皆様、今晩は
少しばかり、遅れた 書き込み にはなってしまうのだが、11月3日は、埼玉県狭山市の航空自衛隊入間基地 に於いて、毎年恒例の『入間航空祭』が開催された。勿論、わたしも楽しめた事は楽しめたのである。
しかしながら、わたし自身にとっては、結果的には最悪の日 になってしまった 。わたしの自転車 は早々にパンクしてしまって 、しかも大事な眼鏡も壊れてしまった のである 。
毎年11月3日(文化の日)、航空自衛隊入間基地 で開催される『入間航空祭』へ出掛けるに際しては、わたしは自転車に乗って 出掛けていたのである。まだ鳥も目覚めない、暗いうちに起きて、食事 をきちんと摂って、身支度を整えると、わたしは自転車に乗って、家を出て府中街道へ走り出た。
しかしながら、わたしが、JR中央線西国分寺駅に近付いたその時、何と自転車がパンクしてしまった それでも、わたしは躊躇わずに、JR中央線西国分寺駅の北口にある有料駐輪場に自転車 を預けてから、即座に電車で行く 事に、決定したのであった。
JR中央線、西武国分寺線、西武新宿線、西武池袋線のコースである。わたしが電車で、『入間航空祭』に出掛ける のは、実に久しぶりだった。たまには、電車で行く のも良いだろう。
幸いにもこの日は、『入間航空祭』の為の往復切符が、西武鉄道国分寺駅で発売されていたのである。これは、大助かりであった
『入間航空祭』へは西武池袋線・稲荷山公園駅を降りて、少し南へ歩いた ところにある、航空自衛隊入間基地の稲荷山門から入る人が一番多い。わたしが来た 時にも、大勢の人々が、早くも稲荷山門の前に並んでいた。他にも、正門や北門からも入れるのであるが、開門は朝9時00分なのである。
朝8時00分。航空自衛隊入間基地 に「君が代」が流れた。それと同時に、南側の正門近くの1号庁舎の前では、国旗も掲揚 される。門衛の航空自衛隊・航空警務隊も、「君が代」を直立不動で聞いていた。
それから暫くして、稲荷山門が開かれたが、会場に入る にはまだ間があった。航空警務隊や警備員がロープを張りながら、入場者を少しずつ進めて行った。他の基地祭や駐屯地祭と違って、『入間航空祭』では、手荷物 検査が一切無い。都心からも近いし、交通の便が良いという事もあるので、毎年何万人もの人々が訪れるからである。事実、今年の来場者は23万人を数えたらしい。
朝9時00分になると、稲荷山門と正門が同時に開門して、ロープが解かれた。その次の瞬間、航空自衛隊入間基地 の中を通る、西武池袋線の踏切の彼方の会場に向かって、大勢の人々がメインストリートで恒例の全力ダッシュを始めてしまったのであった。
ところが、わたしはそのドサクサに巻き込まれてしまい、愛用の眼鏡を落としてしまった 。航空警務隊が漸く見つけてくれた時には、愛用の眼鏡は無残に壊れてしまっていたのであった 。そして、眼鏡のレンズも、片方が無くなっていた 。
だがわたしは、構うものか とばかりに開き直って、会場の航空自衛隊入間基地 に入って行ったのである 。
西武池袋線の踏切を越えると、そこから先が会場となる、飛行場 地区である。会場に入った人々は、航空機 の写真(画像)を撮影したり、模擬店でグッズを買い込んだり 、航空自衛官とお話をしたりと、様々である。
また、会場の一角では、ブルーインパルスのパイロットやグランドクルー(地上要員)に、サイン を求める行列が出来ていた。ブルーインパルスは、日本全国のどこの航空祭でも、大人気 である。
わたしも、買ったばかりの公式ガイドブックに、パイロットやグランドクルーのサイン をして貰ったが、貰い損ねた人もいたのだから、サインの数は例年よりも、少なかったのだろうか。
まあ、良い。その分、年賀状を書いて送れば、ブルーインパルスの士気も、「どーん」と高揚する事になるだろう。
地元の航空総隊司令部飛行隊や第402飛行隊、飛行点検隊や入間ヘリコプター空輸隊はもとより、救難隊がジェット機やプロペラ機、ヘリコプターなど、各々の部隊で使用している各種の航空機 で飛行展示を披露すると、大勢の人々の間から、歓声と拍手と口笛が沸き起こった。
特に、第402飛行隊のC―1輸送機から、千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団から参加した、約10名の空挺隊員が、「空の神兵」という歌が会場に流れる共に、パラシュート降下して来た時がそうだった。
ただ、惜しむらくは、『入間航空祭』が開催されている間は、会場である航空自衛隊入間基地 の上空が、ずっと憂鬱な厚い雲 に覆われていた事であろうか。11月3日は、『晴れの特異日』だと言われているのに
雨が降らなかっただけ、まだ良かったのであるが、その憂鬱な厚い雲 の為に、わたしも良いショット(静止画像)がなかなか撮影出来なかった。音声付きの動画は、幾つか撮影出来たけれども、11月3日の曇り空を心の底から恨んだ人が多かった事だけは、確実だろう。
おまけに、他所のホームページ の掲示板で見ると、今年の『入間航空祭』では、マナーの悪さが、多く目に付いていた。わたしは西暦1991年から、『入間航空祭』には今年まで毎年欠かさずに出掛けている のだが、そこは「軍事施設」であるがゆえに、「一定のルール」は弁えている。それなのに、
『会場には脚立やレジャーシートなどの持ち込みは御遠慮下さい』
とプログラムに明記されているにもかかわらず、堂々とレジャーシートを広げている者が、多かったのである。自分(又は、自分達)さえ良ければ良いというのか
さて、午後になると、いよいよ大勢の人々がお待ちかね、我が日本の航空祭の真打である、ブルーインパルスの開始である。その前に食事やトイレを早く済まそう という人が多かったのも事実だが、昼食 の時間帯になると、会場の模擬店一帯がもみくちゃ の状態になるので、身動きも取れなかった 。
勿論、仮設トイレもある事はあるのだが、どこも長蛇の列で、なかなか進まないのである 。それでも、わたしは「もう駄目」というほどでもなかったので、すぐさまブルーインパルスを見ようと、急いだ。
ブルーインパルスは、パイロットとグランドクルーの巧みな連携で、発進準備を完了すると、会場に集まった、わたしを含めた大勢の人々が手を振ったり、帽子 を振って見送る中を、6機で滑走路に向かった。操縦しているパイロットも、わたし達に手を振り返してくれていた。わたしは、「帽ヲ振レー」の要領で、帽子 を振って、見送った。
そしてブルーインパルスは、白いスモークを引きながら空へ舞い上がった。
憂鬱な曇り空の下でも、わたしを含めた大勢の人々の、熱い眼差しが、ブルーインパルスに向けられている。憂鬱な曇り空のせいで、白いスモークが見え難かったものの、それでも見事に演目を進めて行くのだから、本当にブルーインパルスは、大したものである。
そして、「キューピッド」という、大人気の演目が実施された。これは並列編隊で会場に進入した2機が垂直上昇 して、高度6500フィート付近からループして、スモークで、大空にハートを描き、そこへもう1機が矢を射抜くように突き抜けて行くという演目である。その答えは、勿論これである。
ハートは垂直・斜め・水平の3パターンがあるが、11月3日は垂直で実施された。ブルーインパルスの様々な演目の中でも、わたしはこの演目が、一番お気に入りである。
「バーティカル・キューバン・エイト」、「スター・クロス。様々な演目は大勢の人々の、遥かなる大空への憧れを、実現されてくれるように見える。
ブルーインパルスの4機編隊が「ローリング・コンバット・ピッチ」、2機編隊が「コーク・スクリュー」を披露すると、それがフィナーレとなる。同時に大勢の人々は、一斉に帰路に付くのだが、わたしはブルーインパルスの着陸や花束贈呈 による演目の無事完了 を見届けて、或る建物の前で待っていた。そこが、ブルーインパルスのパイロットが戻る場所だと、経験的に知っていた。勿論、わたしと同じ事を考えている人も多くて、彼らが戻って来るとやんやの拍手喝采 が起こった。わたしもその建物の前で、彼らを敬礼で出迎えながら、称えた 。
「素晴らしい飛行展示でした 感動しました」
「おお ありがとうございます 」
ブルーインパルスのパイロットは、わたし達にそう答えてくれた。
暫くすると、地上展示されていた外来機の一部は、各々の本拠地へ帰って行ったのであるが、ブルーインパルスも帰途に着く時が来た。ブルーインパルスは先程と同じように、パイロットとグランドクルーの巧みな連携で発進準備を完了すると、会場に集まった、わたしを含めた大勢の人々が手を振ったり、帽子 を振って、名残惜しく見送る中を、予備機も含めた7機で滑走路に向かった。操縦しているパイロットも、わたし達に手を振り返してくれていた。
ブルーインパルスが、本拠地である宮城県の航空自衛隊松島基地 へ帰って行くのを、わたしは『ニルスの不思議な旅』の最終回のニルスのように、見送っていた。そしてわたしも、西武鉄道の往復切符を利用して、自分の好きな道順で帰って行った。
自転車 のパンクやその他の修理、そして愛用の眼鏡の損壊 により、その出費は大変なものになってしまったのである 。
少しばかり、遅れた 書き込み にはなってしまうのだが、11月3日は、埼玉県狭山市の航空自衛隊入間基地 に於いて、毎年恒例の『入間航空祭』が開催された。勿論、わたしも楽しめた事は楽しめたのである。
しかしながら、わたし自身にとっては、結果的には最悪の日 になってしまった 。わたしの自転車 は早々にパンクしてしまって 、しかも大事な眼鏡も壊れてしまった のである 。
毎年11月3日(文化の日)、航空自衛隊入間基地 で開催される『入間航空祭』へ出掛けるに際しては、わたしは自転車に乗って 出掛けていたのである。まだ鳥も目覚めない、暗いうちに起きて、食事 をきちんと摂って、身支度を整えると、わたしは自転車に乗って、家を出て府中街道へ走り出た。
しかしながら、わたしが、JR中央線西国分寺駅に近付いたその時、何と自転車がパンクしてしまった それでも、わたしは躊躇わずに、JR中央線西国分寺駅の北口にある有料駐輪場に自転車 を預けてから、即座に電車で行く 事に、決定したのであった。
JR中央線、西武国分寺線、西武新宿線、西武池袋線のコースである。わたしが電車で、『入間航空祭』に出掛ける のは、実に久しぶりだった。たまには、電車で行く のも良いだろう。
幸いにもこの日は、『入間航空祭』の為の往復切符が、西武鉄道国分寺駅で発売されていたのである。これは、大助かりであった
『入間航空祭』へは西武池袋線・稲荷山公園駅を降りて、少し南へ歩いた ところにある、航空自衛隊入間基地の稲荷山門から入る人が一番多い。わたしが来た 時にも、大勢の人々が、早くも稲荷山門の前に並んでいた。他にも、正門や北門からも入れるのであるが、開門は朝9時00分なのである。
朝8時00分。航空自衛隊入間基地 に「君が代」が流れた。それと同時に、南側の正門近くの1号庁舎の前では、国旗も掲揚 される。門衛の航空自衛隊・航空警務隊も、「君が代」を直立不動で聞いていた。
それから暫くして、稲荷山門が開かれたが、会場に入る にはまだ間があった。航空警務隊や警備員がロープを張りながら、入場者を少しずつ進めて行った。他の基地祭や駐屯地祭と違って、『入間航空祭』では、手荷物 検査が一切無い。都心からも近いし、交通の便が良いという事もあるので、毎年何万人もの人々が訪れるからである。事実、今年の来場者は23万人を数えたらしい。
朝9時00分になると、稲荷山門と正門が同時に開門して、ロープが解かれた。その次の瞬間、航空自衛隊入間基地 の中を通る、西武池袋線の踏切の彼方の会場に向かって、大勢の人々がメインストリートで恒例の全力ダッシュを始めてしまったのであった。
ところが、わたしはそのドサクサに巻き込まれてしまい、愛用の眼鏡を落としてしまった 。航空警務隊が漸く見つけてくれた時には、愛用の眼鏡は無残に壊れてしまっていたのであった 。そして、眼鏡のレンズも、片方が無くなっていた 。
だがわたしは、構うものか とばかりに開き直って、会場の航空自衛隊入間基地 に入って行ったのである 。
西武池袋線の踏切を越えると、そこから先が会場となる、飛行場 地区である。会場に入った人々は、航空機 の写真(画像)を撮影したり、模擬店でグッズを買い込んだり 、航空自衛官とお話をしたりと、様々である。
また、会場の一角では、ブルーインパルスのパイロットやグランドクルー(地上要員)に、サイン を求める行列が出来ていた。ブルーインパルスは、日本全国のどこの航空祭でも、大人気 である。
わたしも、買ったばかりの公式ガイドブックに、パイロットやグランドクルーのサイン をして貰ったが、貰い損ねた人もいたのだから、サインの数は例年よりも、少なかったのだろうか。
まあ、良い。その分、年賀状を書いて送れば、ブルーインパルスの士気も、「どーん」と高揚する事になるだろう。
地元の航空総隊司令部飛行隊や第402飛行隊、飛行点検隊や入間ヘリコプター空輸隊はもとより、救難隊がジェット機やプロペラ機、ヘリコプターなど、各々の部隊で使用している各種の航空機 で飛行展示を披露すると、大勢の人々の間から、歓声と拍手と口笛が沸き起こった。
特に、第402飛行隊のC―1輸送機から、千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団から参加した、約10名の空挺隊員が、「空の神兵」という歌が会場に流れる共に、パラシュート降下して来た時がそうだった。
ただ、惜しむらくは、『入間航空祭』が開催されている間は、会場である航空自衛隊入間基地 の上空が、ずっと憂鬱な厚い雲 に覆われていた事であろうか。11月3日は、『晴れの特異日』だと言われているのに
雨が降らなかっただけ、まだ良かったのであるが、その憂鬱な厚い雲 の為に、わたしも良いショット(静止画像)がなかなか撮影出来なかった。音声付きの動画は、幾つか撮影出来たけれども、11月3日の曇り空を心の底から恨んだ人が多かった事だけは、確実だろう。
おまけに、他所のホームページ の掲示板で見ると、今年の『入間航空祭』では、マナーの悪さが、多く目に付いていた。わたしは西暦1991年から、『入間航空祭』には今年まで毎年欠かさずに出掛けている のだが、そこは「軍事施設」であるがゆえに、「一定のルール」は弁えている。それなのに、
『会場には脚立やレジャーシートなどの持ち込みは御遠慮下さい』
とプログラムに明記されているにもかかわらず、堂々とレジャーシートを広げている者が、多かったのである。自分(又は、自分達)さえ良ければ良いというのか
さて、午後になると、いよいよ大勢の人々がお待ちかね、我が日本の航空祭の真打である、ブルーインパルスの開始である。その前に食事やトイレを早く済まそう という人が多かったのも事実だが、昼食 の時間帯になると、会場の模擬店一帯がもみくちゃ の状態になるので、身動きも取れなかった 。
勿論、仮設トイレもある事はあるのだが、どこも長蛇の列で、なかなか進まないのである 。それでも、わたしは「もう駄目」というほどでもなかったので、すぐさまブルーインパルスを見ようと、急いだ。
ブルーインパルスは、パイロットとグランドクルーの巧みな連携で、発進準備を完了すると、会場に集まった、わたしを含めた大勢の人々が手を振ったり、帽子 を振って見送る中を、6機で滑走路に向かった。操縦しているパイロットも、わたし達に手を振り返してくれていた。わたしは、「帽ヲ振レー」の要領で、帽子 を振って、見送った。
そしてブルーインパルスは、白いスモークを引きながら空へ舞い上がった。
憂鬱な曇り空の下でも、わたしを含めた大勢の人々の、熱い眼差しが、ブルーインパルスに向けられている。憂鬱な曇り空のせいで、白いスモークが見え難かったものの、それでも見事に演目を進めて行くのだから、本当にブルーインパルスは、大したものである。
そして、「キューピッド」という、大人気の演目が実施された。これは並列編隊で会場に進入した2機が垂直上昇 して、高度6500フィート付近からループして、スモークで、大空にハートを描き、そこへもう1機が矢を射抜くように突き抜けて行くという演目である。その答えは、勿論これである。
ハートは垂直・斜め・水平の3パターンがあるが、11月3日は垂直で実施された。ブルーインパルスの様々な演目の中でも、わたしはこの演目が、一番お気に入りである。
「バーティカル・キューバン・エイト」、「スター・クロス。様々な演目は大勢の人々の、遥かなる大空への憧れを、実現されてくれるように見える。
ブルーインパルスの4機編隊が「ローリング・コンバット・ピッチ」、2機編隊が「コーク・スクリュー」を披露すると、それがフィナーレとなる。同時に大勢の人々は、一斉に帰路に付くのだが、わたしはブルーインパルスの着陸や花束贈呈 による演目の無事完了 を見届けて、或る建物の前で待っていた。そこが、ブルーインパルスのパイロットが戻る場所だと、経験的に知っていた。勿論、わたしと同じ事を考えている人も多くて、彼らが戻って来るとやんやの拍手喝采 が起こった。わたしもその建物の前で、彼らを敬礼で出迎えながら、称えた 。
「素晴らしい飛行展示でした 感動しました」
「おお ありがとうございます 」
ブルーインパルスのパイロットは、わたし達にそう答えてくれた。
暫くすると、地上展示されていた外来機の一部は、各々の本拠地へ帰って行ったのであるが、ブルーインパルスも帰途に着く時が来た。ブルーインパルスは先程と同じように、パイロットとグランドクルーの巧みな連携で発進準備を完了すると、会場に集まった、わたしを含めた大勢の人々が手を振ったり、帽子 を振って、名残惜しく見送る中を、予備機も含めた7機で滑走路に向かった。操縦しているパイロットも、わたし達に手を振り返してくれていた。
ブルーインパルスが、本拠地である宮城県の航空自衛隊松島基地 へ帰って行くのを、わたしは『ニルスの不思議な旅』の最終回のニルスのように、見送っていた。そしてわたしも、西武鉄道の往復切符を利用して、自分の好きな道順で帰って行った。
自転車 のパンクやその他の修理、そして愛用の眼鏡の損壊 により、その出費は大変なものになってしまったのである 。