船場吉兆:料亭でも偽装牛料理 大阪の本店など営業自粛へ
前言を訂正して船場吉兆に謝罪しなければならない。こないだここに,「『吉兆事件』にはがっかりした」と題して「なんだ『ざまみろ,高い料亭で古い食材を食わされてた金持ちどもめ』と思ったのに,偽装はデバ地下商品だけか」とか書いたのだが,そうではなかった。
さすがは船場吉兆,やるときはやってくれます。オレの期待は裏切られておらず,本店の「肉懐石膳(三田牛)」(13,000~16,000円)も心斎橋店の「但馬牛すき鍋御膳」「但馬牛網焼御膳」(8,400円)もみんな三田牛でも但馬牛でもなかったのである。うけけ,早く言ってくださいよぉ,このイケズぅってなもんだが,あ,いや,すいませんでした,ごめんなさい。
確かに「但馬牛」だの「三田牛」だと思ってこれを食い,「やっぱりオイシイねぇ」くらいならともかく「この☆☆とした△△な味わいは但馬牛独特のもんなんだよね」とか「やっぱり三田牛だから●●がとっても◆◆なのよね」などとシッタカぶって悦に入ってた酢豆腐(上方落語では「ちりとてちん」ですな)関係者の皆さんのお怒りは分からんでもない。
ないが,これらのブランドがホントのところどのくらいの価値があるもんなのか皆目見当がつかないオレは,この偽装で船場吉兆がどのくらい得をしてたかを知りたいのよね。つまりはオイシイ(まずかないんだろ,人気メニューだったんだから)牛肉に「これは『三田牛』です,これは『但馬牛』です」と書いて,それで幾ら値段を上げられたのかつうことである。
だってそうでしょ,今回の話,たとえば海原雄山みたいなヒトが船場吉兆で「肉懐石膳」を注文し,一口牛を口に入れるや「店主を呼べ!」と怒鳴って明るみに出たわけではないのだ(もしそうならそのヒトは既にみのもんたの番組あたりに出てヒーロー扱いされていると思う)。上の酢豆腐関係者のみなさんみたいにシッタカを口にしたかどうかは知らないが,皆さんそれなりに満足なさっていたんでしょ?
オレ,食い物の旨さの基本はシチュエーションだと思うのだ。そりゃ日が経って毛のようなカビが生えちゃった豆腐は別として(知らないひとのために言うとこれが「酢豆腐」です),仲のいい家族で囲むカレーライスとか,恋人と分け合うサンドイッチとか,断食の果てに少女スジャータに差し出される乳粥とか,そういうモノを口に入れる状況も味の一部なんだよな。
だから貧乏人として想像するに,16,000円の「肉懐石膳」の味には「一食に16,000円(しかもおそらく酒とかは別だ)掛けられるようになった自分への誇り」みたいなものが入ってる。昔学食でいつもかけうどんを食ってた友人のマツエくん(元気ですか?)は,バイト代が入ると食べる天玉うどんを「血わき肉躍る」と表現してた。かく言うオレも初めて自腹でうな重の上を食ったときは「おれも社会人になったんだなぁ」とシミジミしたもんである。
別に船場吉兆を弁護するつもりはないんだが,自分には違いが分からない牛肉だけど「三田」とか「但馬」とか称していれば高くてもいい,いや高い方がいい,という状況を作ったのは消費者の側であって店ではなかろ。なんでそうなったかと言えば客の頭の中に「高さ」を「旨さ」にインタープリットする機構ができあがっているからだ。値段は味よりはるかに分かりやすいインプットだからね。
落語「酢豆腐」の若旦那は知ったかぶりをした代償にカビの生えた豆腐を口にする羽目になる。鼻にツーンときて目にピリっと来るのを無理矢理飲み込んで,オツな味だといい,周囲がもっと食えと勧めるのに「いえ,酢豆腐は一口にかぎりやす」。16,000円取る牛が「三田」ぢゃなかったんですと口尖らかすキャスターより,この若旦那の方がずいぶんイキなような気がするな,オレは(笑)。
前言を訂正して船場吉兆に謝罪しなければならない。こないだここに,「『吉兆事件』にはがっかりした」と題して「なんだ『ざまみろ,高い料亭で古い食材を食わされてた金持ちどもめ』と思ったのに,偽装はデバ地下商品だけか」とか書いたのだが,そうではなかった。
さすがは船場吉兆,やるときはやってくれます。オレの期待は裏切られておらず,本店の「肉懐石膳(三田牛)」(13,000~16,000円)も心斎橋店の「但馬牛すき鍋御膳」「但馬牛網焼御膳」(8,400円)もみんな三田牛でも但馬牛でもなかったのである。うけけ,早く言ってくださいよぉ,このイケズぅってなもんだが,あ,いや,すいませんでした,ごめんなさい。
確かに「但馬牛」だの「三田牛」だと思ってこれを食い,「やっぱりオイシイねぇ」くらいならともかく「この☆☆とした△△な味わいは但馬牛独特のもんなんだよね」とか「やっぱり三田牛だから●●がとっても◆◆なのよね」などとシッタカぶって悦に入ってた酢豆腐(上方落語では「ちりとてちん」ですな)関係者の皆さんのお怒りは分からんでもない。
ないが,これらのブランドがホントのところどのくらいの価値があるもんなのか皆目見当がつかないオレは,この偽装で船場吉兆がどのくらい得をしてたかを知りたいのよね。つまりはオイシイ(まずかないんだろ,人気メニューだったんだから)牛肉に「これは『三田牛』です,これは『但馬牛』です」と書いて,それで幾ら値段を上げられたのかつうことである。
だってそうでしょ,今回の話,たとえば海原雄山みたいなヒトが船場吉兆で「肉懐石膳」を注文し,一口牛を口に入れるや「店主を呼べ!」と怒鳴って明るみに出たわけではないのだ(もしそうならそのヒトは既にみのもんたの番組あたりに出てヒーロー扱いされていると思う)。上の酢豆腐関係者のみなさんみたいにシッタカを口にしたかどうかは知らないが,皆さんそれなりに満足なさっていたんでしょ?
オレ,食い物の旨さの基本はシチュエーションだと思うのだ。そりゃ日が経って毛のようなカビが生えちゃった豆腐は別として(知らないひとのために言うとこれが「酢豆腐」です),仲のいい家族で囲むカレーライスとか,恋人と分け合うサンドイッチとか,断食の果てに少女スジャータに差し出される乳粥とか,そういうモノを口に入れる状況も味の一部なんだよな。
だから貧乏人として想像するに,16,000円の「肉懐石膳」の味には「一食に16,000円(しかもおそらく酒とかは別だ)掛けられるようになった自分への誇り」みたいなものが入ってる。昔学食でいつもかけうどんを食ってた友人のマツエくん(元気ですか?)は,バイト代が入ると食べる天玉うどんを「血わき肉躍る」と表現してた。かく言うオレも初めて自腹でうな重の上を食ったときは「おれも社会人になったんだなぁ」とシミジミしたもんである。
別に船場吉兆を弁護するつもりはないんだが,自分には違いが分からない牛肉だけど「三田」とか「但馬」とか称していれば高くてもいい,いや高い方がいい,という状況を作ったのは消費者の側であって店ではなかろ。なんでそうなったかと言えば客の頭の中に「高さ」を「旨さ」にインタープリットする機構ができあがっているからだ。値段は味よりはるかに分かりやすいインプットだからね。
落語「酢豆腐」の若旦那は知ったかぶりをした代償にカビの生えた豆腐を口にする羽目になる。鼻にツーンときて目にピリっと来るのを無理矢理飲み込んで,オツな味だといい,周囲がもっと食えと勧めるのに「いえ,酢豆腐は一口にかぎりやす」。16,000円取る牛が「三田」ぢゃなかったんですと口尖らかすキャスターより,この若旦那の方がずいぶんイキなような気がするな,オレは(笑)。
記憶が正しければ食事の良さと同時に、接客も採点評価に入るのがミシュランだったような気がする。あっ、このへんイイカゲンかも知れないが、それでも「客を怒鳴りつけるような店」は星を貰えるとは思わないなぁ。客を怒鳴りつけるのが「芸」だと思っている調理人もいたりする。これは明らかに驕り。誇りと驕りの区別も出来ない人間が作った食い物が、長年味わえるほど美味いとは思えないんだけどねぇ。