今日はデッカイ話をしようと思う。
無限大に彼方があるのだろうか?
という感じ。
ね
デッカイでしょう??
ここネブラスカにいると、いつも頭上にはでかい空が僕らを見据えている。その空を見上げ、そのでっかさに驚き、自分の小ささを実感させられるけれど、もっと大きなものを考えると、このネブラスカのでかい空でさえも小さなものになってしまう。そんな風に考えると何だか不思議な感じで、その想像が自分の想像力の届かない所にまで及ぶのか、何だかおぼろげで形が定まらないものになってしまう。
先セメ、ASTRONOMYの授業を取っていて、そのテスト勉強をしていた時、改めて宇宙のでっかさとか言うか、人間の小ささというか、そういうものに気付かされた。こんな宇宙とか取り上げて、何ロマンチストを気取っているのかとか思われるかもしれないが、たまにはいいかなと思ったので、今回はこれで行きたいと思います。
僕らからすればこの地球さえもでっかくて、想像しがたいものなのにその何千倍、何億倍もの存在が僕らの見えないところに存在しているのだ。それらの存在は僕らが生まれる、いや人間が生まれる何十億年も前から当たり前のように存在している。
ビックバンとか言う爆発で生まれたくずが集まって、僕らの銀河を作り、僕らの地球を作った。今、立っているこの大地は地球の一部であって、その地球は太陽系の一部であって、その太陽系は銀河の一部であって、その銀河は宇宙の小さな小さな一部なのだ。しかもその銀河は数え切れない程に存在していて、それらの全ては宇宙というとてつもなくでっかい存在に囲まれているのだ。
正直、このでっかい存在は分からない事だらけ、僕らにはすでに分かっている事さえも分からない事だらけなのに、さらに分からない事だらけだったら、もうこの世界にはどれだけの分からない事が存在するのかという事さえ分からなくなってくる。
極端に考えたら、この世界は分からない事だらけなんだから、宇宙人がいたっておかしくないかも知れない。全く信じていない人からしてみれば、何を馬鹿な事を言ってんだとか思うかもしれないけど、いるんじゃないかなと思ってみたら、それはそれで面白い。別に襲ってこなかったら、それでいいのだ。宇宙人まで取り出してよく分からないところにまで話が及んでしまったけど、要は、この世界はでっかすぎて分からない事だらけなんだから、想像でもして楽しもうじゃないかって事・・・かな。
今、この瞬間に地球から何百光年離れた一つの惑星では、僕らとは姿が違うものが時を刻んでいるかもしれないのだ。もしかしたら、ある惑星では地球で起きた世界大戦みたいな事を繰り広げているかもしれないし、ある他の惑星ではどこか近くの惑星に着陸して星を上げて熱狂している最中かもしれない。また別の惑星では地球の存在を発見して、人間という生き物を監視して調査している最中なのかもしれない、そして人間に近い生き物が存在し、地球と同じような歴史を過去に残してきている星もあるかもしれない。そこには自分と同じような性格をして、自分と同じようなことを経験して、自分と同じような人生を送っている生物がもしかしたらいるのかもしれないのだ。
僕らは今、この全宇宙で生き物が存在しているホシは、ここ地球だけであると思っているが、それは僕らに分かっている範囲では地球だけという事で、僕らが分かる範囲の限界を表しているものなのだ。僕らは想像する事しか出来ない事を、どこかの惑星では実現している、こんな星が想像出来ないほどでっかい宇宙に存在してもおかしくないと思うのである。
だって、一光年は光が一年かけて進む距離とかいわれてもどのくらい遠いのかなんて想像しがたい。夜空を指差されて、「あの星の輝きは100年前に輝いた光が今、地球に届いてる」とかいわれると、「あ、そうなんだ・・・」としか返せそうにない。だって、光が進む速度なんて僕らの環境の中じゃあ、最高に早いものの一つに分類されるだろうし、正直その光の速さだって、どのくらい早く進んでいるかなんて想像できない。実際、光は進んでいると想像する事さえ危うい。
でも、地球のように生き物を誕生させる為にはあらゆる条件を必要として、それらが誕生するのはほとんど奇跡に近いとなんかの本で読んだ事がある。地球がもし少しでもでかかったり、小さかったりしたら、今のような地球は存在してなかったかもしれないし、地球が太陽にもう少し近かったら、もう少し遠かったら同じように今のような地球は存在していなかったかもしれないらしい。その地球の失敗例とも言えるのが火星や金星なんじゃないかと思う。火星なんか時に生き物の存在が期待されていたし、現に水が存在していたとされている。でも、そこは地球のようにはならなかった。いや、なれなかった。
こう考えると、今自分たちが存在していること自体が相当な奇跡で、スッゲー事なのかも知れないな。そんな地球みたいな星が、僕らの想像をはるかに超えるでかさを持つ宇宙に存在しているんだろうか?
自分の意見としては存在していて欲しい。だって、もし「生き物がいる星なんて地球以外存在していない!」なんて断言してしまったら、僕らのイマジネーションに区切りが付けられてしまうみたいで何だか面白くなくなってしまう。
でっかい事を考えると、それに答えようと自分もでかい想像力を持とうとする。だけど、僕らの想像力の限界を超えてしまっているその存在は、最終的には不明瞭で形が定まらず、答えなんて全くでない形で終わるのだ。そして、最終的には自分の小さな小さな悩み事とか明日の予定とかに考えが移ってしまう。いつもそんなもんだ。
夜、晴れた日にふと空見れば、満天の星。
そう、そこにはでっかい宇宙が広がっているのだ。
無限大に彼方があるのだろうか?
という感じ。
ね
デッカイでしょう??
ここネブラスカにいると、いつも頭上にはでかい空が僕らを見据えている。その空を見上げ、そのでっかさに驚き、自分の小ささを実感させられるけれど、もっと大きなものを考えると、このネブラスカのでかい空でさえも小さなものになってしまう。そんな風に考えると何だか不思議な感じで、その想像が自分の想像力の届かない所にまで及ぶのか、何だかおぼろげで形が定まらないものになってしまう。
先セメ、ASTRONOMYの授業を取っていて、そのテスト勉強をしていた時、改めて宇宙のでっかさとか言うか、人間の小ささというか、そういうものに気付かされた。こんな宇宙とか取り上げて、何ロマンチストを気取っているのかとか思われるかもしれないが、たまにはいいかなと思ったので、今回はこれで行きたいと思います。
僕らからすればこの地球さえもでっかくて、想像しがたいものなのにその何千倍、何億倍もの存在が僕らの見えないところに存在しているのだ。それらの存在は僕らが生まれる、いや人間が生まれる何十億年も前から当たり前のように存在している。
ビックバンとか言う爆発で生まれたくずが集まって、僕らの銀河を作り、僕らの地球を作った。今、立っているこの大地は地球の一部であって、その地球は太陽系の一部であって、その太陽系は銀河の一部であって、その銀河は宇宙の小さな小さな一部なのだ。しかもその銀河は数え切れない程に存在していて、それらの全ては宇宙というとてつもなくでっかい存在に囲まれているのだ。
正直、このでっかい存在は分からない事だらけ、僕らにはすでに分かっている事さえも分からない事だらけなのに、さらに分からない事だらけだったら、もうこの世界にはどれだけの分からない事が存在するのかという事さえ分からなくなってくる。
極端に考えたら、この世界は分からない事だらけなんだから、宇宙人がいたっておかしくないかも知れない。全く信じていない人からしてみれば、何を馬鹿な事を言ってんだとか思うかもしれないけど、いるんじゃないかなと思ってみたら、それはそれで面白い。別に襲ってこなかったら、それでいいのだ。宇宙人まで取り出してよく分からないところにまで話が及んでしまったけど、要は、この世界はでっかすぎて分からない事だらけなんだから、想像でもして楽しもうじゃないかって事・・・かな。
今、この瞬間に地球から何百光年離れた一つの惑星では、僕らとは姿が違うものが時を刻んでいるかもしれないのだ。もしかしたら、ある惑星では地球で起きた世界大戦みたいな事を繰り広げているかもしれないし、ある他の惑星ではどこか近くの惑星に着陸して星を上げて熱狂している最中かもしれない。また別の惑星では地球の存在を発見して、人間という生き物を監視して調査している最中なのかもしれない、そして人間に近い生き物が存在し、地球と同じような歴史を過去に残してきている星もあるかもしれない。そこには自分と同じような性格をして、自分と同じようなことを経験して、自分と同じような人生を送っている生物がもしかしたらいるのかもしれないのだ。
僕らは今、この全宇宙で生き物が存在しているホシは、ここ地球だけであると思っているが、それは僕らに分かっている範囲では地球だけという事で、僕らが分かる範囲の限界を表しているものなのだ。僕らは想像する事しか出来ない事を、どこかの惑星では実現している、こんな星が想像出来ないほどでっかい宇宙に存在してもおかしくないと思うのである。
だって、一光年は光が一年かけて進む距離とかいわれてもどのくらい遠いのかなんて想像しがたい。夜空を指差されて、「あの星の輝きは100年前に輝いた光が今、地球に届いてる」とかいわれると、「あ、そうなんだ・・・」としか返せそうにない。だって、光が進む速度なんて僕らの環境の中じゃあ、最高に早いものの一つに分類されるだろうし、正直その光の速さだって、どのくらい早く進んでいるかなんて想像できない。実際、光は進んでいると想像する事さえ危うい。
でも、地球のように生き物を誕生させる為にはあらゆる条件を必要として、それらが誕生するのはほとんど奇跡に近いとなんかの本で読んだ事がある。地球がもし少しでもでかかったり、小さかったりしたら、今のような地球は存在してなかったかもしれないし、地球が太陽にもう少し近かったら、もう少し遠かったら同じように今のような地球は存在していなかったかもしれないらしい。その地球の失敗例とも言えるのが火星や金星なんじゃないかと思う。火星なんか時に生き物の存在が期待されていたし、現に水が存在していたとされている。でも、そこは地球のようにはならなかった。いや、なれなかった。
こう考えると、今自分たちが存在していること自体が相当な奇跡で、スッゲー事なのかも知れないな。そんな地球みたいな星が、僕らの想像をはるかに超えるでかさを持つ宇宙に存在しているんだろうか?
自分の意見としては存在していて欲しい。だって、もし「生き物がいる星なんて地球以外存在していない!」なんて断言してしまったら、僕らのイマジネーションに区切りが付けられてしまうみたいで何だか面白くなくなってしまう。
でっかい事を考えると、それに答えようと自分もでかい想像力を持とうとする。だけど、僕らの想像力の限界を超えてしまっているその存在は、最終的には不明瞭で形が定まらず、答えなんて全くでない形で終わるのだ。そして、最終的には自分の小さな小さな悩み事とか明日の予定とかに考えが移ってしまう。いつもそんなもんだ。
夜、晴れた日にふと空見れば、満天の星。
そう、そこにはでっかい宇宙が広がっているのだ。