京都市左京区
「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」 (古都探訪 57)

「黒谷さん」として市民に親しまれ、法然上人がはじめて草庵を営まれた地として知られる浄土宗の名刹。

応仁の乱で焼失のち1860年に再建された山門(一度潜って踵を返しています)

その桜上正面には、後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額が、輝きを放っている。

山門より御影堂(みえいどう)を望む。
此の山門から御影堂にかけての参道筋は、まるで時代劇に登場しそうな独特の雰囲気が漂い魅了される。

納骨堂(旧経蔵)
元は経蔵として1689年、称悦法師が寄進建立した。

現在は「法然上人八百年遠忌(2011)」記念事業の大修理によって、納骨されたお骨で造立した阿弥陀如来「骨仏」を本尊とし、有縁の納骨者の霊を供養する「納骨堂」となっている。

阿弥陀堂。
1612年、豊臣秀頼が再建した諸堂宇中最も古い建物。 堂内には恵心僧都最終の作、本尊阿弥陀如来が納められている。

御影堂(みえいどう)
大殿(だいでん)ともいい、法然75歳時の肖像(坐像)を安置する。 火災により焼失のち、1944年に再建された。

幕末には京都守護職である会津藩の本陣が置かれた場所で、約1,000人が常駐し、1年ごとに交代したという。 しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。
photo by OLYMPUS OM-D EM-5Ⅱ