京都市東山区 「高台寺」 (古都探訪・77)
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高台寺は1606年、豊臣秀吉の正室北政所が菩提を弔うために建立した、臨済宗建仁寺派の寺院。
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当初、伏見城の一部を移築し徳川家の多大な援助もあり壮観を極めたが焼失し、今は表門、開山堂、霊屋、茶室の傘亭・時雨亭、観月台等を残すのみとなった。 尚写真は遺芳庵で、1908年に上京区の旧邸跡から移築したもの。
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庭園と観月台(重文)
書院と開山堂を結ぶ屋根つき廊の途中にある小規模な建築物。
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ここから北政所は、亡き秀吉を偲びながら月を眺めたという言い伝えが残る。
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ピークはしだれ桜が咲き乱れる春と、晩秋の紅葉シーズンとなる。
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開山堂(重文)
書院の東方、庭園内に建つ入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂。
元の持仏堂で、秀吉が使用した御座船と、内陣中央に北政所の御所車の遺材を用いたとされる天井がある。
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霊屋(重文)
開山堂の東方、一段高くなった敷地に建つ宝形造檜皮葺きの堂で、内部向かって右の厨子には豊臣秀吉の坐像、左の厨子には北政所の片膝立の木像がそれぞれ安置されている。 なお、北政所は自身の像の、約2㍍下に葬られている。
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茶室、傘亭と時雨亭(写真奥・共に重文)
どちらも利休好みの茶室で土間廊下でつながっているが、元は別々に建っていたとの説が有力。 また北政所がこの茶室にて、空を焦がす大阪城の落城を見て涙したとも伝わる。
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茶室から境内に下る山裾にかけ竹林がうっそうと茂るさまは、まるで秀吉とねねの御霊を静かに見守りつつ、現代の喧騒から遮蔽しているように思えた。
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