6月6日12時20分に福岡空港国際線ターミナル3F南側カウンター(初めて南側カウンターに行った)22.23で受け付け、出発便は中国南方航空(CZ)646便14時20分初大連行き。(高速バスを8時15分発だったので余裕があると思ったが、いつものすし屋で食事して時間的にはちょうど一杯であった。)
大連空港到着15時20分、空港で現地ガイド安さんが出迎えた。安さんには大連、北京、天津と全日程を案内してくれた。安さんは日本にも6年間留学していて事情がよくわかっているようであった。お父さんは外務省に勤めていた。・・中日友好協会理事でもある又奥さんはDRだそうである。
自分で言っているが日本語は上手ではないが。誠心誠意お世話をするその精神はいたるところで発揮された。北京在住である。
大連市内観光
@ 大連迎賓館にて散策、大和ホテル~昔のままの建物、その後日本のお偉いさんが止まったとか。トイレを利用する。廊下の天井が高い中国人が行き来するので、ここは中国?
ホテルの正面の広場で写真を撮る、、ロータリーのようになっているが信号がないので渡るのにとても怖い。
@ 日本人租界 日本人街は昔の佇まいを残している。旧満鉄本社を写真に撮る。夕食は山西 料理を食す。その前にお土産総合店?8Fに上がり大連港を遠望する。
大和ホテルで「中外文広告」の雑誌を一冊もらう。~新人君必見!大連でカッコよく生きるスマ男、ネタ帳(紳士手帳)「コンセルジユ大連」インタビューあの人に逢いたい~大連市対外経済貿易合作局 対外連絡一処 処長 劉世偉氏
対外的な貿易・経済方面に関する業務の連絡、各関係機関との連携を執り行います。
外資企業関係者が大連訪問の際には、ビザ発給に向けた招待状の発行のほかVIP対応、市幹部の対外経済貿易に関する活動に携わる。~~
@ 外資系企業の設立に関して
1 審査及び設立許可証の発給
2 契約及び定款の修正変更
3 外資系企業の監督検査
4 外資系企業のクレームの受理・調整
5 投資促進に向けソフト面の環境整備
@ 大連投資環境の優位性
大連は「北方の真珠」とも呼ばれ、中国東北部から海外に開かれた玄関口として、その名を 馳せています。大連は年間貨物1億トン余りを取り扱い、名古屋港、大阪港、下関港、境港
等との間に国際定期船が就航しています。(ニッポン往復も週77便が運航しています。
宮城県大連事務所、岩手県大連事務所~~東北地方太平洋沖地震~~がんばれ 東日本~~
(最終日天津からの帰途、岩国の中小企業の経営者が商談で天津に7人できたと言っていた。
人口の多い中国との交易に期待しているようだった。)
@ トルコ人の経営する革製品を扱う店に立ち寄った、トルコの人が中国に来てニッポン語
を話していると言って笑わせた。蓑原さんは娘さんに上等のコートを一枚買われた。
コンシエルジュ大連
@ 大連から北京へ
大連発21時50分、北京着23時20分、時間変更になって困ったと思っていたら安さんも何度か掛け合ってみたが、早い便が取れなかったみたいで、ホテル到着は真夜中となった。
@ 6月7日は6時コール6時30分食事、7時30分出発ということで。
@ 北京観光に出発 -西太后ゆかりの@いわ園、明の十三陵、万里の長城、(八達嶺)
暑い中の観光地巡りは少々身にこたえたが、夜はマッサージで体をほぐすことができてよかった。
万里の長城も天気に恵まれて、歩きやすかった、もっとも急な階段には少々難渋した、何しろ階段の上り下りには、片手はいつも知子に取られていたので・・・途中まで降りて休んでいると放送があり、天気が急変するので降りるようにとの忠告である。丁度バスに乗るころには雨が降ってきた。宝石店でショッピング。説明を聞き・・一休み。低反発ほ枕、マット等の製品の説明を受けて、実際に購入した者も何人かいた。~蓑原さんも・・
夕食は麺などで、野菜が中心であった。
@ 6月8日@ 北京観光とショッピング
市内の美術博物館に連れて行かれたが、立派な石や玉~~それらを高度技術で加工したものが陳列してある、それが花梨の飾棚へ飾ってあった。最後にこれは売り物で86万円ほどでニッポンに着くまで責任を持つという。もちろん6点かな、みな説明がつく。これをなんと蓑原さんが購入された。安さんは、ありがとうございますと何度も頭を下げておられ太。
中国のこうした製品を世界のみんなに分かってもらいたいという政府の方針に沿ってこの美術院もうんえいされているな^館内をずーと廻ってお茶の接待にありつく。
@ 故宮博物院 天安門広場に向かう、前回来た時は自転車の洪水であったが、今目の前を流れていくのは、多くの普通自動車の群である。 この早い変わりようには驚いた。
ここに来ればいやでもあの悲惨な事件を思い出す。 しかし多くの観光客たちは写真を撮りこの中国の政治の中心、中国人の象徴的この広場を多くの人たちが行き来する。
地下道を通って紫禁城へ~~故宮博物院に入っていくが暑さが厳しくかなりきつい歩行となる。写真を撮り、ラストエンペラーの場面をおもい出しながら、またここに立ったことが何と言うか暑さの中で15年まえのことを思い出しながら、同じ暑い差に耐えていた。
@ 天壇公園 祈年殿に参る前に資料館で中国の歴史のパネルによる解説があった。
シルク店により実演がありまわた 絹の布団等洋服も沢山陳列されていた。シルクのパジャマはかわなかった。
@ 西太后は1888年北洋海軍の軍費を流用して作った、北京北西郊外の公園294万ん平方メートル、世界一長い廊下、 公園内に満州国皇帝薄儀に関係する者の掛け軸等の販売あり、蓑原さん2本購入
@ 夕食は全聚徳にて北京ダッグと北京料理
@ 6月9日北京動物園へパンダに逢いに行く、早朝なので観光客はまばらだった。笹の葉を食べている食べている、近くに歩いてくるのもいた。
@ 高速道路で天津へ向かう。途中一か所トイレ休憩。
天津市内観光ー直轄区としての都会、昔ながらの古い街並み・旧租界としての西洋の雰囲気と様々な魅力が詰まっている。
ここ天津も暑くてかなわぬ、マックに入ってソフトクリームとコーヒーを飲んでいると鹿児島の人と一緒になる、また安さんも2人連れて入ってきた。
バスに乗り次の繁華街に行く今度も暑くてかなわぬおおきなベランダのようなところで涼む、といっても暑い暑い、そうしていると安さんがジュースを持ってクルージングのためにやってきて乗船した。舟の中は冷房がきていて、景色もよく楽しめた。
@ 夕食は天津料理をみんな本気で食べた。下関の夫婦は中国の酒を頼んで。ゴルフもやったが10年前にやめたそうだ。2番テーブルの8人は顔なじみとなった。
@ ホテルは5つ☆ということで新しく立派であったが夜中にエアコンが効かず部屋替えしたり睡眠不足となった。
@ ホテルを7時ころに出発、10分少々で天津空港に到着出国の手続き中2人がチケット控えをなくしあわてて安さんを捜しに行ったが見当たらず帰ってきた、パスポートがあるから大丈夫だろうという大方のみんなの意見の通り難なく搭乗券をもらい一緒に待合室に向かう。
待合室でしばらく待っていたら、搭乗時間が10時10分に変更になった・こまったなあーこれが中国だよな^と思っていたら大連のほうが大雨ということだった。そのうちミネラルウオーターとケーキの配布があった。待合室でアメの残りがあったので周りの人に配った。
待合室では今までの海外旅行とかの話を蓑原さんに話したり、蓑原さんの主人の闘病生活の話、クルーザーの話なんだか大金持ちで正月などグワムに家族で行かれるそうだ。
帰国の便には天津に商談できておられた岩国の人が隣の席だった。7人の中小企業の人たちだった。
大連空港到着15時20分、空港で現地ガイド安さんが出迎えた。安さんには大連、北京、天津と全日程を案内してくれた。安さんは日本にも6年間留学していて事情がよくわかっているようであった。お父さんは外務省に勤めていた。・・中日友好協会理事でもある又奥さんはDRだそうである。
自分で言っているが日本語は上手ではないが。誠心誠意お世話をするその精神はいたるところで発揮された。北京在住である。
大連市内観光
@ 大連迎賓館にて散策、大和ホテル~昔のままの建物、その後日本のお偉いさんが止まったとか。トイレを利用する。廊下の天井が高い中国人が行き来するので、ここは中国?
ホテルの正面の広場で写真を撮る、、ロータリーのようになっているが信号がないので渡るのにとても怖い。
@ 日本人租界 日本人街は昔の佇まいを残している。旧満鉄本社を写真に撮る。夕食は山西 料理を食す。その前にお土産総合店?8Fに上がり大連港を遠望する。
大和ホテルで「中外文広告」の雑誌を一冊もらう。~新人君必見!大連でカッコよく生きるスマ男、ネタ帳(紳士手帳)「コンセルジユ大連」インタビューあの人に逢いたい~大連市対外経済貿易合作局 対外連絡一処 処長 劉世偉氏
対外的な貿易・経済方面に関する業務の連絡、各関係機関との連携を執り行います。
外資企業関係者が大連訪問の際には、ビザ発給に向けた招待状の発行のほかVIP対応、市幹部の対外経済貿易に関する活動に携わる。~~
@ 外資系企業の設立に関して
1 審査及び設立許可証の発給
2 契約及び定款の修正変更
3 外資系企業の監督検査
4 外資系企業のクレームの受理・調整
5 投資促進に向けソフト面の環境整備
@ 大連投資環境の優位性
大連は「北方の真珠」とも呼ばれ、中国東北部から海外に開かれた玄関口として、その名を 馳せています。大連は年間貨物1億トン余りを取り扱い、名古屋港、大阪港、下関港、境港
等との間に国際定期船が就航しています。(ニッポン往復も週77便が運航しています。
宮城県大連事務所、岩手県大連事務所~~東北地方太平洋沖地震~~がんばれ 東日本~~
(最終日天津からの帰途、岩国の中小企業の経営者が商談で天津に7人できたと言っていた。
人口の多い中国との交易に期待しているようだった。)
@ トルコ人の経営する革製品を扱う店に立ち寄った、トルコの人が中国に来てニッポン語
を話していると言って笑わせた。蓑原さんは娘さんに上等のコートを一枚買われた。
コンシエルジュ大連
@ 大連から北京へ
大連発21時50分、北京着23時20分、時間変更になって困ったと思っていたら安さんも何度か掛け合ってみたが、早い便が取れなかったみたいで、ホテル到着は真夜中となった。
@ 6月7日は6時コール6時30分食事、7時30分出発ということで。
@ 北京観光に出発 -西太后ゆかりの@いわ園、明の十三陵、万里の長城、(八達嶺)
暑い中の観光地巡りは少々身にこたえたが、夜はマッサージで体をほぐすことができてよかった。
万里の長城も天気に恵まれて、歩きやすかった、もっとも急な階段には少々難渋した、何しろ階段の上り下りには、片手はいつも知子に取られていたので・・・途中まで降りて休んでいると放送があり、天気が急変するので降りるようにとの忠告である。丁度バスに乗るころには雨が降ってきた。宝石店でショッピング。説明を聞き・・一休み。低反発ほ枕、マット等の製品の説明を受けて、実際に購入した者も何人かいた。~蓑原さんも・・
夕食は麺などで、野菜が中心であった。
@ 6月8日@ 北京観光とショッピング
市内の美術博物館に連れて行かれたが、立派な石や玉~~それらを高度技術で加工したものが陳列してある、それが花梨の飾棚へ飾ってあった。最後にこれは売り物で86万円ほどでニッポンに着くまで責任を持つという。もちろん6点かな、みな説明がつく。これをなんと蓑原さんが購入された。安さんは、ありがとうございますと何度も頭を下げておられ太。
中国のこうした製品を世界のみんなに分かってもらいたいという政府の方針に沿ってこの美術院もうんえいされているな^館内をずーと廻ってお茶の接待にありつく。
@ 故宮博物院 天安門広場に向かう、前回来た時は自転車の洪水であったが、今目の前を流れていくのは、多くの普通自動車の群である。 この早い変わりようには驚いた。
ここに来ればいやでもあの悲惨な事件を思い出す。 しかし多くの観光客たちは写真を撮りこの中国の政治の中心、中国人の象徴的この広場を多くの人たちが行き来する。
地下道を通って紫禁城へ~~故宮博物院に入っていくが暑さが厳しくかなりきつい歩行となる。写真を撮り、ラストエンペラーの場面をおもい出しながら、またここに立ったことが何と言うか暑さの中で15年まえのことを思い出しながら、同じ暑い差に耐えていた。
@ 天壇公園 祈年殿に参る前に資料館で中国の歴史のパネルによる解説があった。
シルク店により実演がありまわた 絹の布団等洋服も沢山陳列されていた。シルクのパジャマはかわなかった。
@ 西太后は1888年北洋海軍の軍費を流用して作った、北京北西郊外の公園294万ん平方メートル、世界一長い廊下、 公園内に満州国皇帝薄儀に関係する者の掛け軸等の販売あり、蓑原さん2本購入
@ 夕食は全聚徳にて北京ダッグと北京料理
@ 6月9日北京動物園へパンダに逢いに行く、早朝なので観光客はまばらだった。笹の葉を食べている食べている、近くに歩いてくるのもいた。
@ 高速道路で天津へ向かう。途中一か所トイレ休憩。
天津市内観光ー直轄区としての都会、昔ながらの古い街並み・旧租界としての西洋の雰囲気と様々な魅力が詰まっている。
ここ天津も暑くてかなわぬ、マックに入ってソフトクリームとコーヒーを飲んでいると鹿児島の人と一緒になる、また安さんも2人連れて入ってきた。
バスに乗り次の繁華街に行く今度も暑くてかなわぬおおきなベランダのようなところで涼む、といっても暑い暑い、そうしていると安さんがジュースを持ってクルージングのためにやってきて乗船した。舟の中は冷房がきていて、景色もよく楽しめた。
@ 夕食は天津料理をみんな本気で食べた。下関の夫婦は中国の酒を頼んで。ゴルフもやったが10年前にやめたそうだ。2番テーブルの8人は顔なじみとなった。
@ ホテルは5つ☆ということで新しく立派であったが夜中にエアコンが効かず部屋替えしたり睡眠不足となった。
@ ホテルを7時ころに出発、10分少々で天津空港に到着出国の手続き中2人がチケット控えをなくしあわてて安さんを捜しに行ったが見当たらず帰ってきた、パスポートがあるから大丈夫だろうという大方のみんなの意見の通り難なく搭乗券をもらい一緒に待合室に向かう。
待合室でしばらく待っていたら、搭乗時間が10時10分に変更になった・こまったなあーこれが中国だよな^と思っていたら大連のほうが大雨ということだった。そのうちミネラルウオーターとケーキの配布があった。待合室でアメの残りがあったので周りの人に配った。
待合室では今までの海外旅行とかの話を蓑原さんに話したり、蓑原さんの主人の闘病生活の話、クルーザーの話なんだか大金持ちで正月などグワムに家族で行かれるそうだ。
帰国の便には天津に商談できておられた岩国の人が隣の席だった。7人の中小企業の人たちだった。