昨日15時すぎ、Aさんと話しました。Aさんは成上睦の会員です。話題が天神問題に移ると最初に、「Sさんは10月1日で睦をやめたと本人が言っていた」と聞かされました。Sさんご本人から「(今回の問題への抗議として)来年になったらやめようと思っている」とは聞いていましたが、すでにおやめになっていたとは初めて聞きました。ところで、この日のAさんとの最後のやりとりは、Aさんが「(前)宮司は氏子なんかいらないと言っている。・・・私も睦をやめようかな」と言うので、私が「宮司の行動をチェック・規制するためにも、睦(会員であること)はぜひ続けてください」と申し上げたことでした。これも実感です。
しばらく前に別な方から「成上睦よりも仲下睦の方が氏子総代が多くなっている」と聞いたことを思い出して、Aさんに話すと「(成上睦のある方が)総代に推薦されたけど、宮司に拒否されたことがあった。成上睦よりも仲下睦の方が金を出すから宮司が認めるのだろう。成上睦は金を出さなくなっている」とおっしゃいました。
「天神と金」と言えば、2009年11月のTBSの取材で、「神社だからと言ってお金が容易には入らない時代なのだから、神社が不動産収入を得ようとするのも仕方ないではないか」という話の流れを取材側に作られそうになったことを思い出します。放映にもこのニュアンスが入ってしまいました。テレビというメディアは、他の媒体と比べて、短い言葉で、背景や行間を読むことなく、印象を作ってしまう部分もあります。
10日に書いたように、成子天神には20年くらい前の社務所新築問題がありました。故丸山前町会長が宮司解職を求めて神社本庁へ行くなど、地元対宮司の激しい対立があったわけです。この時のことを評して、私は10日に「地域の人たちは、社務所の移転建築に反対しながらも、その社務所建築資金の足らざるを寄付したというのですから、よくわからないことばかりです」と書きました。とはいうものの、「やはり神社は地元が支えなければ・・」という地元の思いがあるのだということも理解できないわけではありません。宮司はそういう地元の思いを逆手に取っているのですね。
21日に、ある方がビルを建てようと思って成子天神に地鎮祭を依頼したら、事前のことわりもまったくなく、その地鎮祭にやってきたのは神主の格好をしたホームレスのおじいさんだったという話を書きました。その方が、宮司と宮司が采配する成子天神を嫌いになっても文句は言えないでしょう。
11日にご紹介した2年前の「なぜ成子天神でのマンション計画に反対するのか」という文書では、起業したばかりの会社が、5000円で正月のお祓いを頼んだら拒否されたという話や、ある方々が天神境内からはみ出した枝を伐ったところ前宮司から「へたくそな伐り方をした」とののしられたという話を紹介しています。
私は、自分の息子の七五三では成子天神でお祓いをしてもらいました。まだ宮司になっていない現宮司でしたが、それには気づかず、気にもしませんでしたが。しかし、7日にご紹介した通り、1~2年前の祭礼の折、妻に「わが家も少しくらいは寄付してはどうか」と言われましたが、日常の天神様の様子を考えるとその気にもならなかったのです。宮司の私邸と化した天神のようすを知れば知るほど、そんな気がしてしまうのです。
Aさんは、仲下睦の方が成上睦よりも離れている分だけ、天神境内への関心が薄いともおっしゃいました。天神境内のあり方への関心は、距離に反比例するかも知れませんね。仲下睦にとっては、柏木公園にお神酒所を作り、天神境内自体は遠い存在になるのか。天神のお膝元の成上睦だからこそ、天神への愛憎が深まるというものか。だから憎が深まってお金も集まらない。20年前の歴史や、上にご紹介したような経験をを踏まえるほどに、少しでもお金が集まるのが不思議でさえある?
ともあれ、こういう流れと歴史を抜きにして、「神社に金が容易には入らない時代」などと言われても、素直に承服することができないのです。それは、鎌田家が自分で作ってきた流れであり、「成子天神に金が容易には入らない」背景にはこういうことがあるのですから。
こういう流れと歴史の中で、現在では「鎌田家が会って話をするのは熊谷組の○田氏だけだ」と聞きました。氏子総代はもちろん、責任役員とさえまともに交流がないようなのです。「会って話をするのは熊谷組の○田氏だけ」か、すさまじいことになっています。少しは近しいのかと思っていたWさんなんて、相手にされていないのか!???
しばらく前に別な方から「成上睦よりも仲下睦の方が氏子総代が多くなっている」と聞いたことを思い出して、Aさんに話すと「(成上睦のある方が)総代に推薦されたけど、宮司に拒否されたことがあった。成上睦よりも仲下睦の方が金を出すから宮司が認めるのだろう。成上睦は金を出さなくなっている」とおっしゃいました。
「天神と金」と言えば、2009年11月のTBSの取材で、「神社だからと言ってお金が容易には入らない時代なのだから、神社が不動産収入を得ようとするのも仕方ないではないか」という話の流れを取材側に作られそうになったことを思い出します。放映にもこのニュアンスが入ってしまいました。テレビというメディアは、他の媒体と比べて、短い言葉で、背景や行間を読むことなく、印象を作ってしまう部分もあります。
10日に書いたように、成子天神には20年くらい前の社務所新築問題がありました。故丸山前町会長が宮司解職を求めて神社本庁へ行くなど、地元対宮司の激しい対立があったわけです。この時のことを評して、私は10日に「地域の人たちは、社務所の移転建築に反対しながらも、その社務所建築資金の足らざるを寄付したというのですから、よくわからないことばかりです」と書きました。とはいうものの、「やはり神社は地元が支えなければ・・」という地元の思いがあるのだということも理解できないわけではありません。宮司はそういう地元の思いを逆手に取っているのですね。
21日に、ある方がビルを建てようと思って成子天神に地鎮祭を依頼したら、事前のことわりもまったくなく、その地鎮祭にやってきたのは神主の格好をしたホームレスのおじいさんだったという話を書きました。その方が、宮司と宮司が采配する成子天神を嫌いになっても文句は言えないでしょう。
11日にご紹介した2年前の「なぜ成子天神でのマンション計画に反対するのか」という文書では、起業したばかりの会社が、5000円で正月のお祓いを頼んだら拒否されたという話や、ある方々が天神境内からはみ出した枝を伐ったところ前宮司から「へたくそな伐り方をした」とののしられたという話を紹介しています。
私は、自分の息子の七五三では成子天神でお祓いをしてもらいました。まだ宮司になっていない現宮司でしたが、それには気づかず、気にもしませんでしたが。しかし、7日にご紹介した通り、1~2年前の祭礼の折、妻に「わが家も少しくらいは寄付してはどうか」と言われましたが、日常の天神様の様子を考えるとその気にもならなかったのです。宮司の私邸と化した天神のようすを知れば知るほど、そんな気がしてしまうのです。
Aさんは、仲下睦の方が成上睦よりも離れている分だけ、天神境内への関心が薄いともおっしゃいました。天神境内のあり方への関心は、距離に反比例するかも知れませんね。仲下睦にとっては、柏木公園にお神酒所を作り、天神境内自体は遠い存在になるのか。天神のお膝元の成上睦だからこそ、天神への愛憎が深まるというものか。だから憎が深まってお金も集まらない。20年前の歴史や、上にご紹介したような経験をを踏まえるほどに、少しでもお金が集まるのが不思議でさえある?
ともあれ、こういう流れと歴史を抜きにして、「神社に金が容易には入らない時代」などと言われても、素直に承服することができないのです。それは、鎌田家が自分で作ってきた流れであり、「成子天神に金が容易には入らない」背景にはこういうことがあるのですから。
こういう流れと歴史の中で、現在では「鎌田家が会って話をするのは熊谷組の○田氏だけだ」と聞きました。氏子総代はもちろん、責任役員とさえまともに交流がないようなのです。「会って話をするのは熊谷組の○田氏だけ」か、すさまじいことになっています。少しは近しいのかと思っていたWさんなんて、相手にされていないのか!???
をお持ちして地元の状況を説明したところ、彼処の前宮司は人の言うことを聞かないからとおしゃったそうです。神社本庁が境内地の変更許可を出した以上、その後についての介入は出来かねるとのことでしたが、その許可によって地元すなわち氏子地域の住民に宮司が何も説明しないで計画が進むのはおかしくありませんか? 神社は公益性の強い法人であり、一般の人が建設計画を近隣に説明するのは一般的な行為ではないか? と聞いた処、その通りですねこの書類はよく読んで上と相談します。との事でした。
この話を聞いて、はてさて、神社本庁が許可したからこういう問題が発生したのに、疑問
を感じています。
そうそう、もう一つ、宮司がTBSの放送の件でテレビ局に呼ばれ偉く往生した、と聞いた
というので、そんなことは無かったと思いますよ? それより、宮司・総代達は取材挙止
だと、テレビ局は言っていました。と伝えるとそうですかと怪訝な顔をしていたそうです。全国放送なのでかなり心配していたと言っていました。