1972年に起こった『帝國』と名乗る未知の宇宙文明との接触は、その後の日本の運命を大きく揺るがす大事件となった。
帝國使節団との交渉は数回に分け、厳重な警備の元、極秘裏に行われている。
これは当時の日本が置かれていた周辺情勢を帝國側が配慮したもので、警備には帝國側の技術が惜しげなく使われることとなり日本政府関係者を驚かせている。
当初隔絶した国力の差に、帝國の目的が地球への侵略ではないかと勘繰っていた政府関係者であったが、日本側の要求が尽く通る交渉に、
次第に帝國の真意がそのまま日本国との国交樹立にあることを確信すると、帝國側のあまりにお粗末な交渉術に日本の使節団はあきれ返った言われている。
結局日本政府は、帝國との通商条約・軍事同盟・技術交流(帝國側からの一方的な技術提供であったが)を結び、強力な後ろ盾を得ることに成功した。
70年代
政府は国内に存在する米軍の追い出しにかかる。
米軍が移動するために必要な多額の費用を日本政府が負担し、有事の際には米軍の活動資金を日本が負担することを条件に、在日米軍の段階的な撤退を成功させる。
これには極東における戦略拠点の縮小に脅威を感じた米議会の反発も予想されたが、日本政府による周到なロビー活動や賄賂などの見返りによって抑え込んでいた。
また米軍の撤退開始に合わせ、その戦力の穴埋めに自衛隊の段階的な戦力増強も行われている。
各段階として陸海空合わせ、80年前半までに自衛隊の総兵力を60万へ、90年までに80万人、2000年代までに100万人体制にするものである。
これは東西冷戦の終結に終わりが見えないための措置であった。
米軍の完全撤収完了後には防衛相内部に技術研究局を設置し、帝國技術の本格的な研究と取り込みが開始された。
それに合わせ、公安警察の強化と、徹底的なまでの他国スパイの取り締まりが実施され、70年代後半には彼らのほとんどが国内から駆逐されることになった。
スパイの駆逐と時を同じくして、国内に不審なグループの存在をつかんだ公安は彼らの調査を開始、のちに魔法使いと呼ばれる存在であることが判明する。
政府を震撼させたのは、彼らの大半が時空管理局と呼ばれる異星人組織に組していることであり、国内法を無視するその傍若無人ぶりにあった。
下手に帝國という親日的な前例があるだけに、魔法使いたちの行為は日本政府を苛立たせるには十分なものであったが、
外宇宙へと兵力を送り出すための技術がいまだ確立できてい無かったため、帝國との共同監視にとどめるに終わっている。
80年代
本格的に民間への帝國技術の提供が開始される。
これは政府の研究機関による結果を段階的に民間へと提供するものであり、その秘匿のために自衛隊を各企業に派遣し情報を守る徹底ぶりであった。
また、政府を通じて本格的な帝國との交易がはじまっているが、工業製品は帝國でいう骨董品にあたるため、民芸品などをはじめとした製品が主に輸出される。
80年代中盤に差し掛かると、防衛相内の研究局で開発の終了した各種兵器が自衛隊へ供給され始める。
これは主にソ連の侵攻を想定し、北海道や東北周辺の部隊へ優先的に配備されていく。
90年代
このころになると、民間の一般的な大手企業へも帝國製の工作機械などが供給されるようになり、これらの機械のコピーや運用が活発になり始め、
UOSなどの工業規格制定によって技術水準も徐々に帝國に近づきつつあった。
経済的には、国内の再開発などが頻繁に行われ空前の好景気が到来していたが、対米輸出による米国との経済摩擦で激しい攻防が繰り広げられている。
周辺情勢に目を向けると、ソ連はいまだ健在であり北方の軍事的脅威に加え、中国の経済的な台頭による軍備の近代化によって南方からも圧力が加わっていた。
そのため、沖縄や九州にも機甲師団をはじめとした自衛隊戦力の一新、新兵器の配備が開始されている。
2000年代
2001年は激動の年であった。
照和天皇陛下の崩御により照和の時代は終わりを迎え、新しい年号である平成が始まる。
また、東西ドイツを分けたベルリンの壁崩壊による共産主義勢力の解体、中でもソビエト連邦の解体は全世界を衝撃となって震撼させ、長きにわたった冷戦は幕を閉じる。
経済では、相変わらず米国との摩擦は深まるばかりであったが、新興市場である東南アジアや中東圏への市場開拓、ユーロ圏へのシフトによって、米国依存を徐々に減らしていた。
加えてようやく工業製品の帝國輸出のめどが立ちはじめ、全世界に対する帝國の存在公表、技術供与が秒読み段階に入いる。
日本は新たなる時代の幕開けを夢見ていた。
2004年
新たなる時代の幕が上がる。
忘れ去っていた悪夢とともに・・・・。
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帝國使節団との交渉は数回に分け、厳重な警備の元、極秘裏に行われている。
これは当時の日本が置かれていた周辺情勢を帝國側が配慮したもので、警備には帝國側の技術が惜しげなく使われることとなり日本政府関係者を驚かせている。
当初隔絶した国力の差に、帝國の目的が地球への侵略ではないかと勘繰っていた政府関係者であったが、日本側の要求が尽く通る交渉に、
次第に帝國の真意がそのまま日本国との国交樹立にあることを確信すると、帝國側のあまりにお粗末な交渉術に日本の使節団はあきれ返った言われている。
結局日本政府は、帝國との通商条約・軍事同盟・技術交流(帝國側からの一方的な技術提供であったが)を結び、強力な後ろ盾を得ることに成功した。
70年代
政府は国内に存在する米軍の追い出しにかかる。
米軍が移動するために必要な多額の費用を日本政府が負担し、有事の際には米軍の活動資金を日本が負担することを条件に、在日米軍の段階的な撤退を成功させる。
これには極東における戦略拠点の縮小に脅威を感じた米議会の反発も予想されたが、日本政府による周到なロビー活動や賄賂などの見返りによって抑え込んでいた。
また米軍の撤退開始に合わせ、その戦力の穴埋めに自衛隊の段階的な戦力増強も行われている。
各段階として陸海空合わせ、80年前半までに自衛隊の総兵力を60万へ、90年までに80万人、2000年代までに100万人体制にするものである。
これは東西冷戦の終結に終わりが見えないための措置であった。
米軍の完全撤収完了後には防衛相内部に技術研究局を設置し、帝國技術の本格的な研究と取り込みが開始された。
それに合わせ、公安警察の強化と、徹底的なまでの他国スパイの取り締まりが実施され、70年代後半には彼らのほとんどが国内から駆逐されることになった。
スパイの駆逐と時を同じくして、国内に不審なグループの存在をつかんだ公安は彼らの調査を開始、のちに魔法使いと呼ばれる存在であることが判明する。
政府を震撼させたのは、彼らの大半が時空管理局と呼ばれる異星人組織に組していることであり、国内法を無視するその傍若無人ぶりにあった。
下手に帝國という親日的な前例があるだけに、魔法使いたちの行為は日本政府を苛立たせるには十分なものであったが、
外宇宙へと兵力を送り出すための技術がいまだ確立できてい無かったため、帝國との共同監視にとどめるに終わっている。
80年代
本格的に民間への帝國技術の提供が開始される。
これは政府の研究機関による結果を段階的に民間へと提供するものであり、その秘匿のために自衛隊を各企業に派遣し情報を守る徹底ぶりであった。
また、政府を通じて本格的な帝國との交易がはじまっているが、工業製品は帝國でいう骨董品にあたるため、民芸品などをはじめとした製品が主に輸出される。
80年代中盤に差し掛かると、防衛相内の研究局で開発の終了した各種兵器が自衛隊へ供給され始める。
これは主にソ連の侵攻を想定し、北海道や東北周辺の部隊へ優先的に配備されていく。
90年代
このころになると、民間の一般的な大手企業へも帝國製の工作機械などが供給されるようになり、これらの機械のコピーや運用が活発になり始め、
UOSなどの工業規格制定によって技術水準も徐々に帝國に近づきつつあった。
経済的には、国内の再開発などが頻繁に行われ空前の好景気が到来していたが、対米輸出による米国との経済摩擦で激しい攻防が繰り広げられている。
周辺情勢に目を向けると、ソ連はいまだ健在であり北方の軍事的脅威に加え、中国の経済的な台頭による軍備の近代化によって南方からも圧力が加わっていた。
そのため、沖縄や九州にも機甲師団をはじめとした自衛隊戦力の一新、新兵器の配備が開始されている。
2000年代
2001年は激動の年であった。
照和天皇陛下の崩御により照和の時代は終わりを迎え、新しい年号である平成が始まる。
また、東西ドイツを分けたベルリンの壁崩壊による共産主義勢力の解体、中でもソビエト連邦の解体は全世界を衝撃となって震撼させ、長きにわたった冷戦は幕を閉じる。
経済では、相変わらず米国との摩擦は深まるばかりであったが、新興市場である東南アジアや中東圏への市場開拓、ユーロ圏へのシフトによって、米国依存を徐々に減らしていた。
加えてようやく工業製品の帝國輸出のめどが立ちはじめ、全世界に対する帝國の存在公表、技術供与が秒読み段階に入いる。
日本は新たなる時代の幕開けを夢見ていた。
2004年
新たなる時代の幕が上がる。
忘れ去っていた悪夢とともに・・・・。
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