イエスから(マグダラの)マリアへの手紙・私は本当にマリアの生まれ変わりなのか

31) 天の私に課した仕事の一つ

 

 ありがとう、嬉しい。
あなたのそのお心に私は大いなる喜びと感謝の念をお送りして今日の言及へとまいろう。

そう、今日はあなたと私のかつての生活の中から、今も多くの人々に影響を与えているある出来事についてお話をしよう。

 

 あれは私とあなたが一緒に住みながら子供達のお世話し始めた頃のことである。

 

あなた、マリアはとても美しく、そして可愛らしいので、それまで多くの男達があなたに魅かれ、後ろを付け回したりということが多々あり、私と住むようになっても、それは時折起こっていた。

あなたは付け回す男達にウンザリしており、静かに落ち着いた私と少数の子供達の生活に余計な男達とのかかわりを一切持つのを良しとしなかったのは、当然であろう。

 

 ある日のことである。

あなたが泣きべそをかいたような顔をして、外出から戻って来た。

たまたま私は在宅中であったので、あなたにどうしたのかすぐ尋ねた。

あなたは私の声掛けにワッというように泣き出して言った。

「変な男に付け回されたの・・・」そして、私の胸に顔を押し付けるようにして声をあげ、泣き始めた。

私はあなたの髪をなでながら、優しくこう言った。

「大丈夫・・・私が居るから。そのうち諦めるよ。あなたと私が一緒にいるのを知れば、もうついて来なくなるよ。少しの我慢。もう少し我慢しようネ」
と私は言いながら、あなたを私の胸に抱きしめた。

それを見ていた数人の子供達は駆け寄って来て、あなたの腰辺りに抱き着くようにして、「マリア、マリア、あなたは僕たちの母さんだから・・・僕たちが守るから大丈夫! 僕たちがいつでも守ってあげるよ。」
というような意味の言葉を口にして、二、三人の子供達があなたを慰めたのである。

 

すると、あなたは、泣きべそをかいた表情から優しい柔らかな笑顔になって、嬉しそうに腰をかがめるようにして子供達を抱きながら、
「ありがとう・・・ありがとう。心強いこと!あなた達がいてくれれば、私はとっても心強い。ありがとう、お願いね。」

と言って涙をぬぐい、落ち着いたいつものマリアに戻っていったのである。

この風景は今も私の心を愛で満たし、豊かにしてくれる。

例え、血は繋がっていなくとも、このように優しさと愛情で結ばれて、たとえ子供であれ、人と人との関係が作り出す満たされた絆は人の心を満たし、強い力を与えるものだと改めて実感させてくれた一コマであった。

 

私が街角に立って色々な内容の会話を交わしている時も、様々な反応があり、時には思わぬ反応、反響を与えられることもあったものである。

意見や考え方の違いはあって当然のものではあるが、その違いが感情的に人の心をあまりにも動揺させることも多々あり、時には手を出され、腕をつかまれたり、足で蹴飛ばされたりということもあった。

 

そんな時、私は身を逃すようにして守ったり、少し横に歩いて逃れたりしたが、私からは一切、手を挙げることはしなかった。
幸い、多くの場合、一緒に居た男達の中から必ずそういう暴力的な男をたしなめ、止めるよう説得したり、手足を抑えてくれる者がいたものである。


その風景は、おそらく今も昔も似たようなものが見られるだろう。

街角でなく、家庭の中や人々の意見交換の場では起こりがちなことではあった。

そんなことで、私の腕や胸元にはいつも何らかの傷跡がついていることが多かったのも、今もって思い出されるのである。

しかし、こういうことはほんの一部であり、ほとんどの場合、友好的な雰囲気の中で話し合いや意見の交換がなされていったものである。

 

 

 

 さて、このような世相は、似たり寄ったりの変わらぬ人の性ではあろう。

しかし、そのようなことも一つの試練でもあろう。
人の心の成長と学びに役立つ学びのチャンスだったと言えよう。

街角での私の様々な話し合いや、討論、意見の交換で、今、はっきりと言えるのは、このことを通して私の仕事、生きる目的が少しずつ遂行されていったのであり、このことを通して、考え方、行動の礎になるような基本的考え方、人のあるべき姿と心の持ち方、気持ちの表現方法、そして他者への心配り等を、少しずつ学ぶチャンスでもあったのだろう。

 

 

 天の私に課したやるべき仕事の一つが、如何に自分の意見を伝えるか、でもあったのだろう。

すべての行動を為す時、その下地にあるのが、人の心のあり様でもあるのだ。

考え方は生き方を形作るものであり、そこに愛というものがしっかり存在しているかどうかが明らかになって来る。

そして、これが貴重な自覚と、時には反省の機会、強いては寛容さを学ぶチャンスとなるのである。

お互いの考え方や意見の相違を認め合い、理解し合うことで心が広がり、愛や友情も育まれるのだとも言えよう。

人が成長する・・・心の進化がこれによって少しずつゆっくりともたらされ、多の年月をかけて大きな成長と進化となって、明らかに見える化・・・認識可能な歴史の足跡となっていくのであろう。

人の心は様々なことを通して育っていく。楽しいこと、つらいこと、苦しいこと・・・何も感動を与えない毎日の決まった出来事も含み、人の毎日は様々な心のあり様を経験する場でもあるのだ。

少しずつ、心の広さ、深さ、高さを増すように、違いを許し、受けられる容器ともなるのである。

生きて・・・やがて、老いて、去る・・・という人生に与えられた時間の中で、私達一人一人がどんなことを考え、感じ、行い、そして表現するか・・・心を通して生きる意味と目的が少しずつ日常の中で育っていくのだろう。

 

今日はちょっと難しい、堅苦しい話題となった。お許しいただきたい。

あなたが、その眠い状態で、懸命に私からの言葉を書き取って下さっている。
ありがとう。感謝、私からのお礼の言葉、ありがとうを何遍もお伝えしたい。

今日もやがて夜が明けて日常が始まるだろう。いつか終わる日まであなたがお幸せであるのを心から願って・・そして、多くの愛を通してお心が豊かに愛で満たされることを願って・・・今日のお手紙としよう。

ありがとう。
愛をもて常にあなたを守り、そしてお力と勇気、必要なすべてを与えよう。

愛している。ありがとう。

可愛い・・・マリア。

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