Essay-31 6/24/2017 父の日
先週日曜日(18日)は父の日であった。毎年この日は、子供たちの招待でどこかに行くか、家でBBQをすることにしている。この習慣が出来てずいぶん久しい。特に子供達が働き出してからは、 彼らの招待を受け続けている。申し訳ない気がしてしようがない。母の日には当然、同じように子供たちが話あって、お祝いしている。子供たちが自立(経済的に)してない時でも、花やカードは用意されていた。有り難いことである。 私が小さかった当時、日本では何もしなかった。 まだ 日本が貧しかったころで、その日に特別に祝うという事は、まずなかったと思う。まして父の日にお祝いをしようなんて風習はまずなかった。と記憶している。大きくなって、母の日にカーネーションを送るぐらいではなかったか? それも定かではない だから今でもこそばい気がする。
さて、18日は近くのAngeles 球場に招待してくれた。12時37分開始という事で、11時半に家をでて、途中スーパーで昼食用の食べ物、酒のつまみを買っていった。球場には10分で着くが、近い駐車場の券もあったので、試合が終わって込み合うことを考えずに駐車できた。4人で座席に着いたのは、1回表がはじまる直前だった。 因み私達夫婦、長男、次女の4人である。座席に着くと長男、次女がビールを抱えてきてくれた。年を取るという事は有り難いものである。昔は子供達を抱いて座席を探し、そしてホットドッグを買いに出かけ、右往左往したものだが、今は何もせずに座っていればよいのだ。
Back net 裏の非常に見やすい座席だったが、日差しの強いのには閉口した。2回の攻防が終わり、最初のビールがなくなったころ、球場の一番上の座席が、まだ空いていたので、そこに家族4人で避暑した。 これは正解だった。勿論選手は小さく見え、迫力は欠けるが、この涼しさにはかなわない。その後、試合終了まで、ゆっくり足を伸ばして観戦できた。
試合は、Angelsが7-3で、負けたが、日本人がいないチーム、どちらを応援することもなく、ただ面白い試合を見たいだけである。Angeles がなぜ日本人選手を取らないのかと不思議でる。あくまで戦力的に見合う選手を予算の中でというのが方針だろう。しかし、 このオレンジカウンティ―も約3万以上の日本人が結構いる。因みにロスには10万と聞く。 一人位、日本人選手をとっても、採算は合うとおもうのだが。ずいぶん前に、長谷川投手、そして一時期、松井がAngelesで、プレーをしていた。晩年の松井で、あまり活躍はしなかった。 正直言って客引きパンダのように感じて、みるのもつらかった。 ある試合で、先発選手の発表があり、レフト松井のコールがあった時、私の前の座ったメキシコ人家族からブーイングの声が聞こえた。彼らは、Angelesの帽子にAngelesの上着を着ていたにもかかわらずである。その日は家内と二人だったが、さすがに寂しい思いをした。
さて試合が終わり、家に帰ってシャワーを浴びたのが、夕方5時。まだ外はカンカン照りである。 最初はこの後外食しようと言っていたが、疲れるから止めようとの声もあり、我が家で鉄板焼きをすることにした。BBQは裏庭に出るので暑いからやめようということになった。 因みにBBQの場合、前日にサイト、 網などを洗い、裏庭にははだしで出てもいいように、水を流しておく。そんな準備は私の仕事だ。 アメリカに来て30年、最初のBBQから、私が担当になっている。 買い物はやらない。それは、家内の担当だ。
しかし外でのBBQをしなくて正解だった。 球場では日陰にいたものの、12時半から4時すぎまでいたため、かなりの直射日光にあったっていたためであろうか、シャワーを浴びて、横になった後はすぐ、1時間ほど眠っていた。その後鉄板焼きが始まったが、私は疲れたと言い、料理はしないと宣言した。今回は珍しく、次女が肉を焼いてくれた。楽でいい。そして上手かった。鉄板焼きが終わってからは、二人が買ってくれたケーキである。 腹いっぱいで食べられないところだが、デザートは別腹だと思う。昔は甘いものは殆どだめだったが、60歳ぐらいか食べられるようになった。 酒を控えるようになって以来、口寂しく甘いものをつまむようになってから、嗜好がかわったようである。その日の夜、二人はそれぞれ帰っていった。その時には私はTVの前で眠っていた。毎度のことである。
翌日、サニーベールにすむ、長女からカードが送られてきた。孫の写真同封であった。これで家族全員がそろったことになる。 毎年こんな形で祝ってくれるのである。
さて、話は変わるが、長女に昨年11月に子供が出来た。我々夫婦にとっては、初孫である。もうすぐ7か月になる。これが実に可愛い。 長女夫婦が2月に赤ちゃんを連れて我が家に帰ってきた、その時は3週間いたが、自分で不思議なほど、この子がかわいいのである。散歩もよく連れて行った。
彼らが返ってからは、ほとんど毎日連絡が入る。それにFacetimeで連絡するので、孫が動き、泣き、笑い、飲む姿がみられるのである。 その可愛い事。笑い声がたまらない。毎日長女が電話してくれおかげで、孫の様子を見ることが最大の楽しみで、そのあとゆっくり寝ることが出来る。まるで孫が寝酒に代わったようである。
私の3人の子供は、私が、香港、日本、アメリカにいる時にそれぞれ生まれた。しかし考えてみると、当時は家族を養うために、仕事、仕事の連続だった。我が家に帰っている時だけ、子供たちを可愛がるていどであり、子育ては家内に丸投げであった。家族を養うことが、第一目標であり、他のことは言い方は悪いが2の次になる。気が回らなかったのである。いいわけではないが、世の父親とはそんな者ではないか? 尤も仕事を言い訳の飲み会もあったが。 そして今私は殆ど引退している。外に出回ることもほぼ無くなった。 それに、子供たちは独立してそれぞれ立派に生活しているので心配らしき物はない。それ故に、孫にかかわる時間はいくらでも有るのである。
孫の生活面を含め心配事は長女夫婦にまかせればよい。幸い二人とも元気にはたらいており、経済的にも余裕のある生活をしているので、これも心配ない。孫を可愛がりたい時だけ好きなだけ時間をかけることができる。今はとても恵まれた環境にあるといえよう。
年を取るということは有りがたいことである。
先週日曜日(18日)は父の日であった。毎年この日は、子供たちの招待でどこかに行くか、家でBBQをすることにしている。この習慣が出来てずいぶん久しい。特に子供達が働き出してからは、 彼らの招待を受け続けている。申し訳ない気がしてしようがない。母の日には当然、同じように子供たちが話あって、お祝いしている。子供たちが自立(経済的に)してない時でも、花やカードは用意されていた。有り難いことである。 私が小さかった当時、日本では何もしなかった。 まだ 日本が貧しかったころで、その日に特別に祝うという事は、まずなかったと思う。まして父の日にお祝いをしようなんて風習はまずなかった。と記憶している。大きくなって、母の日にカーネーションを送るぐらいではなかったか? それも定かではない だから今でもこそばい気がする。
さて、18日は近くのAngeles 球場に招待してくれた。12時37分開始という事で、11時半に家をでて、途中スーパーで昼食用の食べ物、酒のつまみを買っていった。球場には10分で着くが、近い駐車場の券もあったので、試合が終わって込み合うことを考えずに駐車できた。4人で座席に着いたのは、1回表がはじまる直前だった。 因み私達夫婦、長男、次女の4人である。座席に着くと長男、次女がビールを抱えてきてくれた。年を取るという事は有り難いものである。昔は子供達を抱いて座席を探し、そしてホットドッグを買いに出かけ、右往左往したものだが、今は何もせずに座っていればよいのだ。
Back net 裏の非常に見やすい座席だったが、日差しの強いのには閉口した。2回の攻防が終わり、最初のビールがなくなったころ、球場の一番上の座席が、まだ空いていたので、そこに家族4人で避暑した。 これは正解だった。勿論選手は小さく見え、迫力は欠けるが、この涼しさにはかなわない。その後、試合終了まで、ゆっくり足を伸ばして観戦できた。
試合は、Angelsが7-3で、負けたが、日本人がいないチーム、どちらを応援することもなく、ただ面白い試合を見たいだけである。Angeles がなぜ日本人選手を取らないのかと不思議でる。あくまで戦力的に見合う選手を予算の中でというのが方針だろう。しかし、 このオレンジカウンティ―も約3万以上の日本人が結構いる。因みにロスには10万と聞く。 一人位、日本人選手をとっても、採算は合うとおもうのだが。ずいぶん前に、長谷川投手、そして一時期、松井がAngelesで、プレーをしていた。晩年の松井で、あまり活躍はしなかった。 正直言って客引きパンダのように感じて、みるのもつらかった。 ある試合で、先発選手の発表があり、レフト松井のコールがあった時、私の前の座ったメキシコ人家族からブーイングの声が聞こえた。彼らは、Angelesの帽子にAngelesの上着を着ていたにもかかわらずである。その日は家内と二人だったが、さすがに寂しい思いをした。
さて試合が終わり、家に帰ってシャワーを浴びたのが、夕方5時。まだ外はカンカン照りである。 最初はこの後外食しようと言っていたが、疲れるから止めようとの声もあり、我が家で鉄板焼きをすることにした。BBQは裏庭に出るので暑いからやめようということになった。 因みにBBQの場合、前日にサイト、 網などを洗い、裏庭にははだしで出てもいいように、水を流しておく。そんな準備は私の仕事だ。 アメリカに来て30年、最初のBBQから、私が担当になっている。 買い物はやらない。それは、家内の担当だ。
しかし外でのBBQをしなくて正解だった。 球場では日陰にいたものの、12時半から4時すぎまでいたため、かなりの直射日光にあったっていたためであろうか、シャワーを浴びて、横になった後はすぐ、1時間ほど眠っていた。その後鉄板焼きが始まったが、私は疲れたと言い、料理はしないと宣言した。今回は珍しく、次女が肉を焼いてくれた。楽でいい。そして上手かった。鉄板焼きが終わってからは、二人が買ってくれたケーキである。 腹いっぱいで食べられないところだが、デザートは別腹だと思う。昔は甘いものは殆どだめだったが、60歳ぐらいか食べられるようになった。 酒を控えるようになって以来、口寂しく甘いものをつまむようになってから、嗜好がかわったようである。その日の夜、二人はそれぞれ帰っていった。その時には私はTVの前で眠っていた。毎度のことである。
翌日、サニーベールにすむ、長女からカードが送られてきた。孫の写真同封であった。これで家族全員がそろったことになる。 毎年こんな形で祝ってくれるのである。
さて、話は変わるが、長女に昨年11月に子供が出来た。我々夫婦にとっては、初孫である。もうすぐ7か月になる。これが実に可愛い。 長女夫婦が2月に赤ちゃんを連れて我が家に帰ってきた、その時は3週間いたが、自分で不思議なほど、この子がかわいいのである。散歩もよく連れて行った。
彼らが返ってからは、ほとんど毎日連絡が入る。それにFacetimeで連絡するので、孫が動き、泣き、笑い、飲む姿がみられるのである。 その可愛い事。笑い声がたまらない。毎日長女が電話してくれおかげで、孫の様子を見ることが最大の楽しみで、そのあとゆっくり寝ることが出来る。まるで孫が寝酒に代わったようである。
私の3人の子供は、私が、香港、日本、アメリカにいる時にそれぞれ生まれた。しかし考えてみると、当時は家族を養うために、仕事、仕事の連続だった。我が家に帰っている時だけ、子供たちを可愛がるていどであり、子育ては家内に丸投げであった。家族を養うことが、第一目標であり、他のことは言い方は悪いが2の次になる。気が回らなかったのである。いいわけではないが、世の父親とはそんな者ではないか? 尤も仕事を言い訳の飲み会もあったが。 そして今私は殆ど引退している。外に出回ることもほぼ無くなった。 それに、子供たちは独立してそれぞれ立派に生活しているので心配らしき物はない。それ故に、孫にかかわる時間はいくらでも有るのである。
孫の生活面を含め心配事は長女夫婦にまかせればよい。幸い二人とも元気にはたらいており、経済的にも余裕のある生活をしているので、これも心配ない。孫を可愛がりたい時だけ好きなだけ時間をかけることができる。今はとても恵まれた環境にあるといえよう。
年を取るということは有りがたいことである。