■山南ノート(3)☆☆☆演劇航海日誌

劇団夢桟敷♂山南純平の演劇ノートです。2008年は劇団創立30周年。海は荒れているか!面舵一杯。

ブラジル【レポート(2)】

2008年09月11日 | 旅日記
 劇団笠戸丸「ボクノフルサト。」ブラジル公演 下見の旅日記
 with 田中瞳さん(この劇の脚本家)とのふたり旅
 日付を追って「旅日記」のメモを綴ります。公開することに意味不明の部分や間違った固有名詞などを表記する場合もあると思います。その場合は訂正させて頂きます。・・・「山南ノート」での記述は「下書き公開」を前提に記述されたものです。直接関係者にご迷惑がない限り自由に表記させて頂きます。
 
 【8月30日(土)】

 
 9:02熊本発ー10:05羽田着 
 15:30成田発ー15:10アトランタ着 (この時間の後戻りは日付変更線を超えたため)
 20:20アトランタ発
 (注)成田ーアトランタは12時間。しかし、日付変更線を超えた為、アトランタ着が20分過去へ後戻った。それにしても機内禁煙がきつかった。

 【8月31日(日)】

 6:55サンパウロ着
 小山さん(日本ブラジル移住者協会 会長 :写真左)が迎えに来てくれる。“出獄”ではなく出国手続きに手間取り、なんと3時間も待たせてしまった。笑顔で迎えられてホッと一安心。熊本でお会いして4ヶ月ぶりである。その時はブラジルに植樹をする市民活動の講演でいらっしゃっていた。「日本みどりの会」との連携で小山さんたちがブラジルの日系人として活動の輪を広げている。今回のブラジル公演へのきっかけも小山さんたちとの出会いが大きい。
 サンパウロ市東洋人街リベルダージの万里ホテル(ここが拠点となる。)に着くや街のご案内をしてもらう。なんと、最初に口にしたものは「どら焼き」。街では「焼きそば」「かきあげ天ぷら」「寿司」などが溢れかえっていた。赤い鳥居や提灯などが街を彩っていた。
 上の写真二枚(中・右)は「花祭り」(サンパウロから車で2時間弱)に行った際、「笠戸丸」が展示されていた図。ここでも沢山の日系人と会う。飲んで食べた。昼間は30℃を越えていたのに夜になると肌寒い。そうか、ブラジルは今、冬なんだ。

 【9月1日(月)】

 朝からホテル近くの大聖堂に散歩に行く。午前中はこの旅のチケットや行動スケジュールなどでお世話になっているアルファーインテル(旅行会社)にご挨拶する。ここで日本円とブラジル貨幣(レアル)の両替をしてもらう。レートは日によって変動するが、大体、1レアル=70円くらいだと頭で計算するようになる。日本の物価と左程差はない。
 午後からニッケイ新聞社へご挨拶に行く。社長のラウルさん(下の写真左)とも半年ぶりの再会となる。サンパウロでの公演では細かいところ(会場や宣伝、チケットなど)でご迷惑をおかけすることになります。昼食はラウルさんの案内で熊本県人会館近くのレストランへ行く。そこで口にしたものはピラニアのスープ。アマゾンの古代魚と言われる刺身。ブラジルの焼酎pingaなど。昼から酔っ払ってしまった。・・・赤い顔をして熊本県人会館へ。ホールを見せてもらったりコーヒーを頂いたり、何故か熊本に帰ったような錯覚を起こすほど気さくに付き合ってくれる。コーヒーで酔い冷まし後、国際交流基金ブラジル支部へ。ラッキーだったのは支部長さんが会議のために東京へ発つ直前だったこと。実はブラジル公演では国際交流基金と熊本県に助成資金を申請中。帰国後は資金集めのために企業を回ることになっている。

 【9月2日(火)】

 午前中は小山さんの案内でサンパウロ市での公演会場予定である文教ホールを訪問する。明かりの問題や客席から舞台を眺める目の高さに問題を感じつつ、立地条件や公演の意味合いからしてここが良いのであろう。この時点でサンパウロ大学での公演の変更を考える。昼食をニッケイ新聞のビル中庭で頂く。魚のから揚げや味噌汁、日本食である。毎週、このように社員とのコミュニケーションを図る為に昼食会がおこなわれているとのこと。
 夜から上塚周平の日本植民地と知られるプロミッソン市へ向かう。夜行バスで7時間。地下鉄の乗り換えやバスターミナルまでアルファーインテルにお世話になる。考えてみれば、日系の方ばかりとお会いしているので、ほとんど日本語で話している。サンパウロでは英語が通じないと聞いていたが、それも分からないまま時間を過ごしてきた。みんみん(瞳ちゃん)はホテルでも適当にフロントの人と話していたようだが、何語なんだ?

 【9月3日(水)】

 プロミッソン市到着が午前5時。安永ファミリーが迎えに来てくれた。朝早くから恐縮。安永さんの農園自宅で朝食をとる。完全なる日本の朝げ。カセットから流れるBGMは日本の童謡「夕焼け小焼け」など。みんみんは台本を書く上で安永のお父さんから取材しており、すでに家族のように親しんで扱ってくれた。朝食後は移民の父といわれる上塚周平(熊本県城南町出身)の墓参りに行く。劇の舞台でもある移民団の村へやって来たことを、ここで実感する。胸が熱くなる。
 この日の予定ではプロミッソン市の会場下見であったが、劇団メンバーの西岡卓さんや日本演出者協会の和田さんからの推薦もありユバ農場へ行くこととなった。サンパウロでもユバ農場のことを聞く。プロミッソン市から高速道路(マルシャルロンドン道路)で1時間強のところ。一直線に延びる道路。景色はさとうきび畑、白い牛、白い馬の放牧場ばかり。山が見えない。赤い土。・・・途中でブラジル料理レストランに立ち寄る。ここで肉を食べ過ぎてしまい、ブラジル人の強靭な胃袋に脱帽する。この日より3日間くらい肉が食べれなくなった。
 ユバ農場に着くとオバラアキコさん(代表)が劇場を案内してくれる。ここで日本からの劇団1980も公演したそうだ。野外感覚の劇場。手作りである。ここのメンバー、日頃の活動は日中は農作業、夜はダンスなどの稽古をしている。ブラジルでは有名な文化団体である。移住して50年。暑い。日光で鼻の頭を焼けどしてしまった。
 夕方、プロミッソンの安永さんファミリーにて夕食会。完全にpinga依存になる。

 【9月4日(木)】

 朝からプロミッソン市の市長さんを訪問する。市の小ホールを下見する。最近できた大学の学生たちをご招待することで平日の(昼)(夜)公演の2ステージを予定する。
 午後より隣町に出かけバザーを楽しむ。赤い帽子とサングラスを買ったが、被ってみるとイカレタ日本人に見えたので、赤い帽子は似合う人にプレゼントしよう!と思った。このバザーで初めてブラジル語らしき挨拶をしてみた。「ボンジール!ブラジール!カンジール!」反応が寒かった。美しいブラジル女性から「こんにちは」と言われて結局、私は日本語で挨拶する。
 夜、プロミッソンを後にサンパウロへ向かう。夜行バスにて一泊。それにしてもみんみんは良く寝る。狭いバスの座席で男と女が密着しているのである。私は神経がか細い。ここは擬似家族のつもりで不眠の夜を明かすこととなる。

 【9月5日(金)】


 ハードなスケジュールで下見の旅がつづく。今日はピラール ド スールの日本語学校を訪問する。地下鉄に乗った際、若いブラジル青年から席を譲られた。おじいさんと孫の関係にみえたのであろう。サンパウロからバスで2時間弱。切符を買うにもみんみんに頼りっぱなしである。あと一つ。この会場を訪問すれば、ブラジル公演の会場は全部見たことになる。
 南さん(日本語学校の関係者)がバスターミナルまで迎えに来てくれた。プロミッソンとは風景が異なり、山や緑にも変化を感じる。・・・学校へ到着して驚いた。ビールやご馳走を並べて地域の人たちまで集まってくれていた。連日の恐縮である。生徒たちがホールで敬老会のための総練習をしており、私はそこで釘付けとなる。表情がいい。よさこいソーランをみた時は「ブラボー!」と叫んでしまう。すぐに皆と打解ける。みんみんは総練習の後、陸上部のメンバーとグラウンドを走っていた。リレーまで参加したと言う。元気はつらつである。
 夜はジョージマさんの家に泊まらせてもらう。玄関を開けるとプールがあることに驚く。リビングルームから私の寝室に行くのに何度も迷った。・・・私たちのみた日系社会とは富裕層のところばかりにお世話になってきたものだ、と改めて感じる。

 【9月6日(土)】

 ここで秘密をばらそう。実は、皆から「夜の一人歩きは危険。」と言われていた。サンパウロのような大都会では強盗などが多発している。特に日本人観光客が狙われやすい。そう言われると冒険してみたくなる。本当だろうか。私は現金をホテルに置いて、日本の煙草3箱を持って外出してみた。どうということはなかった。私はストリートチュルドレンに煙草を配りに行ったのだった。ニコニコ笑って受け取ってくれた。年配の方からはお礼にと缶ビールをもらった。・・・みんみんはホテルの窓から銃声の音やパトカーのサイレンが聞こえた、と言う。私も聞こえたが爆竹かなんかと侮っていた。実際はどちらが本当かはわかっていない。

 さて、今日の夜は熊本県人会で青年部との交流パーティーをおこなってくれた。ブラジル公演では県民意識が高揚するだろう。年の差を意識せずに私も久しぶりに彼らとはしゃいだ。日本の漫画を翻訳していることや、日本文化の新しい進出も聞くことができた。日系1世、2世、と3世以降の新しい日系人のニュアンスの違いもおぼろげながら理解できたようにも思う。
 ルーツとは何だろうか。劇のテーマである「ボクノフルサト。」ブラジル移民百周年の意味が、今回、ブラジルで公演する必然性を余儀なくされていたのだろう。
 ブラジル滞在も残りわずかとなっていた。

 【9月7日(日)】

 百年前、ブラジル移民が始まった時に笠戸丸が到着したサントス港に行った。小山さんには忙しい中、同行してもらって恐縮するばかりである。残念ながら笠戸丸が着いた14番埠頭に立ち入ることができなかったが、港にある貨物列車のレールや古い倉庫を眺めると、ここは歴史のある国際的な港だとわかる。劇のことを考えると感慨無量になる。と同時に、ブラジルに着いてからの温かく迎えてくれた方々の顔を思い浮かべると、この恩返しはやはり劇でしかない!と気持ちが強くなる。
 熊本の若手寄せ集めのユニット劇団ではあるが、劇や歴史に対する想像力と熱いパワーをブラジルで公演することで実のあるものへつながっていくだろう。
 101年へのスタートである。未来へ向かってブラジルー日本の若者との交流である。
 サントス港から決意も強くなる。

 【9月8日(月)】

 ブラジル最終日。最後の日に移民記念資料館、サンパウロ新聞などへ出かける。サンパウロではニッケイ新聞社のラウルさんや小山さんたちにはアドバイスやご馳走などを頂き感謝しています。熊本ー日本ーブラジル、多くの方々からの支援やご協力がなければブラジル公演は実現しません。
 さて、帰ってから何から手をつけて行こうか。まずは、やりのこした仕事を片付けなければ!そう思ったとたん、気が重くなる。
 夜の飛行機でサンパウロを飛び立つ。
 皆様、来年の2月の再会を楽しみにしております。

 【9月9日(火)】
 アトランタ着

 【9月10日(水)】

 熊本着。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おかえりなさい (流れ~☆)
2008-09-17 08:38:12
ごあいさつが おくれました。
おかえりなさい

日本では公演なさらないのですか???
その前に・・・ (山南)
2008-09-19 04:14:18
 笠戸丸の前に「夢の下張り~梅川事件'79」(11月)があります。
 笠戸丸の熊本公演は今のところ余裕がありません。
 稽古見学はオープンでいこうと思います。
 一度、熊本の稽古場に遊びに来てください。