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性転換手術‐美容外科医のBlog

日本で唯一、開業医として永く本格的なMTFSRSに携わってきた医師が、GID(性同一性障害)治療について語ります。

大阪へ(1)

2006-04-30 | Weblog
東京で麻酔科研修を含む形成外科と、美容外科を併せて10年ほど経験をした後、平成4年の春に大阪のある美容外科医院の雇われ院長として赴任しました。ほとんどの美容外科の手術をこなせるようになっていた私はもっと自分の考えを実現できる環境で、自分の理想に合う美容外科をやっていきたい気持ちになっていました。大阪の難波に新設されたその美容外科クリニックは、あるエステ・美容外科クレジット会社の経営でした。もともと東京にすでにその系列の美容外科クリニックがあり、そこで週に1回私がパート勤務をしていた関係で、新しく大阪に開設されるクリニックの院長にどうかと誘われたのです。べつに強制的なノルマはなく、利益をあげさえすれば、私のやりたいように美容外科手術をやってよいということでした。良質な美容外科医療を目指していた私は、雇われ院長という制約はあるものの、今までよりもっと自分の考えや判断で、手術や治療をやっていける環境で、さらに経験を積み重ねたいと思い、引き受けたのです。クリニックの設備は豪華でしたが、あまり宣伝はしなかったので患者さんは少なく、わりと暇でした。会社が医療クレジットのほかに、美容外科紹介センターも運営しており、そこから紹介されてくる患者さんがほとんどでした。よく大手の美容外科の勤務医だと院長やオーナーの売り上げ重視の経営方針で、ノルマ達成の締めつけが厳しいと言われますが、私はそういう経験はあまりしていません。私が常勤していた東京のクリニックは大手でしたが当時はチェーン店ではなく、ある事情で院長が免許停止5年の行政処分を受けていて、現場の美容外科の診療には直接関わることはなかったため、私がいた大半の期間は比較的自由に仕事がやれたのです。しかし何年かいれば、だんだん幹部になり、責任も出てきます。またそうなると、手術も自分に割り当てられた専門分野が中心になり、自分がやりたい他の美容手術に関わりにくくなります。私がいたクリニックでは男性の包茎手術に始まり、二重の埋没法や部分切開、鼻のプロテーゼ手術などに進むと、その先はだんだん自分が主に担当する分野が決まってきました。そのため私は何でもこなしていけるように、週に1~2度は他院でパート医として働いていました。平成4年に院長の現場復帰がきまり、すでに中堅幹部になって責任も重くなり、自由に仕事がやりにくくなっていた私はもっと自分の裁量で、手術をこなしていける仕事場を探していました。

はじめに

2006-04-28 | Weblog
医者になって25年、開業して10年になりますが、今までいっさい広告をしないで、医師や患者さんの紹介を受けた人達だけを診療するという姿勢を貫いてきました。ですから電話でいきなり治療を申し込まれても、たとえそれが一般の女性の美容整形希望であっても、基本的に受けつけませんでした。ただ知られている人達の間では「日本でいちばん無名の有名人」と言われるくらいに知られていたので、紹介された患者さんだけ治療するということでとくに問題はありませんでした。ところが、最近は間接的に知っているという中途半端な認知の人達が増えてきて、困った問題も出てきました。前回のべた、全国的に知れわたった医療事故の報道やうわさのせいで、誤解も多く受けました。ただ当分は今のような、紹介された人だけ受けつけるという診療姿勢を、少なくともHP立ち上げまでは守っていくつもりです。GID治療を混乱なく続けていくにはまだ私の診療システムは十全でなく、このような慎重な方針が必要なのです。ですからこのブログによる情報発信もしばらくは一方向的なものになることをお許しください。その中で、情報を必要とする人達に少しでもお役に立てれば幸いです。

長い沈黙から(2)

2006-04-27 | Weblog
結論は事故から、3年半近くたった平成17年6月末になってようやく出され、1件の事故は刑事事件としない(送検なし)、そしてもう1件の性転換手術事故については発生原因を局所麻酔薬の過量使用、死亡原因を搬送遅延にあるとして、業務上過失致死の容疑で、大阪地検に書類送検されました。新聞報道で、そのようなニュースを見た人も多いと思いますが、何か変だと思いませんか?麻酔薬の使用方法や使用量、搬送時点などすべて事故直後に警察もわかっていることです。そのような理由を結論にして業務上過失致死容疑に問うのに、何故3年半近くも取り調べに時間をかけなければならなかったのでしょうか。そんな理由で送検するなら1年もあれば十分でしょう。実際にはそんなに簡単な問題ではなかったのです。送検を受けて、大阪地検は9ヶ月後の平成18年3月末に起訴猶予(事実上不起訴)という結論を出しました。これだけでも警察の出した結論はそれほど確かなものではなかったと想像できると思います。実は大阪府警が結論を出した1年前から取り調べは大阪地検検事の指揮のもとに進められていたようです。ですから地検も起訴猶予の決定を簡単に出したわけではないのです。この医療事故が実はどういうものであったか、このBlogに関心をもたれる方はもっと知りたいと思われるでしょう。私もこの話題を避けて、これから性転換手術の話をすることはできません。ただ、事故の原因理由については実は真実の解明が今もされていません。警察、検察が4年もかけて業務上過失致死の刑事事件として起訴にもっていけなかった事情や理由が色々とあることを私の口から説明していけるだけです。それで納得がいくかどうかは読まれる方一人一人が判断してください。ただ私は、この私にとっても患者さんにとっても不幸な医療事故を刑事事件として扱われた体験を通じて、色々なことを学び、多くの困難を背負うことにもなりましたが、良いことも得られました。事故当初の私の危惧と違い、私の性転換治療が警察、検察には結局全く問題にされなかったことです。実はこの点からも徹底した調査が行われ、事故事例においても他のカルテ提出した多くの事例についても、私の性転換手術治療自体に関しては何も問題にされませんでした。やはり時代は変わってきました。このBlogを通じて私の性転換治療の歴史、実情、考え方や意見も述べていきたいと思います。そしていずれはHP立ちあげへと移行したいと考えています。

長い沈黙から

2006-04-27 | Weblog
ようやく自分から、情報発信していこうかという気分になってきました。Websiteを使った情報発信が人を相手にする仕事の世界では当たり前のようになって久しくなりますが、色々な事情があって、私はそういうことをあえて遠ざけてきました。一方、10年以上にわたって、多くの人々の M to F 性転換手術に関わってきたため、一部の口コミやネット掲示板、マスコミ報道を通じて、事実と異なる情報がかってに流れだし、仕事に支障をきたすことも多くなってきました。思えば5年ほど前、かなりの数の治療実績を有するようになり、そろそろインターネットや学会活動を通じた情報発信を何らかの形で少しずつ始めていこうかと考えはじめた矢先に、医療機関にとっては一番の大問題となる医療事故が最も不幸な形で発生し、私は否応なしに目先の問題の解決に追われるようになり、公的には当面、沈黙を強いられざるをえない状況に追い込まれました。立て続けに起こった2件の業務上過失致死容疑で、警察の取り調べを受けることになり、うち1件が性転換手術だったわけです。しかしこれらの医療事故については、事故の内容から、1年くらいで調査の結論が出て、刑事事件としての問題は解決、つまり事件性はないという結果に落ちつくのではないかという楽観的な見通しを立て、むしろそれ故に私は、警察としては簡単に処罰無しにはしにくいため、性転換手術の適応の是非という本来事故原因とは全く無関係の問題にすり替えて、別の刑事事件にしていくのではないかという危惧を抱いていました。実は当時、私が性転換手術をしていることはすでに大阪の一部の所轄警察署では知られており、それに対して何も問い合わせを受けるようなことはなく、実際上この治療を進める上での心配事にはもう少しもなっていませんでした。しかし、医療事故という場合になったら、そういうわけにもいかなくなるのではないかというのが、当時の私の一番の危惧だったのです。ですから、事故の調査にも積極的に応じ、性転換手術の進め方についても詳しく説明し、警察にできるだけ悪い印象を持たれないよう努め、何一つも問題にされないよう配慮しました。警察の調査が終わるまで、捜査妨害に見られてしまうような言動や行動は一切慎み、捜査に全面協力するという態度を守り続けたわけです。しかし、当初の私の予想と異なり、事故に対する判断材料や資料は十分あるにもかかわらず、警察の調査は異常に長く続きました。(続く)