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悪徳会社の元祖は豊田商事だった/鹿島商事・ベルギーダイヤモンド/老人の塩漬け金は狙われる

2009年06月18日 23時26分42秒 | Weblog
7000文字数
【豊田商事詐欺事件の要旨】

詐欺まがい商法の豊田商事の永野一男会長が自宅で刺殺された。
1985年(昭和60年)6月18日=永野一男殺害日

■殺害した犯人2人
❶工場経営の飯田篤郎(当時56歳)と
❷知人の建築作業員の矢野正計(当時30歳)に銃剣で刺された。

この日、記者は茨城県つくばで開催中の科学万博のプレスセンターに詰めていた。そこのテレビが映し出した凄惨な映像は今でも目に焼きついている。新聞記者やテレビクルーが押しかけた大阪市内にある永野会長の自宅マンション。報道陣をかき分けるようにして、2人組の男が窓を破り進入。怒声と物が倒れたり割れたりする音がテレビ画面から伝わってきた。その後、血だらけの永野一男会長(32=当時)が搬送される様子も映し出された記憶がある。

悪徳商法の象徴のように、現在でも語り継がれる豊田商事グループの被害にあったのは、お年寄りを中心に5万人以上、被害額は2000億円にも達すると報じられた。

手口は、金購入を勧めておきながら、買い求めた金の現物は渡さず、同社が預かり、運用益だけを支払うというものだ。「純金ファミリー契約証券」という“紙切れ”を信じて、老後の資金を手放した人たちが相次いだ。現物まがい商法、ペーパー商法と指弾された。金利が受け取れたうえに、契約期間が満了すれば、純金そのものも手に入る。しかも、示された運用益は年10~15%と高かった。

勧誘方法も巧妙かつ悪質だ。お年寄り宅で身の回りの世話や身の上話の聞き役を務め、粘りに粘って契約に持ち込む。暴行や恐喝もあったという。このため、警察当局や国会でも追及が始まっていた。

永野会長が刺殺されたことで、捜査は大きな痛手をこうむった。しかし、その後も同様な手口の詐欺まがいビジネスは後を絶たず、そのたびに記憶の底から豊田商事の悪徳商法がよみがえってくる。

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豊田商事は現物まがい商法による悪徳商法によって、
被害者数は数万人、被害総額は2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社
として社会的に注目されていた。

■1985年6月18日■
大阪市北区にあった永野一男豊田商事会長のマンションの玄関前に、
「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まっていた。

■殺害した犯人2人
❶工場経営の飯田篤郎(当時56歳)と
❷知人の建築作業員の矢野正計(当時30歳)に銃剣で刺された。

1985/6/18午後4時30分過ぎ、
被害者の元上司に当たる自称右翼の男2人が永野の部屋の前に姿を現した。
2人は張り込んでいたガードマンに「永野に会わせろ」と要求。
連絡を取るためにガードマンが階下に下りた後、2人は元部下の被害者6人から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと報道陣に語った。

そして窓の格子を蹴破り、窓ガラスを破って侵入、
永野の頭部など全身13箇所を銃剣で刺した。
当時永野の住んでいた部屋のドアの前などには大勢のマスコミがいた。
が誰も止めようとはしなかった。

永野は直ちに病院へ運ばれたが、腹部を刺されたのが致命傷となり、
出血多量により約45分後の1985/6/18午後5時15分に息を引き取った。

この時の永野の所持金はわずか711円だった。
部屋から出た犯人らは、「警察を呼べ。俺が犯人や」と報道陣に語り、マンションから出たところで逮捕された。

また、逮捕直前にかけつけた警察に対しマスコミが「(犯人を)早く逮捕せいや」などと強い口調で言ったため犯人が激高しマスコミに襲い掛かるという一面もあった。

永野が惨殺された際の映像(永野は室内にいたため殺害そのものの様子は写らなかったが、上記の犯人の侵入の様子および、窓際に置き去りにされた血塗れの永野がストレッチャーで運ばれる様子が映像に残された)はNHKや民放テレビ各局で中継された。
この時NHKは「子供には見せないでください」と慌ててアナウンサーが呼びかけた。
その後発売された『FOCUS』では、
犯人の1人が血塗れで断末魔の形相の永野を抱え、もう1人が銃剣を持つ写真が誌面を飾った。

読売新聞が読者投票で選ぶ1985年の日本10大ニュースでは、
この惨殺事件が日本航空123便墜落事故に次いで第2位に選ばれた。

その後の詐欺事件の捜査で、
豊田商事が集めた金のほとんどが流用されて、残っていなかったことが判明するが、
最高幹部が死亡したため、金の流れに関して解明が難しくなった。
結果的に捜査に支障をきたしたため、犯人は関係者に口封じのために殺人を依頼されたのではないかといった憶測も流れた。

■殺害した犯人2人
❶工場経営の飯田篤郎(当時56歳)
❷知人の建築作業員の矢野正計(当時30歳)

■1986年3月12日■
大阪地裁でそれぞれに懲役10年と懲役8年の実刑判決を言い渡された。
それぞれが控訴し、1990年、1989年に刑が確定した。

■その後■
犯人の1人は、周りにいたマスコミに犯行の示唆教唆があったとして、
4度再審請求をしたが、いずれも棄却されている。

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永野一男(ながの かずお/1952年8月1日~1985年6月18日殺害)
は、日本の会社経営者(実業家)。
金のペーパー商法を行った豊田商事の創業者(会長)。

岐阜県恵那市に生まれる。
15歳のとき、島根県浜田市国分町の叔父宅に預けられ、現地の中学校を卒業し、
集団就職で日本電装(現・デンソー)に入社したが、2年で退職。

その後は転職を繰り返し、商品取引業者の「岡地」に入社。
岡地では高い営業成績を上げていたが、顧客の金を勝手に小豆市場につぎ込んで大穴を開けたことが発覚して解雇されている。
その後も再び職業をめまぐるしく変えているが、
この間の■1976年3月30日=大垣競輪場のトイレでスリを働いて逮捕されている。■

■1981年4月22日に「大阪豊田商事」を設立。
永野が「豊田」を会社名に入れた理由は、
中学校を卒業して最初に就職した先がトヨタグループの自動車部品メーカーである日本電装であったためで、約1年後に「豊田商事」とする。

豊田商事の現物まがい商法で数千億円もの金を集めるのに成功し、
高級乗用車(ランボルギーニ・カウンタック等)を乗り回し、さらには自家用のクルーザーまで保有するなど派手好みではあったが、
一方で「顔を知られると殺される」とマスコミを嫌い、
社員ならびに役員にも顔をほとんど見せなかった。

■1985年6月18日午後4時30分過ぎ、大阪市北区の自室マンションの玄関前に「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まる中、被害者の元上司に当たる自称右翼の男二人が窓ガラスを破って侵入し、永野の頭部など全身13箇所を銃剣で刺した。永野は直ちに病院へ運ばれたが、午後5時15分出血多量のため死亡。

生前語っていた「顔を知られると殺される」は現実のものとなってしまった。
永野が殺されたときの所持金はわずか711円だった。
尚、「女房に累が及ぶ」との理由から結婚せず、
生涯を未婚で通した。

事件後カウンタックは差押され、
管財人になった中坊公平らによって売却されることになったが、
スーパーカーブームが過ぎ去っていたためにあまり高く売れなかった。

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昭和60年(1985)6月18日午後4時30分頃、
ペーパー商法で巨額の金を集金した「豊田商事」の永野一男会長(当時32歳)が、
大阪市北区の自宅マンションで、

❶工場経営の飯田篤郎(当時56歳)と
❷知人の建築作業員の矢野正計(当時30歳)に銃剣で刺された。
永野会長は病院に運ばれたが11ヶ所の傷を受け出血多量で死亡した。

犯行当時、永野の自宅マンションの玄関前には約30人の報道陣やガードマンがいた。
その人垣を掻き分けて飯田らは、「被害者6人(詐欺にあった)から、もう金は要らんから永野をぶっ殺せと頼まれて来たんや」と言って報道記者が使用していたパイプ椅子を取り上げて玄関脇の小窓(50センチ四方)を破壊し室内に侵入した。

室内では争う罵声が聞こえたが、数分後に飯田らは返り血を浴びた格好で外に出てきた。飯田は、報道陣に向かって「殺した。俺が犯人や、警察を呼べ。法律は手ぬるい。わしらがやらんかったら、他にやる者おらん」と叫んだ。
飯田らは駆け付けて来た天満署の警官に現行犯逮捕された。

白昼堂々と、しかも報道陣の前で《殺人を犯した》のは前代未聞である。世論は犯行を未然に防ごうとしなかったばかりか、犯行状況を取材しようとした報道陣に対して非難の声があがったが、それ以上に「因果応報」だという感情論の方が大きかった。
それほど、豊田商事・永野一男(32)会長の詐欺行為は許せない犯罪だった。

■豊田商事の実体■
永野一男は岐阜県・恵那市で昭和27年に出生した。
中学を卒業後、職を転々とした永野は昭和56年4月に「豊田商事」を設立した。
業務は、「純金ファミリー証券」の販売であった。
しかし、この商売は実体がまったく無いペーパー商法であった。

まず、
■一人暮らしの老人■をターゲットに豊田商事の営業が執拗な勧誘を行う。
老人の家に上がり込み最低でも5時間居座る。中には、朝まで勧誘していたという例もあった。逆に、食事の支度をしたり掃除をしたり「自分を孫だと思ってください」などと老人の情に訴える勧誘もした。こうして老人に虎の子の金を捻出させて純金購入をさせた。

だが、
実際はその資金で純金を購入する訳ではなく購入した老人には「ファミリー契約証券」を渡すだけで永野会長らは私腹を肥やしていった。
満期になると強引に継続契約を勧め途中の解約は一切応じなかった。
こうして老人を中心に約5万人から、2000億円を巻き上げていた。

2000万万円/5万人=400万円/1人=老人1人あたり400万円を巻き上げる。

昭和60年(1985)4月に豊田商事のグループ関連会社の社員が詐欺容疑で逮捕された。
6月15日には押収した書類から「外為法違反」の容疑で豊田商事が強制捜索され6月17日は永野会長が事情聴取された。
その翌日の1985/6/18日、前述の犯行により永野一男会長が殺害された。

その後、弁護士の中坊公平らが破産宣告した豊田商事の破産管財人となり豊田商事の社員が納めた税金の返却を国税局に交渉したり、様々な手法で120億円を取り戻し被害者に還元した。が、大部分の金は戻ることなく老人達は、どん底に突き落とされた。

120万万円/5万人=24万円/1人=老人1人あたり24万円戻る。

この豊田商事の残党は様々な会社に散らばっていく。
今でも、執拗な電話・訪問勧誘は豊田商事をモデルにしている詐欺会社が無数にある。

⇒金あり老人はいつも狙われている。

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1981年、前身となる「大阪豊田商事株式会社」設立。
1982年、豊田商事株式会社に改名。
1985年、豊田商事の商法が社会問題化。
      国民生活センターなどにより豊田商事関連の110番が設置された。
1985/4月、関連会社の鹿島商事の外務員が逮捕され、捜査が本格化する。
1985/6月18日、豊田商事会長刺殺事件が発生。
1985/7月1日、豊田商事が破産宣告を受ける。破産管財人として、弁護士の中坊公平が選出される。

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■ベルギーダイヤモンド社
1983年頃から催眠商法の手口とマルチまがい商法によって資産価値の低いダイヤモンドを販売していたとされる会社。豊田商事の関連会社。1985年営業停止。

■鹿島商事
販売対象物を金からゴルフクラブ会員権に変え、現物まがい商法に会員権商法を組み合わせた詐欺を行った。客が購入した会員権は自分ではプレーせず、これを「豊田ゴルフクラブ」という別会社に賃貸してその賃貸収入を得ると謳っていたが、当のゴルフ場は申し訳程度に営業しているだけであり、会員権に資産価値はなかった。
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この永野一男会長が作った会社は、
❶豊田商事
❷鹿島商事
❸ベルギーダイヤモンド
などなど、まだまだあるが・・・・

とにかく、
有名な会社名から引用した社名を立ち上げた。
当時、札幌市の札幌駅付近で、
これらのかなりデカイビルにデカイビルカンバン[鹿島商事/豊田商事のデカイ縦看板]を見たのを聞いた。

年寄りたちは、
豊田商事はトヨタの関係グループなんだろうと勝手に思い込み。
良い住所のデカイビルとデカイカンバンで、思い込み信用して、
鹿島商事も鹿島建設の関係グループと勝手に思い込む。

姉妹の、かなり上の姉Kは、
ベルギーダイヤモンド、にバイト就職して、
電話勧誘一本で、高齢者を、”だまし”と知っていて、
平然と、サギに、バイトした。
むろん、幹部社員ではありません。

Kは3ヶ月程度でやめた(退職)らしい。と聞く。
思うに、おそらく電話アポ成績で怒鳴る・バカアホ給料ドロボ~だのと
拷問的ヤクザ青筋恐怖で、Kはヤメタと想像する。

ベルギーダイヤモンドでの、
電話勧誘女バイト生は、みんなサギと知りつつ、
バイト給与のため、年寄りのタンス預金を巻き上げた。

電話勧誘女バイト、は見込み有り老人を見つけ出す事が仕事(テレアポ)。
見つけたら、男社員が訪問出来る様に訪問設定する。
これで、女バイトはガッチリ給与がもらえる。
笑いがとまらないバイト給与が入ったと言う。
確か、当時の普通時給を越える高い時給だったはず。
男社員がその老人家の玄関に入ったら、契約取れるまで、居座る。
ヤクザまがい。

姉Kのその時の経験は、、
未来にも引継ぎ、大いに知識運用資産となった。のでないか?
Kの人生観は、
【カネは天下の周り物!!】と言うのが口癖だったのを他者から聞いた事がある。
このKは、他人からカネを奪っても何とも感じない動物であると見ていた。

そして、その後のK活動を見ても正にそのレールを狂いなく歩んだ。と見た。
しかしながら、それが果実として実ったか?となると収束して縮退化して静止点になっている。
と見る。
今も、、過去も未来も、50億年後も、
姉Kのコトバ、行動は、完全に全く信用はしてない。

この、豊田商事事件、から、
・天下一家の会
・平成電電サギ
・円天サギ
などなど、
いくらでも、年寄りはダマせる。
と続く。

人はかくも、だまされたい。のか????

話を聞くには、
この当時は、詐欺教本・詐欺原論の創世記の様に、
詐欺のカンブリア時代で、どこもかしこもサギ活動が活発で、
貧乏生活離脱の為、2人勧誘するだけで金入るマルチ商品にのめる時代だった。
結局、金取られ損で終わる。と言う・・・・

そして、たしか、1989だったかブラックマンデーの株大暴落へと・・・
さらに、現在の振り込めサギ系は高齢者資産家向けor認知症向けに、
年数百億円産業として当たり前にドコでも定着している。

雑欲豊富な高齢者資産家・認知症増加がある限り・・
警察が努力したところで、単純な手法で簡単にコスト安(電話隊/回収隊)で売上高が好調に伸び
さらに無税で、半ば表産業として成り立つている。
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