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山の法話12 吾心似秋月

2020-10-01 | 山の法話

写真は本日、中秋の名月です。灼熱に耐えかねた夏も過ぎ去ればその暑さを忘れ、月夜の冷風に身震いをしています。季節は立ち止まる事をしませんが、人は過ぎ去った事はすぐに忘れるのに、安定・安心を求め、強制的な変化を拒みます。夏には冷房、冬には暖房、自然とは真逆の事を求めるは、これ人間の性、宿命で有りましょう。

吾心似秋月、碧潭清皎潔(わがこころしゅうげつににたり へきたんきよくしてこうけつ)唐の時代の禅僧と言われる寒山の詩で、私の心は中秋の名月に似ており、青く澄んだ深い淵のように清らかであると詠んでいます。恐らく名月が鎮まりかえった池に微動だにせず、丸く映し出されていたのでしょう。この漢詩に込められた寒山の境地とは、心は丸く穏やかで、深くどっしりとした清らかな様子で、これは禅の目指すべき悟りに通ずるものです。夏山に花が咲けばそれを見ようと汗だくになり写真一枚撮って満足し、鳥のさえずりに耳を傾け、やっぱり山は良いなあと満足げに下山する自分ですが、寒山は吾が心は月に似ている、さざ波も立たない青く澄んだ淵のようだと、まるで自然と一体になっている自分の心境をこの詩に表しています。つまり私が花を見たり鳥の声を聴くのでは無く、花が咲き鳥が鳴くから自分がここに居るのだという事に気付かねば、到底寒山の詩を味わう事は出来ません。地球は自分が中心で回っているのでは無いという事の理です。



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