Paradox Box

意味は持たないが韻を持つ題名を持つブログ。

食文化

2005年02月27日 | Weblog
グルメ大国日本

このグルメ大国日本の創始者はなんとあの福沢諭吉らしいですよ。なんでも明治初期、魚しか食べなかった日本人に「肉食のすすめ」を唱え、日本に牛肉を普及させ、さらに福沢諭吉本人が発行していた新聞に日本で始めて「何にしようね」という題名のレシピを掲載させていたらしいのです。そしてさらに福沢諭吉がグルメだったと証明させる事は、当時政府が行った東京の学食ランキングで福沢諭吉の慶応義塾大学が学習院大学に一位を奪われた時、その結果に怒った福沢諭吉はすぐに西洋人の料理人を呼び寄せ、学食にビーフステーキをださせたらしい。すごいっすね。

そして今では、

世界のおいしい料理を集め、時にはそれらをさらにおいしく、そして日本人の舌に合う様に作り練られた料理が集まる日本グルメ大国、
そして色々な国から、さまざまな食材を輸入し、豚や牛そして鳥にもこだわった穀物などを与え食材自体にもおいしさを求める日本グルメ大国、
グルメ番組が人気を集める日本グルメ大国、
そして世界からも食べ物がおいしい国として認められている日本グルメ大国に成長しました。

こう考えると、そんな日本から来た留学生が、マクドナルドやケンタッキーを生んだファーストフード大国のアメリカに来て、満足出来ないのも仕方がないと思えるのです。

ファーストフード大国アメリカ

アメリカではファーストフードを食べない日がないんじゃないかと、アメリカにいてつくづく思います。もちろんもっと都会の方に行けば、おいしいレストランが並んでると思うし、おいしい料理も多く見られると思うけど、やっぱアメリカとファーストフードは切って離せられないんじゃないでしょうか。こんな小さな町にも少なくとも10軒以上のファーストフード店が点在しているし、普通のレストランにもハンバーガーやフライドポテトがメニューの一つに並ぶ。さらにはカフェにもピザやハンバーガーそしてポテトが並び、ファーストフードを選択肢から外そうとすると、他の選択肢がかなり狭まれてしまう。だから、極端に言えばファーストフードを食べるか、自分で作るしかないとも言えるんじゃないでしょうか?!

お菓子も甘いか酸っぱいかどちらかのものが多く、おいしいお菓子を見つけるとなんだかうれしかったりする。アメリカのこういう食品でいいところは量が多くて日本より安い所かな。ファーストフードでも当てはめられると思うけど、その本場のファーストフードも日本の方がおいしいんじゃないかな、なんて気もするし・・・

そんな毎日のように食っていて、いまさらダイエットコークだのダイエットペプシなどってただの気休めにしかならないんじゃないかと思う。日本食をもっと広めれば、ずっと健康になれるし、中年になってもそこまで肥満に悩ませないんじゃないかなあ。おいしいしね!

でもやはり、アメリカの深刻な問題の一つは肥満らしく、その原因の一つはファーストフード。「Super Size Me」って言うドキュメンタリー映画で、マクドナルドのビックマックセットを30日間食べ続けるって言うやつがあったけど、結果的に体脂肪率は11パーセント増加、肝臓はフォアグラのように肥大し、コレステロール値は危険領域の225に突入したらしい。
三人の医者からは「こんなバカげた実験を続ければお前は死ぬ。私は医者として協力できない」と怒られる結果に・・・。そしてアメリカでは「肥満の原因はファーストフードの責任だ!!」という訴訟が増えたらしく、2004年3月10日に肥満の責任をファーストフード業者に求める訴訟を禁止する“チーズバーガー法案”が米下院で可決したらしいです。

そしてテレビでもダイエットのリアリティー番組がいくつもあるし、ジュースや食べ物はLow Fatの商品をどんどん送り込む。ダイエット法も次々と移り変わって、炭水化物を摂らないダイエット法がはやって、多くのファーストフード店ではタコスみたいな薄い生地で具をはさんだ、ケンタッキーのツイスターのようなものを急遽メニューに加えたりしていた。だけど、そのダイエット法も下火になって来ていて、今では新しいダイエット法を模索しているそうです。(そんだったら、日本料理ダイエット法とかそういうのを流行らして、おいしい日本料理の店をもっと増やしてください。)

国連経済社会局の世界人口予測2004年版では、日本は2050年も世界一の長寿国の地位を保ち、社会の高齢化が一段と進むらしい。グルメ大国日本とファーストフード大国アメリカ。こう比べてみると、やっぱりこの世界一の長寿国の基盤には食文化が大きな支えとしてあると思うのです。

勘違い男と盗人女

2005年02月25日 | Weblog
6月も下旬。TOKYO CITYは連日の猛暑。建物を一歩外に出ただけで強い日差しと照り返しに襲われ、湿った熱い空気が即座に体を包み込む。そんな中、外に出たとたん不快指数は予報通りぐんぐんと上がる。

だから皆、出来ることなら外になんか出たくないんだ。でもただのバイトの身、チーフに仕事を言い渡されたら出ないわけにはいかない。だからぶらぶらしながらたまに接客をしているパートのおばさん達を尻目に、不快指数が立ち込めるデパートの裏側へと足を踏み込んだ。不快と冷涼、この境界線は押すだけで越えられてしまう。


チーフから与えられた仕事は箱の中に入った商品の品分けと、その箱の解体。目の前に高く積まれたその箱を見上げて、これは相当の時間、不快を抱く事を覚悟した。

この仕事は場所を取るから邪魔にならないスロープの下でやるように言われたので、箱の山が詰まれた台車をおして、少しの移動。スロープでは商品をぶちまけそうになった。スロープからゆるい坂になるので少し余計に力が必要になるのだ。この不快指数を多く含んだ熱気はそんな単純なことさえ忘れさせた。

だが、いざスロープ下に着いても、自分が思っていたスロープの下は歩道に当たってしまう。ここはちょっと機転を利かせて、通行人の邪魔にならないように搬入口でやることにする。
でも内心は「トラックが商品を搬入しに来たらどうすればいいんだろうと」と心配の種を抱えていた。しかし、スロープの下って言うのは、そこしか知らないので、しょうがなくそこでやる事に決めた。

これが勘違い男が盗人女に出会うキッカケ。それは勘違い男の勘違いがもたらしたキッカケ。


「離してよ!」

女の高い声が響き渡った。勘違い男はそつ無くこなしていた仕事を無意識に止め、声の方に目をやった。そこには若い女と、中年女。言い換えれば、盗人女とスーパーウーマン。

万引きGメン

よくニュースの特集コーナーで目にするけれど、実際には見た事がなかった。でも、それは当たり前。普通の買い物客の格好をしたおばさんが万引き犯にただ目を光らせているんだから。それは一種のスパーマンのようなもので、普段は普通の人に紛れ込み、悪が現れた時だけ登場し、悪をやっつける。だからスーパーウーマンなのだ。


テレビの中の光景がモザイク無しでリアルに繰り広げられる今の状況に、暑く湿った気候が汗の玉を増やし続けている事も、いくつかの汗の玉から生じた滴が頬を流れた事も、そして不快指数が消えていく事も気付かずにいた。

勘違い男の見つめる先にいる盗人女は警備室に入れられるのを叫び拒んでいた。得体の知れない闇に恐れ逃げ出す少女のように、そこから何度も逃げようと試みた。

だけど、結局闇に呑み込まれていった。

勘違い男はそれを見届け、自分の本当のリアルに戻っていく。今の男のリアルは不快指数を全身で受け止め、汗を纏いながらの品分けだ。


数十分後、パトカーが到着した。そこから現れた二人の警官が沈んだ女の腕を持ち、パトカーに押し込んだ。女は泣いているがわめきはしない、自分のリアルの重さに押し黙らされたのだろうか。この時、勘違い男は盗人女のリアルにどっぷり浸かる、傍観者。

勘違い男が漬かっていた女のリアルはパトカーとともに遠ざかり消えていく。そしてここにあるのは自分のリアル、勘違いをしている自分のリアル。


勘違い男に中年男が険しい顔をして近づいてきた。

「もうすぐ、トラックが来るから早くどいてくれないか。そもそもなんで君はこんな所で、品分けをしているんだ」

「チーフにスロープ下でやれって言われたから・・・」

「君、それはここじゃなくて、ずっと向こうの倉庫の前だよ」

勘違い男のリアルはチーフの意味するスロープとは違うスロープで人の邪魔をしながらも、気付かずただ言われた事をやる。不快指数に包まれながらも、汗を流しながらも。

でも、テレビのリアルをこの目で見たんだ。

列の法則

2005年02月21日 | Weblog
人間が100メートルの長さの列に一人ずつきちんと同じ方向に真っ直ぐ並んだとして、もし一番前の人が5センチずれただけでも、それに合わせて一列にきちんと並ぼうとしたら、最後尾の人は最前列の人の何十倍も移動しなければならない。

これを踏まえて考えたら、一人の小さな変化や行動が、世界に大きな影響を及ぼすほどの変化を生む事もあるかもしれない。

理科の実験での事件

2005年02月19日 | Weblog
一番後ろの一番窓側のテーブル。そこが4人で理科の実験をする場所。
いつも何かしゃべっていてあまり協力しないけど楽しい前田さん。その前田さんに合わせてよく喋っているけど、時には真面目にがんばる広瀬さん。このお喋りの二人を尻目に真面目に頑張る班のまとめ役の山根君、そして最後にこれを書いている人。これが理科班4人組。
この4人の目線の先にはこの日の実験の主役。透明なカップに入った二つの透明な薬品。先生の説明によると、“原液では危険な液体を水で薄めてあるモノ”らしい。


その二つのうち右側にあるカップに入った液体を舐めてみろとの指令が先生から言い渡された。でも、その液体については“原液では危険な液体を水で薄めてあるモノ”しか説明されてなくて、誰もが「塩酸かも?」みたいな不安を抱いたのか一番最初に舐めたがらないので、そこは公平にジャンケン。

負けたのは、二番目にお喋りな、広瀬さん。中学生のガキにはまだ「ここは男から」みたいな精神は備わってなかったんすね。ジャンケン通り、一番最初に彼女は恐る恐る指をカップに突っ込んで、ペロッて舐めていました。その間、残る3人は「本当に大丈夫なの?ノドが解けたりしないの?火サスみたいにノド押さえながら倒れるんじゃないの?」的に不安と緊張が混ざって間抜けな表情で見てたと思います。

しかし、当然何かある訳も無く、ちょっと味わった後に一応うがいをして実験終了。緊張が解けたのか、ガハハって笑いながら感想を交えたお喋り。その勢いで、後に続き、残る3人も同じようにやりましたよ。すくって、ペロッて、うがいを。


続いてAnother Oneっす。これまた、ジャンケンで決めました。負けたのは一番真面目な山根君。もう二つ目なので、全く緊張せず、どんな風に舐めるのか、この真面目少年がどんな反応をしてくれるのかちょっと期待して、まじまじ見てたんですよ。そんな真面目少年は味わった後こう言いました。

「うーん、なんかポカリみたいな味がする」

薬品がポカリ?!って三人でちょっと驚いてみたり、これ本当にポカリなんじゃねって思ってみたり、ちょっと期待をこめて続けて3人が舐めました。

ん?あれ?なんか口の中がちょっとヌルヌルするや、しかも全然ポカリの味なんかしねーって、みんなすぐに水道の所に行って、何回かうがいをしてました。そしてもうOkだろうと思いクルッて振り返って、席に戻ろうとしたら、他の班の我がクラスメート+理科担当の教師が静まり返り、さらにちょっと引いた感じで全員が三人を見てました。

でもってこっちは大混乱。あれなんでみんな揃ってそんなにこっちを見てんの?もう実験終わったの?って。


少したって、その静けさを破った理科担当の教師が

「だ、誰がそっちも舐めていいって言った?」だって。

まあ、そりゃー誰もそんな事言ってないけどさ


二つカップが置かれて一つに舐める実験をしたんだから、もう一つも舐めると思っちゃうよね?

ポカリとか言われたら好奇心が沸いちゃうよね??

あ、あのヌルヌルッてお口がちょっと解けてたのかな???

あれれ・・・


僕たち理科班4人組は体を溶かす薬品をうっかりして舐めちゃったらしいです。

舐めてもいいのは、二つのうち一つだけですか、そんでもって、もう一つは絶対舐めちゃいけなかったんですか。

・・・・・そんな勘違いしてしまう事、始からちゃんと言って下さい!そして同じように置かないで下さい!

まあ、危険だけど、すぐうがいしてたから大丈夫って言ってたしいいか・・・?

記憶の旅

2005年02月17日 | Weblog
あのアニメを見た瞬間、あの歌を聴いた瞬間、そしてあの絵本を見た瞬間、幼児期の自分にトリップしたような気分になったりしませんか?

幼い時に大好きで何度も何度も見たアニメ、聞いた歌、そして「読んで」とねだった絵本。そういうものに触れた瞬間、その頃の情景や思い出が頭の中にぽっかりと浮かんでくる、そんな感じ。

例えば、テレビで言えばアンパンマンや、ドラえもん、サザエさんとか。自分の場合、アンパンマンは確かに好きでよく見ていたけど、ストーリーの展開が結構ワンパターンだから、あの天丼マンの「♪テンテン ドンドン テン ドンドン♪」という耳に残るやつ位しか記憶にないっすねえ。もちろん、アンパーンチとかバイバイキーンとかは抜かしてですよ。

そしてドラえもんは漫画が図書館にあったのでよく読んでいて大好きだったけれど、アニメは母親が「有り得ない」の一言で片付けてしまい、見る事はなかったっすね。

しかし、うちの親は分かってないですね、漫画なのだから有り得なくて全然いいんです。ドラえもんにリアリティーを求めてしまった時点で、ドラえもんを否定するしかなくなります。だって、なんかで聞いた事あるけど、あのドラえもんの道具の中でかなり有名な“タケコプター”をもし現実世界に置き換えて考えたら、頭だけが飛んで行ってしまうらしいですよ。

・・・・・こわっ!!頭だけが空を飛んでいってしまうんですよ!まるで恐怖映画だよ・・・。
こんな風に夢を壊してしまうんだから、いて欲しいっていう願望だけで止めておかないと!!


さて、では自分の中で一番幼い頃に戻してくれるモノの一つあげると、それはズバリ「ウゴウゴ・ルーガ」です!知ってますか?もう随分前に終了してしまったけど、あれは自分の中でかなり印象に残っているテレビ番組ですね。男の子と女の子が曜日ごとに違うキャラクターがいる部屋に訪れて、お話したりするんだけど、そのそれぞれのキャラクターや途中にあるミニコーナーとかが大好きでした。

それで一年位前に街角の小さな古本屋に「ウゴウゴルーガ」の本があったんで、パラパラ見てみたら、あの毎日時間になるとテレビの前でじっと座ってみていた小学生の頃の自分が目に浮かびました。その自分を思い出して、その店を出た時にはなんかとても新鮮な気持ちになりました。

みなさんも子供の時の自分に戻る記憶の旅を、幼い自分が夢中になったモノを通してしてみるのもいいと思いますよ。

一文字の力

2005年02月16日 | Weblog
音楽を聴くのは大好きです。だからたまにCDを買ったりするけれど、あまり歌詞カードとか見ないんですよね。でもすごく好きな歌になると見てみるんです。そうすると、沢山の間違えが発見されるんですが、その一つにこんなのがありました。

HYの最新のアルバム「TRUNK」。その最新アルバムをよく聞いている時、どの曲かは忘れたけれど、とても興味深い歌詞が耳に入ってきたんですよ。

♪探し物はもういい 見つけた事があるから~♪

なんか、矛盾したような文だけど、どことなく良くないですか??
我武者羅に探し物をしなくても、いつかきっと見つかるから、その時までゆっくりしよう。だって、前にもちゃんとみつかったんだから。とか色々な解釈が出来ませんかね?!

その曲を聴くたびに、「あー、面白い歌詞だなあー」って感心して聴いていたから、ちょっと歌を覚えたくなって歌詞カードを見たんですよ。
そしたら、♪探し物はもういい 見つけた事があるから~♪ではなくて、

♪探し物はもういい 見つけたい事があるから~♪

だったんですよ!!これはこれでもちろん素晴らしい歌詞だと思うけど、今まで間違って聞いていて、しかもその歌詞に対して色々な解釈をして感心していた自分がちょっと恥ずかしくなりました・・・

改めてよく聞いたら“い”の部分がとても早くて歌われていて、意識したら聞こえるかなくらいでした。しかし、このたった一文字“い”が入るだけで、文ってこんなにも変わるものなんですね。改めて、言葉の奥深さを実感いたしました!

東京大都会に独りの田舎もん

2005年02月14日 | Weblog
それは六月、小雨が降って少し肌寒い日、東京大都会の片隅、途方に暮れた田舎ものが一人、寂しく立っていた。・・・まあ、その田舎もんってのは自分っす。自分は東京出身だけど、大都会の東京じゃなくて、田舎の方の東京が故郷なんです。眠らない街東京だけど、もう10時過ぎると我が故郷の街は眠っています。道路の真ん中を走っても、死ぬことは無いと思います。そりゃ東京にも山や森や村はあるわけで、決して23区だけが東京じゃないのですよ。ニューヨークだってマンハッタンだけがニューヨークじゃないのと同じです。
だから新宿まで行くのに電車に1時間は揺られなくては行けないので、そうちょくちょくは行かないから、久しぶりに行けば迷うこともありますよね?

高校の時、部活で千代田に行ったんです。当然周りはビルだらけで、地図を見なきゃ目的地にたどり着ける訳がありません。行きは駅にみんなで待ち合わせて行ったので、迷うことは無かったけど、昼休みに昼ごはんをコンビニで買おうと思い、先輩に場所を聞いたら、右に行けばすぐにコンビニがあるといわれたので、素直に右に行きました。

でも、すぐ着くって言っていたのにいっこうに現れないのですよ、コンビニが!しかもその日は雨が降っていたから、もうちょっと違う道を探す為に道路の横断をしようと思って、それに地下道を利用したんです。それが間違いでしたね。自分はただ道路を横断しようとしていただけなのに、出た所は全くどこだか分からないデパートの一階。「おいおい、道路の反対側って歩道じゃあなかったのかよ」ってな感じで頭は大パニック。もう一度同じ所に戻ろうとしたけれどどうやって来たかも分からない。地下道はまるで蜘蛛の巣のような迷路。だからしょうがなく外に出て見えるビルを目印に帰ろうとしました。ある意味賭けの様な感じで行く方向を決めて進み出しました。

地上に出た所から大分離れた所に来た時にやっと発見しましたよ、コンビニを!都会にしかないampmを!「ああ、先輩が行っていたコンビ二はここの事か」って、そんなことあるわけ無いわな。右に行けばすぐ着くって言われただけで、そのコンビニにたどり着いたのなら自分は目をつぶっていてもどこにも行けちゃうかも。

まあ、そこのコンビニにひとまず寄って、帰ることを再開しました。でも、歩いていくとなんだか辺りには隠れ名店みたいな料亭や、居酒屋、民家と大分こじんまりした建物がどんどん増えていくのです。これはまずい、明らかに違うやと思い、ひとまず大通りを目指しました。賭けに完全に負けましたね。多分、真逆だったんでしょうね・・・

ただ自分は来た場所に戻りたいだけなのに、もう自分がどこにいるのかも分からずキョロキョロしながら探し歩いていると、目の前に日本の政治の中心が現れましたよ。ドーンて感じに。そう国会議事堂です。「あららぁ・・・」ちょっとコンビニへのつもりが国会議事堂かあ。その時、国会議事堂を眺めながらちょっと呆然としたのを今でも覚えていますね。

もうどの方向に歩いたらいいのか分からず、途方に暮れながらただ闇雲に歩きました。もうこのまま一生迷い続けるのかもとか、置いて帰られてしまうとかで、だんだん焦っていった時、目の前に駅があったんです。これが救いでしたね。その駅で電車に乗って、降りた駅に向えばいいんだからさ!早速乗ると、駅を2つ分ほど離れた場所まで歩いたのが判明しました・・・

戻るとさすがにみんな心配してくれていました。まあ、とても近いコンビニに行ったはずが2,3時間も帰ってこないんだもんなあ。そして後で分かったんですが、右に行くのではなく、左に行けば10メートルもかからない所にありましたよ、コンビニ。そこに行った時、いやいやいや、近すぎ!って感じでした。あの東京大砂漠を彷徨い歩いた自分のアドベンチャーは一体なんだったんだろう・・・はぁ。

言葉が世界を形作る

2005年02月12日 | Weblog
およそ一ヶ月と半月前の2004年12月26日、スマトラ沖で想像も出来ないような大勢の人を犠牲にしたTUNAMI(津波)が発生しました。その死者および不明者の数は一月三十一日に三十万二千人を超えたそうです。今いるアメリカから見れば地球の裏側で起きた災害、その事件発生から一ヶ月半以上も過ぎ、次第にメディアの露出度も減り、過去の災害になりつつありますが、まだ多くの人たちが津波の影響で生活に支障をきたしている生活をしています。この大災害、津波の多い日本で生まれた自分たちには決して人事ではない災害だと思います。

そんなこれからも歴史に残るような大災害が2004年の最後に発生しました。だけど、この大災害のニュースを見ていて一つの疑問が自分の中に浮かびました。こういう大災害が起きた時は大体英語や災害が起きた現地の言葉が使われると思っていたけれど、何故TUNAMI(津波)と日本語が世界の共通語としてこの災害に使われているのか。単純に、津波の多い日本から世界に広がったと考えられるけれど、なんだかそれだけじゃあ、物足りない気がするのです。

そもそも津波というこの言葉は「港(水深が低いところ)で急に高くなる波」という意味で、昔、港を“津”と呼んでいた事から、“津波”という言葉が生まれたらしいです。そして昔からあったこの言葉をハワイに移住した日本人が、ハワイの海で起きる高波を見て、“津波”という言葉を使った事から世界に広まったといわれています。

そして、さら詳しく知るために、ここでとっても有名らしいスイスの言語学者ソシュールが登場するのである。ソシュールという人が書いた「一般言語学講義」という本にはこの疑問に「あぁ、そういう事ね」と解決に導いてくれるような事が書いてありました。その本で彼が語っていることは「言葉によって名づけられる前に物や観念は存在しない」という事。つまり「津波という言葉があって初めて津波がわかるように、言葉があって初めて世界が分かる」という事。
私たちは、まず物理的対象が実在的に存在していて、それに言葉のラベルを貼り付けている。だから津波という言葉もまず津で高くなる波があって、そしてそれに津波というラベルを貼ったという事になる。しかし、もし「津波」という言葉がなかったら“津で高くなる波”はただの波という世界しかなくなってしまう。波の世界が先にあるのではなくて、津波、白波、荒波などの言葉が波の世界を切り分けているという事になる。

ここで以前「偉大は偉大」というコラムで書いた本の例を参考にしてみると、まず日本人に二つの違う種類の弁当を見せると、日本人は「こっちはほか弁で、違う方はノリ弁」と答えられるだろうが、アメリカ人に見せてもそれは両方ともただの“Lunch Box”に他なら無い。それはアメリカ人にはほか弁やのりべんという言葉の概念が無いからであって、日本人にはそれがある。つまり弁当の世界は日本人の方が広いと言えるのである。

このことから分かるように、津波が起こらない地域はやっぱり当然のようにその言葉の世界を持ってない。でも津波がよくおきる日本は津波という言葉の世界を昔から持っていたから、その世界が必要になった日本以外の国がこの言葉を採用したと言えると思います。世界を分節化、そして認識するには言葉のラベルを貼る必要がある。だから言葉が世界を広げるといえるんじゃないでしょうか。

そして、この“言葉が広がることで、世界が広がる”という考えに一番よく共感できるのは留学生なんじゃないかと思うんです。日頃から、日本語だったらうまく伝えられるのにと思ったり、もっと英語がうまかったらなとか思ったりしませんか?もしそうおもったなら、それが言葉が世界を形作るという考えを感じた時だと思います。だって言葉を知らないから、気持ちが伝えられなかった。もし言葉を知っていたら、確実にその時よりは世界は広いと思います。そう考えると、私たちは世界を広げる絶好のチャンスに恵まれているとも言えると思います。それは言葉の面でも、文化の面でも。言葉が広いと、世界も広がる、そして自分の可能性も、自分自身も広げられる。自分たちは今それを求めてアメリカに来たと言えるのかもしれませんね。


小は大を兼ねない

2005年02月11日 | Weblog
何でもない無い一日、その間にも地球は一秒に30キロのスピードで動いているわけで、そんなことは全く感じてない自分たちがいる。

やっぱでっかいんだな、地球って。


地球は西暦2005年現在知られている唯一の知的生命体の確認されている惑星で、そこには知的生命体特有の生活がある。実際には、『生命』と定義される存在が確認されている唯一の宇宙の地域である。


らしい。地球よりもかなりでかい宇宙、実際はどうなんでしょうか?

マン to ホーム

2005年02月09日 | Weblog
電車、それはただ人を目的地から目的地まで運ぶもの。そのためだけに、人間の手によって作られたもの。
それには意思は無いが、動かす人間と、利用する人間にはそれぞれの意思があり、ドラマがある、そんな人間を一つに集めて、それぞれの目的地に送り、そして帰してあげるもの、そんなものであるともいえると思います。


自分が電車を学校に行く為に利用した時、横に立つその人は始めて新しい会社へと出勤する為に利用して、前で座るその人は始めて授かる孫に会いに行く途中かもしれない

自分が遊びから帰る為に利用した時、横で寝ているその人は上司から無理やり飲みにつき合わされたその帰りに利用して、前で手すりにもたれるその人は彼氏と無理やり別れた帰りかもしれない

自分が電車を渡米する為に利用した時、横に座るその人は息子をアメリカに送り出すために利用して、前に立つその人は何年か振りに会う娘を迎えに行く途中かもしれない


ある日、ある時の満員電車、自分を囲む人間はそれぞれの思いを持って乗っている。そしてもちろん自分も持っている。そんな人々が一つに集まり、決まった場所に放出される。それぞれの場所に行く為に。

時に、人は電車に終わりを求めてそれに飛び込む。その人だけの過去の貴重な経験と、その人だけの未来の貴重な経験を捨てさせるほどに辛く苦しい思いを持つ人が止めた電車。そこには妻の出産に立ち会う為に乗る人やこれから生きる為に病院に向う人、そんな人たちが乗っているかもしれない


ただの乗り物、それが電車。それぞれの思いを持つもの、それが人間。ただの乗り物が私たちにとっては様様な人生が交錯する一つの空間とも言えるのかもしれない。


怪奇!地面から生える男!

2005年02月07日 | Weblog
ある日、授業の前の儀式を終えて、座った瞬間、みんな一斉に英語の眉毛を毎日整えなきゃ二日で眉毛が一本になってしまうなんとか先生に質問しました。一斉に質問されてちょっと驚いたその先生は「いや~、参ったなあ。もうみんな知ってんの?」っておでこをポリポリ掻きながら恥ずかしそうにしてました。でも、恥ずかしそうにしながら、内心は話したいんだろうなって言うのがよく見て取れました。

なんでも、それは前日のちょうど夕陽が沈んで辺りが暗くなってきた時の事、そのなんとか先生は帰宅の途につこうと学校裏を車に向って歩いていたらしいんです。学校裏だから、そこはもっと暗くて足元は見えない状態だったらしい。「はー、暗いなあ、お化けでないかなあ」とか言ってたか知りませんが、いつも歩いていた道だからいつも通り歩いていたら、なんとそのなんとか先生、マンホールに落ちてしまったらしい!それを急に世界が陥没した!みたいに例えてたけど、あなたが落ちていったのですからとかみんな突っ込んでたと思いますね。原因は、彼がそこを通る前にそこを通った車がちょうどずれていたマンホールの端の部分だけ踏んで行った為に、蓋が開いてしまったらしい。ナイスタイミング!ですね。

よく漫画とかで穴とかに落ちていくと「あれー」とかいいながら万歳の姿勢でわざとっぽく落ちていくけど、実際は火事場の馬鹿力というかなんと言うかとっさに脇を開いて、「ハァッ」って落ちないように体を支えたらしいです。・・・でも、万歳で落ちてくれた方が面白かったのに。

それでその先生は両腕だけで全体重を支えているために、だんだん疲れて体が下がっていったらしく、もう駄目だ~って思った瞬間前から他の先生が乗った車がやってきて、それで助かったらしいです。・・・でも本当はそのまま落ちてくれた方が面白かったのにって思いました。

でもですよ、よく考えてみたらその発見した先生からしてみたら、道路から突然人間が生えてるようなもんなんですよね。自分がそれを見たらかなり驚きますね。道路から体半分だけ出して、しかも顔は力を入れているからかなり怖い顔、そしてちょっとうわずった声で「助けて~」なんて言われたら、速攻で逃げますね。うん。多分、何年か後には学校七不思議とかになってるかもしれないや。“怪奇!この世に復活したゾンビ男 出れずにもがいて助けを求める”みたいな感じで。あれ、なんかワイドショーのタイトルみたい・・・

                  
                   マンホール
              
                  マン   ホール
             
                  マン in ホール
             
                  満  員 ホーム

     ・・・・・・ってことで次回は電車でのことについて書きたいと思います!!

動物虐待?!

2005年02月05日 | Weblog
ただ風を感じて欲しかっただけで、殴ろうなんて全く思ってなかったんっすよ。

小学生の時、飼っていた鳥を出して遊んでいた時の事。鳥かごの横にあったのはハエ叩き。ピュアな小学生は決して殴ろうなんて思ってはなく、ただビュンビュンそれを振ってたんすよ。思いっきり振れば振るほど大きな音が出て、風が起きる。
ここですね、ここの発見がピュアな小学生を好奇心旺盛な小悪魔に変えてしまったんすね。
   
   鳥だったらもっと強く風を感じるはず!!

こう思ってしまったら、実行に移さずにはいられない好奇心の塊と化した子悪魔は、「どう?風を感じる??!!」と鳥の頭の上でハエ叩きをブンブン振ってたんす。でも、鳥が返事をするわけもなく、羽がめくれるのを楽しんでたんよね。まあ、「ああ、お前が起こす風をこの身に感じるぜ~」みたいに答えられた方が怖いですがね。っていうか、そんなん御祓いもん。いや、投稿もんだな。

しかしイカンですな無反応は、なんだか何事も無い様に見えてきてしまう。だから、もう一回もう一回ってやって行くうちに、もうちょっと近く、もうちょっと近くってどんどんハエ叩きと鳥の距離が縮まって行ったんです。案の定、5,6回目で我が家の一番かわいがっていた愛鳥の頭を思いっきりパシーンって殴っちゃいました。ごめんなさい。その愛鳥からしてみれば、凡人が猪木に気合を入れられる以上に気合を入れられたと思います・・・。言い換えれば、気合の度を超して暴行の域に達していたという事ですかね。それを証明するかのように、愛鳥は頭からかごの下に落ちていきました・・・・・。さすがに、自分もその光景に「殺っちまった!!」と思って、ハエ叩きを投げ捨て、鳥を見に行くとふらふらしていました。とにかく生きていた事にはホッとしたけど、これはやばいとかなり焦って、大事にいたわって、鳥の回復を待ちました。もしかしたら頭に大きなダメージが残るかもしれない?!みたいな事も思ったけど、それからちゃんと回復して殴ってきた相手にも擦り寄ってきたので一安心でした。本当にかわいい、ピュアなやつ。それから後遺症も何もなかったけど、自分の体よりも大きいものにパシンとはたかれる。あれはかなり痛かっただろうなあ。本当にごめんなさい。


さて、次回はちょっと違う感じでまた鳥について書きたいと思います。

今、日本が熱い!

2005年02月03日 | Weblog
よくテレビとか見ていて思うんですが、今アメリカでは結構日本がブームなんじゃあないんですかね。日本の韓流までは行かないまでも、日本の文化や日本のエンターティメントなど見る機会が多いと思うんです。

まず映画。去年、一昨年と公開された「ラストサムライ」、「ロスト・イン・トランスレーション」、「キル・ビル」と日本を舞台にしたこれらの映画が記憶に新しいと思うが、今年の暮れには「SAYURI」が公開される。これは日本の芸者を描いた話になるんだけど、主役の3人の芸者はみんな中国人とかで、ちょっと納得いかない。やっぱ日本人を使ってほしかったです。でも、まあ日本人としては公開が楽しみですが。あと、「The Ring」が日本の「リング」をリメイクして大ヒット、今年の3月くらいには本家日本の「リング」の監督が監督した2が公開予定!そして去年公開され、こちらも大ヒットして続編の製作が決定した「The GRADGE(呪怨)」。アメリカ人には幽霊版のジェイソンとかみたいで結構うけたんじゃないでしょうか?!キャーキャー言ってたし、そういうの好物そうだし。しかし、やっぱり「リング」はすごいと思います。日本のJホラーを確立しただけでなく、アメリカのホラーの傾向まで変えてしまった気がします。「リング」以降お化け系のホラーが増えたように思うんです、「The GRADGE(呪怨)」もその一つじゃないんでしょうか。さらにホラーだけでなくコメディー映画もリメイクされていて、リチャード・ギアやジェニファー・ロペスが出演していた「Shall we dance?」なんかがそれです。大ヒットまでは行かなかったけど、人気はあったと思います。これらのほかにも、日本映画のリメイクがぞくぞく登場!「生きる」や「灰暗い水の底から」、「カオス」、「回路」などなどなど。。。

次は音楽面。よくMTVとか見てて、日本語が聞こえてきたりしませんか?!もう沢山の人が知ってると思うけど、No Doubtというバンドから今ソロでアルバムを出しているGwen Stefaniという女性アーティスト、このGwen Stefaniって人、タイトルにそのまま「Harajuku Girls」って言う曲もあるくらい、原宿などにいる個性的なファッションをする人たちをリスペクトしているらしいです。ライブやPVなどでは必ず日本人のバックダンサーを4人従えているし(彼女らの名前も「Harajuku Girls」らしいです)、そのリスペクト度の高さがうかがえる程よく歌詞にも登場します。同時に日本も結構好きっぽいです。歌詞に日本語が登場するし、                               

♪I can't wait to go back into Japan Gimme lots of brand new fans Osaka, Tokyo・・・♪

という歌詞もあるくらい。しかも「愛、天使、音楽、ベイビー」と日本語がキャッチコピーに使われているんです。なんかこっちもこの歌手に好感持ててきませんか?!原宿ガールではないけどさ・・・
さらに他のアーティストのPVにも、歌舞伎絵や習字の掛け軸とかがあったりとチョコチョコ日本が見受けられます。そして、日本のアーティストのPUFFYも映画のエンディングテーマになったり、アメリカでアニメになったり、CDが出たり。自分的にはPUFFYがアメリカで人気者になるなんて結構意外でした。Utadaは・・・思ったより売れませんでしたね。結構期待してたんだけどなあ・・・
ちょっとこれは大分昔の話なんだけど、ピンクレディーって結構アメリカで人気あったんですね?!日本にいた時に見た「金スマ」という番組でやってたけど、アメリカで看板番組をやって、その視聴率が27%(多分)ですよ!すごいです。ぶっちゃけ、アメリカデビューしたってのは知ってたけど、売れずに帰ってきたと思ってたんでびっくりしました。いや~、この数字はすごいね。うん。でも、それから色々あって、日本に帰ってきちゃったらしいけど、かなーーーーーりもったいない気がしました。

そしてアニメ、漫画!これはやっぱり外せませんな。日本はアニメ、漫画部門では世界一位といっても過言ではないんじゃあないんでしょうか。確かに、CGアニメではアメリカの方が優れてるかもしれませんが、普通のアニメはやっぱり日本だと思います。今はどうなのか分からないけど、昔「ポケモン」がすごい人気があったし、「遊戯王」だってよくテレビや雑誌で見ます。「AKIRA」というアニメ映画は今でも人気があるらしいし、宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」はアカデミー賞を受賞しました。日本アニメのDVDも棚の一角を占領するほどあるし、深夜には「鋼の錬金術師」、「犬夜叉」そして「ルパン三世」などがしょっちゅうやってますね。しかし、なんで日本のアニメはあまり昼間やゴールデンタイムにやらないのでしょうか?自分の中での有力な仮説は“日本のアニメを昼間やゴールデンタイムにやってしまうと、日本のアニメの方が人気が出てアメリカのアニメーターの仕事がなくなってしまうから”じゃあないでしょうか。まあ、あくまでも自分の仮説ですがね。
そして、漫画も本屋の1コーナーを占領するほど置かれています。アメコミよりも多いんじゃないかと思うほどです。でも値段が高いですね。まあ、アメコミも日本で買うとかなーり高いから、多分それと同じでしょうね。1000円以上するもんなあ。小さい頃、あの薄さなので丸を一つ見落としていて、レジでびっくりしたことがありますよ。丸一つも間違えたのははずかったです・・・もちろんキャンセルしました!
さらに本屋ではアメリカ版のジャンプやアニメ雑誌なんかも並んでますね。ロスとかその辺では日本のようにコスプレ大会なんかも開かれてるらしいですよ!アニメや漫画はアメリカだけじゃなく、もう世界で人気があると言えますね。

長々と書きましたがこの他にも、テレビでは「トリビアの泉」や「風雲たけし場」って言うのがやってたりするし、日本語(中国語?)の刺青が入ってる人や、服や帽子に漢字がプリントしてある人なども見られます。
こうやって見てみると、アメリカの中で日本の文化が結構浸透していると思えるんじゃないでしょうか、これを機会に日本のステレオタイプである芸者、侍、忍者、腹切り、相撲とかだけじゃなく日本のいい所を沢山知って欲しいです。なんかの記事で読んだのですが日本の文化は新しい近代的な部分と、日本の伝統的な文化がちょうどよく調和されているのでカッコいいらしいですよ。日本は世界のいい所を盗んで高度成長してきたらしく、まねしか出来ないといわれた時代もあったらしいけど、今はその世界のいい所を見習う日本の姿勢が見習われて、カッコいいといわれる時代になったのかもしれませんね。

この世界は本物か?!

2005年02月01日 | Weblog
もし今信じていることが事実でないのだとしたら、どうしますか?
もし今笑ってありえないと言い切っている事が事実だとしたら、どうしますか?





どうもしない。
うん、多分そういう人もいると思いますがそれも一つの選択ですね。いいと思います。でも、多分多くの人がそんな事あり得ないと思い込んでいる事実を否定して、今信じているモノを真実だと信じ続けるんじゃないでしょうか。例えば、ある日突然知らない人が怖い顔して「信じてくれ、俺は宇宙人と交信できるんだ!」なんて言ってきたら、当然のようにその人の頭の中を疑ってしまうんじゃないでしょうか?そしてこの人とは関わらない方がいいと判断してそそくさとその場を立ち去る。でももし未来で、マジで普通に交信できるようになっていて、未来人が上の話を聞いたら、こっちの方が頭がおかしいと思われてしまうかもしれない。

大昔の人は、地球はお盆のような形をしていて沖の方に行き過ぎてしまうと、そのまま奈落の底に落ちてしまうと本気で思ってたらしいです。今から考えるとまさに「ありえねー、そんなんディズニーの世界だろ」とか思ってしまうかもしれません。でも球体だって知らなかったら、普通に生きてて球体だなんて想像できない気もしますよね。
そして、500ほど前までは、まだ本気で地球が中心で太陽が地球の周りを回っているという天動説がその頃の当たり前だった。だけどもし現代人がこんなこと言ったら本気で引かれて、アホのレッテルを貼られかねません。「あのこ、地球が中心で、太陽とかが地球の周りを回ってると思ってたらしいわよ。いやねー、太陽が月の様に地球の周りを回ってたら地球なんて溶けてしまうわよねー」とか近所のおばさんの井戸端会議のネタにされかねませんね。しかし、これもよく考えてみると、知らなかったら普通はここが動いているだなんて思えないですよね。

こんな風に普通が普通じゃないなんて事は今の世の中にもあるかもしれないわけで、もしかしたら時間と一緒でこの地球も宇宙も神様も全て頭が作り出した想像でしかなかったりなんかして・・・・・う~ん、哲学の世界ですな。