私の平凡な人生

生まれてから74歳迄の平凡な人生記録。

人生3毛作

2010年07月08日 | 日記
2010年7月4日で私は満72歳になった。
生涯現役も良いが、私は人生3毛作で生きたいと思う。
今、私の息子2人は其々独立して親には近づかない。
長男とは色々あって連絡を絶っている。
次男は親に内緒で最近結婚したが
相手は30歳の年増看護婦らしい。
看護婦は夜勤が多く、30歳迄結婚しなかったのは
何故かその理由を知りたい。
しかも、次男は女房の云う通りで本籍は移すは
更に女房の勤務地の近く住居を移すで全く呆れる。
自分の会社には毎日片道1時間要して通勤し
女房は徒歩通勤。
私の家(次男の実家)は遠くなった。
このままでは次男は女房実家がある長野市に連れて行かれると思う。
私は
NEC時代の人脈は自営業の時代に
意識的に私から連絡を絶った。
又、経営コンサルタント時代の人脈も
これから連絡を断とうと思っている。
私は無神論者であるので
「葬儀、戒名、墓は要らないと」考えている。
今は自分の両親、妻の両親も亡くなり
自分の兄弟、親戚とも色々あって今は連絡を絶っている。
私の74歳迄の人生良かったか悪かったか、分からない。
この先に孤独死があるのか、
穏やかな死があるのかも分からない。
こんな詩を作っている。

1.一つの命が生まれる。
  この命の役割は。
  命って何んなのだろう。
2.一つの命は他の一つの命を
  犠牲にして命を保つ。
  命って何んなのだろう。
3.一つの命が消えた。
  この命の役割は終わったのか。
  命って何んなのだろう。

1.余命3年と告げられたら
  1年で仕事を整理し
  2年目は愛する家族に尽くし
  3年目は自分記録を残し
  愛する家族に見守らる中で
  一人静かに死んで行く。
2.余命3年と告げられたら
  今迄真面目に生きて来たが
  良き事無かったので
  本能のままに生きて
  借金残し
  借金取りの怒声の中で
  一人静かに死んで行く。
3.余命3年と告げられたら
  今迄の生き様を反省し
  自分の余命は人の為と使い
  苦しい息で自己満足を味わい
  人々の涙の中で
  一人静かに死んで行く。

1.川の流れの様に
  緩かに月日は
  過ぎて行き。
2.川の流れの様に
  穏かに月日に
  この身を任せ。
3.川の流れの様に
  静かに月日の
  ささやきを聴く。

私がこの様な虚無感を持つ遠因を考えると
①父親無き後の幼児期の極貧。
②NEC入社後の会社人間。
 (家庭を犠牲にした仕事人生)
③NEC子会社出向移籍中の苦労
  (NEC横浜事業所構内からの追い出し)
  この為NEC正門前の空地に建物を建て
  15年間の賃貸契約を行う。
  (自主事業の立ち上げとその後の展開)
④42年間のNEC退職後のNEC横浜事業所の閉鎖と売却
  現在は横浜ララポ-トとなって当時の面影全く無し、
  私が苦労したNECエンジニアリング横浜事業所の建物も
  現在は全く無くなっている。
⑤同時期に進出した松下通信工業の発展とNECの衰退。
⑥2011年2月28日、胃の診断受けた結果の摘出手術を受け医者に
  告げられて限られた寿命を何と無く自覚。
⑦次男の親に内緒の気に入らない突然の結婚。
  以上の体験によって自分の人生は何だったのかの自問自答。

追伸:最近自分の生き方を反省して
    他人の事を優先する様に心掛けています。