『藤』の花 2015年04月27日 19時00分00秒 | ぶらり散策 休日に あの藤棚の場所へ・・・ ↑ 風に靡く 藤の花 とても綺麗でした。(今回もコンデジとスマホで撮影) この日 義父 義母と 昼食へと行き その帰りに ここへとやってきたのですが 久々に賑やかな場所へと やってきたと 喜んでいましたよ。 ではまた « 遺品整理 | トップ | 『 熊野 の 長藤 』 動画で... »
3 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 富士の花 (季楽) 2015-04-27 22:09:48 咲いてますね、しかも長い藤が。こちらでもヤマフジが咲き出してますが、普通?の長さです。なぜこれほど長くなるのでしょうね?等と考えず、綺麗な物は綺麗と言う事で。 返信する 凄いU+2757 (さくらの季節) 2015-04-27 22:24:46 この藤が熊野の長藤ですか?熊野と書いて「ゆや」と読むのですね。藤の甘い香りが匂って来そうです。 返信する 藤の花 (ヤスケ) 2015-04-28 20:12:48 季楽さん本当は、私 喪中なんで こんな場所来ちゃあいけないと思うんですが 今の時期逃したら行けないなあとチョッピリ出かけちゃいました。さくらの季節さん熊野の長藤(ゆやのながふじ)で正解です。この熊野の長藤は、遠い昔の女性から名づけた長藤なんですよ『平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。 宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。 春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。 母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。 熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。』(豊田町発行「熊野御前」より)この熊野御前の墓が長藤の木の横にあります 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
こちらでもヤマフジが咲き出してますが、普通?の長さです。
なぜこれほど長くなるのでしょうね?
等と考えず、綺麗な物は綺麗と言う事で。
熊野と書いて「ゆや」と読むのですね。
藤の甘い香りが匂って来そうです。
本当は、私 喪中なんで こんな場所来ちゃあいけないと思うんですが 今の時期逃したら行けないなあとチョッピリ出かけちゃいました。
さくらの季節さん
熊野の長藤(ゆやのながふじ)で正解です。
この熊野の長藤は、遠い昔の女性から名づけた長藤なんですよ
『平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。
宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。
春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。
母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。』
(豊田町発行「熊野御前」より)
この熊野御前の墓が長藤の木の横にあります