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非常用コックをひねってしまう洞察力の欠落について

2007年03月28日 | 時事
客が東海道新幹線を止める 乗り間違えたので降りようと(朝日新聞) - goo ニュース

もしかしてこの26歳は,こないだの栃木県の男性の事故(自殺?)のニュースを覚えてて「あ,そやそや,非常用コックをいじくれば動き出したあとでもドア,開けられるやんけ」と思ったんだろうか。で,開けちゃいました,と。すごいなぁ……。

いや,なにに感心しているしてるかというと,その先の読めなさというか,物事の因果関係に関わる洞察力の欠落に,である。解りにくいですか?

そもそもこの26歳は「福岡行きに乗るはずだったのに,今ワシが乗ってるこれは東京行きゆうてるやんけ,乗り換えねば」と思って非常用ドアコックをひねった(のか押したのかひいたのか知らないが)のである。つまりその行為は「開いたら降りる」という決意の元に行われたわけだ。しかるに彼は列車から降りて(落ちて?)おらず,それはおそらく「降りれへんかった」んだろうと推察出来る。普通のヒトは24日の栃木県男性の事件(事故?)のことを知らなくたって,「走行中の新幹線からドアを開けて飛び出したら十中八九死ぬ」と知ってるのである。で,当然ながら死ねば福岡ではない別のところに行くことになるのだ。つまり「ドアが開いたとしても,死ぬのがイヤなら結局飛び降りられやしないのであり,それが分かってるから普通のヒトはドアを開けない」のだ。こうやって説明されると力が抜けちゃうくらいの常識でしょ?

これは別のところで読んだのだが,例の「水にありがとうだのきれいだよだのと声をかけると結晶が美しくなる」とかいう与太話を批判した新聞記事に対して「科学で説明できないからってそういうことがないというのは不遜ではないですか」とマナジリ決して抗議してくるヒトがいるんだそうだ。そんなこと言ってるから「走ってる新幹線のドアから飛び降りて福岡行きに乗り換えられるかどうかなんて,まず非常用コックを開けてみなくちゃわからんやんけ」てなことを考えるヤツが出来ちゃうんぢゃないかと思うがねぇ。


 


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