プーケット津波情報総合 (スマトラ沖地震)

Webや口コミで収集した情報のまとめです。「一覧」のカテゴリーに各種情報のまとめを置きました。

被災体験談

2005-01-13 01:23:15 | 口コミ情報 (安否情報以外)
ちゅっちゃんさんのページへの投稿を転載します。

▼津波を見た人々その1(クラビ在住の方より)
記憶が薄れないうちに気持ちの整理をつけるためにも
今回の津波に遭遇した人々の話や自分の行動を書き留めておこうと思う。

津波後まず最初に店を訪れたカップルはクラビからランタ行きのボートに
乗っているときに津波に遭遇したらしい。
気丈な彼は沖に見える津波をカメラで撮っていて見せてくれた。
ボート内は皆ライフジャケットを着るように注意があり大波を乗り越えたあとは
ボートがスットンと落ちたような衝撃だったらしいが皆無事だったらしく
そのままクラビへ引き返してきたらしい。
彼はのちも掲示板などに自分の体験や帰りの空港の様子などレポートしていたようだ。天晴れ。

昼すぎにクラビ病院より水着にライフジャケットを着ただけのカップルが
バイクタクシーに乗ってやってきた。
聞けばピピ島のレムトンビーチのホリディインに宿泊中で朝ロングテールボートをチャーターして
バンブー島に向かう途中津波の為ボートが転覆しボートもボートマンも行方知れず
ライフジャケットを着ていたためすぐ板切れなどにつかまり漂流していたのを救助ボートに拾われたそうな。
彼は頭に切り傷があったのでクラビ病院に運び込まれたが他にも重症患者が大勢いて
病院内はパニックだったそうで、軽症でいるのも申し訳ないと病院を飛び出して来たらしく
二人とも興奮した様子だった。
彼女は最初大変怯えていたが段々落ち着き、彼らはパッケージツアーで来ていたのでネットで
自分達が申し込んだツアー会社を探し出し今後のことを電話で相談していた。
かなり待ち時間が長く気の毒ではあったが夜にクラビの係員が迎えに来てくれた。
のちメールを頂いたがその日はとりあえずの下着や服を揃えてもらいクラビで1泊したのち
プーケットでホテルに置いてあった荷物全部受け取れたらしい。(ホリディインは殆ど被害がなかったそうだ)

26日は津波後すぐアオナンやピピ・ランタ在住の友人達に電話で安否確認しまくりの1日で
電話がなかなか通じなかったが夜にやっと繋がり無事を確認してホっとした。
殆どピピやランタの山の上に避難中であった。

クラビケーブルテレビでは、ノッパラッタラビーチでの津波のビデオやクラビ病院や
クラビの桟橋などの映像を始終流していた。
その中のクラビ病院内のホワイトボードに日本人名を見つけたのが気になり
夜11時になっていたがまず小学校の避難所へ行ってみたが、
日本人はいず近くのホテルに泊まっていると聞きそのホテルで名簿を見せてもらい
電話をしたらジャーナリストであった。やれやれ・・・
それからクラビ病院へ行ったのだが日本人はすでに他の病院へ転送されたようで誰もいなかった。
が、ここで初めてバンコクより駆けつけた大使館員の人々にお会いし今に至るまで情報交換しあっている。

この日は自分がピピに宿をとった(トンサイとロングビーチ)お客さん達の安否も分からず
悶々とした1日でもあった。

▼津波を見た人々その2(クラビ在住の方より)
翌日も朝から電話攻勢であった。
昨日は津波後、真っ先に電話をしたのがアオナン在住妊婦さんで
ご主人がロングテールボートマンだったので不安になり電話したのだが
彼女は津波があった事実も知らず、それからすぐ近所の人達と非難したらしいが
電話が通じずご主人の安否も気になっていたけれど夫婦揃って店にきてくれて安堵した。
聞けば彼はライレイウエストビーチの西のトンサイビーチ辺りで津波を察し
すぐボートを乗り捨て山の方へ逃げ出して助かったらしいが友人のボートマンを大勢亡くしたそうだ。
奥さんはショックが大きく高熱を発していたので病院へ連れていかれた。

昼前にクラビ病院で通訳のボランティアをしていたタイの友人より電話があり
大変ショックを受けている日本人が病院にいるのですぐ来てくれと言われ急いで駆けつけた。
ロビーでうなだれている男女カップルを見つけた。二人とも気が動転していてあちこちに擦り傷を作っている。
聞けば彼らはピピより同じヘリコプターに乗り合わせてそれぞれの家族の安否を探していた。
特に重症でもないようなのでごった返す病院よりもまずひとまず店へ来てもらうことにした。
が車がなかなか捕まらず私は女性と共に表通りに出てタウンへ行くソンテウに乗り込んだ。
彼女に事情を聞いてみる。
カバナホテルのロビーでご主人と小さい娘さんと共にチェックインしてる最中に津波が襲ってきたらしい。
彼女は流されながらも無我夢中で水を掻き分け水面に出て物につかまっているところで
ボートに助けられたそうだ。しかし、そのボートはプーケットへ行くということで
彼女はご主人と娘さんを探す為にピピへ戻るボートを探しては乗り換え探しては乗り換えしたようだ。
ピピのトンサイでは見るに無残な死体が累々していたらしいが、
彼女は気丈にも一人ずつ確かめていったらしい。
結局見つからずその夜は他の人々と共にピピの山の上で眠れぬ夜を過ごし
翌日ヘリでクラビ病院へ送られたのであった。
ソンテウの中ですすり泣く彼女に掛ける言葉もなくただ身体をさすってあげるのが精一杯であった。
彼女は体中擦り傷だらけで数箇所は何針か縫っているらしい。
しかし心の傷の方が大きく痛みを感じていないようなのが見てて痛々しい。

店に戻ってみると大使館の人達が来ておられ、一緒に来た彼女と男性
(彼もやはりカバナホテルの部屋内より流されて一緒に居た奥さんの行方が分からなかったのであった)は
大使館員にひとまずお任せした。

▼津波を見た人々その3(クラビ在住の方より)
私がピピでホテルを取った2組のお客さん達それぞれ全員無傷で荷物も無事で戻ってきておられた。
ホッと胸をなでおろす。
一組はピピバンヤンビラ泊でトンサイ中心地でもある。
しかし彼らはその時バンブー島近くをシュノーケル中で大波にもあまり気付かず
(バンブーはピピの陰になっていたようだ)ボートでトンサイに戻って初めて事態を悟ったらしい。
幸い一番奥の部屋でかろうじて荷物も無事でそのままピピの山の上で一晩過ごしたらしく
顔には焦燥が漂っていた。
もう一組はロングビーチの一番南の丘の上のバンガローだったので
そこは大丈夫だろうと思っていたのだが当時彼らはモンキービーチで泳いでいたらしい。
まず潮がかなり引いた時点で何かおかしいと思ってるうちに第一波がやってきて
すぐ皆と共に崖の岩の上によじ登ったらしい。
それより強い第二波がやってきたときはもう少し高台へよじ登りかろうじて
無事だったらしいがもう数十センチ波が高かったら多分流されていただろうとのこと。

話を聞いて彼らの宿手配をしているうちに大使館の方もプーケットより情報があり
病院より連れてきた彼女のご主人と娘さんはプーケットへ-無事にたどりついていたらしくホッとする。
しかし男性の奥さんについてはまだ消息がわからずひとまず大使館の人と共に
外国人避難所になっているマリタイムホテルへと移動し
彼女のほうは用意した車でプーケットへと出発していった。本当に良かった。

そうこうしているうちにランタ島ビービーバンガローから引き上げて来た人もいた。
被害はビーチフロントのバンガロー3軒で他の人達はそのまま山へ避難したが
彼らは車があったのでタウンへ引き上げてきた。
そのうちの一人のパッカー女性はクリスマス前に店へ訪れており
その後のピピとランタを廻るスケジュールの相談を受けた時クリスマス直前のピピは宿が取りにくいので
先にピピへ行ってからクリスマスはランタがいいよと私が勧めたらしい(覚えていないのです)
おかげで命拾いをしたと喜ばれたが反対にクリスマスをピピですごす手助けを他にもしていなかったかと
記憶を探る。ボートチケットを売ったかもしれない!
その場合は名前を何も聞かずにチケットだけ売るので控えがない!
と愕然とするが日がたつにつれクリスマス前後は何故か今年は客が少なく
売っていなかった事実がわかり胸をなでおろす。

この日は津波が起きたのを知らずにクラビ到着後予約していたピピ島へは行けず
急遽サムイ島へ変更したり仕方なくタウン泊の旅行者も多く変更手配や安否確認の電話など
あたふた状態であった。
その間店内は津波の被災者や普通のツーリストも混じり混沌としたカオスの世界であった。

夜9時ごろだったであろうか。ランタより生還の3人や店スタッフと過ごしていると
クロンムアンビーチに宿泊中(クロンムアンのホテルはビーチフロントのプールなどがやられただけで
余り被害はなかったらしい)のお客より電話が入り警察より津波警報が出たので
客全員ロビーに集められ高台に非難してる最中であると聞く。
あわてて近所のタイ人に聞くが総じてのんびりムードで一人慌てふためいている自分が滑稽でもある。
大使館員に聞いてみるとそういう情報は受けていないとのことでとりあえずその夜は
いつでも逃げ出せる態勢で寝床に付く。
(翌日その情報はガセネタであることが判明・・・
というよりも大きい余震はあったが津波を引き起こさないと判断されたようだ)

▼津波を見た人々その4(クラビ在住の方より)
28日以降は日時の記憶が曖昧である。

多分この日の午前中だったと思うが最初の津波を教えてくれたインターネット屋の姉さんがやってきて
クラビ病院の津波被害者のご遺体写真リストのウェブサイトが開いたという。
その中に日本人もいるような口ぶりであったので早速チェックしてみる。
その時の思い当たる行方不明者は昨日クラビ病院から店へ来てもらったカバナにいた奥さんと
うちの直接のお客さんではないがピピプリンセスに宿泊して津波が来たときに
家族でバンガローに閉じこもってしまい、結局流されてしまった小さい娘さんが行方不明になっていると
聞き二人の服装を聞きだし1体ずつチェックしていった。
普段からタイは死体に関しては写真も開けっぴろげなので日本在住の方々よりは
死体を見慣れているだろうと自負しているものの人間の死体は数日たつと人相もなにもかも変わってしまう。
日本の報道では絶対見られないものである。(たまにフライデーで見られるが)
アジア人もヨーロッパ人も区別がつかない。すでに身体はガスが充満し膨れつつある状態だった。
子供や赤ん坊の遺体も多く痛々しい。もし自分の子供であったら・・と怖くなってしまう。
身元確認は服装や持ち物や刺青などで確認できるが人相では判別できない。
その中でもしや行方不明の奥さん?と思われる服装を見つけ間違いであって欲しいと祈りながら
すぐ大使館員に連らくする。娘さんらしい服装はそのときは見つからなかったが
後日ご家族により遺体が確認されたと聞いた。合掌
のちすぐ行方不明者のご主人の同僚が数人来られて遺体安置所のチェックや
運び込まれる可能性のある病院など虱潰しに探しておられた。

昼頃にはピピ・ランタの山の上で二晩過ごした人々がまた引き上げてきた。

ランタから引き上げてこられたご夫婦は津波時は丁度ビーチと反対側のタウンへ買い物に出かけており
異常な雰囲気にバンガローに戻ってみるとビーチフロントの建物はたくさん壊れていたそうだ。
しかし荷物は無事だったのでそのまま山の上で野宿1泊、
翌日はランタの一般民家でスウェーデン人と共に一泊したそうだ。

ピピから引き上げて来られたロングビーチ専門リピーターの方々は
津波時はたまたまロングビーチの裏のロームディビーチに出かけており潮が引いた時点で
おかしいと思い裏山に駆け上がって無事だったそうだ。一瞬の判断が間違っていれば命は無かったらしい。
のちはロングビーチ側の山の上で野宿2泊され疲れきった様子であった。

ピピ・ランタから引き上げて来た人々もクラビ発まで数日ある場合はリフレッシュも兼ねて
象乗りや温泉などのツアーに参加する人や、
翌日29日にはアオナン沖シュノーケルツアー(4島ツアー)が再開されると聞き申し込む人もいた。
(さすがに津波を見ていない人ですが)
この日も引揚者同士の体験談交換や行方不明者の捜索グループ、
津波後にやってきた一般ツーリストなどカオスな1日であった。

▼津波を見た人々その5(クラビ在住の方より)
津波後数日たってからかつてクラビのダイブショップで出会いのちに
世界各国ちらばっていったダイバー友達の消息が伝わってきた。

うちの一人は昨年12月上旬よりモルディブの有名ホテルのダイブショップに赴任していった。
その島はかなり打撃を受けたと聞いて心配していたがかなり早い段階で無事であるとの報告を
友人を通して聞いていた。がマメにメールを返してくる彼からの返事が来ず
他の友人もメールの返事が返ってこないと聞きあせっていたが
実家に電話したらやはり無事であることが分かり胸をなでおろす。
彼はタイではクラビ拠点に動いているので荷物を預かっているのだった。

もう一人かつてアオナンのショップで働いていた子はなんとバンダアチェのすぐそばの
プラウウェ(ウェ島)のショップで働いていたらしく友人が無事確認の載っている新聞を見せてくれた。
すると彼から正月過ぎに電話がかかってきてそのときの様子を話してくれた。
当時丘の上のバンガローで寝ていたらしく最初すごい地震で飛び起きたそうだが
昨晩の疲れもあり2度寝を決め込んだとき津波が来たようだ。
幸いバンガローは無事だったようだが働いていたショップは流されたらしい。
救助の船かエアでメダンへ避難したそうだが彼は道中幸いにも凄惨な現場は見ずに戻って来られたという。
しかしその島よりボートで脱出した同僚の話では多分アチェ辺りのことだろうと思うが
屋根や木の上など至るところに死体累々で地獄絵図のようだったらしい。
彼は既にクアラルンプールまで北上しておりクラビで何かボランティアはないかという問い合わせだった。
その時点では既にクラビの日本人ボランティアも解散していたので
もっと被害のひどいカオラックやプーケットで探してるかもしれないよと教える。

先ほど電話がかかってきたダイバーの女の子は今夜帰国するらしい。
彼女とは今まで連絡無かったが人づてにケガをして入院していたと聞いた。
本人から話を聞くと当日はローダラムビーチにいたらしく実際波が来るのを見たわけではないが
人々が騒ぎ出しおかしいと思い山に向かって走ったが途中こけてしまい
そのまま波に運ばれてしまったらしい。頭がパックリと切れ肘や膝なども傷を作ったらしいが
ケガの為にずっと横になっておりピピの惨状は見なかったらしい。
そして26日の最終便でプーケットの病院に担ぎ込まれたそうな。
帰国後心の傷も早く回復できるように祈ってます。

当時海に潜っていたダイバー達は殆ど無事らしい。
中には地形によって洗濯機の中に放り込まれたような状態になったり
すごい潮の勢いで流されたりしたようだが陸より海の中の方が安全だったらしく
津波後ピピに戻って惨状に驚いた人もかなりいたらしい。
トンサイ在住のダイバー達はことごとく荷物をさらわれ身一つになってしまった者が多いと聞いた。

彼らが(私もだが)また安全に楽しくダイビングできるような時が来ることを願っている。

1 コメント

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お尋ねいたします。 (澤口佳代)
2005-04-01 01:32:12
はじめまして。澤口佳代と申します。

よろしければ、プラウウェにいた方を紹介していただけませんでしょうか?理由はお話を伺いたいと思っているからです。わたしは2月にバンダアチェに行きました。現在支援活動を東京でしています。

澤口佳代

http://www.kayophoto.com

kayosawaguchi@yahoo.co.jp



「もう一人かつてアオナンのショップで働いていた子はなんとバンダアチェのすぐそばの

プラウウェ(ウェ島)のショップで働いていたらしく友人が無事確認の載っている新聞を見せてくれた。」
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