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「偽」という字は「人が為す」と書くのであるなぁ

2007年12月13日 | 時事
今年の漢字:「偽」に決定 食品偽装問題に高い関心

 オレは応募していないが,もししたらやっぱり「偽」を選んだだろうな。「ナントカ還元水」にはじまり年金問題,食品偽装ととにかく今年は「偽」の年でありましたよ。

 白川静先生がどうおっしゃっていたか不勉強にして知らぬが,「偽」という漢字は「人が為す」と書く。動植物にも擬態という偽りがあるではないかと言うかも知れぬがああいうのは本能に根ざすもので,意識して他の個体をたばかるのは「人」に固有の行動らしい。……チンパンジーはやるという話を聞いたような気がするが,野性状態でもやるのかどうかは分からない。それにこの字ができた中国にはチンパンジーはいなかったしね。

 フクダ首相は記者に今年1年を漢字一文字で表すとと尋ねられて「信」と答えた。そう言えば昨年のアベ首相は同じ質問に「責任」と答えたっけ。苦節1年,我々は遂に数を数えられる首相を戴くことができたわけだ。いやぁ長く険しい道のりでしたな,ご同輩。うまく行けば来年の今ごろはたし算ひき算くらいはできる首相を戴いていられるかも知れぬ。

 話を戻す。フクダが「信」という字を選んだ気持ちは分からんでもないのでそれをあれこれ言うつもりはない。とにかく1文字と言われてちゃんと1文字で答えられたのだから立派なもんだ。そうぢゃなくてオレ,この「信」という字は「人が言う」と書くのだなぁ,と気づいたのだ。「人が為す」のはイツワリで「人が言う」のがマコトなのだ。そう考えるとなかなか含蓄があるではないの。

「目は口ほどにものを言い」ということわざがある。「♪オレの目を見ろなんにも言うな」という歌もありましたな。なんちうか字の成り立ちに反して世間では「コトバこそイツワリであり,ホントウのところはオコナイにこそ顕れる」ということになっているらしい。ちうか,オレもなんだかそんな気がするんだけどさ。

 この逆転はなんで起こったのか。勝手な想像だがこりゃ言語というものに「呪力的なオーラ」が消えてしまったことの反映ぢゃないかと思うのだ。オレは信じてないが耶蘇教の聖書によれば,神は最初に「光あれ」と言った。黙って光を出してからそれを「光」と呼んだのではない。つまりね,その昔コトバは「実現するもの」だったんですよ。

 日本で「忌み名」というのもその一種だが,新生児に2つの名前をつけてその片方を秘密にするという風習が世界のあちこちにある。これはその「本当の名前」を知られると呪力の対象になるからで,昔「地獄先生ぬ~べ~」というマンガでやってましたな。そういう言葉,言霊に対する信仰(信頼)が地に落ちたので相対的に「行為」から読み取れるものの価値が上がったんだろう。

 え,「偽」という字は「人の為」とも読めるぢゃないかって? そういう年寄りに親切にして高額商品を売りつける詐欺師みたいなことを言ってはいけません。



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2 コメント

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なんだ「人が為す」ぢゃないのか (xemem)
2007-12-13 16:58:36
「変化して他のものになる」つうのはなんかイメージがつかめませんね。いわゆる「化ける」つうのとは違うんだろうし。「君子豹変」のたぐいかしら。

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白川静『常用字解』では... (rinsho)
2007-12-13 15:49:08
「偽(僞)」の解説で、「人と為を組み合わせて、人の行為に偽(いつわり)が多いというのは誤った解釈で、もとは変化して他のものとなるという意味であった。僞と訛はもと同じ字であり、偽はのち仮偽(にせ)の意味から偽詐(いつわる)の意味となる」とされています。
一方、「信」は「会意。人と言とを組み合わせた形」とされ、「神に誓いをたてた上で、人との間に約束したことを信という」と書かれています。
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