ワイルド7の血脈

月刊望月三起也を応援するブログです。

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カムイ外伝の内包しているもの

2009-09-23 23:16:56 | Weblog
デスノートからデトロイトメタルシティを経て(更にTVドラマ「銭ゲバ」)松山ケンイチは、カムイ外伝にたどり着いた。

その特集記事は、ぴあ、キネマ旬報からダ・ヴィンチ更に、毎日流されているCMやバライティ番組へのゲスト出演と広がりを見せているのに驚きもある。

多くの人がこの作品に期待していたのかと驚く。


漫画原作がここまで多くの期待を持たれていたのかと逆に驚く。

「この原作×監督ならば、ある種、民主党の政権交代以上の期待がかけられて当然だろう。」(キネマ旬報)

映像化不能と言われていたこの作品の復活と格差社会、階級社会を守り続けてきた保守政権の崩壊と「友愛を掲げる改革政権」の登場は、長年用意されていたものの体現され実践される時期にさしかかっているのではないかと思わせるように、時期を一致させているのにも驚くばかりだ。


カムイ外伝そのものの感想、「スガルの島」の作品性
相も変らぬ地獄図、殺戮のアクションの世界を見せる事に何の意義があるのか?
などなど沢山、語り補完したい要素はあるもののそれを語りだすとかなり長くなりそうなので、今回は、そこを敢えて語らない。


三種の神器のような
漫画>手塚治虫>白土三平>望月三起也


昭和の漫画の世界を考える中で大きなバックボーンを考えながらいつもその関連を考えながらいたのだけれども
漫画が、カムイ伝ではなく外伝の映像化によって評価が変わっていくことを更に期待したい。

カムイと飛葉は、その孤高で孤独な戦士としては共通している。

強大な悪や権力、そして、組織化した既成の旧体制そのものに対して、戦う弧戦奮闘を願う少年の夢のヒーロー

「独りは、どこまで戦えるのか、その集団やチームは、どこまで戦えるのか」

その最大値を、
ガンダムのウディ大尉のセリフの中でも伺える
「一人の戦いが、どれだけ戦況を…」と言う大人の理屈にもあがないながらも模索してきたものの結晶がここにもあったことを感じている。

あいも変わらず戦争や内乱に人は夢を見ている。
大河ドラマの天地人「関が原の戦い」や三国志を横目で見ながら
未来の戦争を描いたガンダム人気も同様の土壌にあるように思う。

カムイ外伝は、何もない世界からのサバイバル戦争を描いているようであり、またただ忍者を描いているだけではないので、エコにも優しいので、逆に凄惨であっても受け入れられやすかったのかも知れない。

だが、カムイの二番煎じであっては欲しいとは思っていないが、
もう一人の孤高の戦士、飛葉の映像や世間的復活は、どのようなものとしてあるのだろうと妄想しないわけにはいかない。

現代の武器に囲まれ、バイクアクション。
それは、環境問題が叫ばれている中では肩身が狭い戦いを余儀なくされている。
アメリカでの銃乱射事件や秋葉原通り魔事件のナイフ規制があり、
それを超えて、作品の魅力を問いだすとしたなら
今は、曲がり道にさしかかっていると言えるし、過渡期にあるとしか言えない。

「イージーライダー」の昔から神話とするにもまだ時代は現在進行形過ぎると言うわけだ。


飛葉と言うより望月三起也先生が、孤高で孤独なこの分野の擁護者の様にも思えている。


公害を撒き散らし、必要悪として、是認しながら疾走したワイルド7最初の全48巻の模索は、エイリアンの様に企業悪とも対峙したり美学に満ち溢れていた。


カムイとワイルドは、似て非なるものだが、明らかに違う作品、時代背景ながらも漫画世界と言う同じ土壌の中で、少年の夢

「一人でも、どこまで最大限戦え、遠くへ行けるのか?」

それを普遍的土壌で、問い続けたものが評価され始めた事は2009年度の画期的変化に加えられたなら嬉しいことだ。


白土三平先生の世界のイメージは、故深作欣司監督と同じく
第2次世界大戦で焼かれた敗戦の視覚世界だったと思う。
その焼かれた世界の中で、ヘミングウェイの「武器よさらば」のような面持ちで、それでも生の本能や生きることの本質は、戦いであり、競争であることを理解し、矛盾を感じながら
問いだす作品の傑作が、漫画の中では、

カムイ伝とワイルド7に傑出したものを感じてきたのが、昭和ではなかったかと回想する。


「カムイ外伝の内包しているもの」

それは、内ゲバの世界でもある。
山田風太郎の「甲賀忍法帖」の延長上のものを内包していることに気がつかされる。

内ゲバは、政治の世界だけではなく、ガンダムファンの中にも望月三起也ファンの中にもあるだろう。
何か良きメッセージを読み取り好きでそれぞれに集っては来ているものの
黒澤明の「羅生門」の様に立場が違えば視点も違うその反発で出来上がっているのも感じないわけにはいかない。

フランス革命で「自由、平等、友愛」

自由は、帝国主義的資本主義が、
平等は、共産主義国が極度に重んじ、それぞれに滅びかけている。

友愛は、これまで、引き取り手がなく孤児であり、
カムイや飛葉の様に孤高の戦いを強いられていたのではないかと思うのだ。

今後、友愛政治に期待しながらも
良質な少年誌の復興にも目を配っていき友愛戦士となる同志を集っていかなくてはならないのではないかと思う。



集団や組織には、懐疑的だ。
それは、裏切り続けてきたし左翼組織には、絶望した時期が、ある。
内ゲバが、それであり、中心主題として、現代でも乗り越えられていない。


カムイも模索している。

だが、諦めてはならないものだと教えているように思える。

マルクスやゲバラは、好きだが、その名を語っているが、組織化してしまった日本共産党には同情はしても座り心地が悪そうな違和を感じているノンセクトであり続ける孤高の戦士であり続けている。

カムイも模索している。
白土三平先生も模索している。
飛葉も望月三起也先生も模索していて、人生の最終的結語を求めているのではないかと思い、静かに見守り続けているわけです。


赤い巨人の映像化作品は、
「蟹工船」から「カムイ外伝」

「カイジ」

「ゼロの焦点」松本清張生誕100年記念作品(主題歌中島みゆき「愛だけを残してくれ」)

「沈まぬ太陽」(山崎豊子原作)


と続く。



足早だが、高名なドイツの哲学者が、
「偉大なものには、偉大な関係がある。それがないと思う、気がつかぬものは、卑小なものだ」と言っていたものの関係性の一端を描いてみました。



カムイ外伝、倖田來未さん主題歌は、少し違和感があったが、中島みゆきとなると直接的であるし、作品の全てが、好きなものばかりが集まるのも良くないのだろうと思う。

少年誌も全部好きで続きが楽しみな夢の雑誌は出来ないものかと思うがそれは、騒がしいばかりかも。
ワイルド7トリビュートだけを楽しみにヤングキングを買うのも良いなとも思っている今日この頃。



とにかく、時代は、ワイルド7最初の全48巻の時代にようやく追いついてきていると言うことだと考えているわけです。


左翼と内ゲバに絶望した世代の模索の結集が、カムイにはあった。
友愛を問い続けるべき時が来たと思うのでした。



新ワイルド7は、言いたい言いたいと思いながらも後回しになってしまいましたが、
「仁義なき戦い」の様にせっかく良いキャラクターが登場したと思ったらあっという間に死んでしまうのが残念でした。
初代ワイルドのメンバーを越えられなかった。飛葉だけが残り続けている不満があったな~。


私にとっての三大巨人は、
白土三平、
望月三起也、
中島みゆきだったので、現在時の関連性を粗描しようと思いましたが
中島にまでたどり着けませんでした。


階級化や格差社会是認政党は永久に葬り去り
友愛を模索し続けましょう!と言う事で。

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