短歌人10月号「会員1」立花マリ子 2011-10-31 06:55:52 | 平成23年短歌人誌より 「雷の子が落ちたよ」と城跡へ父に背負われ行った遠き夏 なんとも素敵な父だ。「城跡」や「雷」が落ちたことで雨上がり景色をくっきりと想像出来る。きっと父の背から「雷の子」を真剣に探したことだろう。こんな思い出があれば強く生きられる。
小池光「バルサの翼」カレーの市民 2011-10-31 06:53:28 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 春よりはするどき天(そら)の囀りとふと気付きゐし午後の無力よ 普通、春に最も美しく強く鳴くイメージだ。しかし、春よりもするどく囀る鳥に「ふと気付」く。もはや、勝てないと悟った。前に置かれた一首の老いて死ぬだろう私だから。しかし、無力な自分に気付いてからが道なのだと思う。
定本八木重吉詩集「わが児」秋の瞳 2011-10-30 04:52:17 | クンストカンマー(美術収集室)詩・俳句 わが児と すなを もり 砂を くずし 浜に あそぶ つかれたれど かなしけれど うれいなき はつあきのひるさがり
小池光「バルサの翼」カレーの市民 2011-10-30 04:51:48 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 老いて死ぬる鳥をおもへば黄昏の皿アスパラの森ふかむかな 作者にとって鳥は若さの絶頂に死ぬことが理想なのだ。だからこそ、「黄昏の皿」やもはや生きていない調理され盛り付けられたアスパラを森に見立てて、そこに老いて死ぬ鳥を見るのだ。 多分、作者の目の前には料理が並んでいる。もしかしたら、それすら想像かも知れない。そこからこの一首を詠んでしまう。私には才能がないことがむざむざと分かる。しかし続けるしかない。もはや短歌のない生は有り得ないから。
短歌人10月号「会員2」有朋さやか 2011-10-29 05:56:27 | 平成23年短歌人誌より 血の色の傘をかたむけ一本の茎となるべく荒野にわれら 寺山修司を意識して取り入れている。 一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき 寺山修司「空には本」 この二首をならべると、「一本の茎」は「向日葵」に思える。寺山が処女地と詠んだ荒野に血の色の傘をかたむけているわれら。その映像が浮かぶ。荒廃した風景のなかで生まれるしかなかったわれらの。