Essay-15 10/29 支持率
10月18日に行われた、第3回目の大統領選討論会も終わり、いよいよ11月8日の、選挙戦を待つばかりになった。 この3回,総ての討論会でクリントンの勝利という評価で終わり、支持率の差も、4%から更に広がり一部報道では、12%の差がついたとのこと。これではもう勝負あったといわねばならない。両候補の執拗な個人攻撃に終始した討論会だったが、二桁の差を聞くに至っては、もうこれ以上のスキャンダラスな個人攻撃は聞きたくない。えげつないという言葉があるが、アメリカ人も辟易としているだろう。尤もこの支持率については、以前から違和感を感じている。もともと支持率とは一つの統計理論から出された数字に過ぎないが、出てくる数字にかなり差がある。アメリカのTV局の数字でも、両候補の支持率の差が、下は4% から 上は8%が差あり、3回目の討論後は最大12%の差が生じたTV局と、いやまだ4~5%だと主張する局もある。
日本においても、第2次安倍政権の支持率ではTV局4社の数字が最大16%の差が生じたこともある。 同じ方法で無作為に抽出した人々の賛成、反対を数字化する作業で、どうしてこのような差が出るのかわからない。アメリカの場合、各州により、共和党、民主等の識別が大きく、仮に州ごとの支持率であれば、かなりの差が生じることも理解できる。A局は民主党寄り、B局は共和党寄りだから、出てくる数字もそれが影響されているともっともらしい批評もある。 仮にそれが正しいとすれば、マスコミによる操作だが、それは許されないだろう。いずれにしても、その影響はすこぶる大きい。どちらか迷っている有権者にとり、最終的な投票の決定に支持率は大きな影響を与えるからだ。尤も反骨精神のある人は、かえってその支持率に反対投票する人もあるかもしれないが。 とにかくその影響は大きく、マスコミの意向(操作)が入っていることは、許されない。あまり気にしないようにするものの、数字は頭に残っている。
今後は予想どうりクリントンが勝利をするだろう。そして世界で一番実力を有するアメリカ大統領が誕生するのである。それでいいのだろうか? 納得できない人も多いだろう。8年前にオバマが選出された時、個々の問題点を指摘された事はあった。しかしオバマの人間性を疑う一般市民はほとんど見られなかった。しかしクリントンはどうだろう。彼女の信頼性に、(?)を投げかける国民が多いという不思議な大統領になるわけで、その先の運営に興味が持たれる。拒否権という絶大な天下の宝刀をもち、名実共に世界の将来をを牽引する立場にある人間である。深い洞察力とともに、何より大きな徳性を感じさせる人であらねばならない。人間性を疑われる大統領に、世界がついて行くのだろうか?
ひるがって、日本の総理大臣はどうだろう。2007年から毎年新しい総理大臣が、2年生に進級する事もなく、交代していった。安倍、福田、麻生、鳩山、官、野田。そして安倍政権の再浮上。当時、日本の総理大臣の名前を知っているアメリカ人が何人いただろう。尤もそういう不安定の政治の中においても、日本の政治が転覆することも無く続いていったということは、日本がそれほど安心、安全な国にであるとの証明なのかもしれない。今3年以上続く安部政権に多くの国民にがほっとしている。少しでも永く安倍政権が続いてほしい.. と思っているのは私だけであろうか。
さて、アメリカの大統領選は直接その大統領の名前で選挙され、各州ごとの選挙人の獲得数により決定されるが、一般市民の民意が反映され、その後の市民生活に大きな影響を与えることは確かだ。30年近いアメリカ生活を通じて、大統領の力の大きさ、そしてその影響力の大きさを大いに感じさせられた。従って市民の熱意も相当なもので,皆良く勉強している。 日本の場合はどうだろう、仮に自民党の小泉進次郎を総理大臣になってほしいと思っても、それ相当の年月と、それ相当の階段をのぼらなければならない。最低でも何度かの大臣経験が必要であり、党3役の一つでも経験したものが、到達しうる最後のポストなのである。しかし新次郎の時が来たと思ったとしても、その時の自民党政権が人気が無ければ、他党に持っていかれる。実に天の配剤がなせる業なのである。 小泉進次郎は若くそして弁舌さわやかな政治家で、その将来に期待しうる人物だと思う。政治学、経済学、国際学、その他等等、そして政治の世界の韜晦術を学ばねばならない。その韜晦術に慣れて、人間が練れてくるという人もいるが、その間にいい加減な妥協の人にならないでほしい。 血と涙、そしてなにより人情の人であってほしい。徳の人であらねばならないのはいうまでも無い。
10月18日に行われた、第3回目の大統領選討論会も終わり、いよいよ11月8日の、選挙戦を待つばかりになった。 この3回,総ての討論会でクリントンの勝利という評価で終わり、支持率の差も、4%から更に広がり一部報道では、12%の差がついたとのこと。これではもう勝負あったといわねばならない。両候補の執拗な個人攻撃に終始した討論会だったが、二桁の差を聞くに至っては、もうこれ以上のスキャンダラスな個人攻撃は聞きたくない。えげつないという言葉があるが、アメリカ人も辟易としているだろう。尤もこの支持率については、以前から違和感を感じている。もともと支持率とは一つの統計理論から出された数字に過ぎないが、出てくる数字にかなり差がある。アメリカのTV局の数字でも、両候補の支持率の差が、下は4% から 上は8%が差あり、3回目の討論後は最大12%の差が生じたTV局と、いやまだ4~5%だと主張する局もある。
日本においても、第2次安倍政権の支持率ではTV局4社の数字が最大16%の差が生じたこともある。 同じ方法で無作為に抽出した人々の賛成、反対を数字化する作業で、どうしてこのような差が出るのかわからない。アメリカの場合、各州により、共和党、民主等の識別が大きく、仮に州ごとの支持率であれば、かなりの差が生じることも理解できる。A局は民主党寄り、B局は共和党寄りだから、出てくる数字もそれが影響されているともっともらしい批評もある。 仮にそれが正しいとすれば、マスコミによる操作だが、それは許されないだろう。いずれにしても、その影響はすこぶる大きい。どちらか迷っている有権者にとり、最終的な投票の決定に支持率は大きな影響を与えるからだ。尤も反骨精神のある人は、かえってその支持率に反対投票する人もあるかもしれないが。 とにかくその影響は大きく、マスコミの意向(操作)が入っていることは、許されない。あまり気にしないようにするものの、数字は頭に残っている。
今後は予想どうりクリントンが勝利をするだろう。そして世界で一番実力を有するアメリカ大統領が誕生するのである。それでいいのだろうか? 納得できない人も多いだろう。8年前にオバマが選出された時、個々の問題点を指摘された事はあった。しかしオバマの人間性を疑う一般市民はほとんど見られなかった。しかしクリントンはどうだろう。彼女の信頼性に、(?)を投げかける国民が多いという不思議な大統領になるわけで、その先の運営に興味が持たれる。拒否権という絶大な天下の宝刀をもち、名実共に世界の将来をを牽引する立場にある人間である。深い洞察力とともに、何より大きな徳性を感じさせる人であらねばならない。人間性を疑われる大統領に、世界がついて行くのだろうか?
ひるがって、日本の総理大臣はどうだろう。2007年から毎年新しい総理大臣が、2年生に進級する事もなく、交代していった。安倍、福田、麻生、鳩山、官、野田。そして安倍政権の再浮上。当時、日本の総理大臣の名前を知っているアメリカ人が何人いただろう。尤もそういう不安定の政治の中においても、日本の政治が転覆することも無く続いていったということは、日本がそれほど安心、安全な国にであるとの証明なのかもしれない。今3年以上続く安部政権に多くの国民にがほっとしている。少しでも永く安倍政権が続いてほしい.. と思っているのは私だけであろうか。
さて、アメリカの大統領選は直接その大統領の名前で選挙され、各州ごとの選挙人の獲得数により決定されるが、一般市民の民意が反映され、その後の市民生活に大きな影響を与えることは確かだ。30年近いアメリカ生活を通じて、大統領の力の大きさ、そしてその影響力の大きさを大いに感じさせられた。従って市民の熱意も相当なもので,皆良く勉強している。 日本の場合はどうだろう、仮に自民党の小泉進次郎を総理大臣になってほしいと思っても、それ相当の年月と、それ相当の階段をのぼらなければならない。最低でも何度かの大臣経験が必要であり、党3役の一つでも経験したものが、到達しうる最後のポストなのである。しかし新次郎の時が来たと思ったとしても、その時の自民党政権が人気が無ければ、他党に持っていかれる。実に天の配剤がなせる業なのである。 小泉進次郎は若くそして弁舌さわやかな政治家で、その将来に期待しうる人物だと思う。政治学、経済学、国際学、その他等等、そして政治の世界の韜晦術を学ばねばならない。その韜晦術に慣れて、人間が練れてくるという人もいるが、その間にいい加減な妥協の人にならないでほしい。 血と涙、そしてなにより人情の人であってほしい。徳の人であらねばならないのはいうまでも無い。