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三丁目の夕日的風景

懐かしい話、懐かしい風俗、懐かしい写真などなど「懐かしきあの頃」がキーワードです。

足踏みミシン

2005年12月30日 18時03分53秒 | Weblog
足踏みミシン」というのも懐かしい。
 母がこれを一生懸命ふんで、縫い物をしていたのを思い出す。
 あのミシンどのようにして我が家から姿を消したんだろう。
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 足下のペダルを踏み込むと、ベルトが回り、カタカタと音を立てて糸を縫い込んでいく。昔はどこの家庭にもあった足踏みミシンは、今ではすっかり少なくなりました。わんぱくな子供たちの綻んだズボン、お出かけ着、お父さんのズボンの裾、お母さんは愛情いっぱい縫い込んだのでしょう。
 (「タイムスリップグリコ」解説より)

「鞄を持たされる」

2005年12月25日 17時12分15秒 | Weblog
われら腕白小僧(昭和のこどもたち)』(石井美千子:人形 発行:小学館と題された本から紹介します。
この本は、昭和の30年代の風景を人形によって表しています。
まさに「三丁目の夕日」的風景です。 

「かばんを持たせられる」
 学校の帰り道、友だちとじゃんけんをして、負けたものが次の電信柱まで
みんなの鞄を持って歩く。そういう風景がありましたねえ。


干し柿

2005年12月24日 22時08分11秒 | Weblog

 干し柿をつるしている家をみかけなくなった。
 田舎へ行くと見ることが出来るのだろうけれど、昔はどの家でもつるし柿は定番だった(ような気がする)。
 それと画像にあるように、にわとりを庭で飼っている風景というのも懐かしい。
 そもそも庭つきの家というのが町中ではみかけなくなった。
 古き日本の風景である。


ニコンF2

2005年12月23日 21時10分32秒 | Weblog

  このニコンは本当によくできています。集めている「タイムスリップグリコ」から撮影しました。
 やっつぁんが撮ったこの写真をみても本物のように見えるでしょう? 
 「ニコンF」は、2バージョンあります。望遠レンズや、フラッシュや、レンズクリーナー(?)もついているところがなんとも嬉しいです。

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 1959年に旧・日本光学工業(株)が発表した「ニコンF」は、当時の技術を結集し、日本のカメラが王座にあることを世界に示した記念すべき一眼レフカメラです。国内だけでなく海外においても高い評価と実績を残し、15年間にわたるロングセラーとなりました。 高性能で抜群の耐久性、豊富なレンズ群に加え、直線を基本とする洗練されたボディライン、印象的な「F」マークの彫刻は、今でも多くのカメラマンを魅了し続けています。


井戸

2005年12月22日 21時37分12秒 | Weblog

 井戸も最近近所ではみなくなった。
 井戸水というのは在るだろうが、井戸をくむ(なんて言ったっけ)ものは見なくなった。
 くんだ水にスイカや、トマトを入れておくと、ひんやり冷えて美味しかったなあとつくづく思うのである。


かまど

2005年12月21日 20時27分52秒 | Weblog

 「かまど」の記憶は、ぼくの小学校低学年までのころの記憶である。
 かまどで炊く「ごはん」は、絶品だった。
 なにせ、底のほうに焦げたご飯ができる。
 朝の楽しみは、この焦げご飯で作ってもらった「おにぎり」だった。


紙芝居

2005年12月20日 21時25分19秒 | Weblog

創造空間」(タカラ)から出された「紙しばい」と題されたジオラマです。
造形は山田卓司さん。
机の上に飾っているのですが、実にむほのぼのとしています。

 「紙芝居」。
 懐かしいですねえ。
 本当に楽しみでした。
 お話と、最後のクイズ。
 クイズにうまく答えた子には、おじさんは水飴をタダでくれました。

 紙芝居屋のおじさんは、紙芝居だけで生計をたてていたんでしょうか。
 子供の頃は、そんなことは考えてもいませんでしたが、大人になった今、そういうことをしきりと考える今日この頃です。


街灯

2005年12月19日 19時38分08秒 | Weblog

 今日は「街灯」。
 現在は,あちこちに見られる街灯ですが,当時は電球の球に,傘のついたものでした。
 夜も随分暗かった気がします。
 そして,電柱は木でできていましたね。

 この画像に登場するのは「三丁目の夕日」でよく登場する駄菓子屋のおじさんであり,小説家の「茶川竜之介」さんです。

  よく見れば、この西岸さんのこの絵にはコウモリが飛んでいます。
  そういえば、最近コウモリが飛んでいるのを見かけませんね。
 


電気洗濯機

2005年12月18日 08時21分17秒 | Weblog
 電気洗濯機と盥(たらい)に洗濯板。
 洗濯機についていたノブをゴリゴリ廻していましたねえ。 あれでよく洗濯物が傷つかなかったものですね。
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 1950年代に起こった家電ブームで人々の生活スタイルは大きく変わっていきました。電気洗濯機の登場は、たらいと洗濯板のつらい洗濯作業から、主婦を解放していきました。当時流行したのが、一槽式で上部にローラーの絞り機のついたものです。このモデルは、1954年発売のもので価格は28,900円でした。

電気冷蔵庫

2005年12月17日 20時01分00秒 | Weblog

 冷蔵庫とはいわずに、「電気冷蔵庫。」
 電気を利用して冷やすから、電気冷蔵庫。
 じゃあ、それまでは何で冷やしていたかというと、「氷」。
 これも「Always 三丁目の夕日」に登場している。

 ぼくの家では、おじいさんとおばあさんが昔、お菓子屋をしていた。
 まさに、「茶川商店」のようであったのだけれど、お菓子を売るのと平行して、冬にはうどん、夏には、氷屋とところてん屋を兼ねていた。
 だから、冷蔵庫はかかせなかったのだけれど、ぼくの覚えている限り、その冷蔵庫は氷で冷やしていたな。

 けれど、氷から電気へと変わっていった「冷蔵庫」。
 氷屋さんといわれた職業が急速に衰退していったのは寂しい限りである。


テレビジョン

2005年12月16日 20時23分36秒 | Weblog

 我が家にテレビが来たのはいつだったか、もう記憶にない。
 おそらく小学校の低学年頃だった。
 それまでは、隣の散髪屋さんに見せてもらっていた。
 まさに、「Always 三丁目の夕日」の世界である。
 金曜日の夜8時からのプロレスは欠かさなかったな。


ちゃぶ台

2005年12月15日 19時30分43秒 | Weblog

 ちゃぶ台ほど、ほのぼのと昔を思い出すものはない。
 「Always 三丁目の夕日」でも、重要な小道具として登場していた。
 まあるいちゃぶ台で、家族が輪になってごはんを食べていたなあ。
 真ん中にキッコーマン醤油があって、ちゃぶ台の下には、電気釜。
 もっと古い時代だと、おひつ
 ちゃぶ台。
  うーん懐かしい。


ガリ版

2005年12月14日 22時32分14秒 | Weblog

 ガリ版
 懐かしい響きがあります。大学時代,僕の処女詩集の「ゆふすげ」という詩集は,友だちに鉄筆で書いてもらい,ガリ版で刷りました。そのあたりからそろそろガリ版もなくなっていったような気がします。今から30年前です。 もちろんそれ以前,中学校時代にクラスの友だちとガリ版で学級新聞などを作った記憶があります。


R360クーペ

2005年12月13日 21時11分56秒 | Weblog

 昨日はスバル360。
 そして今日はR360クーペ。
 R360クーペの検索をしていたら、懐かしい画像があったので、のさせて頂いた。
 この車は、あまり観た記憶がない。
 やはり古い車だ。
 でも、マツダが世に送った傑作車だと思う。