山路智恵の絵手紙ブログ

絵手紙をかき続けて25年。
山路智恵の絵手紙や創作風景、
日々の出来事などをご紹介します。

清真大寺へ

2005年09月30日 | Weblog
今日もドシャ降り。靴下までビショビショ。ズボンの裾を絞るほど。寒くて息が白かった。
清真大寺は唐の天宝元年(742)創建と伝えられる陝西省最大のイスラム寺院。西安には5万人ほどのイスラム教徒が住むと言われ、毎日5回の礼拝には多くの信者が訪れる。約1万3000〓の境内には、メッカに向かって礼拝出来るように、東に入口があり、東西に長い。1000人が同時に礼拝出来る大殿や今回私が描いた二層八角の省心楼など、中国とイスラム様式の特徴を備えた青い瑠璃瓦の建物が立ち、1988年に国の重点文物に指定されている。
13時頃からの礼拝に雨の中多くの男性信者が集まり、アホン(宗教指導者)の号令が響き渡っていた。私が描いた清真大寺に女性信者は入れないが、女性のイスラム寺院は別にあり、逆にそこには男性信者、観光客は入れないらしい。


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陝西歴史博物館へ

2005年09月29日 | Weblog
5日間、雨が続いている。今日は特に大降りで寒い。
歴史博物館は、収蔵分物37万点。約3000点が常時展示されており、ひと通り見るだけでも時間がかかる。時代ごとに変化があるので面白かった。
許可していただいて、館内にある漢代の小ぶりな兵馬俑を描いた。秦代の兵馬俑とは、また違う趣き。戦う軍隊というよりは守りの軍隊。顔はみんな同じような形で生々しさや鋭さはない。薄暗い館内で色を塗るのは大変だったが、良い場所だった。警備の方がずっと後ろに付いていて下さったので、ありがたかった。

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西安碑林博物館へ

2005年09月28日 | Weblog
石碑が林立し、その迫力には圧倒される。今日は拓本の展覧会の開幕式が行なわれていたので、それを見学。「何処で描いてもいいよ」と言われていたが、担当者には通じていないし、開幕式に来ていた偉い人にも注意され、この旅の疲れがドッと出た。肩身の狭い思いをしながら、冷たい石の上で描くのは辛い。みんなで肩を落として帰ってきた。

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西安城壁を描く

2005年09月27日 | Weblog
今日も朝から雨。城壁の上に登ると強い風が吹いていて、かなり寒い1日だった。雨の当たらない場所を見つけて、9時から6時半まで、西の城門楼(安定門)を向かいの建物の回廊から見て描いた。
西門はシルクロードの出発点で、昔ここで西へ旅立つ人の送別会を行なったという。
あんまり体が冷えたので、夜はイスラム教の人が食べるスープ仕立てのしゃぶしゃぶを食べて帰ってきた。

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雨降り

2005年09月26日 | Weblog
今日は朝から止みそうにない雨が降っていたので、あまり外には出なかった。雨が降るとかなり寒い。風邪をひかないように気をつけよう。
昨日骨董市で買ってきた器など描きながら、これまでの旅を振り返って休息。
洗濯などゆっくり出来た。カラッと乾かないので水泳用の絞っては使えるタオルが大活躍。半乾きでも諦めて着ている。
明日は晴れてくれるだろう。

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朝は骨董市から

2005年09月25日 | Weblog
日曜日の早朝開かれている八仙宮の骨董市で農家さんが出している、まさしく掘り出し物を探しに行った。言い値の10分の1近く安くなることもある。外国人は高めなので、一緒に行った現地の人に地元の言葉で値切ってもらった。安いものしか買えないが、雰囲気が楽しい。
午前中は興教寺で、玄奘三蔵の舎利塔を描いていると、雨が降ってきたので早めに切り上げた。
午後は香積寺へ。浄土宗の開祖、善導大使の舎利塔がある。とても静かで景色のいい所にあった。
そのあと、すぐ近くにある釣り堀で鯉と鮒を釣った。その場で調理してくれる。スープと焼いてもらったものなどを食べた。少し辛い西安の料理にも慣れてきたが、一緒にご飯が食べたくなる。
雨が降ると肌寒く、厚めの上着が助かる。
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小雁塔を描く

2005年09月24日 | Weblog
小雁塔は、唐の高宗の死後、684年に則天武后が建立した大薦福寺の境内にある。
範陽出身、唐の名僧義浄がインドから持ち帰った教典を翻訳する道場として、西暦706年から728年の間に56部のサンスクリット教典を漢訳したことでも知られている。
唐の開成5年(840)日本の留学僧滋覚大師円仁がこの寺に逗留。円仁は長安に学び、多くの教典を伝えたばかりでなく、帰国後、延暦寺の堂塔を整備し日本の仏教に多大な功績を残した。
インド様式の仏塔で707年~710年の建造。元々15層あったが、明代の地震で今では13層、38メートル。直線的な大雁塔に対し、曲線的な外観が優美な印象を与える。 今日は土曜日。孫を連れて歩くお年寄りや歌の練習に励む人、太極拳をしている人や、鳥かごを持ち寄って話をしている人、のんびりとした光景が広がっていた。雲行きが怪しかったので早めに切り上げたのは正解だった。
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大雁塔を描く

2005年09月23日 | Weblog
よく晴れた1日。逆光で腕が特に日に焼けた。
大雁塔は唐の高僧 玄奘三蔵がインドから持ち帰った教典の保存と翻訳のために建てられた。玄奘三蔵が長い旅をされた唐の時代に思いを馳せて、大唐の都長安の面影を感じながら描いた。味わい深い時間だった。
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西安の西へ

2005年09月22日 | Weblog
西安市内から空港の方へ。唐の高宗と則天武后が眠る『乾陵』、その近くにある洞穴のような民家。乾陵の陪葬墓である『永泰公主墓』、そして『法門寺』を回った。約5時間車で移動。とにかく見所が多い。
道に迷った1時間は、歯が欠けるかと思う位のデコボコ道だった。
夕食後は按摩に行って、これまでの疲れを取ってもらった。1日1日が体力勝負。明日も明るく過ごしたい。

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兵馬俑を描く 5日目

2005年09月21日 | Weblog
通いつめた6日間。今日は最終日。警備の人たちや掃除のおばさんと記念写真を撮って、別れがたい最後だった。トイレやレストランの人も顔を覚えてくれた。兵馬俑と共に、ここで出会った人たちのことを忘れないだろう。「ありがとう」この一言に尽きる。
すぐ傍にある秦始皇帝陵に登って帰ってきた。
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兵馬俑を描く 4日目

2005年09月20日 | Weblog
5日目になると、細かい所まで目に入ってくるようになる。追い続けると見えてくるものがあるのだろう。
見えにくいアングルで描いていたので、立ったり座ったりの全身運動。青くなった膝はチョット触れただけでも痛い。それでも動かされる魅力がある。
明日も兵馬俑へ。
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兵馬俑を描く 3日目

2005年09月19日 | Weblog
警備の人や清掃の方たちとも顔見知りになり、道で会うと声を掛けてくれた。さりげない協力が、身に染みてありがたい。描かせて下さる全ての力に、一生懸命描いている姿で答えよう。
明日も兵馬俑を描く予定。

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兵馬俑を描く 2日目

2005年09月18日 | Weblog
昨日の続きで色づけ。今日も7時朝食、7時半出発。9時スタート。
石の上で描いているので、全身ガクガク。膝当てをしているのに青アザが出来た。砂埃で目もショボショボしている。
全てを飲み込む覚悟がないと描けない場所がある。それが記憶に残ったりするものだ。泥水の汗を流すのもいい。
夕食に餃子の店で色々な種類の餃子と月餅を食べた後、鐘楼の見える広場で中秋の名月を見て帰ってきた。
明日も兵馬俑を描きに行く。

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兵馬俑を描く 1日目

2005年09月17日 | Weblog
兵馬俑坑博物館で大きな和紙にひたすら描いていた。明日も続きを描く予定だ。朝は早いけど、せっかくのチャンス、気合いを入れてがんばるぞぅ!紙が広げられることに感謝。

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兵馬俑坑博物館と華清池を見学

2005年09月16日 | Weblog
西安東郊外へ。市内から車で1時間半移動。
兵馬俑坑博物館は発掘現場の跡をそのままドーム状の屋根で覆って公開。坑は全部で3つあり、身長178~187〓の兵士と馬の俑数千体が迫ってくる。秦の始皇帝の権力の大きさを実感した。明日から描かせていただけることになり、全てを注ぎ込んで、この驚き、感動を伝えたい。
帰りに立ち寄った華清池は、玄宗皇帝と楊貴妃が毎年冬を過ごした温泉地。今も温泉が湧き出ている。また1936年の西安事変の舞台としても知られており、蒋介石が滞在していた五間庁には弾の跡が残っていた。
タイムスリップするにも幅があり、何処へ飛んでいくかドキドキする。明日も飛んでいこう!

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