2017年7月23日 「祇園祭・後祭・宵山」 (古都探訪 78)
もはや観光客向けのお祭りフィーバーと化した激混みの前祭を避け、古都祇園らしい雰囲気が味わえる後祭の宵山に、夕涼みがてら出かけてみた。
尚、後祭には山鉾が10基巡行するが、その内7基を紹介しよう。
*巡行後の数字は24日の順番です。
鯉山(こいやま)・山鉾巡行3番
中国黄河の難所である龍門の滝を登った鯉は龍になるという故事・登竜門に由来する。
黒主山(くろぬしやま)・山鉾巡行9番
謡曲・志賀に歌われている平安時代の歌人で、六歌仙の一人である大伴黒主に由来する。
「見送り」「胴掛」「前掛」「水引」など絨毯の紋様、装飾にもそれぞれ歴史といわれがあり、事前にリサーチしておくと、祭りを数倍楽しむことができる。
祇園會の無病息災と某老舗の創業279年を祝い掲げられた279匹の鯉。
役行者山(えんのぎょうじゃやま)・山鉾巡行4番
役行者が一言主神を使って葛城山と大峰山の間に石橋を懸けた伝承に由来。
八幡山(はちまんやま)・山鉾巡行5番
町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、通常は町会所の庭にお宮を祀る。
北観音山(きたかんのんやま) くじ取らず
「上り観音山」ともいわれ、後の祭の山鉾巡行の先頭にたつ。
破風の彫刻は天保4年片岡友輔(かたおかゆうほ)の作で、上水引、下水引は雲龍文及び人物風景の巧緻な刺繍である。
胴掛はトルコ花文の緞通が用いられ、見送は雙鳳群児文(そうほうぐんこもん)の綴錦であり、欄縁などの錺金具(かざりかなぐ)の精巧さとけんらんさは、一層二の山を華麗なものとしている。
南観音山(みなみかんのんやま) くじ取らず・山鉾巡行・6番
楊柳観音像と脇侍の善財童子像を祀る曳山。 下り観音山ともいわれる。
俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがある。
大船鉾(おおふねぼこ) くじ取らず
元治元年の大火により焼失したが、平成26年に150年ぶりに巡行に復帰した。 別名「凱旋の船」ともいわれ、後祭の殿(しんがり)を務める。
昨年復活し話題となった龍頭(写真右)は今年お休み。
後祭に合わせ催される「後祭屏風祭」 期間は7月21日から23日。
山鉾町の旧家、老舗が屏風・書画・調度品・美術工芸品などの家宝を、虫干しを兼ね飾るもの。
期間中町家の格子を外し、宵山を楽しむ通行人に披露する。
涼やかで心地よいコンチキチンの祇園囃子の音色が、しばらく脳裏から離れなかった。
photo by OLYMPUS OM-D EM-5Ⅱ
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