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国立大学間に導入された「競争」つうのはつまり「天下らせ競争」なんだな

2007年10月09日 | 時事
国立大の役員に65人天下り 民主が税金のムダづかい追及(共同通信) - goo ニュース

 やっぱりというかまたしてもというか,ニュースに接したヒトの大半はそう思ったのではないか。そもそも国立大学の構造改革(独立行政法人化)ってのは「国立大学に民間的発想の経営手法を導入」し「大学に第三者評価による競争原理を導入」するってのがタテマエだった。

 このブログでも以前,「大学の努力と成果ってなに?」というので書いたが,その競争というのが何を競うものなのかがイマイチよく解らない。対象となった国立大学たちは「どうやったら勝つか解らないゲームに無理矢理参加させられ,しかも負けたら予算を減らしますと言われた」わけである。

 なにをどう達成したら勝ちになるのか解らない競技で絶対的な権力者は誰か,と言えばそれは審判である。だって審判が勝ち負けを決めるんだから。で,国立大学の競争を審判するのは文部科学省だ。勝つために,あるいは負けないために国立大学が出来ることと言ったら審判である彼らの覚えをめでたくするしかないではないか。

 斯くして国立大学には同省OBが山のように天下る。元審判たちは天下っても「後輩たち」のためにその「判定の基準」(もともとそんなものがあったとしてだが)を明らかにすることはない。而して「国立大学間における競争」というのはつまり「どんだけ多くの(あるいは地位の高かった)文部科学省OBを天下らせて優遇できるか」という競争にすり替わる。

 いや,すり替わったんぢゃなくてもともとそういう競争のつもりだったんかも知れないけどね。



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