ターボ・モーターの"そんなボクです..."

ギターを弾いて歌う...そしてボクはロックンロールを今日も転がす。
ターボ・モーターの気まぐれダイアリー

live 90’②

2008年08月09日 | Weblog
昨夜のオリンピック開会式に、かなり感動を覚えました。
そんなボクです。

1990年。
ボクは念願のバンドを結成し、初ライブを行った。
※初ライブの模様は8月6日付のブログに書いてるので、よかったら見てネ。

楽屋入り口にキレイに並んだ、み~んな同じのラバーソウル、
一生懸命にツンツンに立てた髪の毛。ちょっとキバってガーゼシャツ...
そんな、超画一的な「オラが町のロックシーン」にはちょっと閉口してしまったけど、ボクのハートの中には、新たな目標(もはや野望に近かったが)が日を追うごとに、ハッキリと見えてくるようになっていった。

そう、ビートルズ!特に初期のマージービートに、約1年くらい前からボクは心底ヤラレていたのだった。「コレやねん!、ボクがやりたいのはコレやねん!」って。
当時のどんなビートパンク(懐かしい単語でしょ?)のバンドよりもビートが効いていて、しかもパンクバンドやな~って本気で思ってたョ。だってあのハンブルグでのライブの「TWIST & SHOUT」聴いたら、もうそう思わざるを得んかったもんネ。それがその当時(90年)からまだ30年近くも前のことやったねんからなっ。

で、バンドのスタイル的なこだわりは全くと言っていいほど無かったけど、やりたい音楽だけは、決まったんで、さっそくメンバー募集を開始。
知り合いに「ビートルズやれへん?」って言うても、返事は「?」か「No!」...
全然ピンと来てない様子だった...
で、当時の雑誌「バンドやろうぜ」や「Player」にメンバー募集の記事を掲載してもらうために、投稿用のハガキを書いて、ポストに投函。掲載までは3ヶ月待ち...

(今は、インターネットがあって、ホンマに便利やね。思いついたらすぐ、書き込める。組めるかどうか分からんけど、早かったらその日のうちに連絡が来る。)

そんな募集記事の掲載を首を長くして待っていた、梅雨明けの頃。
BUCK-TICKの「悪の華」で鮮烈な(?)デビューを飾った、ボクの在籍しているバンドの2回目のギグが決まったのだ。1回目は1曲だけの飛び入り的な出演だったが、今回は30分。ボウイのコピーバンドとして出るらしい。やはり、ギターを始めるきっかけになったボウイを演奏するのは、せっかくの機会だと思ったので、ボクも「やるよ!」と返事した。バンドは、直前になってギタリスト(ボクの友人)が参加することになった。ベーシストも前回からメンバーチェンジした。

そんなこんなで、本当にギリギリに岸和田「YOUNGレコード」のスタジオでリハーサル。始めは意気揚々とライブに臨もうとしていたボクらだったが、次第に様々な問題がボクたちのバンドに襲い掛かってきた。

中でも大変だったのは、ボーカルのメンバーのライブに対する思い入れが強すぎたことだ。
でも、たしかに気持ちはよく分かる。せっかくのライブのチャンス、「あんな曲もしたい、こんな曲もイイな~」と、バンドのライブでのセットリストは直前になって、どこかの食堂の日替わりランチ以上に目まぐるしく変わっていった...

バックで演奏するボクらは、新たに曲を覚えたりする時間はすでに無かったので、実際、この過度な要求はかなり負担になっていった。
もういい年した、今となっては、じっくり話し合って解決していくこともできただろう。しかし、当時のボクらはあまりにも若くて、そのようなバンドに対する考えが未熟で稚拙だった...(ボクだけかも知れないが。)

もうライブ当日にたどりつく頃には、ボクもウンザリしてきてしまい、早くもこのバンドの終焉が近づいていることを感じ取らなければならなかった。

それでもライブ当日はやってくる。
場所は阪南市のサラダホールの小ホール。地元の楽器店主催のライブだ。
一枚300円という破格の安さを誇るチケットも手元に届いていた。

結局ボクたちは、一番最初に決めたセットリストでライブに臨むことになった。
そして事件は起こったのだった。

続く...

シャワーを浴びて聴いてみようョ。
「No! N.Y」。
http://jp.youtube.com/watch?v=cHTTBB-hNRU&feature=related