山本 宰司 blog 【今日はここまで】 やまもとただし

40歳、経営者。SBI大学院大学生
仕事や社会を通じて見つけたこと、クリアになった考え方、人との出会い、を記しています

◆「自分の人生、こんなはずじゃなかった」なんて思ってません?  その1

2008年06月12日 | 学んだこと
今、SBI大学院大学というネット大学のMBAコースを受講している。
この学校、ちょっと変わったカリキュラムを持っていて、テクニカルな部分よりも人間性にフォーカスしていたりする。「経営者のための学校」を標榜しているのだが、つまるところ
1.スキルだけをいくら積み上げていっても優れた経営者になることは難しい
2.では優れた経営者になるために、スキル以外で不足している要素は?
3.「徳」というものらしい
4.では、徳を育むプログラムをこしらえよう
ということらしい。
というわけで、このコースの「経営人間学科」の科目のひとつである「朱子学」を今学んでいる。

朱子学。1000年ほど前の中国の思想だが、
・自分と社会(自分と宇宙)とが結びついている
・そこにはロジカルな原理がある
・というわけで、自分が正しいことを実践すれば、社会秩序が守られる
といった思想だ。
まだ学び始めなので多少の誤解はあるかもしれないが、まあこのようなものだ。

人間の心の動きや、社会行動は複雑であり、思想や学問の世界でとても説明することができない。よしんばこれを説明できるとても優秀な人がいたとしても、それを皆が理解できるかというと、ちょっと無理ではないかと思う。
アインシュタインの相対性理論は確かに優れた考え方だが、世の中で暮らす人々が「実感として」相対性理論を理解しているかというと、難しいのではないだろうか。
思想というものはそういうものである。いくら極限まで真理に近づいたところで、誰も理解し共感を覚えなければ価値が小さくなってしまう。

その点、この時代の思想はとてもシンプルでわかりやすい。シンプルだということは、詳細な部分はあえて目をつぶっており、アラが見えるのも確かである。
しかし、多くのタスクを抱えている現代人にとって、社会の根源を理解するという気持ちはそれほど強くないし、ほかにも為すべきことはたくさんあるわけである。
つまりは思想というツールは、世の中の動き全部を知るために使うわけではなく、せいぜい自分の頭の中をちょっとだけうまく整頓するために使うようなものである。
であるならば「思想」なんてシンプルであればあるほど良いと思うわけです。
A4の紙を2つの切るのに、ダイヤモンドカッターを持ち出す人はいないでしょう。はさみで十分なわけです。

さて、非常にシンプルな朱子学。
この中でたいへん役に立った考え方に「人間がどのようにできているか」というものがある。
・人間というのは「気質(体)」と「心」があわさってできている
・「死」というのは「気質(体)」と「心」が離れることで、死ぬと体は地に、心は天に還る
・欲求は「気質の性」といい「気質(体)」から生まれる
・「心」から生まれる「本然の性(理性)」が欲求をコントロールする
・「気質の性(欲求)」が勝つ人はみさかいのない人、「本然の性(理性)」が勝つ人は秩序ある人
というものだ。
人間というのは、「体」と「心」から生まれるそれぞれの「性」が戦いを繰り返し、どちらかが勝って、善し悪しにかかわらず何らかの行動となるわけです。
「ケーキが食べたいなあ、でも食べると太っちゃうしなあ」せめぎあっているわけです。

さて、
もし「体」と「心」がせめぎあっても、勝負がつかなかったら、人間はどうなってしまうのでしょうか?
続きは次回。


今日はここまで。

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