手賀沼日記

ゼロ戦の思い出

先日千葉県内の畑で、かの有名なゼロ戦(零式戦闘機)の部品が発見されたという新聞記事がありました。

それで思い出したのですが、今は昔、戦時中(という言葉がありました)私は幼児でしたが、ゼロ戦の内部に入ったことがあります。近くの歩兵連隊で、軍用機数機を並べ、一般に見せる催しがありました。退役軍人であった祖父に連れられ見に行きました。

兵士に「坊ちゃんどうぞ」と言われ、機内に入りました。数機の中に入った記憶がありますが、はっきり記憶しているのは、ゼロ戦複座機でした。

最近ゼロ戦はすべて単座機(一人乗り)ではないか、なのに複座機(二人乗り)とは、はてな?という疑問が浮かびました。調べてみると訓練用に複座機がありました。前の座席に訓練生、後ろの座席に教官が乗るようになっていたのです。私が入ったのはまさにそれですね。幼児の記憶が間違っていなかったのです。

昨日のことさえ忘れるのに、ずいぶん昔のことを覚えているとは不思議です。

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コメント一覧

watanabe_march
jikan314様
コメントありがとうございます。有名なゼロ戦だけに、人により、年代によりいろいろなかかわり方があるのですね。
ブログ毎日拝見しております。すごいですね。感服です。私も古典を読み直さねばと考えています。大好きな今昔物語から始めましょう。私が海外勤務に際して持って行くのは、今昔、平家、徒然草なのです。
jikan314
いつも拝見しております。
我が父は、零戦に乗るために、入隊し、霞ヶ浦で訓練し、複葉練習機に乗り終戦を迎えました。
いつも発進の訓練ばかりで、着陸の訓練は無かったそうです。だから今私が生まれたんだなあと思います。
来週、田舎で父の25回忌をするが、例の疫癘多発地帯からなので来る事非ずです。
父を思い出す切っ掛けの貴blogに感謝いたします。
拙句
帰らざる雁もありとや風呂を焚く
(季語は七十二候鴻雁北 。雁風呂の故事を踏まえて)
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