西蔵行 3 青海省 西寧 青海湖 日月山 塔爾寺 文成公主 松賛干布 宋喀巴
西蔵行は北京から始まる。しかし、本当に始まるのは青海省の首都・西寧からである。
テレビで「青蔵鉄道」を見る以前は、青海省についても西寧のこともまったく知識がなかった。それだから生きたいとも思ったこともない。
以前、シルクロードからの帰途、蘭州に1泊し、翌日柄霊寺に行った時が一番青海省に近づいたときであった。しかし、その時もまったく青海省・西寧のことは意識になかった。
今回初めて調べてみるのである。
青海省の歴史は大雑把に次のようになる。
「青海以青海湖得名。唐宋属吐蕃;元其土地属宣政院管轄;明属雑甘都司等;清初為衛藏地,后分設西寧為事大臣,又称青海為事大臣,為青海得名的開始;民国初設青海為事長官,后属甘辺寧海鎮守使,之后建青海省(1928年),省名至今未変。」
青海省は「青海省位于中国西北地区中部,青藏高原東部。」に位置し、四囲が甘粛省、西藏自治区、四川省、新疆維吾爾自治区に相接している。中国総面積の7.5%,全国第四位を占める広大な地域を擁している。しかし、7割以上が3000米以上の高地が占めている。「全省平均海拔3000多米,最高点为6860米,最低点为1650米。在总面积中,海拔高度在3000米以下的面积占26.3%,3000米—5000米的面积占67%,5000米以上占5%」。
黄河、長江の源流もここ青海省に発している。
ここに、約539万人(2004年)が居住し、そのうち都市人口は207.51万人。中国の少数民族は56民族といわれるが、その55の民族が人口の多寡は別として、青海省にいる。「全省共有55个民族成份。在青海世居的少数民族有藏族、回族、土族、撒拉族、蒙古族等。其中土族、撒拉族是全国唯一在青海特有的少数民族。2002年底,全省少数民族人口共2405130人,約占全省総人口的45.5%;少数民族人口及其占全省人口的比例分別是:藏族1157105人、21.89%;回族839945人、15.89%;土族203511人、3.85%;撒拉族97791人、1.85%;蒙古族90391人、1.71%;其它少数民族16915人、0.32%。」。
高原大陸性気候气候で気温は年平均零下5.7℃~8.5℃と低く、また降水量も大部分の地区で年400毫米以下(日本の8分の1)と少ない。空気は乾燥し、人々は牦 牛(ヤク)のバターを顔に塗って日焼け止めにする。旅行者はUVカットの日焼け止めを用意した方がよいと「地球の歩き方」は注意を喚起している。
とはいえ、「青海夏季涼爽、是理想的避暑旅游勝地」だそうだから、六月から七月は願ってもない旅行シーズンといえるだろう。楽しみである。
高地が大部分を占め、降水量が少ないため、農牧の比率は「一対九」となる。牧畜は、牦 牛(ヤク)、蔵綿羊、半細毛羊、柴達木駱駝、河曲馬、西寧羊毛が有名だという。
日月山以東において農業が可能で、春小麦、青稞、(はだかむぎ)蚕豆、豌豆、馬鈴薯及燕麦、糜谷(黍?)、胡麻、油菜等が収穫できる。
貴重、高価な薬材・冬虫夏草、無鱗湟魚も有名だ。
能源(エネルギー)、塩鉱山資源も豊富で、特に石油は, 柴達木盆地で採油される。
主たる産業は、機械、冶金、建材、紡績。
景勝地は、国家重点風景名勝区青海湖、名勝塔爾寺、唐文成公主進蔵勝跡日月山、玉樹文成公主廟がある。
次に、青海省の省都西寧についてみてみたい。
「西宁 概况--形似一叶扁舟的西宁 市,扼青藏高原東方之門戸,位于青海東部,黄河支流湟水上游,四面環山,三川会聚。市内潢 水及其支流緩緩東向流過.这 里,境内最高海拔4394米,市区中心海拔2275米。属大陸性高原半干旱气候。冬无厳寒,夏无酷暑。」
西寧市は青海省の省都。ここに179万人が居住している。少数民族も多く、土族、回族、蔵族、撤拉族、蒙古族、哈薩克族がその代表民族だ。
市区中心は海拔2275米である。今までの高地経験は九寨溝と黄龍で経験している。前者のホテルがある地点は高度2000m超、入り口を入って徐々に観光を進めて行くにつれて高度も上がり、奥地の長海にいたると3100mに達する。後者の黄龍では平均3000mをこえ、奥地の五彩池では標高3559mに達してしまう。ここまで登ってくる途中で、駕籠に乗るもの、中には酸素ボンベの世話になるもの、リタイヤーするものが出てくる。さいわいちょっと息苦しさを覚えたけれどもそれにも慣れて、無事最奥まで歩くことが出来た。だから、西寧の2275mには適応できるはずだ。
西寧は地図を見ても「四面環山」で、「形似一叶扁舟」に見える。6月下旬は「无酷暑」(22-24℃)ということだから日中は過ごし易いであろうと思う。夜間は9-11℃であるけれども、ホテル内は特に問題はないはずだ。
西寧では高度も寒暖も心配はなく過ごせるはずだ。
「三川会聚」とは、文中にある東西に流れる湟水と南北に流れる北川河、南川河である。地図で見る限りは、この三川はもともと北川河一川のようであるが、北川河が西宁市域に入ってきて、南流する川を南川河と称し、東流するほうを湟水というようだ。西寧は水に恵まれた都市に見受けられる。
ツアーでは夜22時頃青蔵列車が出発するまでの時間待ちの間に、青海湖と塔爾寺を廻るので、これらについて調べてみたい。
西寧・青海賓館に1泊(6月27日)して、朝早く17.5km離れた青海湖に出かける。この季節、「最佳旅游季節」で、青海湖付近の草原一面には菜の花が咲き乱れているはずだ。写真で見ると、菜の花の黄色、青海湖の濃紺、帯状の雲の白さ、そして空に広がる紺碧、この色彩が繰り広げる絵巻はここならではの景観であろう。まさに「一望天際的油菜花、黄色的大色块 加上藍色的湖海和藍色的天」。
青海湖は中国最大の塩水湖で、水産業も盛んだという。湖の西北の鳥島は、「高出湖面10m、長約500m、寛約150m」という小島であるけれども、「鳥爾王国」と称されるぐらい、渡り鳥の飛来が多い。そのため、国家級自然保護区(鄱 陽湖 、東洞庭湖、洱 海など)に指定されている。そのほか、青海湖は五大咸水湖(納木錯、 色林錯 、 鳥倫古湖、羊卓雍錯)、国家重点風景名勝区(太湖 、杭州西湖、天山天池、瘦 西湖、洞庭湖、月牙泉など)にも指定される有名な景勝地なのだ。
ここに至る前に、有名な山がある。青蔵高原に出るには必ず通らねばならぬ難所で、いわばこの地方の「玉門関」ともいうべき山であろう。「西海屏風」「草原門戸」とも称されている。日月山という。
日月山(赤嶺)を有名にしているのは文成公主伝説である。
海抜3520mで「皇后から賜った日月宝鏡を取り出し、そこに映し出された都と身内の姿を見て思わず涙がせきを切って溢れ出た。その故郷を思う涙は、東から西へと青海湖へ流れ入る一筋の川となった」という。それから70年後、金城公主が吐蕃に嫁ぐときも、やはりここで唐に別れを告げ、日亭と月亭に立ち草原や青海湖を目にして涙した。
我が国でもこうした山にまつわる伝説がある。
倭建尊が東征を終え、京へもどる途次、足柄山に立って、相模灘の海神を鎮めるために身を沈めた弟橘姫命を偲ん
吾妻はや
と片歌を詠んだ事が思い出される。
中国版「百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」( 「維基百科・自由的百科全書」)には、文成公主について次のように記されてある。
「文成公主(约623年-680年),吐蕃名甲木薩漢公主,吐蕃賛普松贊干布的第二位皇后(第一位皇后來自今日的尼泊爾)。本是中国唐朝皇室遠枝,640年奉唐太宗之命和親吐蕃。文成公主對吐蕃貢獻良多。」
また、松賛干布(藏文拼 音:Songzain Gambo)(604年—650年)のこの項については,「以厚禮黄金五千兩及寶物珍玩數百件,到長安向唐太宗(注 李世民)請婚,娶了文成公主。為此松賛干布在拉薩西北海拔3700公尺的紅山(注 日月山)上興建布達拉宮,以迎公主。貞觀十五年(641年),江夏郡王、禮部尚書李道宗護送文成公主入吐蕃,以釋迦牟尼像、珍寶、經書、經典360卷等作為嫁妝。」とある。
「文成公主對吐蕃貢獻良多。」は、「釋迦牟尼像、珍寶、經書、經典360卷等」佛教関係の文物ばかりではなく、当時の最先端技術なども吐蕃にもたらしたことをさすのであろう。それらは、「許多工匠及醸酒、冶金、養蚕、刺繍、造紙、制墨、建築、工作等工具和技術」と、「児童辞海」(1995年版)に出ている。
彼女が吐蕃にもたらした文明ははかりしれないほどこの地の人々の生活を豊かにしたことであろう。想像に難くない。
塔爾寺は「位于中国青海省西寧市西南25公里的湟中県魯沙爾鎮。始建于明代嘉靖三十九年(1560年),是藏伝佛教格魯派六大寺院之一,是格魯派創始人宗喀巴的誕生地。」とある。
宗喀巴(1357年—1419年)は,「法名羅桑札巴,意為 “善慧”,藏伝佛教格魯派(黄教)創始人。」であり、「羅桑札巴為文殊菩薩転世」という伝説もあり、火鶏年(1357年,元至正十七年)十月二十五日誕生在“宗喀”地方(今青海省湟中県塔爾寺所在地),故被称為宗喀巴,青海的僧俗大衆尊称他為杰仁波且(意為宝貝法王)。」ともいわれる。
この塔爾寺は宗喀巴誕生の地に建立されて、現在に至っている。境内には「活仏院」が数多くある。「学院」と称する建物も多い。如意宝塔、大・小金瓦寺、大経堂、「芸術三絶酥油花」に見るべきものがあるらしい。
酥油花は次のような説明がある。
「公元641年,唐朝同吐蕃聯姻,文成公主被迎送到拉薩時,帯去了一尊釈迎牟尼12歳等身像,后来将佛像供奉于大昭寺,藏族人民為了表示敬意,在佛像前献了貢品。按印度伝統的佛教習俗。供奉佛和菩薩菩的貢品有六色,即花、涂 香、聖水、瓦香、果品和佛灯。(中略)
酥油花是一種油塑工芸品,以酥油為主要制作原料。酥油是青藏高原藏族等牧民的奶 油類食物,是用牛奶 経過反復撹拌后提出的黄白色油脂。这 種油脂呈凝固状,柔軟細膩色沢純潔清香撲鼻,可塑性極強。其塑造的工芸品,具有形象逼真,色彩鮮艶,精巧玲瓏等特点。」
バター制品の酥油花は「芸術三絶」と称すべき見事な芸術品なのであろう。薄暗い寺内、寺は薄暗いと思い込んでいる、赤や金に彩られた仏像を酥油花は鼻を突く独特な油脂を燃やしながら、照らしているのかも知れない。
今まで、蘇州で、鎮江で、杭州で、楊州で有名といわれる寺を見てきたが、感受性が乏しいためか、感銘を受けたことはない。今度西寧行で、中国系とは違う、いわゆるチベット仏教系の寺々を見て回り、どんな印象を持つのか、もてるのか、他人事のように興味がある。所詮、罰あたりの縁無き衆生、いかほどのこともないであろう。
西蔵行は北京から始まる。しかし、本当に始まるのは青海省の首都・西寧からである。
テレビで「青蔵鉄道」を見る以前は、青海省についても西寧のこともまったく知識がなかった。それだから生きたいとも思ったこともない。
以前、シルクロードからの帰途、蘭州に1泊し、翌日柄霊寺に行った時が一番青海省に近づいたときであった。しかし、その時もまったく青海省・西寧のことは意識になかった。
今回初めて調べてみるのである。
青海省の歴史は大雑把に次のようになる。
「青海以青海湖得名。唐宋属吐蕃;元其土地属宣政院管轄;明属雑甘都司等;清初為衛藏地,后分設西寧為事大臣,又称青海為事大臣,為青海得名的開始;民国初設青海為事長官,后属甘辺寧海鎮守使,之后建青海省(1928年),省名至今未変。」
青海省は「青海省位于中国西北地区中部,青藏高原東部。」に位置し、四囲が甘粛省、西藏自治区、四川省、新疆維吾爾自治区に相接している。中国総面積の7.5%,全国第四位を占める広大な地域を擁している。しかし、7割以上が3000米以上の高地が占めている。「全省平均海拔3000多米,最高点为6860米,最低点为1650米。在总面积中,海拔高度在3000米以下的面积占26.3%,3000米—5000米的面积占67%,5000米以上占5%」。
黄河、長江の源流もここ青海省に発している。
ここに、約539万人(2004年)が居住し、そのうち都市人口は207.51万人。中国の少数民族は56民族といわれるが、その55の民族が人口の多寡は別として、青海省にいる。「全省共有55个民族成份。在青海世居的少数民族有藏族、回族、土族、撒拉族、蒙古族等。其中土族、撒拉族是全国唯一在青海特有的少数民族。2002年底,全省少数民族人口共2405130人,約占全省総人口的45.5%;少数民族人口及其占全省人口的比例分別是:藏族1157105人、21.89%;回族839945人、15.89%;土族203511人、3.85%;撒拉族97791人、1.85%;蒙古族90391人、1.71%;其它少数民族16915人、0.32%。」。
高原大陸性気候气候で気温は年平均零下5.7℃~8.5℃と低く、また降水量も大部分の地区で年400毫米以下(日本の8分の1)と少ない。空気は乾燥し、人々は牦 牛(ヤク)のバターを顔に塗って日焼け止めにする。旅行者はUVカットの日焼け止めを用意した方がよいと「地球の歩き方」は注意を喚起している。
とはいえ、「青海夏季涼爽、是理想的避暑旅游勝地」だそうだから、六月から七月は願ってもない旅行シーズンといえるだろう。楽しみである。
高地が大部分を占め、降水量が少ないため、農牧の比率は「一対九」となる。牧畜は、牦 牛(ヤク)、蔵綿羊、半細毛羊、柴達木駱駝、河曲馬、西寧羊毛が有名だという。
日月山以東において農業が可能で、春小麦、青稞、(はだかむぎ)蚕豆、豌豆、馬鈴薯及燕麦、糜谷(黍?)、胡麻、油菜等が収穫できる。
貴重、高価な薬材・冬虫夏草、無鱗湟魚も有名だ。
能源(エネルギー)、塩鉱山資源も豊富で、特に石油は, 柴達木盆地で採油される。
主たる産業は、機械、冶金、建材、紡績。
景勝地は、国家重点風景名勝区青海湖、名勝塔爾寺、唐文成公主進蔵勝跡日月山、玉樹文成公主廟がある。
次に、青海省の省都西寧についてみてみたい。
「西宁 概况--形似一叶扁舟的西宁 市,扼青藏高原東方之門戸,位于青海東部,黄河支流湟水上游,四面環山,三川会聚。市内潢 水及其支流緩緩東向流過.这 里,境内最高海拔4394米,市区中心海拔2275米。属大陸性高原半干旱气候。冬无厳寒,夏无酷暑。」
西寧市は青海省の省都。ここに179万人が居住している。少数民族も多く、土族、回族、蔵族、撤拉族、蒙古族、哈薩克族がその代表民族だ。
市区中心は海拔2275米である。今までの高地経験は九寨溝と黄龍で経験している。前者のホテルがある地点は高度2000m超、入り口を入って徐々に観光を進めて行くにつれて高度も上がり、奥地の長海にいたると3100mに達する。後者の黄龍では平均3000mをこえ、奥地の五彩池では標高3559mに達してしまう。ここまで登ってくる途中で、駕籠に乗るもの、中には酸素ボンベの世話になるもの、リタイヤーするものが出てくる。さいわいちょっと息苦しさを覚えたけれどもそれにも慣れて、無事最奥まで歩くことが出来た。だから、西寧の2275mには適応できるはずだ。
西寧は地図を見ても「四面環山」で、「形似一叶扁舟」に見える。6月下旬は「无酷暑」(22-24℃)ということだから日中は過ごし易いであろうと思う。夜間は9-11℃であるけれども、ホテル内は特に問題はないはずだ。
西寧では高度も寒暖も心配はなく過ごせるはずだ。
「三川会聚」とは、文中にある東西に流れる湟水と南北に流れる北川河、南川河である。地図で見る限りは、この三川はもともと北川河一川のようであるが、北川河が西宁市域に入ってきて、南流する川を南川河と称し、東流するほうを湟水というようだ。西寧は水に恵まれた都市に見受けられる。
ツアーでは夜22時頃青蔵列車が出発するまでの時間待ちの間に、青海湖と塔爾寺を廻るので、これらについて調べてみたい。
西寧・青海賓館に1泊(6月27日)して、朝早く17.5km離れた青海湖に出かける。この季節、「最佳旅游季節」で、青海湖付近の草原一面には菜の花が咲き乱れているはずだ。写真で見ると、菜の花の黄色、青海湖の濃紺、帯状の雲の白さ、そして空に広がる紺碧、この色彩が繰り広げる絵巻はここならではの景観であろう。まさに「一望天際的油菜花、黄色的大色块 加上藍色的湖海和藍色的天」。
青海湖は中国最大の塩水湖で、水産業も盛んだという。湖の西北の鳥島は、「高出湖面10m、長約500m、寛約150m」という小島であるけれども、「鳥爾王国」と称されるぐらい、渡り鳥の飛来が多い。そのため、国家級自然保護区(鄱 陽湖 、東洞庭湖、洱 海など)に指定されている。そのほか、青海湖は五大咸水湖(納木錯、 色林錯 、 鳥倫古湖、羊卓雍錯)、国家重点風景名勝区(太湖 、杭州西湖、天山天池、瘦 西湖、洞庭湖、月牙泉など)にも指定される有名な景勝地なのだ。
ここに至る前に、有名な山がある。青蔵高原に出るには必ず通らねばならぬ難所で、いわばこの地方の「玉門関」ともいうべき山であろう。「西海屏風」「草原門戸」とも称されている。日月山という。
日月山(赤嶺)を有名にしているのは文成公主伝説である。
海抜3520mで「皇后から賜った日月宝鏡を取り出し、そこに映し出された都と身内の姿を見て思わず涙がせきを切って溢れ出た。その故郷を思う涙は、東から西へと青海湖へ流れ入る一筋の川となった」という。それから70年後、金城公主が吐蕃に嫁ぐときも、やはりここで唐に別れを告げ、日亭と月亭に立ち草原や青海湖を目にして涙した。
我が国でもこうした山にまつわる伝説がある。
倭建尊が東征を終え、京へもどる途次、足柄山に立って、相模灘の海神を鎮めるために身を沈めた弟橘姫命を偲ん
吾妻はや
と片歌を詠んだ事が思い出される。
中国版「百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」( 「維基百科・自由的百科全書」)には、文成公主について次のように記されてある。
「文成公主(约623年-680年),吐蕃名甲木薩漢公主,吐蕃賛普松贊干布的第二位皇后(第一位皇后來自今日的尼泊爾)。本是中国唐朝皇室遠枝,640年奉唐太宗之命和親吐蕃。文成公主對吐蕃貢獻良多。」
また、松賛干布(藏文拼 音:Songzain Gambo)(604年—650年)のこの項については,「以厚禮黄金五千兩及寶物珍玩數百件,到長安向唐太宗(注 李世民)請婚,娶了文成公主。為此松賛干布在拉薩西北海拔3700公尺的紅山(注 日月山)上興建布達拉宮,以迎公主。貞觀十五年(641年),江夏郡王、禮部尚書李道宗護送文成公主入吐蕃,以釋迦牟尼像、珍寶、經書、經典360卷等作為嫁妝。」とある。
「文成公主對吐蕃貢獻良多。」は、「釋迦牟尼像、珍寶、經書、經典360卷等」佛教関係の文物ばかりではなく、当時の最先端技術なども吐蕃にもたらしたことをさすのであろう。それらは、「許多工匠及醸酒、冶金、養蚕、刺繍、造紙、制墨、建築、工作等工具和技術」と、「児童辞海」(1995年版)に出ている。
彼女が吐蕃にもたらした文明ははかりしれないほどこの地の人々の生活を豊かにしたことであろう。想像に難くない。
塔爾寺は「位于中国青海省西寧市西南25公里的湟中県魯沙爾鎮。始建于明代嘉靖三十九年(1560年),是藏伝佛教格魯派六大寺院之一,是格魯派創始人宗喀巴的誕生地。」とある。
宗喀巴(1357年—1419年)は,「法名羅桑札巴,意為 “善慧”,藏伝佛教格魯派(黄教)創始人。」であり、「羅桑札巴為文殊菩薩転世」という伝説もあり、火鶏年(1357年,元至正十七年)十月二十五日誕生在“宗喀”地方(今青海省湟中県塔爾寺所在地),故被称為宗喀巴,青海的僧俗大衆尊称他為杰仁波且(意為宝貝法王)。」ともいわれる。
この塔爾寺は宗喀巴誕生の地に建立されて、現在に至っている。境内には「活仏院」が数多くある。「学院」と称する建物も多い。如意宝塔、大・小金瓦寺、大経堂、「芸術三絶酥油花」に見るべきものがあるらしい。
酥油花は次のような説明がある。
「公元641年,唐朝同吐蕃聯姻,文成公主被迎送到拉薩時,帯去了一尊釈迎牟尼12歳等身像,后来将佛像供奉于大昭寺,藏族人民為了表示敬意,在佛像前献了貢品。按印度伝統的佛教習俗。供奉佛和菩薩菩的貢品有六色,即花、涂 香、聖水、瓦香、果品和佛灯。(中略)
酥油花是一種油塑工芸品,以酥油為主要制作原料。酥油是青藏高原藏族等牧民的奶 油類食物,是用牛奶 経過反復撹拌后提出的黄白色油脂。这 種油脂呈凝固状,柔軟細膩色沢純潔清香撲鼻,可塑性極強。其塑造的工芸品,具有形象逼真,色彩鮮艶,精巧玲瓏等特点。」
バター制品の酥油花は「芸術三絶」と称すべき見事な芸術品なのであろう。薄暗い寺内、寺は薄暗いと思い込んでいる、赤や金に彩られた仏像を酥油花は鼻を突く独特な油脂を燃やしながら、照らしているのかも知れない。
今まで、蘇州で、鎮江で、杭州で、楊州で有名といわれる寺を見てきたが、感受性が乏しいためか、感銘を受けたことはない。今度西寧行で、中国系とは違う、いわゆるチベット仏教系の寺々を見て回り、どんな印象を持つのか、もてるのか、他人事のように興味がある。所詮、罰あたりの縁無き衆生、いかほどのこともないであろう。