山葵の別荘

京のお山の斜面の小屋で、ときどき描いたりつくったり。
与太を飛ばすのが仕事です。

シンギングボウル

2016年07月17日 22時15分05秒 | Weblog
ちょっと買物があったので、高野のカナートへ。

インド系の雑貨屋さんによく立ち寄るのだが、
なにやら楽器のようなものがいくつか並べてあり、
ちょこちょこ触っていたのだけれど。
ふと気づくと、白髪まじりのベリーショートのすごく美しい店員さんが横に立っていて
私の触っていた仏壇のチーンのようなものを
「これはね」と使い方を教えてくれた。

普段、私は店員さんに声をかけられるのがとても苦手なのに
とても心地よくすっと入ってこられた。

手のひらサイズの金属のボウル。
一度叩いてその響きを引き延ばすように外側の縁をなでていく
「これは簡易版で、本当はこっちのサイズなんですよ」
と、その奥にあった、小振りなスイカを半切したぐらいのサイズのものを手に取る。

「これを、こう乗せて」
と手のひらにボウルを乗せ
今度は叩かずにつうっと外周を何度かなぞると、
その無骨な単なる金属のボウルが、
いきなりすごい音を発しはじめた。

背中から肚の底に響くその音に、ほんとうにびっくりしてしまった。
倍音てこれか

瞑想アプリなんかで耳にしたことのあるあの音、
本物の音を直接聴くのは初めてで
あまりの衝撃に、ほんとうに、
ちょっと言葉にならないぐらい揺さぶられてしまった。

ここしばらく、こんな状態になったことがなくてしばらくドキドキしていた。
数時間たってもまだ余韻が残っている。

久しぶりに、「どうしても欲しい!!」とおもってしまったのが
チベットの宗教道具で一万円以上もするものって、
私いったいどうしたらいいんだ。

ちなみに、演奏者や、その体調によっても音が異なるらしく、
店員さんが出したその音は、何度試しても私では出なかった。
どうしてもノイズが出るし、響きも濁って音域も違って執拗にならしてしまった。

すごくよいものを知ってしまった。

根底にあるもの

2016年07月04日 20時08分28秒 | Weblog
私が、このひとはもっとも作家だ、と思っていた友人と話した。

本当に痛々しいほどに血肉をけずるやり方をするひとで
彼女の一言は
無意識にとても私をえぐる、そんな質の人だったのだけれど

そのまんま、野生のままに望んで彼女はたくさんのスイッチを切り
結婚、出産を経て
その状態で昨日話したのですが。


「ものを創る事に、常に罪悪感が有った」
といっていた。それは重々しい告白といったたぐいでなく
ごく自然な会話として。

しかしそこで聞いた幼少期の話はとてもせつなく

自分の身の上を思い返してただひたすら私はおめでたくありがたく

あまやかされて生きて来たのだと思った。
そりゃ私のアタマがおめでたいからだけど

でもだからこそ
降りなくていい、とおもった。
私のつくることには幸せというものがいっしょにあると感じるから。