信犯的タカリ体質だ」 側近だった山内俊夫・元参院議員が激白
2016.05.31夕刊フジ

東京都の舛添要一知事の「セコさ、卑しさ」を、目の当たりにした人物がいる。舛添が代表を務めた新党改革で、事務総長を務めた元側近、山内俊夫元参院議員(69)だ。
舛添の逆ギレ記者会見(2016/5/27)に批判が集まるなか、夕刊フジの単独インタビューに応じ、舛添を「確信犯的タカリ体質だ」「こんな人物を首都の知事にしておけない」と切り捨てた。
週刊誌が報じた「借金2億5000万円返済」疑惑についても、法的措置を検討していることも明かした。

新党改革は、山内や渡辺秀央元郵政相らの「改革クラブ」が、自民党が下野した後に離党した舛添を「代表」として迎え入れ、2010年4月、党名を変更して再スタートした。

山内は「舛添氏は『自民党の歴史的使命は終わった』といい、勢いよく自民党を飛び出した。
当時、国民的人気は高かったが(自民党議員は)1人しか付いてこなかった」と振り返る。

同2010年7月の参院選に向けて走り出すはずだったが、舛添は「忙しい」と言って候補者の選定作業なども任せきりにし、候補者に【公認料】を渡そうとしなかったという。

山内は続ける。
「結局、彼は自分のことしか考えていない。『自分の知名度で200万票ぐらい取って、政党交付金をもらえる政党要件だけ満たせばいい』といった発想だった。党のために汗をかいた候補者のことなど、どうでもよかったのだろう」

舛添の狙い通り、新党改革は参院選比例代表の得票率が2%を超え、
16年まで毎年約1億2000万円の政党交付金を受給することになった。

「2010年の参院選後、舛添氏は手のひらを返したかのように候補者に支部の解散を命じた。支部があれば運営費がかかるからだろう。引退したわれわれ元議員も『あなたたちはバッジがないので、もう関係ない』と排除された。党は乗っ取られ、党のカネは舛添が(事実上)独り占めした」

舛添は2013年7月の参院選に出馬せず、翌2014年2月の都知事選で初当選した。
知事選出馬に伴い、舛添が代表を務めた新党改革比例第4支部は解散したが、直前、当時の資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」(現在は解散)に計約526万円が寄付されていた。週刊文春19日発売号は、これを「ネコババ疑惑」と報じた。

文春は都知事選直前の2014年2月にも、
「舛添要一 投票直前スキャンダル!」
「政党助成金で借金2億5000万円返済」
という衝撃的記事を掲載している。
舛添が勝手に約2億5000万円を借金し、政党助成金などで返済していたという内容だ。

山内は「2億5000万円の件で、舛添氏に対する法的措置(=背任など)を考えている。近く弁護士と協議する予定だ」といい、続けた。

「舛添氏は、正月の家族旅行(=千葉県の温泉施設)で『会議をした』を説明していたが、新党改革時代、あれほど会議が嫌いな男はみたことがなかった。あの言い訳はあり得ない」「彼は今、何とか6月1日まで知事職にとどまって、ボーナス(約381万円)をもらおうとしているのではないか。あんな人物を東京都知事にしておくわけにはいかない」
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【幼少期のひもじい生活が今のセコイ銭喰い舛添を作った】

5/27日の定例会見で「すべてがクロではない」などと話した舛添要一都知事
都選挙管理委員会には、リコールについての問い合わせが殺到していると言う
居座れば居座るほど、都民の不信感・嫌悪感は高まるだけ

舛添知事「すべてクロではない」に都民怒り心頭 リコール問い合わせ相次ぐ
2016年5月28日ZAKZAK[夕刊フジ]

東京都の舛添要一知事が開き直った。
「弁護士による調査」という逃げ口上を手に入れたためか、
5/27日午後の定例会見では、新たな政治資金の疑惑を質問されて「すべてがクロではなおい」と反論するなど強気の姿勢を見せたのだ。
都議会与党である自民・公明両党の追及不足が指摘される中、
都選挙管理委員会には、舛添氏の「解職請求(リコール)」を行う方法についての問い合わせが殺到しているという。

この日の会見(5/27)では、舛添が今年2016/4月までの約1年の間に行った54回の国内視察のうち、
7割以上にあたる39回が美術館や博物館の視察だったことについて、

「視察と称して趣味の美術鑑賞を行っているのではないか?」という疑惑が追及された。舛添は
・「東京五輪・パラリンピックに向けた文化振興のため」
・「複数の美術館で使える共通チケットの発行が可能かどうか検討した」
などと語ったが、こんな説明で納得する都民がいると思っているのか!!

2014年の都知事選に出馬した際、舛添は「安心、希望、安定の社会保障」を政策として掲げていたが、
視察で保育所や介護施設を訪れたことは一度もないのだ。まさに、「口先知事」の正体見たりである。

何度も深く頭を下げた先週5/20日の会見と異なり、この日(5/27)は次々と報じられる疑惑について、
・「すべてがクロではない」
・「疑惑でも何でもないと思っているものもある」
などと強気の姿勢も見せた。

背景には、検事出身の弁護士2人に調査を依頼したことで、報道陣の厳しい追及を
・「一刻も早く調査結果を出してもらいたい」
・「完全にお任せしています」
などと言って回避できるうえ、都議会側の“特殊事情”を把握していることもありそうだ。

都政事情通は「都議会与党である自民、公明両党としては、都知事選で勝てる候補者を見つけるまでは『舛添降ろし』はできない。いきなり選挙になって、知名度だけのタレント候補や野党系候補が勝つことは絶対に避けたい。また、舛添を早期辞職させて、いま知事選になると、4年後の2020年東京五輪の最中に次の知事選になってしまう。これを避けるために、2、3カ月の猶予がほしい」と明かす。
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