WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

働くおっさん vs 紀勢兄

2011年09月08日 | 紀勢やう考
僕の友人であり、我が楽団の作詞担当でもある紀勢やう子さん(33)。
紀勢さんには、一回り以上歳が離れた兄が1人いる。東京大学文3卒のインテリ学士だ。現在、中野在住、在野の学者として社会学を研究しつつ、大学講師や塾講師をしているそうな。
先日、兄と兄の後輩、喜連川さんと三人で飲んだ際、左派リベラルである筈の兄が、信じられない差別的な発言をしたそうな。

其のいきさつはこうだ。
品川でいい感じにできあがった帰路、なにやら怒鳴り声が聞こえる。
どうやら京急線の改札で、酔っ払いのハゲ散らかした中年に、駅員がからまれているようだ。

上:中年イメージ

ハゲ散らかした中年曰く、
「終電乗り遅れたのは、JRが遅れたせいだ。オレには何の落度も無い。オレは家に帰りたいんだ。お前らどう責任とるんだ。JRに電話して電車動かせ。さもなくば六郷土手までタクシーのせろ。誰の金で飯食ってんと思っているんだ。オレを誰だと思っている。責任者を呼べ。云々。」

紀勢さん、あらやだわ、とつぶやき、その場を通り過ぎようとした刹那、紀勢兄がお神輿を担ぐ時のようなヨタヨタしたステップで、その中年に勇み寄り、こう怒鳴った。
「ここをどこだと思ってる。天下の往来で好き勝手言われて、はあさいですか、申し訳ない、と引き下がって、頭ぁ床に擦り付けるとでも思ったか。
おめえ、クニは何処だ?こちとら腐っても江戸っ子だ。江戸っ子は江戸っ子でも武士の出だ、ご先祖様は旗本だ。旗本の元は清和源氏だ。ただのまんじゅう武士の始まり※、おめえらどん百姓とは生まれから違うんだ。
ご先祖様の系図を一人残らず拝ませてやろうか?どん百姓は箱根の先ぃでも行って唐茄子でも植えてやがれ。」

おそらく、紀勢兄が何を言っているのか、その中年はほとんど意味が分からなかっただろう。中年はおろか、我々現代日本人の大半意味が分からぬだろう。
しかし、その語気、語感、間の取り方、迫力、啖呵の切り方がまるで胴に入っていて、中年は畏縮し、ぐうの音も出ず、その場をすごすご立ち去ったそうな。

この話を聞いた際、四国出身でご先祖はどん百姓の僕としてもただならぬ戦慄を感じた。
80年代はニューアカの論客として第三世界の底辺をポストモダン的切り口で論じ、一部の知識人の間で支持されたと言われる紀勢さんの兄だが、この非論理的発言は如何なものか。
紀勢さんは、兄の言動は明らかなる差別、、日本人間の階級差別であり、人権問題である、と頭では分かるものの、なぜか爽やかな読後感みたいなものを感じ、不思議と納得も得心もしたという。

上:知識人イメージ

かような前近代的な与太者のような立ち居振る舞いをする兄を紀勢さんは初めて見た、というが、好きな音楽は古今東西のレベルミュージックであり、マヌーチャオを日本で最初に紹介した、らしい、紀勢兄ならそう不思議でも無いと僕は思うのだった。

上:マヌーチャオ

この顛末のせいで、紀勢一行は結局、終電に乗り遅れた。紀勢兄は「先ほどは取り乱して済まなかった。今夜は僕が驕るから朝まで存分飲み明かそう」と詫び、飲み直した。

そして、早朝始発の品川駅改札に向かう途中、酔いつぶれたサラリーマン達が転がる半ば野戦病院化した品川駅前路上に、件のハゲ散らかした中年がゲロ塗れで、安らかに眠る姿を見たそうな。



※「ただのまんじゅう武士の始まり」
多田満仲(ただのみつなか)は、平安時代の武士であり、源氏の始祖とされる。
徳川家康も源氏を名乗ったことから、幕臣である旗本の大半も源氏とされるが、真偽は定かではない。
ちなみに、足利尊氏も明智光秀も武田信玄も光GENJIも源氏とされる。


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