やまちゃんの雑記帳

興味のある事を色々取り上げて行きたいと思います。
雑多な中にもお気に入りのものがありましたら、ご笑覧下さい。 

民話劇の思い出(1)

2006-12-10 23:06:42 | Weblog
写真、左は山本安英さんと右は木下順二さん(12月1日岐阜新聞より)

私は1954年(昭和29年)の時に中学3年生でした。
その秋どういう訳か急遽、学芸会に木下順二作の民話劇「彦市ばなし」のお芝居に出るよう担任の先生から指示されました。
何の予備知識もありませんでしたがお稽古の日にちがあまり無いとのお話でいきなり本読みに入り4~5日でもう立ち稽古に入っていました。
共演者が仲の良いお友達だったせいか楽しくて楽しくて夢中になってお稽古をしました。発表会では勿論拍手喝采でした。
その後高校では演劇部に入り又々同じ木下順二作の「狐山伏」や「夕鶴」を演じました。

「狐山伏」のセリフ
金剛院  「オイ 法蔵院!土手の上で一人で何やらしゃべりよったが・・・」
法蔵院  「オイ 金剛院!あれは九郎衛門狐に違いない・・・」

「夕鶴」のセリフ
与ひよう 「ヒャー つうがいないで鶴がいる・・・」
つう   「見てはいけないと、あれ程言ったのに・・あなたは見てしまったのね~・・」

キャストは勿論、大道具、小道具、衣装係り、照明係り、プロンプター、擬音係り、何をやっても楽しかった。高校演劇の飛弾地区の大会では、私達の使った「書割」は屏風のように折りたたみ式で非常にシンプルな舞台装置でした。又当時としては珍しかった舞台転換の「暗転」が注目の的だった事や「能様式の夕鶴」が大絶賛で得意になっていたのを思い出します。それがきっかけで「高校演劇とは何か」等と論じ合う事もありました。演劇部を担当して下さった先生が観世流の「能」・謡曲・仕舞いのお師匠をしていられた方でしたので、つい私達の演技が高校演劇らしくないと見られたのかも知れません。今から思うとそれがとても楽しい良い「思い出」になっています。

演劇に興味を持つ様になったきっかけは偶然の様なものでしたが、それからすっかり演劇に夢中になり山本安英さんとか「ぶどうの会」の事を知り、「劇団民芸」にも関わっていた事もありました。
中学3年生での拍手喝采の強烈な感動の余韻が不思議なことに50余年過ぎた今でも続いています。

民話から題材を採った大傑作戯曲「夕鶴」は国民的演劇と呼ばれ主人公つうを千回以上演じた故山本安英さんと作家の木下順二さんとは名コンビとして互いにかけがいのない存在でした。反戦平和を徹底的に貫き通し、民主主義、日本の戦争責任、沖縄問題など発言し続けました。あまりにも有名な木下順二さんのご活躍振りについては私から申すまでもありません。その木下順二さんの訃報(11月30日)に接し悲しみに耐えません。良い思い出のきっかけを与えて下さった作家の木下順二さんのご冥福をお祈り致します。

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