先々週だったか、パソコンの設定をしながらスターデジオをかけていた。何となく古めの曲が聞きたい気がしたので、邦楽の70年代のチャンネルに合わせていた。順番は忘れたが、沢田研二の「さよならをいう気もない」や南沙織の「色づく街」、天地真理の「想い出のセレナーデ」など、私が小学校に行っているか、それより以前かぐらいの時代の曲が流れていた
「あっ、この歌、記憶にある。懐かしいなあ。」などと思いながら、パソコンの設定作業よりも聴く方に集中していたかもしれない。そのうち、加山雄三が出演していた「高校教師」の主題歌である「裸の青春」が鳴り出した。「うわっ、これ夏木マリだったんだ。」と、初めて歌っていた歌手がわかり、これも懐かしさで聴き入ってしまった。
この番組、中学生の頃に再放送で観たのだと思う。生徒の一人に「坂本」という女子生徒がおり、とてもきれいな女優さんで好きだったことを思い出した。誰がやっていたんだろうと、早速ネットで検索したところ、山内えみ子という女優だった。他に何かに出ていたのかと調べていると、ヌードにもなったことがあることがわかり、せっかく懐かしさに浸っていたのに興ざめしてしまった。あまり便利になるのも考えものである。
ところで、この「裸の青春」の歌詞はとても印象に残るものだった。
たった一度の青春を悔い無きようにと言うけれど 春の嵐の過ぎたあと
何もしなかったと嘆くより ああ 過ち 悔やむほうがまし
という、今ではありふれた、臭い詞なのだが、当事、「青春」という言葉に背伸びした世界のような憧れを抱いていた私は、「青春というのはそういうものなのか。青春時代を迎えたなら、何もしなかったと嘆くよりは、過ちを悔やむ方を選ぼう。」などと本気で思っていたのである。
そして、高校へと入学し、青春時代に突入していったわけであるが、前に触れたとおり、アルバイトに追われる毎日で、何もしなかったと嘆くよりは、過ちを悔やむ方を選ぼう、などといった悠長なことを言っている暇などなく、何もしない時間が欲しいぐらいであった。結局、何もしなくても生活に困ることがない者によって、上から目線で書かれた詞であったわけで、私には全く縁のないものだったのだ。
これとは若干ニュアンスが異なるが、やらなくて後悔するよりは、やって後悔する方がいい、という考えがある。その是非はケースバイケースで一概には言えないのだが、時々私はこの考えに賛同して行動することがある。そう、家電製品を買うときである。今買わなくて後悔するよりは、買って後悔してやろうじゃないか、と。
そして、後悔が続くことになる。