医者の妄言

臨床医の戯れ言です。興味があればコメントよろしく。

医療施設集約化

2006-09-29 21:52:47 | 医療
<医療施設の集約化が不可避>

法的な対応策も今後の重要課題に/全自病・小山田会長 本紙緊急提言
 
医師不足問題が深刻化する中で、全国自治体病院協議会の小山田惠会長は4月28日、本紙の取材に対し「医師不足問題を解決していくには、医療機関の集約化が必要だ」と指摘した。さらに、日本小児科学会では、小児救急医療体制改革案として36の都道府県における小児医療施設の集約化・重点化に関するモデル案をまとめた。こうした学会の動きに対し同会長は、「小児科学会、産婦人科学会などの動きは、高く評価している」と話し、今後、学会のモデル案を医療現場で運用していく段階では、全自病としても全面的にバックアップしていきたいとの考えを示した。さらに、同会長は、医師不足解消策については、医療法上の対応が必要だとの認識も示すなど、複合的な対応策を講ずることで地域住民の医療を守っていきたいとしている。(http://www.japan-medicine.com/news/news2.html)

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同じ診療圏に同じような規模の同じような病院が共存するような状況は日本中至る所に見られると思う。これまでも互いに診療科が合併し集約化を図った方が余程効率的で質の高い急性期医療が展開できるのになあ、と個人的には考える人は少なからずいただろう。
それがなかなか進まない原因は各病院の収益事情、職員の処遇の問題と並んで、医局の人事支配という要素がかなりあったのではないか。
A県立病院の院長はK大学のポストであり、B赤十字病院の院長はH大学、C済生会病院はZ大学、A病院の外科、内科はK大学の関連であり、B病院の産婦人科、小児科はH大学の関連といった具合である。
これを互いの話し合いにより統合するのはこれまで事実上不可能であった。統合するということはいずれか一方の病院が収益上影響を受け、いずれか一方の大学が医局員の就職先を失うということである。したがって事はそんなに簡単には進まない。
ところが近年の医療状況、及び新研修制度の余波を受け、大学自体が人手不足となり、全体として基幹病院を重要拠点と考え、規模の小さい病院診療科への新規派遣を取りやめ、人事の集約化を図る傾向にある。このような状況を急性期病床を削減、集約化を図ろうとする厚労省は絶好の機会ととらえているであろう。産科、小児科、救急などの診療部門では集約化を求める現場からの要請も強く、医局も無い袖は振れない。今後ますます社会として要請が高まるであろう急性期医療の質の確保という意味でも、産科、小児科のみならず、急性期病床全体として集約化は避けられないだろう。
しかし厚労省としてはたなぼたの感がある集約化への流れのなかで、人、金の面でバックアップを図ることこそ責任ある行政の立場ではないか。

さくらちゃん、心臓移植募金事件(2)

2006-09-28 21:05:57 | 医療
私は「さくらちゃん募金」の問題で親を中傷、批判することには同意できないが、移植医療あるいは日本の医療というものを改めて考えるいい機会にはなったと思う。

1)募金という形で寄付を募り、海外特にアメリカで医療を受けた人あるいは支援団体は少なくとも直接要した医療費について詳細な報告をするべきだと思う。

これは善意を寄せた人たちに対する当然の義務であろうし、さらにアメリカで行われている医療の具体的な詳細について我々日本人が知るいい機会だと思うからだ。

臓器の摘出費用とその内訳、臓器の搬送費用、一般病棟での入院費が何日でいくら、手術室の利用料が何時間でいくら、ICUの滞在費が何日でいくら、薬剤費がいくら、検査料がかくかくしかじかでいくら、手術の材料費、麻酔料がいくら、術者の技術料がいくら、手術以外に様々な医師の診療を受けると思われるがそれぞれの医師の請求がいくらという具合に事細かに示すべきである。

何も冊子にしてすべての人に配布しなくともネットで報告すればいい。日本では光の部分のみ強調されがちなアメリカの医療というもの、そして振り返って日本の医療というものをどう考えるかという上で非常に参考になると思う。

2)アメリカに多数存在する無保険者にとっては個人の力で移植医療を受けることなど思いもよらないことであろう。アメリカではこのような無保険者が移植医療を受けられるような慈善活動は一般的なのであろうか。

さらにたとえ保険に加入していたとしても保険によって補填される医療費は様々だろう。メディケイドといっ低所得者を対象とした医療補助はどの程度移植医療をカバーしているのか。

トリオとトリオジャパンの関係がどのようなものか知らないが個人に対する移植支援もさることながら、このあたりの情報提供も行うべきではないか。

3)そもそも日本政府、厚労省は日本人が海外で臓器移植を受けることをどのように考えているのだろうか。

コスモポリタニズム、博愛精神に欠けると言われればそのとおりだが、私など立場が変われば、ただでさえ不足している自国市民により提供された尊い臓器が、他国民に移植されるということは納得出来ないと感じるだろう。

さらに言えばこのような募金という形をとるがゆえに表面化するケースの裏には相当な数の海外での移植があるようだ。

患者として健康を取り戻したい、家族を元気にさせてやりたいという心情は勿論理解出来るが、今の構図は経済力を背景に他国民の臓器を買いあさっていると批判されても止むを得ない側面があると思う。

国内での移植医療の推進には勿論、人も金もかかる。日本の移植医療の推進を阻んでいる最大の要因は日本人の死生観などではなく、安上がりの日本の医療システムにあのではないかと私は考えている。


「さくらちゃん募金」で私が考えることは以上のような問題であり、親がNHKの職員であるとか、東京近郊の庭付き一戸建てに住んでいるのはけしからんなどという批判は、議論の本質からはずれたとんでもない問題の矮小化に過ぎないのではないか。

小児科勤務医は不足しているか?

2006-09-27 15:25:43 | 医療
小児科、産科はどちらも医師不足が喧伝されている診療科ですが、私は問題の所在が基本的に異なるのではないかと思っています。

産科においては産科医療の需要、供給のバランスが明らかに崩れている。これはその通りだと思います。これに対しては産科勤務医の労働条件を改善することが唯一の解決策だろうと思います。

一方小児科はどうか。少なくとも勤務医として私が見てきた印象では、「入院小児科医療」については充足している。病棟が小児科の患者であふれている病院というのを私は知りません(私の単なる認識不足ということであれば小児科の先生御指摘をお願いいたします)。小児の数は減少している、入院を必要とするような傷病の発生頻度はそれほど変わらないことから、入院患児の数が減るのは当然のことでしょう。

したがって現在の小児科医療問題の本質は「夜間、休日における外来小児科診療」問題に過ぎないのではないかということです。これは純粋な需給の問題ではなく、システムの問題ではないかと思うのです。

夜間、休日受診の大部分を占める外来レベルで対応可能な患児を診る一次救急診療所を設置し、そこで勤務医、開業医あわせて月1回程度の日当直で体制が組めるような地域レベルのシステムの構築は不可能なのでしょうか。これが円滑に運用されれば小児科の問題はほぼ解決するのではないかと私は思うのですが、如何でしょうか。

さくらちゃん、心臓移植募金事件

2006-09-27 13:31:02 | 医療
心筋症で心臓移植が必要とされた女の子のアメリカでの移植費用捻出のため募金活動を行っていることに対して、(http://www.sakurahelp.com/)ネットでさかんに批判が行われている。

批判の主たるものは、親にそれなりの社会的地位、所得があり、東京近郊に一戸建ての家を構えていて、少なくとも中流以上の生活をしている(ように見える)のにもかかわらず、一億円以上もの金を募金で集めて身銭を切ろうとしない(ように見えるのは)けしからんということだろう。

しかし私が思うにはこの親は所詮サラリーマンであり、どこかのIT企業家や先祖代々の資産家という意味での富裕層とはまったく異なる。

一億数千万という額はものすごく無理をすれば捻出することは不可能ではないかも知れないが、その全額を自ら負担するとすればおそらく精神的に相当追いつめられた状況になり、私はこの家族にとってそれは決して幸せなことではないと思う。私ならそんな無理をするよりも、子供がまだ日常生活に大きな問題がないのであるならば、移植の可能性を願いつつも内科的治療で様子を見てもらうという選択をすると思う。

子供の状態がいよいよということにでもなれば意を決して金策に走り回るという道を選ぶかもしれないが、病気という自己責任でもないことに付随して個人をそのように追いつめる社会というのは好ましいものではないだろう。

回りの人が支援、方策という援助の手をさしのべてくれ、募金を募ろうということになってこの親はそれならそういう方向でお世話になろうかと考えたのだろう。私はそういう判断は決して歪んでいるわけでも何でもなく、普通の人間として十分理解出来る。

誰が見ても資産家という人があえて寄付に頼ろうとするのは当然非難されるべきであるが、そもそも容易に資金が捻出できるような人は自分の懐具合を探られる方が嫌で募金集めなどしないものだ。心臓移植をうたって募金を募り、それを私的に流用するというのではそれは犯罪だが、今回のケースは親がどの程度の負担をするのかは別にして、女の子の病気の為に使われるのは間違いないだろう。それならば募金をするしないはあくまで個人の自由であり、気に入らない人は募金をしなければいいだけで、親のプライバシーについていらぬ詮索をするのはおかしいのではないか。