2本の白樺

八ヶ岳南麓の大好きな白樺と40年の歴史を紐解きました

富士山特急の旅

2016-08-24 | 旅行
愛くるしいフジサン特急号とスイスの登山電車(ポスター)



右側車輛 今年(2016年)の1月31日に引退しましたが
シラカンバは偶然にも、猿年、一月中に乗る事が出来たので
いわゆる記念乗車になりました。(往路) 

現在は新型車両が走っています。(河口湖駅)
この車両は白色ですが、4月からはえんじ色の車輛が走っています




同じ観光列車でもこちらは富士登山電車 (復路)





登山電車の外部の丸窓




観光車両の内部



富士急行三つ峠駅
富士山を見ながらの登りやすい山で中学生の時に制覇 
なつかしさでの思い出の駅




途中駅 下吉田駅に動かぬブルートレインの車輛見学と
カフェ―タイムが出来るそうです。
    




珍しいすれ違い
臨時列車や団体列車専用の車両として現役特急
パノラマエクスプレスアルプス号




こちらも珍しい子どもに人気のトーマス号とすれ違い




富士急電車 (河口湖駅発)




快速富士登山電車の内部丸窓より  
世界遺産富士の山の記念写真 (走行中)
  



富士急行線で偶然にもこんなに多くの列車に巡り合えるとは
思いませんでした。 

南麓の歴史の一端(Ⅱ)

2016-08-22 | ヒストリー
水道料金値上げ訴訟裁判

値上の通達前は水道料金、一般町民(選挙権者)は月額基本料1300円
非住民(被選挙権者)は月額基本料3000円の2.3倍でした。

非住民の特殊制を考えればこの位の料金格差は許容範囲と
理解していましたが、通達内容は町民100円の値上げ(1400円)に
対して非住民は2000円の値上げ(5000円)です。
実に3.75倍になります。

この件に関して料金差別は不当と思う多くの人達が町に対して説明の
話し合いを求めましたが、町の方針は強硬で取り敢えずの形式だけの
一方的説明で町の料金の正当性を掲げ、何ら別荘住民の意向を
理解しようとせずに終わらせてしまいました。

諺に(郷に入れば郷に従え)の風潮が当然のこととの考えを押しつけてきた。

又、値上げに不当性を感じて、水道料金を供託している家に対しても
町は各家庭の元栓を封印するという暴挙にでたのです。

この事件は当時、テレビで報道され新聞にも大々的に取り上げられ、
大問題になってしまいました。

ちなみに水道料金問題の元凶となった大門ダム(ダムは建設当時からの
買水契約がバブル時代から右肩上がりの算段になっているため、
バブル崩壊後からはダムから捨てられる膨大な水まで使用水量として
支払っているのです)が取り上げられ”大門題ダム”になってしまいました。
問題を起こした町の名は高根町ですが、”高値町”と漢字を間違える
人が数多くいらっしゃいました。


やむなく、南麓半住民の一部の正義感に燃える行動派は、町の水道料金は
差別過ぎるのではないか?憲法上に違反するのではないか、地方自治法、
水道法等の関連法規に反する違法なものではないかとまとまり、
1999年甲府地方裁判所に提訴せざるを得ませんでした。

因縁の歴史的水問題が復活してしまったのです。

甲斐の国の武田信玄公 の宰領(三分の一湧水)を町長が理解していたら
国民の血税での裁判は避けられ、多くの人が精神的にも肉体的にも
金銭的にも無駄であることが認識されていたはずである。

非常に残念だった。

八ケ岳南麓の別荘所有者を非住民と呼び水道料金格差を当然とする

弱者いじめの暴挙に対応するため、スクラムを組もうと

水道料金問題協議会が発足し、南麓の各別荘地やリゾートマンションから

世話人の役員が選任され

全国を行脚し悪事を正すテレビドラマの 水戸黄門の

『ああ、人生に涙あり』の作曲家の 【木下忠司】氏 が

水道料金を考える会協議会の ≪会長≫ にお引き受けくださいました。







八ケ岳南麓の歴史の一端(Ⅰ)

2016-08-21 | ヒストリー
人生の2番目が他の事と書いていますが、真に思いもよらぬ
水道料金問題に直面した事です。
我が人生で2番目の決断は水道料金に関する裁判でした。

事実であり真実の裁判であり、最高裁判所での判決が終結している
ことなので、八ケ岳の南麓に縁があり山小屋を建てた一人の
半住民(町での呼び方、選挙権がない人達)として、また別荘地の
世話人として取りまとめ役に推薦された経緯に伴い、
南麓地区の歴史の一端として経緯の報告を個人的に報告をしたいと思います。

私達は南麓に山登りや観光の拠点として、また、保養や、レジャーのため
と思い、節約をしながらささやかな夢を追い求め、買い求めたどり
着いた山小屋だった。
しかし別荘が予期せぬ出来事により、トラブルに巻き込まれたくないからと
嫌気がさして、八ケ岳南麓へ来なくなった人もいました。

1998年4月
南麓の旧高根町が町簡易水道事業給水条例を改正する。
一般住民の水道料金は月額1300円から1400円に≪100円の値上げ≫、
別荘住民の負担を月額3000円から5000円に≪2000円の値上げ≫に
増額するといういきなりの一方的な通達から事の発端は始まってしまったのである。

私はまだ若かったのと八ケ岳南麓にご縁があり、大好きな2本の白樺に
巡り合った勢いから、一般的に勝訴のないと言われている行政裁判の訴訟に
不本意ながら参加することになってしまいした。

当時の新聞、ラジオ、テレビなどのマスコミに報道され、南麓の別荘地や
リゾートマンションのオーナーの方たちと共に、水道料金の非平等で
差別的格差に納得出来ないと多くの非住民と呼ばれている人達の賛同を得て、
団体訴訟に進展しました。

もちろんですが、裁判は私を始め多くの方は、人生初めての経験で全くの素人
ですが、幸い別荘のオーナーの方には弁護士の方もいたので、
その方を中心に訴訟が進みました。

旧高根町給水条例
一般的な13ミリ径の水道管の場合、住民は1400円、
非住民(主に別荘所有者)は5000円とする。
冬季の休止は認めない。もし休止後再開栓の場合は権利金として30万円を
その都度支払わなければ水は出さないとする(いわゆる給水停止の暴挙)
などが町議会で決められた。

町に貢献しない部外者にはそれ相応の負担を求めるのが当然という差別的な持論が
あった。

1999年10月
この値上げについて、別荘住民らは【不合理な差別措置】として、旧高根町を相手取り
、条例の無効確認を求めて甲府地方裁判所に提訴したのです。




南麓での出会い

2016-08-18 | ヒストリー
「人生は楽もあれば、苦もあると言う」

テレビドラマ【水戸黄門】(1969年~2011年)の主題歌

『ああ、人生に涙あり』の作曲者は木下忠司氏

兄は映画監督の木下恵介氏


ドラマは水戸の御老侯様と云われる水戸光圀公の物語

視聴者から観れば悪事を裁き、弱気を助けると言う内容がほとんどの

物語で、家臣の佐々木助三郎(助さん)と渥美格之進(格さん)

らと共に諸国漫遊の旅先で悪事の真相究明、世直しを

番組時間内で痛快に解決をするという人気番組であった。


ほとんどのドラマの内容は、立場の弱い被害者から聞き出した事情に

不審な点を見出し、事件の裏に隠された真相、調査に乗り出す。

証言や、証拠が集まり事件が判明したところで、悪事をせいばい

使用とするが悪事を企んだ一行はその地位を利用して

策略を考えて強硬手段に出る。

被害者にとって最悪の状況に追い込まれた時、制止する光圀の

声が割って入り光圀一行が現れ悪事を暴露する。


光圀の正体を知らない悪人一味は〈おのれ、黙って聞いておれば

田舎じじいの分際で、構わん一人残らず切り捨てい~〉、と言って

光圀一行に襲いかかる。助さん、格さん、風車の矢七らと

大立ち回りになり、”光圀が助さん、格さん、もういいでしょう”

と言い、関係者一同に会し、葵の御紋の印籠を掲げて

【こちらにおわす御方をどなたと心得る、畏れ多くも

前(さき)の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ】と云うと

悪人一味は土下座して平伏する。

光圀は追って沙汰を申しつけると裁きを言い渡し、

悪人一味は「ははあ、恐れ入り奉りました」と覚悟を決めるが

最後に「もはやこれまで」と言い、最後の抵抗をするが光圀一行が

成敗をする。


一方被害者側には忠義の若侍や町浪人、百姓に対して

御褒めの言葉を掛けられる。

光圀の裁きで恩を受けた一家は全員で旅立つ御老侯一行の場面で

物語は終結する筋書きが、痛快ドラマとして、長寿番組として

思いでのドラマとして視聴者をとりこにしていた。

テレビドラマの【水戸黄門】の≪ああ、人生に涙あり≫の

主題歌の作曲者が木下忠司氏である。










八ケ岳南麓の牧場風景

2016-08-14 | 気ままな名所
中央高速道路 須玉インターチェンジから
141号線、野辺山方面へ約25分

 小須田牧場   乗馬 引馬 ウェスタン BBⅭ



141号線で約30分 野辺山高原、

 滝沢牧場  乗馬 トラクターで観光 ソフトクリーム BBⅭ






141号線 野辺山高原方面約25分

小林牧場  ジャージ種   



標高1150メートル
冬の凍る程の寒さにも負けずに毎年咲いています





野鳥(ゴジュウカラ)を助けて友達になりました。



牧場風景



牧場風景  


牧場風景    


牧場風景  

龍安寺の石庭の見地

2016-08-09 | 日記
京都の龍安寺の15の石の空間
シラカンバには大海の羅列なのか?




出会いは、遙か昔の修学旅行で龍安寺の縁側に座って

中庭を眺めながら、考えさせられた、興味をそそられたのです。

一般論で有名な庭園ならば学生の身でありながら、

庭師の作為は何か? 木々の配置やバランスはとか、

又四季折々の変化の楽しみは?とか

庭の庭たる意義があると思うので、

庭園作品の趣を変えた美意識を理解しようとしていたのですが、

龍安寺の白砂と羅列した15の石の存在は?とか

単純なるが故に、そこに、何らかの原理を求めようと瞑想していました。

しかし謎を解き明かす糸口は皆無である。

推論の楽しみはシラカンバの胸に、

それが龍安寺の石庭だと思っています。

≪15の石の解明≫は?

≪吾、只、足、知≫は?






最近の南麓での一期一会

2016-08-06 | 日記
二本の白樺 まだまだ  



二本の白樺 まだまだ  



7年かかって地上へと
シラカンバと御対面 嬉しかったかな  




離れようとしないのです 




こちらは嫌われ者のカメムシ
しかし衣装はパリコレ   最先端 



だけど 触らぬ神にたたりなし 




自然の白い色が余りの化粧に 


正に思いもよらない自然とのめぐり合い 




山梨県北杜市三代校舎

2016-08-05 | 気ままな名所
須玉インターチェンジを下りると141号線を小諸方面へ 
15分位走るとおいしい学校の標識があるので右折 
10分位走ると北杜市の桜の名所と三代校舎の
ふれあいの里に到着する。 



三代校舎と云うように、明治、大正。昭和の貴重な
学校の建物が並んでいる。
校庭には五月五日のこどもの日の鯉のぼりが垂れ下がっていた。
さくらと雪と鯉のぼりと云う千歳一隅の機会に恵まれた。





昭和校舎、(おいしい学校)、大正校舎、(農業体験施設)
明治校舎、(旧津金学校)の三代校舎複合施設がある。   





四月二十日、三代校舎ふれあいの里に着くと前日に降った雪が 
桜の花ビラ  にふんわりと乗っていて
満開の桜を更に引き立たせていた。

ふれあいの里は、イタリアン  、和食、パン工房  、宿泊、香りの湯、 
特産品売り場等の複合施設である。





明治校舎の太鼓楼からは、南アルプスの山々を背景に
桜を見つめる事が出来るビューポイントです。