19年生きたねこ・茶々丸
うちの庭にある日、ふらっとやってきた
ねこ一家がおりました。
なんとなく、庭で生活をする様になり、
にわねこ
となりくらしはじめました。
当時、一人で家にいる事の多かった、
祖母の縁側に、あさ、晩とあいさつにきていました。
中に、一匹、とてもやせていた白いねこ(ちび)がおり、一人だけやせていてかわいそうだと、夕飯ののこりをあげる様になりました。
親ねこと、白いメスと、大きい白いオス、(ぶーちゃん)そして、白と茶色のとても人なつこい美人ねこ(茶々丸)の一家。
なかでも、茶々丸は飼い猫では?という程の、人なつく、かわいらしいねこでした。
外生活をメインにしているねこたちには、
車にひかれたり、危険が多く心配な生活でした。
出産をし、その後、さらにやせて、人の見えない所でなくなっていた、がんばり屋さんのちび。。まっしろな、美しいねこでした。
親ねこも、しばらくして、姿をけしてしまいました。
大きいオスネコぶーちゃんは、くしゃみをしながらも、なついてきていたので、病院につれていきましたか、
数ヶ月後、かわいがってくださっていた、
隣家のおじさんの物置の影にかくれてなくなっていました。
憐れに思われたおじさんが、丁寧に、埋葬してくださいました。。
最後の一匹、茶々丸はうちの同居ねことなり、19にわたり、共に暮らすこととなりました。
元から外にいた子でしたので、何軒か、
かわいがってくださる家があり、
留守中、よく、あそびにいっていました。
時々、キレイにシャンプーしてくださる家があり、つやつやぴかぴかになって帰ってきました。
エステに行ったの?ときくと、
にゃん!と答えるので、
たぶん、そうなんだと思っておりましたが、いまだにどちらの家にお世話になっていたかは不明です。
秋のある日、口に何かお土産をくわえてる。。
また、もぐら?ねずみ?とびびっていましたが、
足元に自慢げにおかれたものは、、
ふくろいりのおなじたみのあんぱん!
運動会シーズンだから、パンくい競争?と聞いても、にゃっ!と
自慢げにしているので、私が時々食べていた事を覚えていたのかもしれません。
今となっては答は闇の中です。
そんな、茶々丸は溢れるほどの愛と、献身、かわいらしさで私を支え続けてくれました。
19年生き抜いたご長寿ねこは、
人のいうことも理解しており、
旅立つ前も、冷たくなった前足を添えながら、出なくなってきた声でなにかを伝え様としていました。
親バカと言われてもかまいません。
あのことばは、「ありがとう」だったとおもいます。
私も、ありがとう、またね、ずっといっしょだよ!、、と泣きながら言い続けていました。
旅立ちからずいぶんと時間がたちました。
私は今も、ねこが大好きです。
ただ、
現在はかわないことにしています。
ペットロスの苦しみ、辛さは、想像以上にきついものです。
それと、なんとなく、茶々丸がやきもちをやきそうな気がしているためです。
茶々丸との出会いは、神様からの
贈り物だったのではないか?と、
思っています。
たかがねこ、
されとねこ、
ねこのパワーは素晴らしい。