母がこれを一生懸命ふんで、縫い物をしていたのを思い出す。
あのミシンどのようにして我が家から姿を消したんだろう。
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足下のペダルを踏み込むと、ベルトが回り、カタカタと音を立てて糸を縫い込んでいく。昔はどこの家庭にもあった足踏みミシンは、今ではすっかり少なくなりました。わんぱくな子供たちの綻んだズボン、お出かけ着、お父さんのズボンの裾、お母さんは愛情いっぱい縫い込んだのでしょう。
(「タイムスリップグリコ」解説より)
「かばんを持たせられる」
学校の帰り道、友だちとじゃんけんをして、負けたものが次の電信柱まで
みんなの鞄を持って歩く。そういう風景がありましたねえ。
干し柿をつるしている家をみかけなくなった。
田舎へ行くと見ることが出来るのだろうけれど、昔はどの家でもつるし柿は定番だった(ような気がする)。
それと画像にあるように、にわとりを庭で飼っている風景というのも懐かしい。
そもそも庭つきの家というのが町中ではみかけなくなった。
古き日本の風景である。
このニコンは本当によくできています。集めている「タイムスリップグリコ」から撮影しました。
やっつぁんが撮ったこの写真をみても本物のように見えるでしょう?
「ニコンF」は、2バージョンあります。望遠レンズや、フラッシュや、レンズクリーナー(?)もついているところがなんとも嬉しいです。
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1959年に旧・日本光学工業(株)が発表した「ニコンF」は、当時の技術を結集し、日本のカメラが王座にあることを世界に示した記念すべき一眼レフカメラです。国内だけでなく海外においても高い評価と実績を残し、15年間にわたるロングセラーとなりました。 高性能で抜群の耐久性、豊富なレンズ群に加え、直線を基本とする洗練されたボディライン、印象的な「F」マークの彫刻は、今でも多くのカメラマンを魅了し続けています。
井戸も最近近所ではみなくなった。
井戸水というのは在るだろうが、井戸をくむ(なんて言ったっけ)ものは見なくなった。
くんだ水にスイカや、トマトを入れておくと、ひんやり冷えて美味しかったなあとつくづく思うのである。
「かまど」の記憶は、ぼくの小学校低学年までのころの記憶である。
かまどで炊く「ごはん」は、絶品だった。
なにせ、底のほうに焦げたご飯ができる。
朝の楽しみは、この焦げご飯で作ってもらった「おにぎり」だった。
冷蔵庫とはいわずに、「電気冷蔵庫。」
電気を利用して冷やすから、電気冷蔵庫。
じゃあ、それまでは何で冷やしていたかというと、「氷」。
これも「Always 三丁目の夕日」に登場している。
ぼくの家では、おじいさんとおばあさんが昔、お菓子屋をしていた。
まさに、「茶川商店」のようであったのだけれど、お菓子を売るのと平行して、冬にはうどん、夏には、氷屋とところてん屋を兼ねていた。
だから、冷蔵庫はかかせなかったのだけれど、ぼくの覚えている限り、その冷蔵庫は氷で冷やしていたな。
けれど、氷から電気へと変わっていった「冷蔵庫」。
氷屋さんといわれた職業が急速に衰退していったのは寂しい限りである。
我が家にテレビが来たのはいつだったか、もう記憶にない。
おそらく小学校の低学年頃だった。
それまでは、隣の散髪屋さんに見せてもらっていた。
まさに、「Always 三丁目の夕日」の世界である。
金曜日の夜8時からのプロレスは欠かさなかったな。
ちゃぶ台ほど、ほのぼのと昔を思い出すものはない。
「Always 三丁目の夕日」でも、重要な小道具として登場していた。
まあるいちゃぶ台で、家族が輪になってごはんを食べていたなあ。
真ん中にキッコーマン醤油があって、ちゃぶ台の下には、電気釜。
もっと古い時代だと、おひつ。
ちゃぶ台。
うーん懐かしい。
ガリ版。
懐かしい響きがあります。大学時代,僕の処女詩集の「ゆふすげ」という詩集は,友だちに鉄筆で書いてもらい,ガリ版で刷りました。そのあたりからそろそろガリ版もなくなっていったような気がします。今から30年前です。 もちろんそれ以前,中学校時代にクラスの友だちとガリ版で学級新聞などを作った記憶があります。
昨日はスバル360。
そして今日はR360クーペ。
R360クーペの検索をしていたら、懐かしい画像があったので、のさせて頂いた。
この車は、あまり観た記憶がない。
やはり古い車だ。
でも、マツダが世に送った傑作車だと思う。