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詩的我方他方(アバンタバン)

若井信栄の、詩と詩的な物事への発言

パーマネントプレス 9号

2014年10月12日 | フリー
ルート御案内 
与那覇幹夫・以倉紘平↓第6号と第5号 瀬尾育夫・吉田文憲↓過去録 H氏賞・高木敏次↓「パーマネントプレス復刊準備号発行のお知らせ」より以前

転戦するメディア 詩の新聞
パーマネントプレス 第9号 予告
■詩■
石川為丸 沖縄の園芸作業 4月
石毛拓郎 犀蔵の断崖
井元霧彦 あなたへ
倉田良成 群牛図
坂井信夫 シンタイ
平 敏功 老婆の休日
福原恒雄 友へ 点の文字 ―― 滑る終章
詩集情報*海山の情*若井信栄
若井 今回も私宛に送られてきた詩集が極めて少なかったため、ここで取り上げる詩集の大部分を為丸師匠に提供していただきました。ついでに前回同様に「対談」というかたちで参加してもらうことにしました。
石川 仕方ないなあ。
あなた、しまり、なくなりましたなあ今回が最後だよ、よいか若井よ
若井 うーむいかん今回! (笑)「言葉遊び特集号」ではないんで、回文遊びはやめましょうね。まず倉田良成詩集「山海物語集拾遺」(ワーズアウト、14・7・17発行)から。
石川 (笑)
倉田は働く、ですね。去年「詩、耳袋――山海物語集の内」を出したばかりで、続いてこの「山海物語集拾遺」の発行ですからね。そしてどの詩も質の高度を保っている。「あとがき」に「一七編ほどから成る本作品集には、前作に同じく世の怪奇に類することがらも多いが、それよりもむしろ怪奇に限定されないこの世の外から到来するモノや感覚に、詩の記述の多くを割き、力を注いだ」とあります。いわば「外からの声」に耳を傾けたところから成り立つ作品集、ということ。
若井 ペラペラ、薄っぺらなものが主流となった時代だからこそ、この作品集は格別に、異彩を放っていますね。
石川 稀有な詩集です。多くの人に読んでもらいたく、特別に謝花屋でも、販売・取り扱いをすることに決めました。「山海物語集拾遺」1200円です。まだ手にしていない方はぜひ御購読の申し込みをしてください。謝花屋まで。
若井 個人的には巻頭の「杉山」が心に残る。倉田さんの詩では、杉山巡礼で「蓬髪の神」と出逢ったような不思議体験が書かれているんだが、私などにも感ずるところがある。杉山神社は横浜市鶴見川に沿った地域を中心に近辺の市町村に点在している神社で、倉田さんは、かつて若いころ、「この杉山神社を、まるで巡礼のようにたずねあるいたことがある」ということです。同じように私の飲み友達だった渡辺さんという方も、この杉山神社を探究していたんだな。私がまだ家庭を持っていた頃、近所にあった町田市つくし野の杉山神社の夏祭りに、その渡辺さんを呼んだことがある。ここの神社の印象は薄かったけど、もう一つ、町田市成瀬のほうの杉山神社は何か感ずるところがあったね。土地が古いんだ。神社の裏ての所から土器が拾えるということで、その渡辺さんの案内で、子連れで出かけたことがある。土器の出るところは教育委員会が発掘していて、柵があって入り込めなかったんだが、散らばっている土器片を棒きれでちょちょいとこちら側に引き寄せて、うまいぐあいに入手したりした。子どもにとってもある意味、大いにビンチョウになったと思う。
 ところで、そこの神社の半日陰の所に橙色のきれいな野生の花の群落があったんです。植物好きの私であるからして、普段なら一つ採取して帰るところでしたが、何かそれを許さない雰囲気があったんだなあ。杉山神社とはそういうところです。
石川 妙に懐古的になるのは、若井くんもお年を召されたということかなあ(笑)。ま、若井くんにそういう思いを寄せさせるのも、倉田詩のもつ力だと言もえるでしょう。
 集中でわしが私的に特別な思いをもって読んだ詩は「那覇にて」です。「面影」「焼けたるマリア」と、戦争による犠牲者の「鎮められない気」を扱った詩を続けて読んだあとだったので、少しほっとさせられるところもあった。詩で、「那覇についてからは、ヤマト出身だが名を変えてこの地に棲みついた友人とよく飲み歩いた」と書かれているのはわしのことでしょう。名を変えているのは経済にかかわる現実的な理由だったんだ(笑)。
若井 その点では苦労したみたいですね(笑)。経済といえば、この不況のあおりで、詩中の「公設市場のほうから直進してくる道が、百貨店の脇腹の「一」の部分を貫くさまなので、そこにりっぱな石敢当が設けられてある」というくだりの百貨店「三越」も、今年の九月でついに閉店したね。直接詩とは関係ないけど、思うところがあるね。詩で書かれている桜坂の店も今はないしね。
石川 三越消ゆとも石敢當は残る、でしょうね。外観はそのままで、ほかの業種が入るらしい。
 この詩の中で、「見える」とか「霊的なもの」についての言及もあるんだけど、沖縄は、これがとても濃いんではないかね。実際にわしは崇元寺石門で、「見える人」になってしまったこともあったからね。道路を隔てた側に、わしはいたんだが、石門のいちばん右側のところ、おばあさんの拝んでいる後姿の隣に異風ないでたちの男が、ぼーっと陽炎みたいに顕っていたんだよ。二日酔いで幻を見たんだろうとか、精神的に疲れていたせいだとか言われたけど、違うと思う。
若井 たしかに沖縄は霊的に濃いね。迷うこともよく聞くね。お盆の時に不謹慎にも摩文仁の海で釣りをしたら思わぬ大漁だったそうな。後日、その場所に行こうとするんだが、どうしてもその場所にたどり着けなかったとか。
 こうした体験は私にもありました。自転車で見知らぬ町筋を流すのが趣味で、あちこち行くのですが、たまたま、りっぱなフトモモの木を見つけたんです。花の咲くころに、写真を撮っておきたいと思って、再び行ってみたんだが、どうしてもその場所に辿り着けなかった。
石川 (笑)それは単なる勘違いじゃないの? 
若井 何言ってんの、石川くん。ちゃんと目印の建物を頭に入れて、その裏側の小路をまっすぐに行く、というふうにしっかり記憶しておいたんだよ。念のためにその周辺を自転車でぐるぐる回ってみたんだが、どうしても見つからなかった。
石川 (笑)じゃあ、家主がその木を切っちゃったんじゃないの?
若井 もう! おふざけも、いいかげんにしてくださいよ。
石川 はい、わかりました(笑)。でも、その沖縄の路地は霊的なものとは別に、迷いやすいよね。見当をつけて歩いて行ったら元の所に戻ってしまうとか。
 あ、「迷う」と言えば、メインプレイスとかでの迷子のお知らせの放送がおもしろい。沖縄独特の言いまわし。「××小学校2年生の○○君が『迷っています』」、というの(笑)。
若井 (笑)聞いた、聞いた。内地では子供に対して「迷う」は使わないよね。なんか人生上の問題に行き迷っているという語感が内地ではあるよね。
石川 うんうん。で、話を戻しますが、わしは、倉田良成詩集「山海物語集」の世界にとことん踏み迷ってみることをパー・プレの読者にはお勧めしたいのです。「目に見えない世界」、「外からの声」を聞き届けてほしいと思います。お申し込みは本紙発行所まで。1200円、送料サービス。

若井 海東セラ詩集「キャットウォーク」(七月堂、14・8・1発行)は、めずらしく私宛にも届いた詩集です。
石川 私もいただきました。 
若井 18篇からなりますが、いずれの詩も長いですね。しかし、「冗長」を感じさせない筆力がある。才気あふれる好詩集といっていいでしょう。パーマネントプレスの方向性とは違うけど。
石川 なんか若井くんの言い方は褒め言葉に思えないんだよね。ぜんたい、パー・プレに方向性とかあったのかね。
若井 暗黙の了解があるとは思うよ。私としては、この詩集の中で特に「複製の麗子」という詩に注目しました。
石川 うん、わしもこの詩には付箋を貼っている。ほら。
若井 詩の素材が独特ですね。岸田劉生の絵、「麗子像」を扱っている。

  老成した笑まいを浮かべながら、麗子はその絵を親しく/見る、自分とおなじ女の子、ちっともかわいらしくない/のに飾られて、高い天井のレストランに、いかめしい、/ふさわしい、その絵はいつも黙っているので(「複製の麗子」第1連より)

石川 その「麗子像」、中学校のときの美術の教科書に載っていたが、同じく「ちっともかわいらしくない」と感じたものだね。

若井 モデルの麗子は岸田劉生の長女だったはず。表現するうえで、画家として妥協しないところがさすがではあるね(笑)。
石川 この詩の優れているところは、誰もが「ちっともかわいらしくない」と思ったであろう、そういう読む者の共感をもとに、ただそれだけでは終わらせずに、その複製画を見るもうひとりの麗子を登場させている、奥行きのある構成ですね。
  
  水の輪の笑まいを浮かべ、麗子は壁の麗子をながめる、/自分とちがう女の子、潜められて、そっと親しい複製の/麗子も、麗子をさがし  はじめる、ちょっと暗めのおかっ/ぱあたまの、無心なキューティクル、ゆれる(「複製の麗子」最終連より)

若井 若い人だと思うのだけど、この詩に限らず才気を感じさせる好詩集ですね。
 
 同じく女性詩人で、迫力のある好詩集がありました。長嶋南子詩集「はじめに闇があった」(思潮社、14・8・6発行)。首相の安倍などが唱える家族観なんかをひょいと蹴っ飛ばすようなところのある、過激な詩集ですね。安倍が最初の首相就任直前に出版した『美しい国へ』の中で、彼は〈「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのが一番の幸せだ」という価値観は守り続けていくべきだと思う〉と書いていた。また、「美しい国」とは何かということで、彼は首相就任会見でこう答えていた。「その姿の一つは、美しい自然や日本の文化や歴史、伝統を大切にする国。そうした要素の中から培われた家族の価値というものを再認識していく必要がある」 だとよ。こういう古い価値観の押しつけが逆に家族を解体させてきたんだというのにね。
石川 例の人口に膾炙した回文だね。「美しい国」は憎いし苦痛、というの(笑)。
若井 この長嶋さんの詩集は最初から最後まで「家族の闇」でおおわれている。
石川 これは出色の詩集ですね。一篇や二篇ならともかく全篇がこのテーマで貫かれているところが圧倒的ですね。強い、表現に向かう意志を感じる。
どの詩を採ってもいいのだけど、比較的短い「別の家族」がわかりやすいと思う。

  早く死んでしまう夫も/暗い目をして引きこもっている息子も 食のない娘も/いっしょに住んでいるこの家族は/よその家族ではないかと疑いはじめた/夜になるとわたしの家族をさがしてうろつく//やっとさがしあてた家の/窓にはりついてヤモリになっていた/蚊帳のなかで小さい子が五人/団子ムシになって固まって寝ている/台所で母がわたしを呼んでいる/ここにいるよ とヤモリの声で叫ぶ/固まって寝ていたムシのなかの一匹が/くねくね這いだしてくる/ヤモリのわたしは無意識にとびついて食べてしまった/そんなからだになってしまって/ヒトが口にしないものまで食べてしまって/もうここにいるしかない と母がいう/おまえはいまだに居場所がわからないのか/バカだね と笑いながら/わたしをつまんで食べてしまった//母はこれから生まれようとしている/何年かのちに娘盛りになった母は/どんな男と出会うのか/わたしはどこに生まれでるのであろう/こんどこそホントの家族に巡りあえる//うろついている どこへともなく/夜の

若井 この詩以外にも「ホームドラマ」や「こわいところ」や「シゴト」や「雨期」など、引用して紹介したい詩はたくさんありますね。
石川 そうですねぇ、「おでん」もいいし「さよなら」もいいね。詩集の最後に収められている「階段」の最終行が、「おわりに闇があった」となっていて、実に徹底している。
若井 読者の皆さんにもお勧めしたいところですが、2200円と、けっこういいお値段なところが。
石川 まあね、表紙に絵画を使っているし、中表紙もしっかりしているしで、お金がかかっているのでしょう。わしら清貧の暮らし人にとっては、二千円を超えると、きついかもね。
若井 (笑)それを言うなら、「清貧」ではなく「赤貧」でしょう。
 
 では、次は大先輩の津坂治男さんの詩集「従容」(土曜美術社出版販売、14・5・18発行)について。今年83歳ということです。
石川 「あとがき」によると冒頭の詩「ハルコガネバナ」は、「東北大震災の翌年に書き、昨年には曲も付きました」ということです。
  
  枯れ枝のような茶色い腕から/グーと突き出したこぶし いくつも/垣根の赤いサザンカの火種を/じっと受け止め ふくらいでいく窓辺の山茱萸//2月の末から3月にかけ 黄色い花がびっしり開く/黄金の陸奥とうたわれた/地震・津波から年かけて立ち上がった/街々や海辺にこの匂いとどけと
                      (「ハルコガネバナ」第1連より ※詩集では横書き)

 山茱萸は、一つ一つの花は小さくて地味だけど、かたまって「びっしり咲く」から遠目にも黄色が鮮やかなんだな。葉っぱがまだ出ないうちに黄色の花だけ咲くから余計目立つ。まさに「春黄金花」だね。若かりし頃、横浜の金沢自然公園で見たことあるよ。
若井 山茱萸の別名がハルコガネバナだったんだ。それなら昔、私も、盆栽用に実生苗を育てていたことがある。池上本門寺の御会式で買ったんだ。
石川 きみが若いうちから盆栽に凝り始めて心配したものだよ。そういう趣味の人は保守的な考えになってしまうからね。山茱萸は秋に鮮やかな、グミのような赤い実をつけるのでヤマグミとも呼ばれる。その鮮やかさから「アキサンゴ」とも。

  炎える復興の夏のつぎには/熟したヤマグミ 別名アキサンゴ/1つ1つが 海に隠れて実った/数え切れない想いのように……
                    (「ハルコガネバナ」第4連より)

若井 いいフレーズが続くね。しかし最後が「花咲け 匂え 500キロ越え/絆を結んで 家の山茱萸……」と「歌」ってしまって終わるところが少しだけ残念だ。曲が付けられてるだけに、「歌詞」ということなのだろうね。
石川 「おまえは歌うな」ということかね。でもさ、最後の3点ダッシュで、津坂さんしっかり持ちこたえてるんではないかな。集中の「冬至」という詩が横溢する批判精神を感じさせるので、わしは一押しですね。

  夏至と冬至がぼくはいちばん好き/ともに季節はいっそう厳しくなるが/1日1日指折り数えるうちに/いつか涼しさ温かさが芽を伸ばしている……//でも いつか 文明も正義も雪崩れはじめる/崩至いう日が来そうな気がして/いや もう来てしまっているのかも/そう言や、だんだんいかがわしいことも増えてきた?
           (「冬至」第2連、第3連より)

 (笑)言葉遊びなんだが「崩至」とやってくれたところが効いていますね。
若井 うーむ、「崩至」ときましたか。世相を振り返ってみれば、「崩至」はもう来てしまっていますなぁ。嘆かわしいことです。
石川 だからよ、老骨に鞭打って、わしら、闘わずにはなるまいよ。

若井 一九四七年生まれ、団塊の世代に当たる堀内統義さんの詩集「ずっと、ここに」(創風社出版、14・8・20発行)はどこかしら懐かしいものがありますね。
石川 わしらは団塊の世代の次のシラケ世代というのに括られるらしいけど、まあ時代的に近いところがあるので、分かりやすいではあるね。
  
  ラジオからは/おじさんが好きだった/東京アンナが流れ  */汽車の窓からハンケチを振る  */(おじさんもハンケチといった)高原列車も走る/戦争尋ね人を/読み上げる声も…
          (「ぼくの大好きなバーバー」より)

 詩の素材がわしらの少年時代と重なるところがあるね。註に「昭和二十九年、爆発的なヒットとなった岡本敦郎の代表曲「高原列車は行く」は汽車の窓からハンケチふれば、と始まった。」とある。わしらはこれの替え歌で「〽汽車の窓からフンドシふれば~、牧場の乙女が鼻くそ投げる」とか得意になって歌ったものだよ(笑)。
若井 (笑)私などは育ちがよかったものだから、それはちょっと違ったな。私が懐かしいというのは詩を書き始めた若かりし頃、堀内さんの第一詩集「罠」を友達から借りて読んだことがあったからさ。感覚的な詩を書いていらっしゃったという印象。当然その頃と詩風はずいぶん変わったけれど、この詩集の「もののふ」はいいですね。
石川 うん、これはいい作品ですね。道路工事の現場から勝手に三角コーンを持ち出してきて、勝手に並べ替える作業に没頭する、「うつつから夢へ、夢からうつつへ。あやうい橋をおぼつかない足どりで往還する父の姿」を描いている。
若井 「すめらみくにの、もののふは、いかなる事をか、つとむべき。 ただ身にもてる、まごころを、 君と親とに、つくすまで。」と古い唱歌をくちずませたところが、父の時代への静かな批判になっていると思います。
石川 「あぁーんっ」という詩での言葉遊びもなかなか巧みですね。歯医者の「歯科医 良好」というの(笑)。
若井 同じく団塊の世代に入る樋口武二さんの「異譚集Ⅱ」(誌的現代出版部、14・5・5発行)を読むことができました。
石川 一九四七年生ですね。去年「異譚集」を出していますから、この方の創作意欲も並々ならぬものを感じます。
若井 この世代は退職して時間的にも、また年金が降りるので生活的にも余裕があるので、集中してお文学に向かえるのでいいよね。詩人って、教員や公務員だった人がなぜか多いよな。共済組合加入だから老後は楽勝だ。
石川 この年で生活の心配をしなければならぬわしら無保証者がそれを言うと、僻みにしか聞こえないので、やめれ! 暇があっても書けない人は書けないのだから、結局詩作は努力の賜物なのですよ。
若井 なに言ってんの、石川くん、大した詩も書いていないくせに、偉そうによくいうよ。
石川 若井くんねぇ、「自らの窮屈な日常ばかりを追っていると、どうしても見えるものしか見えなくなります」よ(笑)。これは樋口さんの詩集の「あとがきにかえて」の一文ですが、見えないものの中にこそ詩は存在すると彼は考え、そういうところに書くエネルギーを傾注するために、「ひたすら迷い道に入っていった」ということです。詩集では特に「水路に入る」や「野茨の向こうに」などがそうした事情がよくわかるすぐれた作品だと思いました。
若井 「鬼灯奇譚」「狐の嫁入り」も濃密な詩的世界を構成していていいよ。あと、「西瓜を食べる」の、「女が、ぼそっ、と呟いた/この西瓜、あんたの頭に似ていたんだよ」というブラックが笑えましたね。

 木村和夫さんの「青景色蛙御殿(榛名まほろば出版・14・3・20発行)」は題名からしていいよね。
石川 表紙もいいねえ。82歳のしげばあさんが青田につかっている写真。同じ写真の中表紙もいいね。
若井 朔太郎の「青猫」の引用から詩のタイトルの重要性への気づきを述べた「あとがき」もまたいいよね。この方も団塊の世代ですかね。
石川 もっと若いはず。「前橋花火」はコンクリート・ポエトリーをやっている。これをするのは若い人でしょう。「しげばあさんに合(ママ)いに行くために/八百屋に寄ってメロンを買った/田植えの時期なのだろう」という、どこか懐かしい感じの詩行で始まる「その上空の青み掛かった空」の第3連の最後に、「このようなまちに産声をあげて 五十五年」とありますよ。
若井 「青さびの庭」という詩には「七歳のわたしが/戦死した信夫さん/の遺骨を抱いて/埋葬する墓に向かったのは/今日のように/うす青い日差しの/青葉がいっぱいの日だった/しげばあさんは/一人息子を戦争で亡くし/傷ついている家/の養子になったわささん/のところに嫁いできた」とあるからして、戦前生まれじゃないですか。戦死者の遺骨を抱く私がすでに七歳、ということだから。
 それにしても、我々のように、あちこち流れ流れてさすらった挙げ句に、こうしてうらぶれた暮らしをしている者たちにとっては、生地にて五十五年も過ごせるとは、羨ましいかぎりですね。こういう生き方は普通できない。
石川 何言ってんのよ、若井くん。その「我々」のなかにわしは入れないでおいてほしいよ。
きみのように、自らの窮屈な日常ばかりを追っていると、どうしても見えるものしか見えなくなってしまうんだな。生き方は、人それぞれさ。人の生き方については、羨ましいとか思いなさんなよ。きみもいい年なんだから、自分の生き方に自信を持たないとあかんよ。今からでも遅くないからね、もっと責任を持った生き方をしなさい(笑)。
若井 またまたなんの根拠もないくせに、えらそうに言う!
石川 まあ、きみも、自らの窮屈な日常ばかりを追っていないで、この詩集のタイトルポエムにあたる「青い衣裳の蛙御殿」をばじっくり味読するといいですよ。「青い衣裳の蛙御殿に/息づくものの生き物は/みんな元気だ」で始まり、「自然のことは自然/に任せておけばいい」で終わる。昔、ちょっとかぶれたことのある思想家、イリッチの「万物のコモンズ」という言葉を思い出すよ。
若井 おお、「プラグを抜く」だね。オルタナティブを提起したけど、何処へ行っちゃたんだろう。
石川 分析は面白かったけど、方針は出せなかったからね。この点に関してはわしにも考えがあるのだが、まあ自分としては、とりあえず詩集を一つまとめるのが先決だな。
若井 (笑)それって、前から言ってることじゃん。詩集の完成はいったいいつになることやら。それと比べると田川紀久雄さんは大したものだ。今年も矢継ぎ早に詩集を出されていますね。「遠ざかる風景」(漉林書房・14・2・20発行)、「聲を求めて」(漉林書房・14・5・15発行)、「哀しみの渚」(漉林書房・14・発行)、「哀しみを越えて」(漉林書房・14・9・15発行)と。

  いのちは光を求めて
  明日に向けて歩き出した
    (「生と死の狭間」より)

 詩集の後に詩語りについての、こういう一文がある。「田川紀久雄は、末期ガンを宣告されて以来、いのちについて詩語りを行っています。手術もせずに五年以上も生きています。より語りの深さを求めて活動を行っています。」と。詩集「聲を求めて」は、「詩語り論」という副題が付されているように、文字通り生と死の狭間から、田川さんの詩語りへの熱い思いが静かに語られています。
石川 You Tubeで田川さんの詩語りを拝見しました。他の、「詩人○○の詩の朗読」とかも見ましたが、自己陶酔・自己満足で、はたから見るとでーじ恥ずかしく感じられるものが多かった。そういう朗読とは違い、田川さんの詩語りは確かな修練を積んできていらっしゃるということがよく分かります。もちろん実際に詩語りの場に臨席しないと真のよさは十分に伝わらないかとは思いますが。
若井 詩集「哀しみを越えて」は、「知的障害で横浜のKという施設にはいっている」という妹さんの身体が悪化し始めてから書き出したものだそうです。その事情を示す「喪服」という詩は切ないけどいい詩ですね。

  立派な喪服を着て/妹を見送りたい/妹の為に出来ることの最後の務めである/いやこの喪服は/私自身を見送るための喪服であったかもしれない/私が残す最後の遺産/見送る人と/見送られる人の/間を取り持つ喪服/せめて立派な喪服を着て妹を見送りたいものだ
     (「喪服)」最終連)

石川 素直に心うたれるところがありますね。
若井 あと、沖縄の三詩集、うえじょう晶詩集「我が青春のドン・キホーテ様」(あすら舎・14・2・12発行)、かわかみまさと詩集「与那覇湾」(あすら舎・14・2・27発行)、八重洋一郎詩集「木洩陽日食」(土曜美術社出版販売・14・6・10発行)を読ませていただきました。ところが、時間とスペースに余裕がなくなってきましたので、これらは次回の宿題とさせていただきましょうか。いずれも優れた詩集なのでゆっくり述べていきたいものです。
石川 そうですね。あと、詩集ではないんですが、横山克衛さんの「詩と物語」と題された「少年ラムダ」(ブイツーソリューション・14・6・22)が読み物として楽しめました。なぜか次の一節が引っ掛かりましたよ。

  ラムダは、かつて若い頃に通ったアリサという女の枕元にあった、本などについて、思いに耽っていた。
  (あれは、誰の詩集だったろう? あの、夜の底のような部屋で、女に読まれる詩人とは、どんな生き方をした人なのなだろう……)

 商売女の寂しい部屋に置かれていた詩集、気になるよねぇ。
若井 (笑)少なくともそれは、為丸先生のような詩集でないことは確かだね。

(つづく)


詩誌情報*おや、空席ですか*永井孝史
 と或る国立大学からL研の誰かが、「俺ら、京学連に命を賭けてるんや」と言いながら、我が学生会館に単身で乗り込んできたことがあった。適当学部のWPP(戦争準備会)経由で、その一報が作業中の私に届いた。もちろん、結党以前のL研であり、誰かとはAなのだから、一九七〇年秋のことだ。「命を賭けてはるんやて」と、一報に接した私たちはどこか他人事であった。現地で一歩も退かなかったC戦とかマル青全国展開なんてのは、ずっと後のことである。
 学術団や文連、体育会、学生放送局などで構成していた学友団を、私たちは過度的に名乗ったことがある。学友会中央委員の選出人数に換算すると、わずか7名の勢力だ。このため、学友団の団長(学友会中央委員長が兼務)を空席にして、基団連から副団長を選出した。その後、4学部での自治会選挙を経て、6月には学友会を再建することになった。
 一方、と或る国立大学でも在籍学生5人に1人の割合で抽出した教養部代議員によるC代議員大会が、本当に久しぶりに同じ6月に成立した。旧3号ボックス系と言ってはいけない。パルチの残党くらいにしておこうか。そうした部分だけで、C自、そして同学会を再建したのだ。再建会議っぽく言えば、一九六五年秋の失陥からなんと5年足らずで蘇ったことになる。一時は、1学部だけを除き全学の意志が同学会に結集したものだ。
 2つの学校で、どちらも全学自治会を再建したとなると、次は府学連の番だと何人かが思った。私もそう思った。ところが、出現したものはL研のAが「命を賭けてはる」京学連であった。府学連(京都府学生自治会連合)と、京学連(全京都学生連合会)の名称はかなり似ていたが、その中身はまるっきり違っていた。
 府学連には、少数意見をとことん尊重する悪しき伝統があった。
「エフさん、また無茶しよります。」
 「言わはるようにしとき。エフさんのほうが、わしらの事かってよう知っとるで。」
 すぐお隣の学校には、とてつもなく厄介な事情が二つもあった。それでも、何喰わぬ顔でこちらを立ててくれたし。彼らが欲しいというのなら、副委員長でも書記長でも、執行委員の頭かずでも、気前良く欲しがるにまかせたものだ。87名の学連代議員の圧倒的多数が出席し、その出席代議員の圧倒的多数が出席し、その出席代議員の過半数を有していても、強引に採決することは殆どなく、できるだけ修正協議で解決してきた。
 その府学連は、遂に再建される事がなかった。一九六八年九月の第25回定期大会が、最後の大会であった。執行委員14名(規約上は19名)全員を、この大会で始めて独占した。書記長だけをと或る国立大学の文学部3年性にした他は、委員長に春の代行から定着した有力学部4年生、副委員長にⅡ部4年生、書記次長におざなり学部3年生など、残り13名は全員が同一学校の学友であった。
 もっとも、と或る国立大学の文学部学友会(学部や高校の自治会でも学友会を称することが多かった)では、留年生だらけの在籍学生100名前後のうち、府学連書記長を名乗った例の3年生以外に、府学連の何かを引き受けるような奇篤な学生は一人も居なかった。
 府学連の加盟校は、二つの国立大学と二つの私立大学のみ。他に、第2「府学連」策動時に「第2加入」という奇策に出た公立大学(府立医大ではない)が1校だけあったと記しておこう。府学連は、全学連の単なる都道府県レベルの支部にとどまらなかった。だから、某大学某学部の諸君も結集していた。
 また京学連であるが、簡単に言えば前述した二大学の全学自治会のやり放題であった。誰の言うことを聞く必要もなく、逆に大国政治だと、どこかには揶揄されるほどであった。反赤テキの一点で、12・18ブンドを蜂起戦争派に東京で取りもったこともある。赤テキのRGの方がはるかに強くって、あっという間に負けてしまった。勝ちさえしていれば、公園の入り口に京学連の隊列が登場するはずだった、

  「いのちの籠」井元霧彦

 短い旅に出ました
 
 まだ間に合うはずだ と

 鎮守府舞鶴では
 もうぼくの幼友だちは 死んでいました
 (井元霧彦「人間の学校 その一七三」部分)

 「いのちの籠」27井元霧彦「人間の学校 その一七三」は、本紙8の特集文「浜坂への小旅行」を詩に発展させたもの。
 上段に少し抜き出したが、非常に簡潔な描写で効果を高めているのだが、良かったのはこの詩だけだ。
 この作品が目に付くというほどに、逆に言えば「いのちの籠」は頽廃していると言っているようなものだ。主旨が凄いから自分はこの程度でいいんだとばかりに、形式ばった作品がのさばっている。名前だけ連ねて、偉そうに正しいことばかり書いておけばそれでいいという態度が蔓延している。だから、疑いもなく再掲載の詩が増殖する。これも空席のなせる業なのだろう、きっと。
 現下の状況を憂うのは良い。だが、正しければそれで充分というわけではない。私が再三にわたり語ってきたように、一つの潮流が学内から絶滅(?)したとしるや、何の関係もなく、あるいは右派秩序派と同伴するしかなかった後ろ暗い連中が、さも運動の主体であったかのように勝手なことを安心して言いふらす。それくらい、油断ならぬ時代を迎えているのだろう。

  「言葉の海へ」村嶋正浩

 村嶋正浩から、個人誌「言葉の海へ」1・2が届いた。どちらの号も、村嶋の詩と映画評が各1篇発表されており、装丁も洒落ている。詩は、言葉を道具のように操る村嶋らしいもの。ここでは「風景の海へ」と題した映画評に触れておこう。「そこのみにて光輝く」を取り上げた2号では、「家族は言わば生きることで犯した罪の共犯関係にある集団」だから、「家族は面倒なものだ」と断じている。このあたりに、村嶋が個人誌からなら詩の世界に戻れる意味合いも読み取れるのだ。

  「YOCOROCO」佐藤裕子

 渋谷美代子と佐藤裕子の同人二人で創刊した「YOCOROCO」1を落手した。同誌に佐藤は、2作品を掲載している。そのひとつ「夢を見ていた遠い昔の」の初連に、「五線譜に挿した止まり木で物を言う鳥が鏡文字をオクターブ高く浮上する」との行があった。こうした整序だった造りが、ありていに言えばその目線(視線)が気になるのだ。

  「gaga」難波保明

 「gaga」13で、難波保明「鎌倉」を読んだ。相変らず上手い詩は、こう始まる。

 七十四歳になる父と
 一度だけ鎌倉の旧跡を散策したことがある
 外出を常としない父にしては珍しく
  (難波保明「鎌倉」冒頭部)

 この「珍しく」は、どこにかかっていくのか。もちろん次行にかかるのだろうが、「昔、肺病を患った方肺は」から始まる次連にかかっていってもいいような気がした。
 同号の特集タイトルは、「黒田喜夫逝去後30周年を巡って」である。ちょっと、おかしくないか。目次ページにあるように「没後」とするか、或いは「死後」としなければ、突き放したことにならない。距離を保っていないものは、誰も見向きもしないのだ。「黒田さんから学んだ生きること=書くことの意味と姿勢」を集めたそうだが、死者は呼び捨てにすることで、客体化されるのだ。このように、すがりつく「姿勢」では誰も読まない。
 ついでに書いておくと、黒田の未発表詩らしきものが一篇掲載されているが、これは資料として囲みの内にあるべき物だ(目次にも資料と明記すべき)。現役の詩人たちと混ぜて並べては、さもしさを感じることになる。
 同誌は戸谷崗の個人誌らしいが、ここにも空席という言葉を感じてしまう。同号に掲載された吉岡良一「<清瀬村>の頃」の視点や、石毛拓郎「夢魔が眼前で踊る」の予想外の展開といった各文を、戸谷も少しは参考にしたらどうだろうか。

  「潮流詩派」石毛拓郎

 その石毛からは、個人誌「飛脚」8が届いた。私も句点の打ち方には悩んでいるから、花田清輝の文体を扱った連載評論「もの言う術」には色々と教えられた。石毛は「潮流詩派」には、「詩のふるさと紀行」なる芭蕉論も連載中だ。237号では、芭蕉の旅と発句を追うことで黒田喜夫の生涯にも分け入ろうとしている。「類似、近親性は、片や無足人たる『野ざらし市井民』の非定住であり、もう一方は、婚姻外子無産の『あんにゃ』の不帰郷であった」と語るように、だ。
 個人誌で少し困ったものをついでに記しておこう。「奇蹟」1は、津坂治男が創刊した個人誌だ。横書き詩に挑んだり、「斎藤緑雨『短文、寸論、警句』再見」との論を発表したりと、津坂が一人で展開する同誌は、面白くできるはずが何もおかしくない。もっと自分をさらけだすことができないものだろうか。

  「詩的現代」田中勲

 「天蚕糸通信」が、相変わらずよく出ている。田中勲の個人誌であり、各号ほとんどのページを高島高、北園克衛、立原道造などの先達詩人論で埋め、33号では山村暮鳥と取り組んでいた。

 海の遥か向こうが故郷である彼は
 なんの遺恨もないと笑っていた
 自立した彼の、
 あの笑顔の裏面には
 暗い海面が波立っていたが

 忘れたふりをしても
 根深い呪いは偏在する
  (田中勲「雨晴」冒頭部)

 その田中勲は、「詩的現代」9には「雨晴」を発表している。右は、その書き始めだが、実在の地名を生かして、とにかく分かり良い。

  「不虚」森山光章

 「不虚」14では、森山光章が作品の他に評論「〔終わり〕の言之葉」を掲載している。鈴木秀肖を論じているようでいて、〔ある〕から〔終わり〕へと向かう自己を冷静に照射していた。
 
 墓石をいつ買うのよ
 まだ生きているのにツレが訊く
 言われてみれば仏壇もない
 信じんもなければ
 坊主だって知らないぞ
 そこらへんで小石を拾ってくるか
  (後藤順「墓石に漬物石」初連全行)

 「ひょうたん」53後藤順「墓石に漬物石」は、右の連から始まる。こうした内向性が、「ひょうたん」同人の問題なのかもしれない。それは、「その空の原で」7で読む中村吉則「越後の冬が春を/恋して☆叫ぶ/唸る☆舞い踊る」の対極にあるものだろう。

 案山子のような鉄塔が
 空っぽの胸を張って威張っている
 何を考えているのか
  (中村吉則「越後の冬が春を/恋して☆叫ぶ/唸る☆舞い踊る」部分)

 次行へのひりつくような期待が、詩を成立させていると分かる。
 「夏の予定は草のにおいがして」は、「グッフォー」61海東セラ「見晴らし」の書き出しだ。作中にいささか冗長な個所もあるが、この「予定」という語句が上手く引き締めていた。同誌には土屋一彦をはじめ、ユニークな作品の作り手が揃っているようだ。また、「サイプレス」8での岸田裕史「界面の記憶」は、「トンネル膜を通過すると/電流に彩られた浮ゲートが姿をあらわす」から展開する。こうした言葉の選択も印象的であった。
(了)


※定期購読者は寄稿できますので、9月30日必着でどうぞ。なるべくメールにてウニゲーサビラ。

日録
●9月1日(月) 9号のための原稿依頼状を送付。8通。
●9月2日(火) 知り合いから「今日、あんた、テレビで見たよ」と言われた。私が似ているという吉田類をテレビで見たことを、冗談で言ってるのだと思ったのだが、ほんとに私の姿が映ったということだった。報道番組で、8月23日の辺野古の新基地建設阻止のための集会の様子が放映されて、そこに私の姿があったということだ。これでテレビに映ったのはなんと2度目。
●9月13日(土)ようやく今日から暇人になったので、 辺野古に駆け付けたい気持ちもあるのだが、
今日はパープレの作業に入る。永井さんの「詩誌情報」の打ち込みを大部進めることができた。
※今 辺野古で起きていること
http://www.youtube.com/watch?v=OOPM89qLOq8
海保の対応
http://www.youtube.com/watch?v=hRuIKxbacUQ
●9月20日(土) 辺野古新基地建設阻止のための県民大行動に参加。行動する詩人若丼です。
辺野古新基地建設阻止のための県民大行動!
若丼も気軽にサンダル履きで、辺野古の浜に行ってまいりました。
那覇の県庁前にバス受付時刻の10時半少し前に行ったのに、
バスの乗車券は9号まで埋まっていて、私は10号車ということだった。
那覇市民の意識の高さ!
そして12号まで全席埋まりました。


画像上 辺野古の浜を埋め尽くした5500人の人々!
名護市長の話では、お正月にはこの浜から初日の出を拝んだりするのだが、ここも資材ヤードとして埋められる計画であるということだ。
11月県知事選挙で裏切った現知事を落選させて、埋め立て承認を撤回させる方向性はくっきりしている。


画像中 バスを降りて、会場へ向かう人々。小学生もいる。帽子の色が今からたのもしい。親がカープファンでかぶせただけなのかもしれないけど。


画像下 沖のカヌー隊を応援する小学生。集会にあきて、ただ遊んでるだけかもしれないけど。

帰りに自分の乗ったバス10号車を探すのがたいへんだった。途中、那覇の桜坂の居酒屋友達のおばちゃんと遭遇したのが意外でした。

空気の入ったいい集会でした。私どもおじいさんにとってはヒジョーに疲れたけど。

●10月9日(木)止めよう新基地建設! 10・9県庁包囲県民大行動
http://www.youtube.com/watch?v=wWwo-P-29uc
若丼も多忙のなかを参加してまいりました。
辺野古新基地建設にNOを突きつける3800名の結集!
平日にこれだけの結集はまず成功とみた。
道路を隔てて向こう側では在特会と思しき中年女性のやなヤマトンチュがヒステリックにわめいていた。「こんなにたくさん集まっていますが、この人たちはみんな過激派左翼で…」とか。
でもね、それはサビシイ状況でした。
「過激派」と呼ぶにはちょとためらいがある、琉大と沖国大の学生会も来ていたが、私の数えた限りでは旗持ちを含めて12名。
今年自治会をでっち上げたそうな噂の沖縄大の旗は見られなかった。
解放派は1名だけ目撃できた。あとタメマル派が1名いたかもしれないw

次回は県民5000の結集を目指して、ガンバロー!





●10月21日(火)
 このブログの編集画面には「あなたのブログと関連するかも?」という余計なお世話をする情報コーナーがある。最近ここに「 小浜逸郎・ことばの闘い」というブログが挙げられている。小浜は大学の先輩にあたるが、以下のWikiの記事にあるように、困ったことをする男である。私のブログとは全く関連ナシである。
「2008年4月、当時横浜市長であった中田宏の任命により、横浜市教育委員に就任。2012年度まで務めた。新しい歴史教科書をつくる会の中学校歴史教科書(2009年3月検定合格自由社版)を支持し、2009年8月4日、この教科書の採択を推進した。2011年8月4日の採択においても、同様に「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社の歴史および公民教科書を支持した」。

●10月28日(火)
 Pプレス9号は、あと1人詩原稿が届くのを待っている。と、詩集評のテープ起こしにけっこう時間がかかっている次第。今月中発行はキビシイか。
↓ この画像はどうよ。

●11月9日(日) 最後の詩が速達で届いたので、これから編集作業も仕上げ段階に入る。

パーマネント

2014年07月20日 | フリー
過去録5

やっつけ仕事 7 & 地下たび 14
雑誌*取扱注意19号 1991年7月7日発行
情況への発言 
反天 「あんかるわ」の終わり 湾岸戦争詩

石川*ほろ酔いになってきたところで、そろそろ始めましょうか。ほろ酔い談義。昨年の反天特集(「取扱注意」号外2)で言い残したようなことから話していきたいと思います。
若井*どうぞ自由にしゃべって下さい。おれは今日はもう、あわもりを二合飲んできてるから、ほろ酔いどころか泥酔になりそうなんで、もっぱら聞き役に回ろうと思ってます(笑)。
石川*一連の大嘗祭粉砕闘争のなかでも、最も秀れた実践だと私が思ったのは、あの、皇居に糞尿をばらまいた闘いです。
若井*あれはおれも気にいったな、日向派だろ?やったのは。
石川*そう。ビラの「人民のふん激思い知れ…」というくさいだじゃれがなかなかのもんでしょ。警官三万を動員した検問体制を突破して、皇居にバキュームカーから糞尿を怒涛の如く溢れ出させたというのだからね。(笑) 五百リットル以上、幅四メートル、長さ二〇メートルに達した人民のふん激! 機動隊も最初のうちは呆然として手がつけられなかったらしい。
若井*(笑)「人民のふん激」はよかったな。こういうセンスはもうブンドを超えてるね(註 その皇居に糞尿をばらまいた組織名須藤氏は、 その数年後に自死しているそうです。 考えさせられますね)。
石川*いつか若井君が言ってたでしょ。天皇制は笑いとばすにかぎるってさ。一部学門(ママ)の人達の、大嘗祭を歴史的に考証して批判するというやり方は、かえって敵を利することになってしまう。天皇制を権威づけてしまうことになるからな。敵の土俵には入らないこと、アホくさい時代遅れのわけのわからんことをやってるぞ、ゲラゲラ……という感じでやっていった方がいいと思うんだな。
若井*その点では、天皇制を笑える闘いではあったな。前に「風の旅団」の劇で、ご大層な菊の御紋に糞を投げつけた場面で大笑いしたことがあったけど、あの戦旗・共産同のバキュームカー闘争はもう想像するだけでおかしいよな(笑)。そのアイディアと大胆さにおいて、最近の闘いではピカ一だったな(笑) ただ、欲を言えば、それで逮捕されずにまんまと逃げおおせていれば、サイコーだったんだけどな。
石川*あと放火がいくつかあったでしょ。あれについてはどうですか。
若井*村松剛の家が焼かれたけど、あれに関してはいいきみだなんてけっして思わないけど、なんかこう……、同情というものは全然わいてこなかったな。でも放火は無関係な者にまで飛び火するかもしれないということを考えると、あれはよくないと思う。
石川*あれは中核派特有のアリバイ的なカンパニアですな。あんなの何も語ってないからな。闘いが語るということは、たとえば知花氏による沖縄読谷村での国体「日の丸」焼き捨て闘争を思い出してみればいい。「日の丸」を焼き捨てた一丁のライターの火は、沖縄の過去と現在をじつによく語りかけていたと思う。
若井*なるほど。
石川*それに比べりゃあ、放火は放火でしかなかったということさ。ただ、血が騒ぐというか……、滅ぼされた火田民の末裔の血がふとめざめてしまったというような(笑)。
若井*(笑)石川さんにも吉沢孝史先生のえいきょうがモロ現われてきたみたいだなあ。(笑)
石川*ちょっと古くなるけど、これ(第Ⅱ期「防虫ダンス」第2号)加藤健治の「ポリポジション⑩」について、一言二言、言っておきたいことがあったので、若干ふれておきたい。この人、こんなことを言ってます。いいですか、読んでみるよ。
〈むしろ何物かに向けて放たれた強い低抗の矢などぜったいにどこか狂っているのだ。なにか典型的な反対項目へと向かって集中する抵抗ほどうさんくさいものはない。そういう意味では《日の丸を揚げない》とか《『君が代』を歌わない》という運動ほどばかたものはない。彼らは天皇制に抵抗しているつもりなのか。僕にはよくわからない。日の丸を焼いたからといって天皇制はびくともしない。天皇制はもっと見えないところにまで侵みこんでいる。日本人の生活の隠れたところにあまねく行きわたっている。こうして使っている日本語だってそうだろう、天皇に権カが与えられていようといまいと、象徴天皇であろうとなかろうと、日本人的意識の向かう中心としての天皇制にはさして関係ない。だから、天皇に戦争責任.があるないと言ってやっきになっている連中よりも、ピーという音で天皇の二文字を消したアナーキー(日本のパンク・ロックの草分け的存在)の歌詞のほうがよっぽど鋭い制度批判になっている。また『君が代』に反対するよりも、でかい声で『君が代』をカラオケで歌うほうがよっぽどスゴいのだ。〉
――だと。この人、詩人としては、今どきめずらしい××に匹敵するほどの世間知らずのおぼっちゃんですね。「君が代をカラオケででかい声で歌う」のはそれは、たしかにすごいけどね。本当に君が代に反対するよりもその方が有効だと思うなら、やってみなさいと言いたいね。何一つ本気で行動する気もないくせに思い付きだけでよく言うよね。歴史的な過程がすっぽり抜け落ちている。天皇制によってひどいめにあった人々に対するイマジネイションがゼロだ。まるっきり自分だけヌクヌク育ってきたおぼっちゃんの感性なんだよね。たとえばソウルの街角で、でかい声で君が代を歌ってみなと言いたいですね。沖縄の読谷村のチビチリガマの前でもいいな。この人のおぼっちゃん的生活スタイルはこのようなくだり、『自分でいい気になるのは勝手だが、それに他人を巻き込まないでほしい。』といったところによく表れているね。自分のヌクヌクと安定した生活のなかに反権カ闘争だのといった雑音を入れ込んで乱さないでほしい、といったところさ。
若井*でも、こういう「防虫ダンス」のように何者にもとらわれない自由な発言が少数ながらも流通しているというのは、独善的になりがちなアナタたちへの解毒剤になるんじゃないですか(笑)。
石川*よく言うよ。加藤君みたいに、自分だけ気分のいい状態に身をおければそれで満足といった発想は、天皇制強化に対して、少しは歯止めになることもあるかもしれないけど、きちんと批判していく理性というか、自らの在り方への根底的な問題意識がないと、結局、どんどん現状をそのまま追認していき、気がついたときにはファシズムってこともありえますよ。マスメディアが天皇漬けのXデー状況からもどり、人が日常の暮らしをおくっていても、意識の中に、天皇は偉大な人だったとか平和につくした人だったとかXデー報道の虚像は残る。そして何かのときには鎌首をもたげてくるのさ。
それから、Xデーのときは、「連合」指導部がこぞってヒロヒトの死に哀悼を表明するといったなさけない状況のなかで、我々は黙祷を拒否し弔旗をかかげさせない闘いに取組んできたし、天皇制への統合を一層推進する攻撃としての「国民」に新天皇への服属を求める『即位の礼.・大嘗祭』では「日の丸を揚げさせない」「君が代を歌わせない」闘いに取り組んできた。だが、加藤君はそんな闘いはばかげていると言っているのだ。その理由は「そんなことしても天皇制はびくともしない」ってことなの。これは昔からよくあった、「おれはやらないよ」と言うやつ.の、自分だけはそこそこに楽しくやっていければいいという現状追認主義者のきまり文句だったな。あとは空論を弄んでいればいいという気楽な稼業。このくだり、「天皇に権力が与えられていようといまいと、象徴天皇であろうとなかろうと、日本人的意識の向かう中心としての天皇制にはさして関係ない」――だれかさんの『空虚な中心』といったどうってことのない天皇制『解釈』言ってるだけ。天皇制の政治権力機構としての性格が見えてないんだね。
若井*おれなんか、かんたんに天皇制が現在も君臨しているのは、自民党・財界独裁を日本人が許容し続けているのと同じ構造にのっていると思うから――。
石川*そんなのあたりまえですよ。だから天皇制という、小学生のぼうやでもスジが通らないと感じるものが堂々と存在しているという現実を日本人が許容しているからこそ、自由・平等の感覚がそこなわれ、その他の社会的な矛盾なんかもとるにたらぬことと感じ、金銭的不正や社会的差別に対しても鈍感になり、しまいには矛盾だらけの社会システムをそういうものなのだとそのまま受け入れ、そのなかで自らも生きるほかはないという加藤の健ちゃんみたいな「.現状追認主義」が根を下ろすことになるんじゃん。
若井*その加藤の健ちゃんみたいってのはちっと言い過ぎじゃないの。おれはそうは思わないけどなあ。イデオロギーにとらわれずにありのままを見ていこうっていう姿努を感じるよ。
石川*いえいえ、それこそとらわれずにちゃんと読めばわかるってことです。現実に権力に抵抗する運動を、気楽にフー-コーの「権力について」で対応しようとしているだけで、現状追認をいってるだけだと思いますね。自らの存在の基盤を問い詰めることのない、フーコー読みのフーコー知らずっていう感じですな。これ、若井君から借りたやつだけど、ちゃんと読んでくれました? (あんかるわ№83・加藤健次「未知と差異(1)」)
若井*うん、読んだよ。
石川*こういう人生をなめてかかってるような文が何の違和感もなく「あんかるわ」に載っているところが、もう「あんかるわ」が終わっちゃった真の理由っていう気が私はするんですね。ほかの寄稿者たちからの批判はなかったんでしょうかね。
若井*もうちょっと具体的に言ってみて。
石川*メイベル・チャン監督の「誰かがあなたを愛してる」の感想文のところだけど。加藤君は主人公の底辺労働者が底抜けの「優しさ」と「明るさ」をふりまいていることから、彼が「人生を思いっきり楽しく生きている」ととらえ、「人間はどん底の泥沼のなかにあっても、陽気にのびのびと生きることができる、とこの映画は言おうとしているみたいだ。」なんて陳腐な結論を引出している。冗談もほどほどにせいよって言いたくなりますよ。世の中気持ち次第ってか。一面の真理はあるけどね。しかし、どん底の泥沼にはまったことのないおぼっちゃんがよく言うよなって感じ。これじゃあ進歩派や左翼じゃなくても「おまえは保守的な体制主義者」だとつめよりたくもなるよね。
それにこれ、「押しつけがましい平等や救済や体制批判にふり回されるよりは、ドブのなかを這いずりまわって生きるほうがよっぽどマシだ。」なんて言ってるけど、そんならそういう暮らしをきみが実際にやってみなさいって言いたくなりますよ。おまけにえらそうにこんなこと…「麻薬、購博、売春のゴミためのなかでも自分の足で歩くほうを選ぶ」なんてかっこつけてるけど、ほんっと、冗談じゃないですよ。加藤君が実際にだよ、三食のおかずを塩じゃけの切り身にして節約して読みたい本を買うような(笑)今のそこそこの暮らしぶりを捨てて、身一つでゴミための暮らしをやってみせてくれたら認めますけどね。だいたいからして「優しさ」と「明るさ」をふりまいている売春婦がいたとして、彼女が「人生を思いっきり楽しく生きている」とは言えないでしょう。おぼっちゃんには人生と人情の機微がわかっとらんのだな。けっきょくこの人の文からは、この体制は矛盾はいろいろあるけど、まあまあけっこうなもんだという現状維持志向の響きがわんさか聞こえてくるのだな。要するに、お願いだから体制批判だの反権力闘争だのといって、ぼくの快適な暮らしにわずらわしい雑音を入れないでちょうだいよといったところだな。
若井*石川君のいらだちはよくわかるけど、ただ加藤健次氏のいらだちはもう少し別のところにあるのですよ。今や、権力一つとっても、表面的にはかつてのように「悪」の表情そのものではおそいかかってこないということ。真面目できちょうめんな秩序維持という形で正義でさえあったりするというような事態、それはたとえぼ、彼のこの一文、〔現在の社会を縦横無尽に走る権カの編み目を、かつて〈悪〉の代名詞となっていた「国家権カ」というもので包括しきれるものではない。〕という認識なんかにも現れているんじゃないかな。
石川*何言ってんの若井君。そんなのもろフーコーの斜め読みにすぎないということですよ。加藤君は現状維持志向と反権力闘争の無効をフーコーを借りて言ってるだけじゃん。せっかくフーコーを読んだのなら、もうちょい自分の存在の基盤を問うてみなさいってこと。斜め読みの失敗をついでに指摘してあげるとすれば、これ――「エコロジストの社会ファシズム」という使い方は、反感に基く情緒的誤用だな。
それから、「あんかるわ」の終刊号の巻頭論文が加藤君の力作「未知と差異・(2)」になっているのが、なんか「終わり」を象徴しているような感じがするんだね。時代はついにここまできたのかという感慨をわしなんか覚えたよ。加藤君はここではもう大企業のエージェントになりきっていらっしゃるからなあ。資本主義に対する多大な幻想をふりまいている。たとえば、週休二日の実施などで労働時間は短縮される傾向にあり、かつてマルクスが指摘していたような労働者の「早死に」なんかまるっきりはずれて、平均寿命がどんどん伸びている、なんて言ってるだろう。
若井*それは現象面では確かに当たっているよ。
石川*何言ってんの若井君。労働時間が短縮されたって、その分、労働密度が濃くなっているわけで、苦痛は倍加されているってことぐらい、きみだって体験的に知っているでしょうに。二日の休みだって、このすさまじい産業社会ではシャドウ・ワークでがんじがらめにされているってことが、加藤君には決定的にわからないのでしょうね.。40代の過労死がわしらの周辺にさえ、かなりあるだろう。平均寿命が伸びてきたのは、労働が軽減されたからではなく、単なる医学の進歩のなせる業さな。平均寿命の伸びは、言ってしまえば、寝たきりで老人病院に収容される老人数がふえてきたというにすぎないだろう。
それから、調子にのってこんなことまで言ってるよ。――乞食すら飽食の時代と言われているくらいで精神的に異常をきたしている場合をのぞけば、飢死しているひとはいないということで、マルクスの指摘する「新しい競争による一部労働者の飢餓または乞食化」もはずれているなんて述べてますよ。ほんっと、この人、世間知らずのおぼっちゃんですね。ブル新やマスコミの水準で、社会の表層しか見れてない。
若井*うん、そのことだけ取り上げてみれば、確かに甘い。逆に言えば、山谷や寿といった寄場実態がいかに水面下に沈められているかってことだな。
石川*そうそう。わしが言いたいのもそれよ。
若井*前に、それこそ「乞食も飽食」といった感じで結構気楽に自由気儘に暮らせるもんだといったようなテーマでどこかのTV局が差別的な視線丸出しの番組を組んで、日雇全協にしかられたことがあったよな。
寄場やターミナル駅周辺には「失業」を強制された労働者たちがあふれている。たまに仕事に就けたとしても、劣悪な条件下に組み敷かれ、反抗しようものならヤクザの暴力にさらされるのがおちで、ピンハネされ、しぼりとられて肉体も感性も人間らしい理性も奪われボロボロにされたあげくにおっぽり出されることになる。使い殺しだ。結局は寒い冬なんかに野垂れ死にを強制される。こういう実態は意外と見えてないかもしれないな。
石川*そうそう。それに保安処分の先取り状態も彼なんかは知ってないだろうな。何年か前に看護人による「リンチ虐殺」が暴露された宇都宮病院を始め多くの精神病院に今もたくさんの寄場労働者が叩き込まれている。区の福祉の窓口に痔の症状を訴えただけで精神病院に叩き込まれたという例さえあるくらいだからな。
若井*それから外国人労働者に言及しているところもちょっと違和感というか、納得いかないところがあるな.。
石川*ちょっとどころじゃないですよ。如藤君の文脈をそのまま辿れば、矛盾だらけの高度資本主義国に流れてくる人間があとをたたない理由は、押し付けがましい平等や救済や体制批判に振り回されるよりは、もっと「人間的」なな生き方を求めてやってくるんだと。泥沼だろうと、ドブやゴミためのなかであろうとも、我が国ってなんてすてきなんでしょうってか。富のあるところに労働力が集中するってことにすぎないのにね。
いずれにしても、加藤君が「難民」をしめだすことに「どうしようもない憤り」を感じたのはたいへんいいことです。ただ、本気で感じたんなら我々と一緒に闘おうなぞと、わしは絶対に誘ったりはしないよ。きみはきみの場所にお帰りなさいと言うだけよ。我々はふきっさらしのなかでたまたま出会ったにすぎないのだからね。
若井*それから、「多国籍企業であれ、なんであれそのために利用できるものならそうしようとしているだけだ」という脈絡がよくわからないんだけどな。
石川*吉本みたいに多国籍企業は開かれた善だなんて思ってるんじゃねえの?
だいたいからしてアジアからの出稼ぎ労働者が家族と離れて出稼ぎに来ざるをえないのは、アメリカや日本、さらにはヨーロッバ各国の資本がアジアに進出したせいじゃんよ。農民や漁民から土地や資源を奪い、労働者として日本の20分の1の賃金で働かせてきた結果に、40~50%におよぶ失業者が大量にうみだされ、経済的貧困が増大し、多額の借金までして外国に働きに行かざるをえなくされた、ということなんだよね。
若井*それに政府は彼らに労働ビザを発給していないというのも問題だな。.その存在は不法就労なんだね。全くの無権利状態だということ。人間が生きていく上で無権利であることがどんなにきびしいものであることか、おれには察して思いあまるな。瀕死の重体でも、病院にかかれば「不法」がバレてしまい拘束されてしまう。現場で暴カを受けても、その行き帰りに交通事故にあっても、どこにかけこむこともできないし、だれにも相談できないということなんだ。泣き寝入りを強制される。資本はこういった彼らの存在を利用し、低賃金、劣悪な労働条件を強制し、膨大な利益をむさぼる。聞いた話では、40代半ばの日本人二人がやっていた仕事を20代のパキスタンから来たのに一人でやらせているというのだからね。人件費は浮くけど、その代わりに二人のおっさんの失業と、一人の外国人青年の肉体の酷使が残るってわけさ。若いうちが花。30代で身も心もぼろぼろで、使い捨てってとこだ。外国人労働者の「不法就労」は旧来からの形態をくずさず資本も潤うという虫のいいもので、いわば国益にかなっているというんだな。
石川*虚構のスクリーンとは違って現実に存在している事実は重たいってことですよ。それから加藤健次の甘さは、大企業の宣伝パンフをそのまま鵜呑みにしてるとこだな。これでいったら世の中いいことずくめじゃんよ。(笑)
若井*問題はある。
石川*彼には問題意識がないの。意識的に問題を避けているってわけじゃないのね。彼がバラ色だと思っている「女性の職場進出」一つとってもだよ、OA化、コンピューター化にともなう事務部門の女性労働者が急増してきたという事態のウラには、その女性労働者総数の四割が臨時、パート、派遣労働という不安定雇用なの。生産過程において重要な欠かすことのできない労働に従事している、基幹労働の位置を占めているにもかかわらずだよ。不安定雇用ってのは、低賃金、無権利のままだってことよ。資本の自由で首きりの対象にされるってことで、生活苦に直結する。
それから週三・四制についても企業のパンフを鵜呑みにして、もう全くのバラ色。加藤君は、こんな説明をしてるよ。『週休二日制よりも労働時間の合計は短縮され、また凝縮して働くので時間外勤務はなくなり、同時に機械を有効に利用できるという制度』だってよ。さらに〈『自由に気ままに、自分をたのしんでますか』を徹底化させている。〉とまで言ってるよ。ったく、冗談も休み休み言えと言いたくなるよ。こういう変則勤務体制ってものは、やってみればわかるけど、「機械の生理」に合わせて人間が労働し、償却期間を最大限短縮するためのものだっての。コンピューター合理化の原型、勤務体制面での合理化の極限であって、加藤君が気楽に想像するほど、自由気儘、自分を楽しむ世界からは遠いっての。変則勤務体制というものは、人間の生理的な生活のリズムと社会的な生活サイクルを全面無視してるからね。労働者を家庭生活や社会生活から孤立させ、しまいには家族全体の生活を破壊する。加藤君には一度でいいから、大学の夏休みにでも、企業の宣伝パンフを捨てて、期間工としてでもいいから体験してごらんと言いたいね。きっといい勉強になるぞお。
若井*石川君もよく勉強してきたなあ。(笑)彼についてはたくさん言いたいことがありそうだから、文章にまとめもらいたいな。
石川*(笑)そんな暇があれば、いいのですけどね。
若井*ところで、この「あんかるわ」の終刊ついて。思うところは?
石川*さっきも少し言ったけど、北川透が、もう出すのがやんなっちゃったということでしょ。
若井*だから、その理由について思ったことがいろいろあるでしょう。
石川*だから、加藤君のカ作評論を載せるというような、なんだか苦労の割にはばかばかしくなっちゃったってところじゃないかな。だいたいからして、わしなんか、「あんかるわ」がまだ続いてたってことが不思議なくらいだからね。松下昇のころでもう終わってよかっ.たんじゃないかな。しかし、何て言うか、この大冊はすごい力量だな。
若井*さすが北川先生の仕事という感じだね。おれ、北川透っていう人にはいい意味での教育者の資質が備わっていると思うんだな。僻南高校で現国を習っていたからよくわかるんだけど。
石川*うそ。
若井*いやホント、この終刊号の感想文集はまるで、山の分校,が廃校になったときの記念文集の趣を呈しているよ。清水鱗造さんは、「寺子屋としての力動感を受けとってきた」と言ってるし、新丼豊美さんは、「自分にとって『あんかるわ』は、真の意味で『学校』であった」と言ってる。北川透さんを先生と思い、寄校者を学友になぞらえている。
石川*わかるわかる。榊原淳子という子にとってもそうだ。この人、自分の文章がくだらないのにへきえきして、北川に「こんなくだらない文章に4ぺージも割いてしまっていいものでしょうか。」と泣きついたら、「僕は別にくだらないとは思わない」と返事をもらって励まされたくだり。北川の肯定の言葉を聞いてから、自分が変わってきたとまで言ってますよ。
若井*先生だな。
石川*ほんとにこの「SFシネノート」ってくだらないんだけど、北川透は、くだらないものにもそれなりの存在理由があるってことがきちんとわかっていらっしゃる。でも次の号からきちんと2ぺージに減らしてるところが何かおかしい。(笑)
若井*実はおれも北川先生の一言にはずいぶん影響されてるんだ。十年以上も前になるかな。××先生の結婚式のときの披露宴で隣の席になっていたんだけど、どうもおれは内気なのでてんで話せなかったんだけど、一つだけそのときの質問に答えてくれた「あんかるわ」の編集方針を妙に個人的に感心しちゃって、「取扱注意」の方針として守り通してることがあるんだ。
石川*何、それ。
若井*それは秘密です。あと一回、吉野大作君に誘われて、彼が司会を担当していた河合塾横浜校での予備校生相手の講演会でお会いしてる。予備校生にまじって朔太郎論を聞いてしまったよ。講演の後で、秀れた質問をした人には著書進呈ということだったので、しようと思ったんだけど、吉野大作君も質問すれぼよかったなんて言ってたけど、さすがにその勇気はなかったな。何しろいきなりおじさんの登場じゃあな。(笑)ちょっと早めに着いて、校舎に入ったときも、すぐさま警備員がかけつけてきたくらいだから、すごい違和感ありってとこなんだろうな。「朔太郎の講演」って言ったら、「北川先生でしたか」なんておれを勘違いしてんの。サンダルばきの先生なんていないだろうにな。(笑)結局その著書は女の子の手元に行ったんだけど、そんときの一挙手一投足、受け答えが先生らしかったな。その後、北川先生を囲んだ河合塾のスタッフの慰労会にまじりこんでただ食いただ飲みをしてきたってわけ。
石川*その意地きたないところが若井君らしいな(笑)。ところでこの野沢菜啓ちゃんの〈「あんかるわ」への私信〉ってのもおぼっちゃんらしいね。人の心の機微ってものが全然通じない人みたいですね。終刊の理由として、菅谷の死・新しい大学への就職と引越し・生理的年齢ということで、納得してしまってるんだからな。これはどう見ても北川透を安く見積もってしまっているということに、気付いていない。
若井*見えるところだけで納得するタイブ。様々な屈曲まで思いが至らない。――なんておれの言えた義理じゃないけどな。北川先生御自身は「ラディカリズムの終焉」という脈絡で語っていたみたいだ。
石川*自壊のニヒリズムとでも言いたい。若井君なんかが、酒に溺れてしまって全然書けなくなっている状況と同じですね。
若井*よく言うよ..
石川*村瀬学の菅谷論にいたく感動していたじゃないですか。
若井*菅谷特集は力作がそろっていて、読みごたえがあったね。奥さんの文「プライベートな時間」はつらいけどいい文だった。なんだか涙が出そうだったよ。
石川*その菅谷久子さんの文で、菅谷が旅行の車内でオールドをストレートで早朝から飲み通したって話、この前の旅行の時の若井君も同じじゃんよ。きみの場合はレッドだったけど(笑)。
若井*(笑)逆なんだね。村瀬学の文にあるように、管谷は頭脳の方がクリアだったから。おれは身体は丈夫だけど、頭の方にダメージが来てるってことなのよ。
石川*ほんとに、おそろしいよな(笑)。終刊号の「菅谷規矩夫の世界」、ちゃんと読みこんであるの?心配だな。
若井*ちゃんと線、引いてあるだろう。菅谷については個人的に妙な偏見があって熱心に読んでこなかったもんだから、この特集を読んで、菅谷の作品を読み直してみたいという気持ちにさせられたよ。特に岡田啓氏の文と、坂井信夫氏のと、新井豊美氏の文なんかが、今は具体的には指摘しないが教えられるところが多かったな。
石川*野沢の文だけは冷害だけどね。それと対照的に月村敏行はふところが広いね。ただ、なんとなく気になるのはみんな自分の現在の「生」をいとおしむように優しくなっていること。「大学闘争」に言及しているのは堀部茂樹ぐらいじゃないですか。72年に菅谷が都立大助教授を免職処分にされたことについて、「〈大学闘争〉の結果としての〈失業〉によって菅谷は、もうひとつ別の地上的な意味を抱え込むことになった。それは、菅谷が〈労働せざるもの〉の位置に立たねばならなくなったということである。その本質的な意味は、菅谷にその後の〈生〉を〈聖なるもの〉として生きることを強いたラディクスのひとつとなったということである。もちろん菅谷自身こそが、そのことに自覚的であった。」――その是非はおくとして、「大学闘争」がその後の菅谷の人生を規定したことは確かだろ。この点を大学教授詩人たちはあいまいにせざるを得ないのだな。現在同じ都立大で助教授(?)をやっている福間健二なんか、まさに自分の生をいとおしんでいるように感じるね。タイトルは「ラデイカルナ空白」。象徴的ですね。ちょっと長いけど読んでみるよ。「いまの私はこの地上の生をたっぷりと味わいたい。それで追いつけない〈ラディカル〉や〈先端〉は、ほんとうはラディカルでも先端でもないと思っている。《〈もうどこまでも生きる〉と言いきりたいのだ》なんて言わずに普通の人は生きて、死ぬときがきたら死ぬ。それをやりたい。」――もういいでしょう。こういったところが、北川が「あんかるわ」をやめたくなってしまった理由に通じているように思います。さっきの加藤君もそうだけど、余計なことで騒がないでほしい、私は地上の生をたっぷり味わっていたいってところでしょうか。北川透も地方の女子大で学門の人となって余生を楽しみながらおくるんだろうか。
若井*おいおい、ちょっと待ってよ。それこそさっき言ったような現象面だけしか見れない、人の生の屈曲にまで思いが及ばない誰かさんと同じ思考スタイルじゃないか。
石川*何言ってんの、若井君、ろくに詩も文も書けないでいるくせによ。
若井*妙に絡むね。
石川*最近読んだベンヤミンの「左翼メランコリー」に倣って言えば、おれたちはまさにおれたち自身のメランコリーを論ずべきときにいるのさ。あのひとたちは、現在確実に広がりつつある「空洞」を気楽に吹き過ぎようとしているのにすぎない。我々はまさに我々自身のメランコリーに敏感に反応するところから始めなければならないと思う。そして「空洞」を隅々まで満たし塗りこんでいけるような言葉と運動を創りだしていくこと――。.
若井*だいぶ酔ってきたみたいだな。だいじょうぶ?
石川*何言ってんの、若井君。まだまだ。湾岸戦争について、話題にしてみようじゃ。
若井*はいはい。「鳩よ!」の特集『湾岸の海の神へ』に載っている詩、なぜかみんな谷川俊太郎の詩に似てしまってるところがおもしろいな。.
石川*いいところに気付きましたね。「鳩よ!」の「鳩」って、国民平和主義の鳩だったなんて知ってたか?
若井*いえいえ、この号で初めて知りましたよ。吉田文憲もよくこんなの書いたな。
石川*一見情況的な詩ほど反動的なものはないってか?(爆笑)
若井*(笑)おいおい、おれの台詞を取るなよ。せっかく言おうとしてメモしておいたのによ。'
石川*「現代詩手帖」(5)で瀬尾育生が批判しているじゃん。「テレビに映しだされたウミウの映像について《なにかがこわれてしまった/語る言葉をなくしてしまった》と吉田文憲は書く。そして飼っている小鳥が死んだときのこどもたちの嘆きをそこに重ねあわせている」
若井*「普段のうたいぶりの延長で湾岸戦争を描いていることに、ひとまず安堵すべきだろう」と瀬尾先生はとらえたわけだけど、吉田なんか全然普段とちがうよね.。.
石川*うん。わしが一貫して批判している被の詩に多用されていた疑問と不確実を示す語・語法がこの戦争詩には少ないな。それにことばに味つけするナンセンスなひとひねりが全然ない。
若井*うんうん。それは瀬尾先生が言う、《油にまみれたペルシャ湾のウミウの写真》、すなわち『絶対的にかわいそうなもののイメージ』という安定した場所に落着いているからだろう。
石川*わしもそう思う。「浮遊する精神」だからプラスティックなのさ。このタイプは時と場面によっていくらでも小器用に変わり身可能なんだよ。だから瀬尾が「ではこれらの詩人たちは、《油にまみれたペルシャ湾のウミウの写真》に応じて詩を書くことでいったい何をしたことになるのか」と問いを発しているけど、本気で聞いているのか?と思うよな。彼らは、はなから何一つ本気で対処してるわけではない。書くように依頼されたから、瀬尾の指摘する「世界を統覚する根拠になる絶対感情」に乗ってほいほい気楽に詩を作りあげたにすぎないと思う。
若井*なんか、いずれにしても情緒でやってるって感じがするんだなあ。別に情緒そのものを否定するわけじゃないんだけど。まあ詩人だから情緒的になるのかな。油にまみれたペルシャ湾のウミウの写真が典型で、「鳩よ!」が情緒倫理で進めているのに対し、こいつを批判する瀬尾先生は情緒論理で攻めているって感じ。いずれにしても、情緒を軸に社会的言論を展開しているという点では同じ穴のなんとやらなんだな。……たとえば、ここ。「かつてないタイブの戦争を前にして、それに抵抗し得るまでに自らの詩の言葉の質を鍛えようとしているのか。そ.れともこの戦争をめぐってこの国に飛びかっている苛立たしい言説どものなかに、詩にだけ可能な鮮烈な亀裂をはしらせようとしているのだろうか。そのどちらとも思えない。」と、「鳩よ!」などの湾岸戦争詩をせめているけどな。二十年前にも聞いたことがあるような語り口で、おれなんか好感持てるけど、どうなのかな。口で言うのはだれでもできるけど、実際にそういうものにおめにかからないとなあ。瀬尾先生の新作にそういったことの痕跡が認められたら、おれはもう本気で「先生」と呼んでもいいんだけどな。(笑)
石川*べつに若井から先生って呼ばれたってうれしかねえだろ。
若井*そりゃそうだ(笑)。「なんでいまさら《油まみれのペルシャ湾のウミウの写真》につまずかなければならないのだ。」という瀬尾の感情には共感できるんだ。でも、その根拠の「湾岸で虫のように殺されてゆく人々とまったく同じようにわれわれもまた虫だ。……」というこの文は、いくら読み返してみてもさっぱりわからないのよ。情緒一方で、思想として定立していこうとする意志が感じられない。
石川*おれにはよくわかるよ。彼もまた、自壊するニヒリズムの仲間なんだよ。すでに「人間」が解体された「虫」のような存在であるという意味では、おんなじだと彼は言いたいのですよ。
若井*それは違うんじゃないの?
石川*そんなこと言ったって(テープ終了)


これに完了です。

パーマネントプレス第6号

2013年12月26日 | フリー

季刊パーマネントプレス 第6号 予告
詩集情報 若井信栄 <詩>の評価のあいまいさ 与那覇幹夫詩集「ワイドー 沖縄」受賞をめぐって
 与那覇幹夫詩集「ワイドー 沖縄」が小熊秀雄賞と小野十三郎賞の二つの賞を受賞したことから、私などには詩の評価ということに関して、いろいろ考えさせられるところがあった。
 小野賞決定の告知にこういうくだりがある。「沖縄の詩人たちが長い年月をかけて積み重ねてきた独自の表現法の結実である点も指摘された」(http://www.osaka-bungaku.or.jp/ono_list.html)と。このようなことをいったい誰が指摘したのかふと疑問に思ってしまった。選考委員の金時鐘、倉橋健一、小池昌代、辻井喬、坪内稔典の五氏ではないだろう。沖縄の詩人との接点はなさそうだから。小野賞を後援している「桃谷容子基金」代表の以倉紘平氏が思い浮かぶ。氏なら沖縄の山之口貘賞の選考委員を与那覇幹夫氏と共に務めているので「沖縄の詩人たち」について指摘できるだろうから。
 与那覇幹夫詩集「ワイドー 沖縄」発行にふれて、地元の新聞「沖縄タイムス」の文化欄に「詩集は友情と支えの結晶」という記事があった。「(与那覇詩集は)『同人誌EKE』などに発表した作品をまとめたものだが、同じく詩人の以倉紘平さんに強く出版を勧められた。以倉さんは作品の配列やタイトルなども〝プロデュース〟する熱の入れよう」「詩人仲間に本を送ると早速、詩人賞に推薦したい、なとの反響もあり、さらに手応えを感じているようだった」とのことである。
 この文脈からするとヤマトの詩人賞の「受賞」の「手応えを感じているようだった」というように受け取れる。ヤマトの詩人以倉紘平さんがヤマト受けするように詩集のタイトルから作品の配列まで熱を入れて〝プロデュース〟したということか。詩集タイトルの「ワイドー 沖縄」にしても、いつだったかの女性マラソンランナーの言葉「自分で自分をほめたい」ではないのだから、沖縄の詩人なら、自らの立ち位置の不自然なこうしたタイトルは避けるはずである。詩作品もまたヤマト向けの工夫がなされている。与那覇詩集は「沖縄の詩人たちが長い年月をかけて積み重ねてきた独自の表現法の結実である点も指摘された」ということだが、沖縄の詩人ならおそらく「冗談じゃないよ」と思うであろう。「沖縄」という素材に寄りかかるような停滞の表現は極力避けてきたはずであるから。
 比嘉加津夫氏が「脈」78号で、与那覇氏の受賞祝賀会の様子を小説化している。そこで、ある詩人が以下のように語ったということだ。「(略)ぼくも、あの「叫び」は顔の向きがあっち側に向いて書かれているようで、良くないと思いましたね」「あっち側というのは、わかりますか。やまとぅです。話題性のあるものを投げ出すと、すぐに食いつくという習性があるんですよ。ジャーナリズムの眼というものですよ。(略)」と。
 詩集「ワイドー 沖縄」第2刷の「腰巻き」に「名詩編『叫び』『形見の笑顔』『あいさつ』等を読みながら、私は久方ぶりに深い感動を味わった。」という、以倉紘平氏の褒め言葉があるように、この三つの「名詩編」もまた、ヤマト向けに「沖縄」を素材にしたものであった。
 「叫び」は、宮古の村里の、とある村外れの農家で、十一人の米兵(アメリカー)が 、羽交い絞めに縛った夫の、その目の前で、その家の四十手前の主婦を、入れ代わり犯したという事件を素材にしている。詩のタイトル「叫び」は、十一人目の米兵(アメリカー)が、主婦に襲いかかったその瞬間、夫が「ワイドー加那、あと一人!」と叫んだことからきている。「ワイドー」は「耐えろ・しのげ・頑張れ、という意味合いの宮古ことば」ということだ。たいていの読者はこういう素材の重さ、大きさに圧倒され、この詩そのものに正対できなくなってしまったのではないかと思う。与那覇氏はこの夫の叫び「ワイドーあと一人!」を「美しい叫び」「身の引き締まるような、究極の祈り、夫婦愛の煌めき」と、倒錯的な捉え方をする。米兵の犯罪としては一九九五年の「沖縄米兵少女暴行事件」が思い浮かぶ。沖縄に駐留するアメリカ海兵隊隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、12歳の女子小学生を拉致したうえ、集団強姦した事件があった。こんなとき、もし父親が捕縛されていたとしても「ワイドーあと一人」はないだろう。それを「美しい叫び、身の引き締まるような、究極の祈り、父性愛の煌めき」などとはとうてい言えないだろう。父親なら、自分は捕縛されていたとしても、全身で怒りを表すしかないはずだ。「あと一人」には怒りが抜けている。
 詩をこの「ワイドー事件」だけで止めておけば、単なる失敗作で終わったはずであるが、「ワイドー」を沖縄米軍基地問題にまで広げてしまったところが、結局、詩を大失敗作にしてしまったのだと言えよう。「嘉手納(かでな)、普天間(ふてんま)、金武(きん)、辺野古(へのこ)―襲われ続ける守礼の島のために」「『ワイドー沖縄! ワイドー沖縄!』と念じ続けよと」、受忍を訴えることになる。「詩と思想」誌の「沖縄の名詩」特集掲載のこの詩の前作では、基地を強制する政府に対する直截の怒りが確かに表明されていたのだが、それがすっぽり抜けている。与那覇氏の思いとは裏腹に、この詩「叫び」は「受忍」を訴えることになってしまっているのだ。大失敗作たる所以である。
 以倉紘平氏が名詩編とする「形見の笑顔」は、「母」をうたう詩なので、批判するのはためらってしまうのだが、きちんとしておこうと思う。与那覇氏を知らない人ならば素直に感動するであろうが、知る人なら、この詩はどこか作りものくさいぞと思ってしまうであろう。「父の放蕩と、その挙句の死、そして一家離散」したということだから与那覇氏は中学2年で親元を離れたのかもしれない。高校進学を断念した与那覇氏に母親は「『あんたには何もしてやれない』と手をついた」そうである。ここまでは素直にわかる。だが、次の「あゝあの時私が、憤然とそっぽを向いたのが、いつしか錐(きり)となって、時折グイと胸を刺す。」は、なかったであろう。いくら中二だったとはいえ、「憤然とそっぽを向いた」はないだろう。与那覇氏は1939年生まれである。中学生になるのは1950年代前半である。このころなら、成績がよくても、家計を考えて、高校進学を断念せざるをなかった人はごく普通にいたはずである。与那覇氏よりも13年長の山形出身の詩人黒田喜夫さんの最終学歴は高等小学校である。与那覇氏より10も年下の宮崎出身の元「反戦自衛官」小西誠さんも家計を考えて、中卒で航空自衛隊生徒隊に入隊している。まして与那覇氏の場合は一家離散の身の上であるのなら、よくよく考えたうえで素直に高校進学はあきらめたであろう。自ら断念したのだから「憤然とそっぽを向いた」は脚色であろう。ただ、こればかりは、「自分の息子に手をつく、身の細るような無念さ‐哀しさを、微塵も知らぬ洟垂れ」だったからということなら、そうかと思うしかない。
 しかし、次の表現はどうかと思う。「砂塵まみれ」で苦労した生涯を送った母親の死を前にした彼の後悔、「好物のサタパンビン一個さえ、買って上げたことのない親不孝」というところで、私たちは、それはないだろうと思ってしまう。註を見て「サタパンビン」とは、サーターアンダギーのことだと知る。それなら、「自分の小遣いで薄力粉と卵と砂糖を買って、近所からふくらし粉をちょっと借りてきて、自分で作ってあげなさいよ」と言いたくなるではないか。それも、「失対事業の道路補修工事の現場に、生涯の大半、立ち尽くした母」に対してである。会いたさのあまり、十五歳の夏に、母のいる島を訪ねながらも、「垣間見ただけで、すぐさま引き返したのは」、骨身を削るような母の仕事ぶりに圧倒されたがゆえではなかったのか。その母に対して、好物のサーターアンダギー1個すら買って上げなかったとは! 「サタパンビン」もヤマト向けの素材として比喩的に使ったとしても、失敗である。
 以倉紘平氏が「名詩編」とする三つめの詩「あいさつ」は「島チャビ(離島苦)」の与那覇氏流解説である。島から旅に出たものは、後から来た友人や顔見知りに会うと、「島は赤かったか、青かったか」尋ねるのがあいさつ代わりだったということだ。「それは、ほとんど毎年、干ばつが見舞うその島では、島山が一面、赤く枯れれば島はもう飢饉‐蘇鉄地獄なので、島に残した親兄弟や、近しい者たちの身を案じ、明るい闇を払い除けるかのよう、それこそ必死に、問いかけたのだ。」と説明している。ここで「蘇鉄地獄」の註をつけなければ単なる比喩として読み過ごすところだが、それを旱魃のすさまじさとして次のような註を付けているところに引っかかる。「蘇鉄は大干ばつでも枯れなかったので(略)にして食べたが、毒抜きを誤り、よく死人が出た。それで蘇鉄しか食う物がないような干ばつを、誰言うとなく、蘇鉄地獄と言うようになった」という註である。しかし、一般に「蘇鉄地獄」とは、「16世紀の薩摩の進攻以来、第二次大戦前の沖縄産業はサトウキビ栽培が中心であった。第一次大戦後の恐慌の際には砂糖の相場が暴落し、全国規模の農産物の不作によって一時的に飢饉が発生し、貧家では毒抜きの不十分なソテツまでも食べて死に至るという、「ソテツ地獄」と呼ばれる状況となった。」(「沖縄大百科」より)ということで、戦後恐慌による沖縄の農村の疲弊状況をいう言葉なのである。むろん台風や旱魃による不作が輪をかけたことはあろうが、それが「蘇鉄地獄」を直接指す言葉ではないのだ。
 あと、「あいさつ」なのにどうして、「島は赤かったか、青かったか」と標準語なのかという疑問も残るのだが、せっかく人が「名詩編」と称える「作品」をつつく精神のよろしくない男と思われそうなので、この辺でやめておこう。言いたかったことは、「形見の笑顔」と「あいさつ」は措くとして「叫び」だけは「名詩編」などと持ち上げてほしくはない、ということだったのだから。
 甲田四郎『送信』ワニ・プロダクション、7・16刊。「東日本大震災と原発事故の深刻化の期間、政治が(それを選ぶ市民が)劣化し続ける期間の、劣化を肯じない者の詩集ということです。」と、あとがきにある。老化はしても、劣化はしないぞ、という精神がいい。「すると立ち上がって二、三人で私を囲んで、おまえいい度胸だな。おまえらは悪い度胸だなと私は言って、(略)」(「じじいたち」)とか、「老いたからこそできる/そういう仕事があるはずだ/というのは老いた人間ばかりか」という軽妙なところがいい。キバナコスモスに似た外来植物のオオキンケイギクにふれた詩「開聞(かいもん)八月十四日」は問題作だ。「日本国が彼の国を奪い言葉を奪い/その身を殺したことを隠している/特攻花/黄色に血がにじんだ色/特定外来生物/(日本の生態系に影響を及ぼす恐れがあるので/移植、栽培が禁止されている)/隠されたもののために咲いている」とあるように、歴史の裡面に隠されたものごとをしっかり見届けようとする甲田氏の姿勢もまた、劣化しない詩人たる所以であろう。
田川紀久雄『寄り添う』漉林書房、11・15刊。「末期ガンを宣告されてから五年を過ぎた。いのちを語りたいという思いで上梓続けて来た。」とあとがきにある。そして、手術も受けずに、今も詩語りの出前を続けているということである。「癌よ ありがとう。本当のいのちの美しさを知りました」と言い切れる壮絶な詩人の詩集である。「見果てぬ夢に向かってここまで生きてきた/今日で七十一歳を迎えた/これからも見果てぬ夢に向けて生きていかねばならない/誌語りの世界を確立したいと思い続けている」(「小さな神様」冒頭より)。
 以下の詩集については、次号への宿題とさせてもらう。水島英己『小さなものの眠り』、倉田良成『詩、耳袋』、新城兵一『弟または二人三脚』、田川紀久雄『いのちのひかり』、高橋秀明『捨子のウロボロス』、坂多瑩子『ジャム煮えよ』、日原正彦『冬青空』。坂井のぶこ『浜川崎から・Ⅱ』田中智子『天井のオルゴール』。
(了)

特集 神奈川
「神奈川と私――私と神奈川」
・ほろ酔い談義 石川為丸・若井信栄
石川 特集・神奈川の話題に入る前に、前号で話題にした与那覇幹夫詩集「ワイドー沖縄」について、もう少し触れておきましょうか。前号で言うべきことは言ったつもりなんだが、もう一点気づいたことがあるので、ぜひ言っておきたいと思います。
若井 この、凡庸な詩ばかりでしかも問題のある「叫び」を含む詩集なんかが、小野十三郎賞までもらっちゃったわけで、おれなんかもう、言いたいことは大有りだね。
石川 またまた、そういう言い方をするとね、「嫉妬心メラメラの残念でかわいそうな若井くん」とか言われちゃうよ。
若井 なに言ってんの石川くん、まじめに言ってるんだよ。
石川 (笑)本人の思いとは裏腹に、世間様は見方が違うわけよ。前のきみのH氏賞受賞詩人への言及も、彼の奥さんらしい人から、ブログで、こう書かれたじゃん(笑)。おもしろいから引用してみるよ。――「ボクちゃん(=若井)よりも年下で、ボクちゃんと同じような経歴(しまないちゃー、那覇在住、塾講師、男、詩作活動をしている)のヤツが今年度のH氏賞を取りやがった!どうしてボクちゃんも長年詩(?)を書いているのに世間は認めてくれないんだ!しかもコイツ、ボクちゃん(を含む沖縄で詩作活動をしている人たち)の事を”沖縄の「レベルの低い詩人」(連中)”なんて言いやがった!許せない、ボクちゃん怒ったぞーーーー!よーしやっつけてやるーーー!」とも読み取れるような内容の記事をつらつらと書いているからです(笑)。」http://shimaag.blog90.fc2.com/blog-entry-333.html(爆笑)これは笑えるね。しかし、ここまで卑小化されても、若井くん、怒りなんか感じなかったでしょ。逆にこの人の単純さが浮かびあがっちゃてるからね。また別のところではこんなことも――。読んでみるよ。――「私の率直な感想は、この人(=若井)はもうイイ年齢の大人なのに、本当に「暇で残念な人」なのだなぁ。。。でした(この人のブログの記事、長い文章なので書くのにも時間がかかっているのではないかと思いました)。女の嫉妬もこわいですが、男の嫉妬も(この人のようなカタチで出てくると、笑)本と粘着質で性質悪いです。。。(笑)」http://shimaag.blog90.fc2.com/blog-date-201110.htmlと、「括弧、笑い」だよ(爆笑)。
若井 (苦笑)そんなことあったね。うーむ、ここでまた、受賞にイチャモンをつけてるというふうに、表面的なところだけで見なされたら困ったもんだな。
石川 あくまで作品批判でやってきたはずなんだけど、真意が受けとめられないところがあるから言い方には気をつけましょうね。
若井 それは為丸らしくないねぇ。「詩の俗世間」は気にせず、誤解をおそれずに大胆に発言していこう、と言ってたのはいったいどなたでしたかね。
石川 わかりましたよ。では、大胆にいきましょうか。まず「ワイドー沖縄」のタイトルポエムの「叫び」について、前号で言い残したことについて言わせてください。
若井 はい、言ってみましょう。その「叫び」は大方の沖縄の詩人たちからも不評を買ったんじゃないですかね。比嘉加津夫さんが「脈」78号で、受賞祝賀会の様子を小説化している。そこで、「体格のいい詩人」に語らせている。「(略)ぼくも、あの「叫び」は顔の向きがあっち側に向いて書かれているようで、良くないと思いましたね」「あっち側というのは、わかりますか。やまとぅです。話題性のあるものを投げ出すと、すぐに食いつくという習性があるんですよ。ジャーナリズムの眼というものですよ。(略)」と。
石川 うん、「ワイドー沖縄」という詩集の題名を見ただけで、もう読む気もしなくなると言った沖縄の詩人もいた。でも、わしらが詩「叫び」を批判するのは、その「やまとぅ向き」の姿勢というわけではないんだね。この詩の安直な歌い上げの構造の方なんだね。
若井 ところで、沖縄の詩人ならけっして付けないであろう「ワイドー沖縄」なる詩集タイトルは、「やまとぅ」の以倉紘平という人のおススメだったということです。これはうなずけるところです。
石川 ええ、こちらの新聞「沖縄タイムス」の文化欄「魚眼レンズ」の記事ね。「詩集は友情と支えの結晶」という心温まる詩人交遊録が書かれていました。「詩人の以倉紘平さんに強く出版を勧められた。以倉さんは作品の配列やタイトルなども〝プロデュース〟する熱の入れよう」――こうはっきりと書かれてある。
若井 「やまとぅ」の以倉紘平さんが「やまとぅ向け」に詩集のタイトルも配列についても熱を入れて〝プロデュース〟したということらしいね。というのは、詩集第2刷の「腰巻き」に以倉紘平さんがこんな言葉を寄せている。「長い時間をかけて磨かれ培われた言葉の深さと優しさ。名詩編「叫び」「形見の笑顔」「あいさつ」等を読みながら、私は久方ぶりに深い感動を味わった。」とあるんだが、この「名詩編」(笑)が三編とも、むる「やまとぅ向け」なんだな。沖縄の詩人が読んだら鼻白むというもの。
石川 そこまで言うか。「叫び」はダメだけど、「形見の笑顔」と「あいさつ」に関しては「名詩編」と言うにはためらいがあるけど、そんなにひどくはないんじゃない。まあ、ふつうじゃないか。「名詩編」と持ち上げるほどではないけど。、
若井 なに言ってるの石川くん、「形見の笑顔」も「あいさつ」もかなしいほどに「やまとぅ向け」なんだってとこ、わかんないかなぁ。「やまとぅ」の以倉紘平が熱を入れて〝プロデュース〟した詩集のうち、「やまとぅ」の以倉紘平が挙げた三篇はむる「やまとぅ向け」だったというわけよ。
石川 「やまとぅ向け」がそんなにいけないことなの?
若井 なに言ってんの石川くん。なさけないんだよな、なぁんか悲しいんだよなぁ。このヤマトの以倉紘平という人、どういういきさつか知らないけど、与那覇さんと一緒に沖縄の山之口貘賞の選考委員をやってるんだが、同時に与那覇さんが受賞した小野十三郎賞の共催をしている桃谷容子基金というのの代表も務めているんだよ。小野十三郎賞の贈呈式で共催の代表として挨拶もしているhttp://osaka-bungaku.asablo.jp/blog/2013/11/23/7068158。まさか「賞の共催代表である私のプロデュースした詩集が受賞してやりがいがあった」とか言ったりはしなかったでしょうけど……。
石川 それを言っちゃうかなぁ。そういうこと、沖縄の人は知っていても言わずに、心の中にしまっておくよぉ。
若井 いや、おれはね、ネットで小野十三郎賞を検索していたら、第15回小野賞の贈呈式で、「共催の(略)、桃谷容子基金の以倉紘平さんから挨拶がありました。」という記事を見てしまったので、事実を言ってるだけよ。以倉さんの強烈なプッシュがあったから受賞につながったとか思ったら、それこそ下衆の勘繰りというやつで、おれはけっしてそうは思わないけど、以倉さんの「やまとぅ向け」のプロデュース力が奏功したということは言えるんじゃないの。
石川 それは言えるだろうね。選考委員は金時鐘、倉橋健一、小池昌代、辻井喬、坪内稔典の五氏。これほどの人士が詩作品そのものにあたることなく、「沖縄」というものごとのほうへ手放しでイカレテしまったということだね。いわゆる、「沖縄というものごとへの拝跪」ということだ。ちょっと失礼な言い方だけど、個々の作品にあたることをしていないと思う。タイトルポエムの「叫び」をしっかり読み解いたなら、選から外したはずですよ。選考委員としては怠慢だというしかない。
若井 そう、この人たちも「沖縄」という、詩の素材の重さ、大きさを前に「思考停止」しちゃったんだということでしょう。だって詩はちっともよくないんだもの。
石川 そこで、「叫び」について前の対談で言い残したことについて言わせてください。
若井 この「叫び」は、素材の重さに圧倒されてしまい、ヤマトの読者は作品そのものに向かうことができなかったんじゃないか。
「それは戦後間もなく
降りそそぐ陽ざしに微睡(まどろ)むがごとき
宮古の村里の、とある村外れの農家に
十一人の米兵(アメリカー)が 、ガムを噛みながら突然押し入り
羽交い絞めに縛った夫の、その目の前で
その家の四十手前の主婦を、入れ代わり犯した」
と詩に表現されている事件。これを、与那覇氏は「ワイドー事件」と呼んでいる。なぜ「ワイドー事件」なのか。それは、「十一人の米兵(アメリカー)が 、ガムを噛みながら突然押し入り/羽交い絞めに縛った夫の、その目の前で/その家の四十手前の主婦を、入れ代わり犯した」が、「十一人目の米兵(アメリカー)が、主婦に圧(の)し掛かった瞬間」、ここで、夫はじつに間の抜けた叫びをあげてしまう。「ワイドー加那、あと一人!」。「ワイドー」は「耐えろ・しのげ・頑張れ、という意味合いの宮古ことば」ということです。
石川 前の対談できみは「野球でツーアウトを取ったピッチャーにかける言葉じゃないんだから、この場面で『あと一人!』はないだろう」と言っていた。確かにこの夫の言葉には、誰もが間抜けと思うだろうね。「ワイドー」に「頑張れ」というニュアンスがあるというのなら、この十一人めの米兵にのしかかられた主婦は何を頑張ればいいのか。ただ抵抗するすべもなく「耐え、しのぐ」ことだけに頑張るしかない。
若井 ところが、この間抜けな叫び「ワイドー加那、あと一人」を与那覇氏は、「あゝ私は、一瞬、脳天さえ眩(くら)む、これほど美しい叫びを、知らない」「きっとその日は、世にも壮麗な稲妻が村内(むらうち)を突き抜けたであろう。」とまで大げさな表現をもって称える。そしてさらに「この、身の引き締まるような、究極の祈り、夫婦愛の煌めきに人間の素心とは、いや人間の魂とは、こんなにも美しいものなのかと<叫び>の余韻に、投身さえする始末である」とまで「詩」的な説明を加えている。これが与那覇氏の独特なところです。
石川 おう、そこなんだよ。詩の書き出しはこうなっている。
「私は、何と詰(なじ)られようが
あの夫の<絶叫>を差し置くほどの
美しい叫びを、知らない。」
となっている。この「何と詰られようが」をわしもはじめは、先の比嘉さんの小説にあるように「あらかじめ常識人からはなじられるかもしれないということを予想していたわけです」というふうに見ていたわけだけど、そこが決定的に違うんだよ。詰られることを与那覇氏が想定していたのは、宮古の村の人々なんだな。詩「叫び」は宮古の村人への批判の意味もあるというようなことを、与那覇氏は話していた。そこのところがわしにはよく分からなかったんだ。しかし、冷静に考えてみて、こういうことだと納得した。
 伊良部佐良浜出身の友人に、この詩「叫び」について話したとき、彼はこう言ったんだ。「だいたいからして、アメリカーが11人だったこととか、夫が『ワイドー加那、あと一人!』と叫んだこととか、どうして与那覇幹夫が知ってるんだよ」と。そこで考えられることは、村人からの伝聞だろうということだな。ではどうして村外れで起きたこの事件、夫の叫びとかまでを村人は知ったのだろうか。ここが肝心なところだが、それはこの間抜けな夫の口からとしか考えられないんだな。村の酒宴の席かなんかで「11人めのアメリカーが〇〇(実名)にのしかかったとき、つい、『ワイドー〇〇、あと一人!』と叫んじゃったよ」とか言ったのだろう。「そんな時に『ワイドー、あと一人』は、いくらなんでもないだろう」と村の人たちはあきれかえったり、たしなめたりしたはずだ。そしてこれが「ワイドー事件」として広まっていったのだろう。間抜けな夫のおかげで妻はますますいたたまれなくなる。「セカンドレイプ」というものが、「レイプや性犯罪、性暴力の被害者が、その後の 経過において、更なる心理的社会的ダメージを受けること」であるならば、この間抜け夫のこうした口外はまさにそれにあたる。 「ワイドー加那、あと一人!」の叫びは与那覇氏の言うような「美しい叫び」などでは決してなかったのだ。それを与那覇氏が「美しい叫び」とあえてとらえ、村の人々に対して批判的になるのは、おそらくこうだ。「やはり被害者にあたるこの夫を村の人らが間抜け扱いするのはあんまりだと思う。『ワイドー加那、あと一人!』の叫びは、むしろ『美しい叫び』なのだ」と無理矢理思い込もうとしたのだろう。
若井 なるほどね。それで詩集の「特記」で「時効」という言葉を使った理由がわかる。特記には、「私はこれまで『ワイドー事件』については一切、口を噤んできましたが、事件から半世紀余の歳月が流れたので、もう時効であろうと、口を開きました」とあるんだが、罪は十一人の米兵にあるわけだから、彼らを慮って口を噤んできたということになって、実にヘンだと思っていたんだ。そうかそうか、間抜け夫を非難したであろう村人たちの仕打ちに対する時効ということだね。
石川 そう。詩の冒頭はこういうことだ。「私は、『宮古の村人たちから』何と詰(なじ)られようが あの夫の<絶叫>を差し置くほどの/美しい叫びを、知らない。」――ということだな。
若井 そのように「ワイドー加那、あと一人!」を「美しい叫び」と受けとめるのだけなら詩人の勝手でまあしょうがないんだけど、これをそのまま「ワイドー沖縄!」と基地問題にまで安易に広げてしまったところが、この詩「叫び」の致命的ともいえる大失敗作となった理由といえるだろうね。
石川 安直にこの加那から沖縄へ広げたのはまずかったですね。さっきも言ったけど、この十一人めの米兵にのしかかられた主婦は「あと一人」と言われて、いったい何を頑張ればいいのか。ただ抵抗するすべもなく「耐え、しのぐ」ことだけに頑張るしかない。とすると、米軍基地問題も「ワイドー(耐え、しのぐことだけにがんばれ)沖縄、あと一つ辺野古!」ということになっちゃうよ。与那覇氏はそんなこと思ってはいないだろうにしてもだ。
若井 「襲われ続ける守礼の島のために」『ワイドー沖縄!ワイドー沖縄!』と/念じ続けよと」いうことで、抵抗の精神を微塵も感じさせない、なさけない祈りで終わってしまっているところが、なあんか、かなしいよね。
石川 この詩「叫び」だけは「名詩」だなどと持ち上げてほしくない。
若井 うん、これに関してはしっかり批判すべきだということで、ここまで言ってきたわけだ。――というわけで、この辺でそろそろ、泥酔になる前に、いっきに特集「神奈川」に行きましょうか。
(以下は活字でご覧ください)

・短文:倉田良成・平敏功・石毛拓郎・永井孝史・福原恒雄・芝憲子 他  
・詩:永井孝史 粟なき佐貫(関東版)

石川為丸 沖縄の園芸作業・8月 水やり 
石毛拓郎 六根、リヤカーを引け!―――1979.7.10 むきだしの友に、「国立療養所多摩全生園」へ会いに行く。
井元霧彦 幻聴?NO!遥かなる海山(うみやま)の
      ラジオ霊魂オキナワの声
坂井信夫 <声>
福原恒雄 友へ/天の文字 ―散佚する時間に

詩集情報 若井信栄 <詩>の評価のあいまいさ 与那覇幹夫詩集「ワイドー 沖縄」受賞をめぐる問題を中心に
詩誌情報 永井孝史 「ノッポとチビ」だったかな
論考平敏功 「批判バトル耽思考」(宮崎二健)を読む
   ―――「自己批判」という(編集用語)への疑問―――

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●おたより 無断掲載 ①●

★N山O男★次のパープレはそろそろでしょうか?
☆W井S栄☆11月中発行の予定でしたが、いかんせん、時間が取れない。このペースでは11月発行は無理そう。詩誌評がやっと半分打ち込んだところで、あと詩集評とほろ酔い談義の打ち込みが全面的に残っている状態です。「ほろ酔い」の方はテープ起こしの作業もあるのでデージやっさ。と、いうわけで、発行は12月10日頃になりそう。原稿、打ち込んだものからアップしていきます。詩誌評は半分くらいできています。↓ご覧ください。
★I川J雄★(略)。「沖縄タイムス」の文化欄「魚眼レンズ」に「詩集は友情と支えの結晶」という記事がありました。与那覇幹夫さんの第5詩集「ワイドー沖縄」について、「同人誌EKE」などに発表した作品をまとめたものだが、同じく詩人の以倉紘平さんに強く出版を勧められた。以倉さんは作品の配列やタイトルなども〝プロデュース〟する熱の入れよう」「詩人仲間に本を送ると早速、詩人賞に推薦したい、なとの反響もあり、さらに手応えを感じているようだった」とあります。
沖縄の詩人なら決してつけないはずの、立ち位置のおかしい「ワイドー沖縄」なるタイトルの選びも、ヤマトの詩人、以倉紘平さんがかかわっていたということで、おおいに納得できるところです。
資料
http://osaka-bungaku.asablo.jp/blog/2012/11/24/
(略)
★G海C子★(略)。(略)。(略)。(略)と思ったことでした。(略)。(略)。
★K山J雄★(前略)。沖縄を取り巻く状況が戦争屋たちのウルトラナショナリズムに転化しないか胸騒ぎさえ覚えます。
さて石川為丸さん
「パーマネントプレス」ありがとうございました。今読んでいるところでございますが、「ほろよい談義」の若井信栄氏の御発言は、よくぞ言ってくださいましたという思いと妙な苦さを同時に噛みしめるような複雑さを味わっております。沖縄の人々の口にする言葉に「親の恥・シマの恥」を聞くことはありますが、「国の恥」はついぞ聞いたことがありません。
 「国の恥」のないところでは散華も玉砕もみんなうそになってしまうということではないでしょうか。 K山
★S川T生★冠省 「パーマネントプレス」第五号は本日確かに落手。ご恵贈にあずかりありがとうございました。若井さんとの対談における詩(人)に対する厳しい姿勢、批評、そして石川さんをはじめ石毛さん、福原さんの詩にも啓発を受けました。
どうぞご自愛の上ますますご活躍ください。
たいへん簡略ながら、ご恵贈のお礼まで―
                   不一
★U山K夫★詩の新聞 「パーマネントプレス」を送っていただき 有難うございました。
★I山J男★前略 例のどうかとおもう沖縄の小熊賞の人。こんどは、小野十三郎賞をもらったみたい。どうしてこうも、俗世間は想像力がガキレベルに陥ってしまったのか。30才成人である。猶予期間が長すぎる。わがまま市民社会の原理であるから。どうしようもねえなあ!吉本先生も、オレだオレだ!の私事至上主ギ(おのれだけの欲望で。……(略)……あわれなり)。50年代までだよね。まだまだ。悪影響されたやからが多すぎる。
加藤典明(?)とかいう人は、あやまりながら吉本離れを行っていて見苦しいこと。瀬尾なんとかは、どうしたかなあー、あのバカは!
まあ、そんなことはどうでもよろし。自分が死ぬる前にヤルベキことはやらんとなあ!
とつくづく時間が欲しい。(略)。(略)。(略)。石川為丸様。

☆石川為丸☆I川さま、返信です。例の受賞のヘンに関しては今号で若井氏がわかりやすく批判的に解説すると張り切っています。
私が思うに、「ほろ酔い談義」で言った通り、今度の選考委員も、いわゆる、「沖縄」というものごとへの拝跪、という結果だったのでしょう。作品そのものをしっかり読むこともしない選考委員の怠慢でしょう。 若井くんの言うように、これは、「沖縄」という、詩の素材の重さ、大きさを前に「思考停止」した結果だと思いますね。
すぐれた詩の書き手が、そのまますぐれた詩の読み手であるとは限らない、ということ。

季刊パーマネントプレス 第5号

2013年09月29日 | フリー
 パーマネントプレス 第5号 
1部送料込み200円 5号分予約1000円 
お申し込みはメールにて送付先ご住所・ご氏名をお知らせください
E-mail:Wakais@mail.goo.ne.jp (Wは半角wに変換してから送信してください)
※予約購読者は本誌に投稿できます

●おたより無断掲載
メール便・F川J夫:第6号神奈川特集、思いつきねえ、何か意外なものが
出てくるかもですね。
各人の短文もいいけど、この機会に、ほろよいスペースの活用で、石川さんの、「横浜」を知りたい。
今どきのわれ等コクミン、わるい意味での総ユルキャラ、そのやけくそじみた脳天気を、アルミ灰皿でぶっ叩いてほしい。
おまえこそ立て、と言われそうですが。
最近はますますパープレ以外に見たい詩誌がない。ほどよくこの世の囲いにおさまってる詩詩詩ばかりで。F川。

沖縄県・S谷M男:(略)ずっと前に、私が注目した詩人、石毛拓郎さん、詩集のやり取りのあった坂井信夫さん、「詩的現代」みかけたことのある福原恒雄さん、詩集ももっている田中勲さん、どこかでみたことのある倉田良成さんなど、そうそうたるメンバーに接してなつかしく思いました。石川さんは、多くの、世の中の深層の荒野でたたかう野武士たちとの人脈がありますね。適切な深さに埋もれてたたかうこと、これを大切にします。
※為丸:お返事、ニーフェーデービル。で~も「野武士」と言われては皆さんうれしくないだろうなぁと思いましたぞ。わしら、スマートだもんね。
●9月28日、150部印刷。執筆者へ残り分と、予約購読者の一部に発送。これまでで、計216部の印刷完了。「酔いどれ談義」で批判した与那覇さんにはまだ送っていない。送ろうと思ったんだが住所がわからないのだな。去年の現代詩手帖年鑑の住所録には載ってない。これって不備が多いね。
ところで、その、与那覇幹夫詩集「ワイドー沖縄」が「小野十三郎賞」をも受賞したそうである。選者と選考経過・理由を知りたいところだ。パーマネントプレス次号は私が詩集評担当なので、きちんと批判をしていきたい。
●わが心の師の新里氏にパー・プレ18部を近所の居酒屋にて手渡し。氏から、「ほろ酔い談義」での私の発言中、〈「沖縄」をめぐるものごとに敷衍しているところが〉というくだりの「敷衍」という言葉遣いが間違っているという指摘を受けたのだが、単に「おしひろげる」という意味で使っているわけで、別に間違いじゃないですよ、と強弁する。「国語の先生」が間違えたらデージ。
 その後、「居酒屋独立論の店」に立ち寄る。川満信一先生や論客の中里効さんらを見かけたのでご挨拶すると、なんと、ハナミズキの歌手、一青窃さんも同席していた。どうせ酔って置き忘れられそうなんだが、皆さまにパー・プレを配布してもらった。(9月8日)
●5日に100部印刷。那覇の居酒屋独立論の拠点の店に10部置かせてもらう。その店でチューハイ3杯。往時の国会爆竹闘争の首謀者の方とカウンターお隣に。
6日にはとりあえず執筆者の方々に15部見当で送るも、一部の方々は10部で。本日7日、50部追加印刷。明日より購読者並びにシンパの方々に少しずつ発送していく。「ほろ酔い」で言及した与那覇さんにも送るべきなんだが、どういう一言をそえるべきか。(9月7日)
●PP第5号16部印刷。執筆者に各1~2部発送。居酒屋独立論の拠点といわれる那覇のLキオスに5部置かせてもらう。(9月2日)
●本日、版下をほぼ完成。明日、試供用に10部印刷予定。
 もう夏も終わりなので、さりげなく「夏の号」の文字はすべて削除(笑)。
 パーマネントプレス 第5号 
1部送料込み200円 5号分予約1000円 
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※予約購読者は本誌に投稿できます。(8月30日・記)

季刊パーマネントプレス 第5号 

石川為丸 沖縄の園芸作業・7月 中耕 
石毛拓郎 危ない魅力が欠けている
井元霧彦 ケイタク をご存じですか
倉田良成 蘇民 山海物語集の内
田中勲 れいだま
福原恒雄 無音で 1・2

エッセー
新里英紀 マンジュウ怖い

詩集情報 坂井信夫 <詩>の定義は作品展開によって
詩誌情報 永井孝史 あいまいに語るなかれ

ほろ酔い談義 石川為丸・若井信栄
石川 だいぶ酔いも回ってきたところで、そろそろ肝心の詩について語りましょうか。
若井 泥酔になる前にひとつ行きましょうか。今回は評判の高かった与那覇幹夫さんの「ワイドー沖縄」について、いろいろ言っておきたいことがあるのです。
石川 第46回小熊秀雄賞受賞作ですね。
若井 小熊秀雄賞は過去の受賞者を見ると、そうそうたるものだけど、比べてみるとこの与那覇さんの詩集はちっともよくないのよ。なにがいいのかさっぱりわからん。
石川 そういうストレートな言い方をすると、またまた「暇で残念な」若井信栄の「嫉妬心によるもの」とか言われちゃうよ。
若井 若いのは名前だけ、実際はもうおじいであるからして、嫉妬心とかそういう初々しい感情はもうまったく残ってませんっての。
石川 小熊賞、調べてみたらパー・プレ関係の詩人が受賞者としてかなり名を連ねている。今号執筆の石毛拓郎さん、坂井信夫さん、前のパープレ執筆者では甲田四郎さん、佐川亜紀さんも受賞しています。別の意味の関係では岸本マチ子さんも受賞していますが(笑)。
若井 第46回受賞の、真っ向から批判されてしかるべきだと私が考える「ワイドー沖縄」なんかを選考しちゃった委員の方々の名前を挙げておきましょう。工藤正廣、石本裕之、堀川真、アーサー・ビナードの4氏です。
石川 わしとしてはけっこう力作だから受賞したものと見るんだけど、そんなら、この4人の選考理由から検討していきましょうか。
http://blog.livedoor.jp/ogumahideo/archives/51842773.html
工藤氏は、もう一人の受賞者の大江麻衣さん一人に言及してるだけで、与那覇さんに関しては、特別に言及してないね。このことが大きな特徴ではあるね。
若井 どうやら与那覇詩集を受賞作とするには消極的だったようですね。
石川 小熊賞のホームページで紹介されている与那覇さんの「バッファー」という詩はあまりにも凡庸だね。これを見る限りでは、こういう水準のものを推薦しようと思う人はまずいないんじゃないか。こんなのを代表作品として公開されちゃったら、もうお気の毒というほかはない。もっといい作品はなかったのかいっていう気がするよ。
http://blog.livedoor.jp/ogumahideo/archives/51843563.html
若井 それが、残念だけどいい作品がまったくないのよ。しかし、この「バッファー」は、この人の詩のいちばんダメなところが出てしまっている作品なんだよね、これ。「バッファー」というのは調整弁のことで、派遣労働のありかたを批判的に説明しているわけよ。
「派遣法を画策した者たちよ、確(しか)と見るがいい。
いずれ貴方らの身内が、厄介になるやもしれぬ
明日を閉じられた派遣社員や契約社員の姿は
貴方たちの〈お望みどおり〉もはや人ではなく
全く取り替えご免の、完璧な調整弁(バッファー)である。」
まいったね、これが、詩ですかね。彼の詩のダメなところは、説明がちになりすぎるために、詩的喚起力が失われてしまうところなんだね。結局、
「アゝ ワレヒトハ
ナニヲセムトヤ ウマレケム」
という、ひどく間の抜けた感懐で終わってしまっている。
石川 困ったもんです(笑)。嗚呼、私も他人も、何をしようと生まれたのだろうか? (笑)まったくのお手上げ状態じゃん。これではいかんね。
若井 受賞賞金の全額とは言わないが、半額でも日雇全協にカンパしてくれたらえらいんだけど、こんなふうに、言うだけで降参しちゃったら、なんだかなさけないね。こういう自足した表現こそが、社会秩序の安全弁の役割をはたしてるんだよ。自覚してほしいところだな。
石川 そこまで言うか。
若井 ついでに言わせてもらうと、第2連、
「そう、事実を直截(ちょくさい)に言えば、彼らは
派遣社員や契約社員、ニートたちですが
日々、会社や同僚、周りの者たちから
「社員だが 社員ではない 社員―」と
白々と差別され、寒々と浮遊する姿は
「社員(ヒト)だが 社員(ヒト)ではない 社員(ヒト)―」と
思わず読み替えのルビさえ振りたくなる
中有(ちゅうう)の旅も、正にかくやあらん様相です。」
ここで、「直截(ちょくせつ)」という言葉に「ちょくさい」とルビをわざわざふっている。
石川 (笑)余計なことをしなければよかった。裁判の「裁」や掲載の「載」と同じ部分があるので「直截(ちょくせつ)」も間違って「ちょくさい」と読んでしまう人がけっこういますね。
若井 わざわざ間違った読み方のルビをふるのはいただけないね。あと、「中有の旅も、正にかくやあらん様相です」という言い回しもヘンですね。「かくやあらん」の「ん」は推量の助動詞で、連体形なんだけど「や」の係り結びとしての連体形なので、「様相」には係らない。疑問の係助詞「や」をはずして、「かくあらん様相です」とすれば「ん」は婉曲となって「様相」に係るのでOKです。あるいは、「かくあらんかの様相です」ないしは「かくやあらんの様相です」とでもすべきでしょう。
石川 そこまでほじくりかえすようなことをやったら、まるで予備校講師のいやみな職業病といった様相です(笑)。ここで批判すべきは、ただ一点、彼の高所からの視線なんだな。けっして労働者に届くことはない。「中有の旅」というのは、人の死後49日の間、霊魂が中有に迷っていることを指すわけで、派遣労働者の「寒々と浮遊する姿」をいくらなんでも、こんな「中有の旅」になぞらえちゃあいかんでしょ。労働者の苦闘に思いを馳せることもなく、「『中有の旅』もまさにこのようであろうかの様相です」などと、のんきな「評論家」になってしまっている。困ったものです。
若井 そこなんだよね。詩としての魅力があまりにも乏しすぎる作品だ。どの選考委員もこの詩には言及してないんじゃないか。堀川真は、「『ワイドー沖縄』は、土地固有の問題や個人的な体験を深くとらえることで、あらゆる時代のあらゆる場所とつながっていく。過去を書いて、そこに距離を感じない。きっと、心中の石のようなものを照らされる人もいるだろうと思う。読みながら、いろいろ感じ、考え、詩集であることを忘れた一冊だった。」などと言ってるけど、推薦の理由になってないよね。「あらゆる時代のあらゆる場所につながっていく」などと、子どもの表現みたいに無内容な褒め言葉だ。
石川 「詩集であることを忘れた一冊だった」というのが真の推薦理由だと思うよ。いわゆる、「沖縄」というものごとへの拝跪、ということだ。これは、個々の作品にあたることもしない選考委員の怠慢でしょ。
若井 うん、「沖縄」という、詩の素材の重さ、大きさを前に「思考停止」しちゃったんじゃないかと思う。タイトルポエムの「叫び」という詩にしても、素材の重さだけで、作品としてはよくないんだな。
http://blog.livedoor.jp/ogumahideo/archives/51842121.html
石川 なるほどね、素材の重さに負うた作品なんだけど、「ワイドー事件」への「私」の評価がおかしい、というより、気持ち悪いよな。
若井 与那覇さんの言う「ワイドー事件」とは、
「それは戦後間もなく
降りそそぐ陽ざしに微睡(まどろ)むがごとき
宮古の村里の、とある村外れの農家に
十一人の米兵(アメリカー)が 、ガムを噛みながら突然押し入り
羽交い絞めに縛った夫の、その目の前で
その家の四十手前の主婦を、入れ代わり犯した」
と詩に表現されているもの。詩集には詩の註の後に「特記」として「私はこれまで『ワイドー事件』については一切、口を噤んできましたが、事件から半世紀余の歳月が流れたので、もう時効であろうと、口を開きました.なお『加那』は、むろん仮名です。」と付されている。ここでまた細かいことをほじくりかえすようですが、与那覇さん、「時効」という言葉の意味を知らないで使ってるんじゃないの。
石川 そうか、何の時効か、ということですね。罪は集団強姦した11人の米兵にあるわけだから、与那覇氏が事件について口を噤んでいたのは、米兵犯罪の時効が成立するまで待っていたということになって、犯罪米兵を擁護するというヘンなことになっちゃう(笑)。むろん、与那覇氏が言わんとするところは、被害夫婦が村で平穏に暮らしていけることを慮って、ということでしょうけど。
若井 そこんとこだね、「時効」という語を誤用してしまう心のありようが、この詩「叫び」をダメなものにしちゃったんだな。じつにかなしいところ。先の「バッファー」は説明過多で失敗、この「叫び」は説明そのものを誤ったので大失敗、ということになる。「ワイドー事件」、「十一人の米兵(アメリカー)が 、ガムを噛みながら突然押し入り/羽交い絞めに縛った夫の、その目の前で/その家の四十手前の主婦を、入れ代わり犯した」が、「十一人目の米兵(アメリカー)が、主婦に圧(の)し掛かった瞬間」、ここで、夫はじつに間の抜けた叫びをあげてしまう。「ワイドー加那、あと一人!」。「ワイドー」は「耐えろ・しのげ・頑張れ、という意味合いの宮古ことば」ということだ。ここは笑えない場面だけど、わらっちゃうよね。野球でツーアウトを取ったピッチャーにかける言葉じゃないんだから、この場面で「あと一人!」はないだろう。まあ、言葉があるとしたら「許してくれ加那、守ることができず!」くらいでしょ。ところが、詩人はこの間の抜けた「耐えて頑張れ、あと一人」発言を、「あゝ私は、一瞬、脳天さえ眩(くら)む、これほど美しい叫びを、知らない」と称揚する。「きっとその日は、世にも壮麗な稲妻が村内(むらうち)を突き抜けたであろう。」とまで大げさな表現をもって称える。そしてさらに次のように説明を加えるのだ。
「私は『ワイドー加那、あと一人!』と、またもやくちずさみ
この、身の引き締まるような、究極の祈り、夫婦愛の煌めきに
人間の素心とは、いや人間の魂とは、こんなにも美しいものなのかと
<叫び>の余韻に、投身さえする始末である」
あの間の抜けた「あと一人、頑張れ」発言を「究極の祈り、夫婦愛の煌めき」と捉えるところが詩作者のユニークなところであろう。ここでの「投身」はむろん「身投げ自殺」を意味しない。夫婦愛の煌めきを示す<叫び>を自分で口ずさんでみて、その美しさに全身でひたっちゃうほどである、というくらいの意味か。それにしても、私はこれほどまでに過剰に感動する人を知らない(笑)。
石川 もし、小説だったなら、こうした夫婦愛の「歌い上げ」で収束することは、かなわなかっただろうと思う。妻はその後、PTSDにかかり、叫び声をあげながら村内を駆け巡る。その悲痛な「叫びが、村内(むらうち)を突き抜けたであろう」。「あゝ私は、一瞬、脳天さえ眩(くら)む、これほど悲痛な叫びを、知らない」ということになる。ずたずたに傷つけられた子宮の傷がもとで、妻は子宮癌に苦しめられながら死を迎える。その後、夫は村から姿を消して、行方は杳として知れず……。そして、米兵の不審死が連続して起こる。10人目の死体の近くに「ワイドー加那、あと一人」と書かれていた紙切れが落ちていた。……と、こんな感じでしょうか。
若井 重たい素材から、よくもそんな軽々しくストーリーを展開できるね。
石川 何言ってるの、若井くん、さっき、わしは、、「ワイドー事件」への詩作者の評価が、気持ち悪いって言ったよね。羽交い絞めに縛られてなすすべもない夫が、蹂躙されている妻に向かって叫ぶ「ワイドー、あと一人」を、「究極の祈り、夫婦愛の煌めき」とする評価がデージ気持ち悪いということを言ってるわけよ。理不尽な力に対して、ただ耐えしのぶだけという庶民の生き方をこれは是としているわけだ。わしの人生の師でもある佐良浜出身の友人に、この「ワイドー事件」の話をしたら、彼は言ったね。「羽交い絞めだけなら手も足も出ないわけじゃない、自分だったら思いっきり噛みつくね。足は自由だから思いっきり蹴りを入れまくる。それで、ぼこぼこにされても「あと一人、ワイドー」なんて言うよりは、はるかにましさ」と……。どうよ、「助けられず、ごめん」とか言いそうな軟弱者との違いだね。
若井 え? それは例えばの話で言っただけで、私だってそういう場面にいたら、闘うさ。まあ、蹴りは短足だから空振りしそうでやらないけど、石頭を活かして頭突きだね。頭突き頭突き。
石川 言うは易しさ。だからよ。ヤマトの人は言葉だけは得意だと言われるのよ。
若井 ところで、この詩が与那覇氏のユニークな解釈「夫婦愛」で終わってくれていれば、「まあありうるね」ということでそのまま見過ごすだろうけれど、この、理不尽な暴力で迫まる米兵(アメリカー)と抵抗しないで傍観する同情夫と蹂躙され続ける妻の関係を「沖縄」をめぐるものごとに敷衍しているところが、私にはどうしても看過できないわけです。、
「犯され殺された数多(あまた)の主婦やみやらび、いたいけ
 な幼女たちの鎮魂
嘉手納(かでな)、普天間(ふてんま)、金武(きん)、辺野古(へのこ)―、襲われ続ける
 守礼の島のために」……と。
石川 「ワイドー沖縄」か。
若井 この詩の構図からすると、「美しい日本」を守るためにということで、巨大な米軍基地を押し付けられても、「ワイドー沖縄、堪えて頑張れ、沖縄」ということになっちゃう。じつにがってんならんことです。
石川 (笑) そういった若井くんみたいな「心ないヤマトンチュウ」の一面的な批判は、与那覇さん、はなから承知していたことと思うよ。詩の書き出しを見てみればわかるよ。
「私は、何と詰(なじ)られようが
あの夫の<絶叫>を差し置くほどの
美しい叫びを、知らない。」
とあるように、強姦され続けた妻を前に誰もが「間抜けな発言」と思うであろう「ワイドー加那、あと一人」という声を、あえて「美しい叫び」すなわち、「身の引き締まるような、究極の祈り、夫婦愛の煌めき」と捉えるところが彼のアッピールのしどころなのさ。「何と詰(なじ)られようが」、ということだ。受難を、受難のままに終わらせないで明日を信じて助け合って生きよう、この心で、「嘉手納(かでな)、普天間(ふてんま)、金武(きん)、辺野古(へのこ)―、襲われ続ける/守礼の島のために」、良き明日の到来を信じて「『ワイドー沖縄! ワイドー沖縄!』と念じつづけよ」と言いたいのだろうけれど、でも、いちばん肝心なところを「祈り」で解消してしまった安易さが、こうした重たい素材を致命的な失敗作にしてしまったということなんだな。
若井 「ワイドー加那、あと一人」を、「美しい叫び」、「身の引き締まるような、究極の祈り、夫婦愛の煌めき」としたところからして、無理がある。例えば1995年の「沖縄米兵少女暴行事件」、沖縄県に駐留するアメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した事件があった。こんなとき父親が捕縛されていたとして、「ワイドー、あと一人」なんて絶対に言えないだろう。それを「美しい叫び、身の引き締まるような、究極の祈り、父性愛の煌めき」とか、言っちゃったらこれは絶対にいけないことでしょう。
石川 確かに。少女と大人、3人と11人の違いはあるけど、事態の本質は変わらないわけで、「ワイドー、あと一人」はない、それを「美しい叫び」と謳いあげるところはやっぱ、デージ気持ち悪い。わしとしてはこれはどうにも受け付けられないなあ。あとは、それを「ワイドー沖縄」というところまで広げてしまった「謳いあげの構図」が何と言ってもこの詩のダメなところだな。
若井 だからよ。与那覇氏のこの「叫び」という詩だけは批判しておきたいと思ったわけだけど、なぜか沖縄の詩人たちからの批判の声が、聞こえて来ないのよ、これが不思議なところなんだな。特に女性詩人は違和感を感じなかったんだろうか……。……(略)……。……(略)……。……(略)……。
石川 どうしてヤマトの人はそういうトゲのある言い方をするのかねぇ。沖縄の人はしないよぉ。
若井 何言ってんだよ、コノ……(略)……。……(略)……。……(略)……。
石川 (笑)「ほろ酔い談義」が「泥酔談義」になってきそうで、心配だな。デージ! もうこのへんでお開きにしましょうね。   (終わり)

※第6号以降の詩誌評は永井孝史の継続、
 詩集評は若井信栄の予定。
※詩誌・詩集をそれぞれに集中してください。
 若井の連絡先は謝花屋と同じです。↓
http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/qa.htm

■ご報告■
最近、大枚1万円のカンパが口座に入っているのに気づいた。
郵便振替口座は主に植物種子の販売に使っているので、300円単位の入金のため、
いちいち確認することはない。
それが、たまたま開いたために気づいたのだ。
あわてて礼状を書いたわけだが、へたするとでーじ無礼なことに。
今度の号は面倒なトジッティングのバイト代にしようかと考えている。
■おたより無断掲載■
I川J男 前略。(略)。(略)。(略)。来年は黒田喜夫氏の30年(没後)。あちこちで特集が組まれることが、この時世には、"真逆"精神でよろしい。パープレもいかが?『○○』は、やります。
○石川為丸 一つの雑誌に集中させるよりも、たしかにあちらこちらで別個に起ってやるのもいいですね。よし。

X谷X吉(メール便)椿山荘東京の花弘のY尾さん
椿山荘別館のリフレッシュルームでお話しをしていました。
アイパッドの話しや油ラーメンの話しアイスクリームの話しやドラマの話し、椿山荘東京のスタッフに挨拶をして返事がない話しをしていた、お花を作ってくれていつでも作ってくれると言っていた。
仕事が終わった後に待ち合わせをしてリフレッシュルームで待っていたら別の人が来て病院をすすめられ、後からY尾さんが来て、電話番号のメモを渡された、次の出勤日に自主退職かかされそうになりそのままクビになった。
荷物にY尾さんから心配してます、ずっと友達というメモが入っていて電話で4回くらい普通のお話しをして急に電話にでなくなり、なぜか着信拒否になり大塚警察からあなた病気でしょ、電話をかけるなと電話がかかってきた。
会社を退職して逃亡中、見かけたらご連絡ください。
○若丼這栄 そのY尾さんとは私ども、まったく面識がないので、まことに残念なことですがそれは無理な注文というものです。

I沢J吉 いつもありがとうございます。(略)。1984年の2月の読書新聞と現代詩手帖8月号(ミニ特集・黒田喜夫)がでてきました。オーウェルと黒田喜夫の死が重なって、今想えば不思議な感じがします。

I山J雄 ようやく猛暑です。バカなマスコミは"原発そっちのけで"あるいは"おかくしにして"異常気候の話題と、参議院選でのアベノミクス、否アベノミスをあおっています。昔から組合でも幹部は"あおり行為"でつかまりましたが、今はもう通じません。(略)。体調崩されんように、ご自愛下さい。
PS、7月中旬までに、(略)。
  7/10は、亡き黒田喜夫の命日。来年は、没後、30年になります。パー・プレ紙も『黒田特集』いかがでしょう。
地元、七夕デモでつかれています……。
○石川為丸 黒田さん、没後30年! もう一人の「狂信的宗教団体」の教祖のほうはちょっと前、2006年没ということだったから、これと比べるとあまりにも早い、惜しい死でした。
パー・プレ紙も『黒田特集』来春あたりに考えておきましょう。
それにしても、自分自身、黒田喜夫さんの卒年を軽くこえてしまっていることに、忸怩たる思いです。馬齢を重ねたものです。
○若井信栄 「詩的現代」8号で黒田喜夫特集を予定しているので、なんか、かぶっちゃいそうな気がします。これをしっかり拝見した後で、補足していくかどうか考えましょうよ。
話、変わりますが、この「詩的現代」5号の石川敬大という人の詩集時評、ちょっと気になった。倉田良成詩集『横浜エスキス』に言及した次のくだり。
>さらに詩的リアリティーを獲得するため「私は気が気でなくなっていた。妻はどこへ行ってしまったのか」(『三叉路』部分)、「ここはいったいどこなのだ。あのジャズ祭の日の光は遠く、私の胸の中で、氷った宝石のような純粋な痛みとして輝く」(『イセザキ・モール』部分)といった夢魔的な緊迫感を挿入している。もちろん天沢退二郎に及ばないのは仕方がない。そもそもタイトルが、作品のテリトリーを決定してしまっているのだから。
―こういう評価は、されたほうがちょっとつらいよなあ。まったく方向性が違う者と勝手に比較されて、その挙げ句が「及ばない」だとは。これは評者としてやっちゃあいけないことでしょう。
○石川為丸 それでは、パー・プレの黒田喜夫特集は「詩的現代」のそれを見た後で即考えましょうか。
石川敬大さんの倉田詩集評、「夢魔的な緊迫感」を感じ取ったところが独特ですが、残念ながら、夢魔的という言葉の真の意味を確認しないまま使っちゃってるんじゃないかと思います。この軽さは取り上げられた者にとってはたしかにきついでしょうね。


パーマネントプレス 春の号

2013年04月15日 | フリー
パーマネントプレス 第4号 配布中
1部送料込み200円 5号分予約1000円 
お申し込みはメールにて送付先ご住所・ご氏名をお知らせください
E-mail:Wakais@mail.goo.ne.jp (Wは半角wに変換してから送信してください)
※予約購読者は本誌に投稿できます。


★おたより無断掲載
②岡山県 I沼J雄 そちらは梅雨に入っているとか。○○市は今日も夏日の暑さ。№4パーマネントプレスをお送りくださりお世話をおかけいたしました。ありがとうございました。№3の感想を一言。表紙の人物の背景に並んだ書物の文字がとても気に入っています。こういう仕事は自身の知力が試されるのでとてもむずかしいのに。さりげなく成功している、と感心しました。お元気で。See you!
①神奈川県 F川G夫 (略)。(略)。(略)。(略)。(略)。ご多忙は現実の深淵さと合わせ倍増と存じます。体は一つ、十分に気をつけてください。

○横浜国立大学蒼翠寮写真集「蒼き空 翠なる大地」が送られてきた。1万円500部限定という高価で貴重なもの。ありがたい限り。本号掲載の私の詩「瓜栽培」で言及している功刀さんの撮影した写真がカバー写真として使われている。遺族の方の提供か。
「権力に媚びるな/権力に屈するな/権力に取り込まれるな」と「あとがき」にある。

○執筆者のお二人さまから20部と10部の追加注文があったので、急遽50部を増刷。
今のところ257部の発行ということになる。3号は「言葉遊び」特集号でアリバイ的発行なので発行部数は少ない。けっこう真面目に発行した2号は最終的に240部の発行だった。この4号はすでにそれを上回っている。(5月27日記)
○昨日と今日で執筆者と定期購読者への発送は完了。製本から宛名書き、袋詰めまで一人でこなすので、デージ。製本は折って4枚重ねるだけなので簡単なんだけど、200部も作らなければならないのでデージやっさ。次回からはバイトを雇おうかと考えている。
○もう5月なので、「春」というにはいささか抵抗があるので、タイトルのところから「春の号」というのをさりげなく消している。次号は8月中の発行を目差している。8月は真夏という感じがあるので、堂々と「夏の号」でいける。(5月6日記)

○4月22日(石川為丸の誕生日)に4号は完成しました。執筆者の分7部のみの発行。校正用なので、それらが戻ったら本格的な印刷に入ります。定期購読者の皆さん、もう少しだけお待ちください。(4月24日記)
○4号 春の号 3月19日(火)発行予定だったのが遅れに遅れています。4月22日(レーニン誕生日)までには必ず出しましょうね。

転戦するメディア 詩の新聞 パーマネントプレス 

   石毛拓郎 腹の沼 ……2013.1.20 サハラ砂漠の夜空に、無法者の星が煌めいている。      
   井元霧彦 あなたの影法師が(your shadow)
   佐々木薫 寄り物(むん)
   芝憲子  三月の水槽 
   平敏功  梅花村の記憶…苦い水をめぐる追想…   
   田中勲  冬の書   
   福原恒雄 友へ 点の文字―点的に脹らむ
   
   ☆☆☆ 旧作特集
   石川為丸 連赤 そして私たち
   若井信栄 瓜栽培
      
   ■詩誌情報 永井孝史
   ■詩集情報 坂井信夫          
   ■ほろ酔い談義 石川為丸&若井信栄
 


ほろ酔い談義

若井 はいさい為丸さん、調子はどう?
石川 最近、坐骨神経痛が出て、デージやっさ。ちょっと長めに歩くと片方のケツの奥がへんな感じに痛くなって歩くのがつらくなる。
若井 年だねぇ。私の場合は腰痛が出て、朝から起き上がるのがつらいこと。それから最近とみに切れがわるくなってる。
石川 うんうん、学生時代は駅の公衆トイレに並ぶとき、列に老人がいないところを選んだものだね。老人は切れがわるいから異様に時間がかかるんだ。それがいつの間にかそんな年齢になってしまったというわけよ。
若井 え?何言ってんの石川くん(笑)おれが言ってるのは頭の切れだよ。若いころはカミソリ若井と言われたほどに頭脳明晰だったんだが……。
石川 ああ、そうか(笑)頭ね。軟化してきてる?わしはまだまだシャープさを維持してるつもりだけど。
若井 イジ、イジしてるでしょ(笑)。ところで老眼のほうはどう?自分、最近見にくくなってきて、予備校の授業でも、その日使うテキストは拡大コピーしたのを用意してる。
石川 それなんだよ。パーマネントプレスの読者層もけっこう年齢いってるから、字が小さすぎて読む気もしないという苦情がけっこう来ていますよ。
若井 それは検討事項だね。
石川 ああ、それから、ある詩人から、わしらのことについて「ある時は浦辺明彦、ある時は若井信栄、ある時は石川為丸さんへ」というお便りをこの前いただいたんです。この事に関しては、はっきりさせておいた方がいいんじゃないかな、と。
若井 う~ん。前からよく言われていた若井・石川同一人物説ね。まあ、住所が同じだから、そう思われるのも無理からぬことではあるね。これは、単に身過ぎ世過ぎのための互助会的な意味合いなんだよね。不定職労働者のやむを得ざる選択、ルームシェアリングなんだね。
石川 わしらみたいに保障のない老後は、互助互助しないとやってけないわけよ。でもね、若井くんとの違いは、詩を見てもらえばはっきりすると思うんだ。そこで提案。パーマネントプレスに、同じ内容をあつかった旧作を並べてみようじゃん、ということ。これはまあ、編集者特権だね。引越しの荷物を整理していたら、ずいぶん古い「詩と思想」の年鑑号にわしの詩が掲載されてるのを発見したわけよ。よく見ると吉岡良一さんの推薦だと分かったんだけど。これが、初出誌は忘れちゃったけど、連合赤軍事件で迦葉山で遭難したOに少しだけまつわる話を扱っている。若井くんの詩「瓜栽培」も同じ題材だったでしょ。
若井 ああ、功刀さんね。Oの山岳ベース行きを引き留めようとしていたが、かなわず、殺されていたことを報道で知ってから、そのまま遠くへ逝ってしまった。
石川 考えさせられたね。組織的には全く関係なかったけど、そのとき、連赤の内部文書がわしの手元にもあったんだな。今では見られない青焼きコピーだった。
若井 ずぶずぶだな、内部文書が外部に漏れるとは。それ、どうしたの?
石川 もちろん、即刻処分よ。いやいや、そんなことを言いたいわけじゃない。だからよ。
若井 わかるよ、詩でしか表現できなかったということでしょ。それは。
石川 うん。で、受けとめ方が、きみとはずいぶん違うと思うわけよ。そこのところを読者に任せたいと思ったんだな。
若井 あと、「浦辺明彦」について説明しておきましょう。70年代の初頭に詩の商業誌に投稿していたときのペンネームなんだね。
石川 名前の由来は、横国大の蒼翠寮の部屋の先住民が浦辺君だった。ML派の活動家でとつぜんいなくなった。で、残されたブレザーとか、けっこう着れるのがあったりしていただいちゃったので、ついでに名前も、というわけね。
若井 学内でもモトシゲくんっていうML派がいたでしょ。
石川 思い出すね。学内では中核派が主流派だったから、市内デモのときには、モトシゲと結託して、ちょこちょこっとデモの先頭を弱小党派のわしらで占めちゃうの。
若井 うん、あたかも少数派の我々が多数の中核派を従えているという図。
石川 発想の面白い男だったね。結局オルグに入っていた偽学生だったんだが、彼も忽然といなくなったね。
若井 おれには、これから山谷で活動するって、あいさつがあったよ。
石川 それにしてもあの党派は70年の6月で消耗していきなりいなくなったね。わけわからん。
若井 散開じゃない。われわれにしても、三里塚の地下要塞決戦と沖縄現地闘争団とみんな学内から散っていったじゃん。
石川 ああ、復員してからだね、詩を書き出したのは。浦辺明彦を共同のペンネームにしたわけだ。
若井 現代詩手帖とユリイカに載せてもらったね。だいたい回数的にはきみとは同じ数だった。
石川 でも、トップをとったのはわしばかりだったでしょ。
若井 え、おれもあるよ。……ま、その後、きみがいなくなったので、世間的にはおれが浦辺を名のっていた。
石川 (略)今では時効だから言えるんだが、(略)。この時はつきあい始めていた彼女にも何も告げなかった。茅ヶ崎のM本H子さん、ごめんなさい。こんな場所で言ってもしょうがんないけど。
若井 しばらくはおれが浦辺だったけど、何か違和感が出てきて本名で発表するようになったんだな。
石川 (略)。(略)。人生を棒に振ったものよ。
若井 今更浦辺明彦を名のるのも何だし、ということだったね。
石川 本名の石川で行くことにしたわけだ。今度詩集を出すときには浦辺明彦の作品からも掬ってやろうと思っている。
若井 いつ出るのか(笑)。
石川 そこなんだよ。これまでの詩をまとめて、さあ出版社に持ち込もう、とまでは思うんだが、じきに気がそがれちゃうわけよ。こんな詩、誰が読んでくれるのか、と。むなしいよなぁ。
若井 むなしいねぇ。この前のパーマネントを予備校の生徒さんに読ませたところ、「為丸先生のはいみくじわからん」って言ってた(笑)。「わんの好きなんはあいだみつを」って真顔で言ってたもんね(笑)。
石川 う~む、だな。困ったもんです。あいだみつをの詩が、詩の代表になっているとしたら、まさに詩の後退時代ということだね。商業誌も「詩学」が終わって、残ってるのは「現代詩手帖」だけでしょ。唯一のこれが、つまんないんだよねぇ。現実から離散した言葉群の集合といった様相を呈している。
若井 これは、商業詩誌として成り立たないんじゃない。中身も薄いけど、ページ数、薄いよねぇ。今のデフレの時代に、こんなのに1200円も払って買う人、いないだろう。
石川 会員誌の「詩的現代」は「現代詩手帖」よりもずっと分厚いのにたった500円だよね。
若井 この会員誌というのはなかなかいい考えだね。会員30人が、20部ずつ引き受けてお友だち関係に配布する。すると全国に600部行き渡るわけだ。
石川 各県に一人ずつ会員を確保すればジョートーやっさ(笑)。片や「現代詩手帖」はどうか。この沖縄では大きな書店にしか置いてない。しかも1200円もする。買わないだろう。多く見積もったとしてもせいぜい5部と見る。他県でも多く見てもせいぜい10部くらいじゃね。首都圏はもうちょっと多いとしても、行き渡るのは会員誌のほうがずっと多いし、着実だ。
若井 (笑)「現代詩手帖」の宣伝文句がまた笑えるよ。こんなの。「詩と言語と思想から時代と文化をハッケツ(剥決)する」(http://www.fujisan.co.jp/product/817/?utm_source=Yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=%25e7%258f%25be%25e4%25bb%25a3%25e8%25a9%25a9%25e6%2589%258b%25e5%25b8%2596)というの。「ハッケツ」てわかる?「剥がす」という字に「決める」という字よ(笑)。時代と文化を剥がして決めて、どうすんの?って感じ(笑)。
石川 (笑)たぶん、それは「剔抉」の誤植だろうね。
若井 まあ、そうだろうけど、センスないねぇ。その時代や文化に同調する人たちに、時代や文化の何が「剔抉」できるのかっていうことだね(笑)。
石川 これは笑うしかないね(笑)よくわからないながらも無理して難しい言葉を使ってみたかったんだろうけど、しっかりしなさいと言ってあげたくなるね。時代と文化の欺瞞性を剔抉できるのは、それらには決してまつろわぬものらだっただはずよ。
若井 今度の安倍ちゃんによるヨンニッパー(4.28)の「主権回復の日」の式典開催に対するウチナンチュの対応がその典型だね。その日を「屈辱の日」として抗議集会を開こうとしている。
石川 まさに、時代と文化を剔抉するね(笑)。沖縄が分離され、米軍の統治下に置かれたのが1951年の9.8で、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印による。そして、ヨンテンニッパチ(4.28)は52年のサンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日米行政協定、今の日米地位協定だね、これが発効した日だ。沖縄・奄美・小笠原が米軍統治下に置かれた日だわけで、沖縄にとっては自らの意向に関係なく、自らの重大事を、勝手に決められたという、まさに屈辱の日であったわけさ。
若井 その前の47年の「天皇メッセージ」についても言及しておきたいね。
石川 ああ、講和条約に大きな影響を与えたとされる度し難い1947年の「天皇メッセージ」ね。「アメリカが沖縄を35年ないし50年以上にわたり軍事占領することを希望している」という、連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解だね。
若井 ばかたれが余計なことをしたものよ。憲法で象徴の地位にされたとはいえ、気持ちはがっちり護身のために、沖縄をご自由にお使いくださいということか。
石川 まだ戦後2年だから、気持ちはがっちりあっただはずよ。あほんだらであるからして(笑)。
若井 こういう罵倒語を使うと、ウヨクが知ったら怒るだろうな(笑)。
石川 右翼は言うにこと欠いて、この天皇おメッセがあったらこそ、72年の復帰が実現したので、ありがたいことだ、陛下のご慧眼に感謝するとか言っとるよ。
若井 ばかだねえ、そういう問題じゃないよてのにね。問題は、肝心の沖縄を無視して、沖縄の頭越しに、沖縄を「自由に使える基地」として、アメリカに差し出したということさ。皆さんご存じなのか、アメリカはもうやりたい放題で、サンフランシスコ講和条約発効の2年後、54年から核兵器を配備して、最大18種類、1200発以上が沖縄にあったということが明らかにされている。
石川 うん、地元の新聞、「沖縄タイムス」によると、国防総省の核兵器配備リストがすでに公表されているということだね。まさにこの回文、「核を持ち基地も置くか!」ではあるな。
若井 核兵器なんだが、オネストジョンとかナイキ・ハーキュリーズとか、リトルジョンとか聞いたことのあるものも配備されていた。笑いたいけど笑えないのは、陸軍のデイビークロケットというのが1964年から4年間、沖縄に配備されている。これ、射程が最短2キロっていうから、周辺の土地はもちろん、撃った兵隊すらもお陀仏じゃん。危なすぎるものがあったものよ。
石川 同じく沖縄タイムス記事によると、核兵器が最終的に撤去されたのは72年の6月ということだ。復帰時には全て撤去するという日米合意を破っていたことになる。これは非核3原則に違反したということで、重大事だよね。
若井 だからよ。安倍ちゃんよ、ヨンニッパー(4.28)を「主権回復の日」などとうつつを抜かしていないで、この主権を侵害された核配備の件に関しては、今からでも遅くないから、しっかり抗議してきなさい、と言いたいところよ。
石川 TPPの件に関しても、安倍ちゃんおかしいぞ。
(つづく)

パーマネントプレス ぎりぎり冬の号

2013年03月01日 | フリー
第2号について「詩的現代」4号で、永井孝史氏がこんなことを書いている。[石川為丸若井信栄の「ほろ酔い談義」は、「パーマネントプレス」で0号から3回連続で楽しませてくれる。2号での当欄は、尖閣列島から瀬尾育生まで話のネタにつきないが、次のやりとりには大笑い。
 若井 (前略)又吉栄喜さんの場合は、風通しがいいね。この点は為丸さんと同じで、いろいろかかえている私などには、まことに羨ましく感じられるところです。
 石川 何言ってんの、若井くん。わしなんか暗い暗い少年時代だったわけよ。見た目で決めつけないでほしいなあ。
 若井 いや、見た目じゃなく、書くものが風通しがいいと言ってるわけさ。(「ほろ酔い談義」部分)
 平敏功の詩「鱗譚」を除けば、詩も時評も文も、どれもたいしたことないが、掛け合いから人が零れ落ちてきたりすると印象に残るのだ。石川はあと2回「何言ってるの、若井くん」と叫ぶはめになる。いや、はや。」]

うーむ。「平敏功の詩「鱗譚」を除けば、詩も時評も文も、どれもたいしたことないが、」というくだりが気に食わないなぁ。まあ、「仕方ないな孝史」!とでも言っておこうか。


厭戦するメディア 詩の新聞
パーマネントプレス 第3号
特集 ことば遊び
■ほろ酔い談義■若井信栄&石川為丸
■るとろ*若井信栄
■浜名湖の水、琵琶湖の響*永井孝史
■ふをめぐる雑談*平敏功
■へをめぐる陛下*石川だめまる


泥酔談義 若井信栄VS石川為丸
石川 泥酔にはまだ早いですけど、そろそろ始めましょう。よいか若井よ
若井 良い酔いよ。今回は「ことば遊び」特集なので、ほろ酔い気分で、この間「パーマネントプレス」に寄稿していただいた方々の名前を入れた回文遊びから行きましょうか。
石川 OK.。では、まず私から君へ。痩せて顔色も悪いところから、「胃炎信栄」。
若井 それはないでしょ。沖縄のフーチバと長命草を食べているので、健康そのもの。長命草は老化にストップをかけるSir2という酵素が含まれて いるので、おかげさまで名前通り若々しい若井よ。「いい若井かわいい!」。疲労の濃い為丸氏は、毎度のこと、よれよれよ……ということで、「わ、かしいだ 石川!」。
石川 よれよれどころか、徹夜でお仕事、「夜まめ、為丸よ」。
若井 平敏功さんも簡単なところで「平は腹痛」。……ところで、平さんって名前は何て読むの?
石川 そこのところ確認しないまま勝手に「ビンコウ」さんて呼んでいた。
若井 私も「のぶひで」と呼んでほしいのだが、勝手に「シンエイ」と呼ばれてるの。しかたないな。では、永井孝史さんで、「しかたないな孝史」。
石川 わしのお師匠さんに対して失礼な。「永井良いがな」。
若井 うーん。単純な回文ばかりだな。泡盛モワアという感じで、酒飲むとあたまの働きが今一だね。今朝飲むの酒、みたいな単純なのはすぐ出るけど。
もう単純続きで、倉田良成さんで「倉田は働く」。
石川 単純だけど、まじめでいいね。働いて稼ぐので、「良成、借りなしよ」。
若井 井元霧彦さんも簡単なところで、「友いる井元」。さらに簡単なところから新里英紀さんで、「新里の登山死」。遊びだから怒らないでね(笑)。
石川 石毛拓郎さん、「耄碌拓郎も」。(笑)遊びだから。
若井 「石毛激しい!」。次いで福原恒雄さん、「福原韮は食ふ」。
石川 もうちょっとおいしそうなものにして、「福原鱈は食ふ」。
若井 「恒雄にお熱」で、よいこの恋よ
石川 芝紀子さん、芝さんを叩いて「芝バシ!」。
若井 (笑)単純すぎて、だめだだめだ。「手間、芝、しばし待て」。
石川 一応、全員できましたね。次回はこの骨組みをもとに、中や両端に言葉を添えて気の利いた長めの回文に発展させていきましょうよ。だいぶ酔いが回ってきたので今日は無理だ。飲んでんのだめだだめだ
若井 そろそろ行きますか?泥酔談義。酔わなければ語れない、去年暮れの衆院選の総括あたりから。泥酔で
石川 さらに、酔うもの飲もうよ。選挙は自民党の圧勝で終わったんだけど、自民の支持率はむしろ減ってるんだよね。ぼろ負けだった前回の1880万票から今回は1660万票とさらに220万票も減らしている。
若丼 「いかん前回」だったうえに、「いかん今回」のはずが、小選挙区制のマジックだね
1995年の小泉劇場のときの2389万票と比べるとすごい落ち込みがわかる。それにもかかわらず、今回自民が圧勝できたのは小選挙区制のなせる 業だった。広瀬隆さんなんかも、自民は比例では有権者の15.99パーセントの得票率しかないのだから「国民はこの政権を支持していないのだ」と言ってるね。
石川 東京新聞も「自民党の勝利は必ずしも民意を反映したものではない」と指摘している。確かに、民意は自民ではないところにいっているということだ。前回2009年の民主党の比例区3000万票を見ると、その時点では民意は民主に行っていた。ところが今回は930万票と激減している。民主に入れ ていた2000万票はどこへ行ったのかというと、新しい政党の維新の会が、「悶死維新も」としたいところが逆に1200万票も得票している。未来の党 300万票、あとは共産、社民、公明と既成政党が軒並み減っているなかで、「難民みんな」のはずが、なんと、みんなの党が前回300万から520万票にふ えた。あと国民新党が70万票。まあ計算してみると減った党の合計約2800万、増えたのは約1800万票。そうすると1000万は投票しなかったということだな。前回 の投票率が69パーセント、今回が59パーセントで、投票率の10パーセント減にあらわれている。前回に投票しなかった人々に加えると4000万人が投票 ボイコットしたことになる。これは今回の自民党獲得票1600万人の2倍を軽く超えている。圧倒的多数が、政治的アパシーを含めて、政治不信に陥っていて いるということだな。(つづく)

パーマネントプレス 第3号 配布中
1部送料込み100円
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パーマネントプレス 第4号 春の号 予告

2013年01月30日 | フリー
転戦するメディア 詩の新聞 パーマネントプレス 4号 春の号  
3月19日(火)発行予定


石毛拓郎 腹の沼 ……2013.1.20 サハラ砂漠の夜空に、無法者の星が煌めいている。   
   井元霧彦 あなたの影法師が(your syadow)
   佐々木薫 寄り物(むん)
   芝憲子  不在 
   平敏功  梅花村の記憶…苦い水をめぐる追想…   
   田中勲  冬の書   
   福原恒雄 友へ 点の文字―点滴に脹らむ
   
   ☆☆☆ 旧作特集
   石川為丸 連赤 そして私たち
   若井信栄 瓜栽培
      
   ■詩誌情報 永井孝史
   ■詩集情報 坂井信夫          
   ■エッセー*新里英紀 
   ■ほろ酔い談義 石川為丸&若井信栄
 

◆おたより無断掲載◆
U山V子 石川さま(略) パーマネントプレス第2号全部読み終わりました。
     復刊の意味と力強さを感じています。(略)。(略)。

I沼J男 (略)。(略)。(略)。(略)。(略)。沖縄(リュウキュウへと)独立へ支援せよ!(略)。(略)。

F海G夫 石川為丸さま
     腕の調子は如何ですか。痛んでいないことを願うばかりです。痛いのは痒い
     (老齢はこころも含め)からだのあちこちが痒くなるのです)のと同じくらい嫌いです。 
     (略)。(略)。(略)。(略)。次号の「言葉あそび号」、期待して待っております。
     心寒い日々でも気温は当地より少しはマシでしょう。寒中ご自愛ください。

パーマネントプレス第3号 予告

2012年12月18日 | フリー
1月2日(水) PP2号、5冊分の注文があったので、5部をコピー印刷。ということで、2号は240部プレスということになる。
3号「言葉遊び号」用に、平敏功さんより作品が届く。が、まだまだ寄稿が少ない。「ほろ酔い談義がこれから(1月6日)の予定なので、これからでも応募可能です。10日必着でOKなので、読者の皆様もぜひ投稿してください。


厭戦するメディア 詩の新聞
パーマネントプレス 第3号
特集 ことば遊び
■ほろ酔い談義■若井信栄&石川為丸
■るとろ*若井信栄
■浜名湖の水、琵琶湖の響*永井孝史
■ふをめぐる雑談*平敏功
■へをめぐる陛下*石川だめまる

原稿募集!
言葉遊びを取り入れた詩はもちろん、言葉遊びに関するものならなんでもOK。
「すべって転んで大分県」「しゃがんだあとは福岡県」などの県名もじりのオリジナルもの、「抜けば血の出るわたしの八重歯(鎌倉市・正夢シンジ)」「中年老い易くガクガクになりやすし(藤沢市・高瀬雅文)」「風邪で又さぼろう(横浜市・ン?)」「限りなく透明に近いブルマー(大和市・ストーン)」などの語呂合わせ、「金太負けるな」「うん国際問題だ」などの読点の読み違え、回文、替え歌、数え歌など……。
採用されたものには3000円贈呈。ただし現物支給で(本誌15部)。
宛先 E-mail:wakais@mail.goo.ne.jp @マークを半角@に直してから入力のこと。
〆切は12月31日 ふるってご応募ください。

実践例

南風 石川為丸
やさしく、やさしく
まっすぐの恋をたたんで 一九二二年秋、十九の旅
濃藍の海に山之口獏の思い溢れる日                 註1
ぐんぐん離れていく島影に
誓うものがあったのだろうね
万里の波涛乗り越えむ
草に埋もれてところかまわず寝る暮らしなんかもまたオツなもの    註2
望みだけは大きく大きくのけぞっている
これからは 生まれ島
遠望することになるだろう 「ずっとむかふ」、亜熱帯の夢
アチャンフィーヤアサというきみの心に触発された私の思いがまた   註3
単純で笑っちゃうほどいい気な折句(アクロスティック)なんだわ
太陽あかあか
風強し
雲流れる そういう有名なものたちが住んでいる世界     註4
 
             
☆行の最初を上から下に、行の最後を下から上に。すると、「山之口獏の声あたたかく石川為丸の胸にひびく」という、「よっぽどいい気なアクロスティック」が見えてくるわけさぁ。
註1 獏=本当はむじな偏
註2 山之口獏「生活の柄」より
註3 「日は明日もあるよ」という意味のウチナーグチ
註4 山之口獏「天」より

★おたより無断掲載★

●S藤Q士(メール便)
若井様

メール便、届きましたよ。
パーマネントプレス復刊、おめでとうございます。
こころざしの継続に、背筋の伸びる思いでした。

橈骨神経麻痺は腕枕でうたた寝したり酔っぱらって長時間突っ伏すと発症することがあると、どこかのサイトにあり、そう難しくない病のようですが、坐骨神経痛は尾を引くとやっかいですね。
体、いたわってください。

おととし那覇を襲ったのは、けして興味本位ではありませんよ。結果的に安心はしましたが。
いっぺんカミさんと行こうと話してます。
また会いましょう。

○若井信栄
パープレ到着のお知らせとあたたかいお言葉、ニーフェーデービル。
体調を整えることと、あとは脳の南下もとい、軟化を防ぐべく、今年は新しいことにチャレンジしようと計画しています。
「興味本位」の件は冗談でしたので御気になさらずに。

●F山G男
(略)。(略)。パーマネントプレス2号拝受。(略)。(略)。(略)。(略)。(略)。
本号一読の私見では、石川さんの作は、やはり(つづく)でなく読みたいし、石毛さんの作のようなレベルと中身をもった作品こそパーマネントプレスには載るべきと読みました。(略)。パープレ誌のような誌が最近は少なくなってきつつあるので、その存在感の地道な堅持は必要なことです。
 わたしの周辺に限定されることなのかどうか、きな臭いにおいの濃くなりつつある世の中では、以前にも増してすこしでも政治的色合いの染みたものも透けてくる作品は排除する方向に軸足を移しているように思えてならないので、渡しても一顧だにしないと予想される人にはやりたくありませんし。ま、わたしのつき合いの狭さも問題ですが。だからというわけではありませんが、政治を詩で論じようというのではなく、わたしらのくらしが政治的にからめとられている現況から逃れられないという認識と、どうそこで生きていくかを考えての執筆は詩書きでなくとも必要なことであり、詩から離れられない者は、踏まえるべきは踏まえる姿勢は無くしたくないと思うばかりです。
 (略)。(略)。

○石川為丸
厳しくもあたたかいお言葉、しっかり受けとめました。気を引きしめて4号よりの編集と自分の作詩に向かいます。ニーフェーデービル。

●川島奈津子(メール便)
ずっとご無沙汰です…
このままじゃエッチの仕方忘れちゃいますよ
もう何年もエッチしてないですからまた私の事を女にしてくれないですか?
(略) 
こんな事書いてるような女って嫌ですか?
私ももう限界ですからお願いします・・・
 
キスして欲しいの。

○若井信栄
アキサミヨー、この人は!
と思うまでもなく、スパムメールでした。
それにしても最近、こんな屑メールが多いですね。

●Y海J夫
前略
パープレ」1号0号を拝受。
お返事おそくなってすみませんでした。
      *
沖縄で元気にやっているようで
こちらももっと元気にやらなければと思いました。
若井信栄さんの詩はやっぱりいいと思います。(少し昔のかんじですけどなつかしく読みました)。少し切なくてでもラディカルで胸にきます。こんな感じでやまないでいいかんじの詩をわたしも書けたらなと思いますが、なかなかうまくいきません。目はかすみ、頭はボケてきて、さあてどーなることやら思いながら暮らしております。
ほんとにひどい世の中になって、まだまだ、ひどくなってなっていく感じで、爆弾をかかえて国家と心中したいような気持ちになったりします。せめてそんなハクリョクのある表現ができたらと思いますが……ただただ足をすくわれるばかりです。なにか書けそうだったらガンバッてみますが、ロクなものができそうもないので安心して下さい。そのときは自分でボツにしますので……。
「パープレ」の思想水準を落とさずにすみそうです。ハイ。
           *
2号以降も楽しみにしています。(略)。

では、お元気で!! お互い残余の人生をラディカルにやっていきませう!! 早々

若井信栄さま
                  Y海J夫
乱筆乱文ご容赦!!

PS.2号はもう出ているようですが…
   楽しみにしています。
(文中下線の部分は実際には傍点でした)  

○若井信栄
私の詩についてのあたたかいお言葉、ありがとうございます。「詩的現代」の詩誌評でも永井孝史兄に「肝心なところで叙情に流されてしまっている」というなまあたたかいご指摘を受けたところなので、身にしみます。
私の場合も若いのは名前だけで、体のほうは坐骨神経痛がついに出てきました。デージ。
3号に珠玉の作品を期待しています。
〆切は2月中旬に延ばしました。
予約購読費1000円をありがとうございます。      

●K川J男 
 「パーマネントプレス」№2拝受。夏に(略)さんが(略)に来られた折に「為丸さんはお元気だろうか」と、気にされておりました。
 瀬尾育生についてのご指摘、同感です。
 吉本は、黒寛について、「思想的盲(めくら)」と発言したことがありますが、黒田寛一の思想は思想として(これも困ったものですが)、吉本の人間性を疑いました。ひどいです。
 詩を書こうとすると(以下略)。

○石川為丸 
瀬尾に関する私の発言に同感ということで、心強く思いました。
あの吉本はそんなひどい言い方をしていましたか。しかし、驚きません。なるほどねという感じです。あの年代の人は石原慎太郎を代表として、人として大切なものが欠けている人が多いです。詩に関しては(略)。ご自愛ください。


●N海O雄
石川為丸様

パーマネントプレス2号、ありがとうございました。
ほろ酔い談義、楽しみにしていました。

ところで、若井さんは歌詞など書かれませんかね。
今号の作品を読んで、そんなことを尋ねてみたくなりました。

年も押し詰まってきました。
元気で過ごされますよう。

○石川為丸
2号到着のお知らせありがとうございます。

>若井さんは歌詞など書かれませんかね。
いえいえ、あんなふざけた詩のどこからと思います。
もっぱら言葉遊びに凝っています。
http://www.haizara.net/~shimirin/an2012/an12_008.html

ぼくとしては(略)を熱望いたしております。(略)。
ゆたしくうにげーさびら。



 パーマネントプレス 2号 秋の号 発売!

2012年11月02日 | フリー

12月11日(火)石毛拓蔵さんからの陶器です。せっかくだから鮭茶漬けに使ってみた。
おいしそうでしょう。


次いで、発見! パープレ1号掲載の石毛さんの詩「イワシの頭」が、谷内さんに褒められている!
私だったら、谷内さんに「いい詩だねえ。」などと言われちゃったら、もう
ウレシクネェー!けどね……。
 ↓
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/0968d852a8d28552e57b93f362a5e802


11月28日(水)に100部プレス
。うち30部を永井孝史氏に発送。定期購読の皆様には29日(木)に発送します。石毛拓郎氏より空気の入った手紙と石毛氏手作りの陶器2つが届く。うれしい限り。
11月25日(日)に100部プレス。うち20部を新里氏に手渡し。20部を那覇の居酒屋独立論の拠点に配置。
11月26日(月)に120部プレス。27日(火)に執筆者に送付。永井氏の分が足りなくなってしまったので、永井氏には明日、プレス・発送の予定。定期購読者の方はいま少しお待ちください。
11月20日(火)に15部のみプレスしました。本格的には25日(日)プレス、26日(火)の発送になります。

転戦するメディア 詩の新聞 パーマネントプレス 2号 秋の号  
11月20日(火)発行予定


■詩*石毛拓郎 黴にきけ
   石川為丸 逆走、もしくは時間錯誤
   井元霧彦 ひとかげ
   倉田良成 チャイナタウンのほうへ
   平 敏功 鱗譚
   福原恒雄 点の文字
   若井信栄 月曜日
   芝憲子  厨子甕(ジーシガーミ)    
                 
■エッセー*新里英紀 服(まつろ)はぬ詩人の魂

■ほろ酔い談義 若井信栄*石川為丸

■詩集情報*坂井信夫 口語〈勝手〉詩の氾濫
■詩誌情報*永井孝史 他人に読ませる工夫を惜しむな


送料込 200円  5号分予約1000円
メールにてご注文ください。
E-mail:wakais@mail.goo.ne.jp @を半角@に変換してから入力してください。


ほろ酔い談義◆石川為丸&若井信栄
若井 まだ、ほろ酔いにもなってませんが、時間がかかりそうなので、始めましょう。少し飲むピッチを早めましょうね。
尖閣列島の領土問題に関して、重大な誤りの記事が琉球新報の小中学生新聞「りゅうPON!」に掲載されていたので、石川さんが記事担当者に訂正お願い文を送付しましたが、これについて、経過報告を、手短にウニゲーサビラ。
石川 パープレ№1の「ほろ酔い談義」で、わしらは、「尖閣諸島は我が国固有の領土」と言い切るには無理があると、説明してきました。
このことに関連することで、琉球新報社発行の新報小中学生新聞「りゅうPON!」の記事中に重大な間違いがあることを発見したわけです。
予備校で教えていた生徒さんから、「こんなのあります」と琉球新報社の発行する新報小中学生新聞「りゅうPON!」第70号を提示されました。それは、池上彰が時事問題を子どもにもわかるように解説する「教えて!池上さん」という記事の尖閣列島の領土問題に関する記事でした。
さらっと読んで、尖閣を我が国固有の領土とするネトウヨブロガーどもの主張することがらそのもので、国際法上の根拠にならない内容ばかりだったので、まったく「よういうよ」という感想を持ったわけですが、もう一回読み返したときに、外務省でさえ主張していないことを平気で言っちゃってることに気づいたわけです。
尖閣諸島が今でも領土問題になっているのは、我が国固有の領土と固執する我が国の主張が、国際法上、何の根拠も持っていないからということなのです。
国家が無主地領有の意思を示す方法には、「関係国への通告、官報などによる告示、法令の公布、行政措置や宣言」がありますが、尖閣諸島の場合、いずれの領有措置もとられていないのです。
外務省はホームページでこう主張しています。「一八九五年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入しました。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するやり方に合致しています」。
しかし、公表されていない閣議決定だけでは、「国際法上、正当に領有権を取得するやり方」にはどう見ても合致しないわけです。
その閣議決定を通知されて、沖縄県がすぐさま尖閣諸島に標杭を立てていれば、「行政措置」ということで、国際法上で、我が国にぐっと有利になったはずなんです。
若井 そこなんだよね。沖縄県側は標杭を立てるように通告されたにもかかわらず、これをサボタージュしている。琉球処分からまだ16年しか経っていない時期だったから、何らかの思惑があったと想像されます。
石川 ここが重要なところです。沖縄県側は国標を立てていない。それなのに池上さんはこの小中学生新聞で、「『沖縄県』の標識を立てました」とはっきり言ってしまっている。
若井 そこで、「クレイマー為丸」のご登場ということでしたね。
石川 きみねぇ、そういう言い方はないでしょ。新聞記者たるものの心がけを問うているわけよ。沖縄の新聞人たるもの、こういう件に関してはしっかりチェックして間違いに気づく「眼識」をもってほしいということです。わしが担当者だったら、小さくとも「実際にはその標識は立てられませんでした」と注記は付けますね。沖縄の新聞人たる者、沖縄関連の事柄だけでもしっかり勉強しろよと、エールを送ったつもりです。そこで、わしが、担当者に、この、「事実経過誤認の訂正お願い文」を送付したということなのです。

「りゅうPON!」担当者様
 新報小中学生新聞「りゅうPON!」第70号(5月6日付)の「教えて!池上さん」その15の記事中に、重大な事実経過誤認がありましたので、確認の上、至急訂正とおわびの記事をお願いします。子どもにウソを教えたままではいけないと思います。
 始めの「尖閣諸島とは」のところの、6行目〈1895年、明治時代の日本政府が、どこの国の島でもないことを確認して「沖縄県」の標識を立てました〉というくだりです。
 実際には、その標識は立てていません。尖閣諸島を沖縄に組み込んで標杭を立てることを閣議決定し、沖縄県へそのことを伝えただけです。通知された沖縄県側はそれを実行していないのです。外務省のホームページでも、「沖縄県の標識を立てた」とまで言い切ることはできていません。「……、一八九五年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入しました」と、閣議決定しか言及していません。「沖縄県の標識を立てる」という行政措置がとられていれば、「国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致」するはずなのですが、公表されていない閣議決定だけでは国際法上有効であるとは言いがたいところなのです。(実際に初めて標杭を建設したのは、1968年に国連が地下資源の埋蔵可能性を指摘した翌年の1969年になってからです)。
 わかりやすい資料として、パーマネントプレス№1を同封します。重要な部分に色付けしましたので、それを参考に、間違いの重大さをご確認願います。
 重ねて言いますが、子どもにウソを教えるのはよくありません。訂正記事をお願いします。
 お手数をおかけしますが、ご検討の上、訂正記事の載る日付をご連絡ください。
E-mail (略)  石川為丸
―――
若井 新報担当者からの連絡は?
石川 10月17日に送付したんだけど、いまだに連絡ナシです。
若井 無視ですかね?
石川 たぶん。これ、毎日小学生新聞からの配信記事だと思います。天下の大毎日から買ったものだから、文句があるならそっちにしてよ、ということかもね。
若井 そうだとすれば、ナサケナイですね。沖縄の子どもに嘘を教えっぱなしにしたということになる。
石川 年末までに、今度はしっかり、文書で返答するように、再度働きかけてみます。
若井 なんかなぁ。沖縄関連のことなら、この担当者、池上さんの記事に目を通してみて、重大な間違いに気づいてほしかったところですね。ひょっとすると、勉強してない……。「沖縄近海に水爆が沈没したままだというあの「タイコンデロガ」なんかについてもひょっとすると、知らないんじゃないか……。
石川 「パープレ0」の新里英紀さんのエッセーも読ませたいですね。
若井 出来上がったらこの号と、0号を送って、その担当者にパープレの定期購読を勧めてみてくださいよ(笑)。
石川 一応送ってみますか(笑)。ところで、この件は前号のマスコミ批判の話の続きだったので報告しておいたわけなんですが、今回は詩についてじっくり語り合いましょうよ。
若井 お借りしていた「詩とファンタジー」読みましたよ。昔の「詩とメルヘン」みたいだな。創刊5周年、そして20号記念号として「沖縄の詩と芸術」特集をやっていますね。「沖縄出身の詩人・作家・画家・イラストレーターの方々を、総力をあげて紹介します」、とあるけど、この程度で総力とは笑わせるね。
石川 え? けっこう充実していると思うけど。貘さんの詩3編と、沖縄国際大学非常勤講師の後多田敦さんの貘さんについての解説と、山之口泉さんのエッセーをメインに、シリーズの「少女だったとき 少年だったとき」には崎山多美さんと又吉栄喜さんのエッセーが掲載されている。
後多田敦さんので、わしは、こんなところに開かれるところがあった。
「貘さんが生まれた明治30年代の沖縄は、「旧慣温存」政策が取られ、「正式な日本」ではない状態だった。旧琉球国政府は解体され県庁に替えられたが、地方行政機構は旧琉球国時代のままだった」というくだり。尖閣に標杭を建設する旨の閣議決定を行って沖縄県側にそれを実施するよう通告したのは一八九五年だから明治20年代だよね。役人が旧琉球王国時代のままだったとなれば、素直に政府のいうことなんかに従わなかっただろうなあと思われる。「盗人猛々しいわい」という思いだったのではないか。
若井 また話がそれそう。戻しますが、この「詩とファンタジー」、残念ながら詩はぱっとしないけど、まくたただしさんの「覚醒のファンタジー」としての「さんぴん茶」は健闘していますね。
石川 本土大手企業のリゾートホテル建設のための土地買占めにからめたお話。恩知らずに向かって静かに笑うアッパーがいいね。「らあ、あんじきーどぅ、あんくだそう」と。
あと、作家のエッセーもおもしろかった。
若井 それ、崎山多美さんと又吉栄喜さんのエッセーはちょっと書く上での勉強になりました。崎山さんのには陰翳がある。又吉さんのは、年上の女生徒へのほのかな思いにからめた少年の読書遍歴なのだけれど、今一深みに欠けるね。
石川 崎山多美さんの場合、小さいころ、海で溺れて沖へ流されてしまい、意識不明の状態から生還したという、死への恐怖が、深みを与えてるわけだ。
若井 子どもの頃から死を意識しちゃったわけだからデージ。それと比べると又吉栄喜さんの場合は、風通しがいいね。この点は為丸さんと同じで、いろいろかかえている私などには、まことに羨ましく感じられるところです。
石川 何言ってんの、若井くん。わしなんか暗い暗い少年時代だったわけよ。見た目で決めつけないでほしいなあ。
若井 いや、見た目じゃなく、書くものが風通しがいいと言ってるわけさ。
……(略)……
石川 最近、また、石毛拓郎さんから、埼玉県教育労働者組合、略称「埼教労」の組合情宣紙「セレク」に掲載された、「最強老爺・石毛」氏のコラムを送ってもらったんだ。そこに黒田喜夫からの引用文があったので、デージ、驚くとともに感心した。
というのも、「現代詩手帖」の吉本追悼特集で、瀬尾育生が、吉本を持ち上げるのに、「黒田喜夫や花田清輝が何の影響力も持たなくなったのに比べて、吉本は一貫して影響力を持続している」というようなことを発言していたんだ。わしからすれば、それは瀬尾の処世術に黒田喜夫が合わず、隆明のほうが合っていたということを言ってるにすぎないじゃんと言いたかっただわけよ。わしはかつて、第一次パーマネントプレスの18号で瀬尾に関してこう指摘している。「『闘争』よりも『現在』のスピードに同調し、どこまでも『現在』を追認する方を彼らは選んだのだ。『自ら変形し、この変形の中に世界の変形をうけとめること』(「トウキョウ、不可知の雲」)これが八〇年代以降の彼らの生のスタイルだったのだ。」と…。
で、瀬尾はかつて「大学闘争が自分には切実だった」などと言っていたにもかかわらず、この隆明対談では、同窓生との仲間ぼめばかりで、闘争への言及はナシなんだね。まあ、学門の世界に安住する人たちには黒田喜夫はまったく無縁なんでしょう。
若井 でもその「埼教労」も少数派労働運動なんだよね。黒田さんを知る人ももう少なくなっているだろうね。黒寛と混同したり(笑)。
石川 何言ってるの、若井くん。それは黒田さんに失礼というものだよ。少数派の矜持さ。黒田喜夫は今も吾らとともにあり、ということで、今号のわしの詩には、黒田さんの詩「毒虫飼育」のジヒギドリをこの沖縄の地に登場させてみただわけよ。
若井 (笑)読ませてもらったけど、あれは安易すぎると思うよ。
石川 何言ってるの、若井くん。…(以下略)…


お便り無断掲載○
W森X子(埼玉県)
石川為丸様/パーマネントプレス「0号」が届いた時、お元気でよかった、どうにかなっちゃったんじゃあないか、もしかしたら、は何でもなかったんだ、に変り、ほっとしておりました。すぐに返事出せばいいのに私ときたら、もう、詩から遠くて、それに暑さに弱くて、涼しくなるのをひたすら待って、今日になってしまいました。パーマネントプレス「1号」ありがとうございました。数年間お店をやっておられたというのは、意外でありました。おバカな私から見ると為丸さんは、ものすごいアタマのよい方で、予備校、塾、論文講座、というのはピンとくるのだけれど、お店というのが、へェーとなっておりました。でもおもしろいなーと。
「六月復旧のために。」は、何かこう、痛みがあって、かみしめるような風情があって、いい詩だなあとしみじみしました、させられました。そうしてムズかしいことはわからないけど、「ほろ酔い談義」言いたい放題でスカッとします。きれいごとなんて読んでてつまらんものねってかんじです。言いたいことを言ってるほうがいい。途中、市原さんが出てきたんで(略)。(略)。(略)。永井孝史さんの「詩誌情報」おもしろいです。若井信栄さんの「小詩集」、『ほろ酔い談義』とは、まったく違う、この落差がこれまたおもしろいなあで読んでました。何かロマンチストって、言ったらおこられそうだけど、底にきれいなものを持っている、少年のように、って言ったら、今時のじゃあない昔の少年というのかなあ等々、勝手に読ませていただきました。涼しくなって、あぁよかったって、今朝は2時半から起きているからか、思います。早寝早起きになりました。トシとったものよ、と、これも思います。ありがとうございます。1 0月24日

(おたより順次掲載の予定)

パーマネントプレス創刊号 お便り無断掲載

2012年09月25日 | フリー
◎おたより 順次掲載していきます。 ↓

○N川M男(メール便) パーマネントプレス復刊おめでとうございます。今日落手しました。若井信栄小詩集が印象的ですね。また、…(以下略) 8月2日

○F山G雄(神奈川) (略)『パープレ』1号の冒頭「子どもたちの見た悪夢」はいくつもの悪夢の一つでしょうが、かんたんに消去してはならない現実の夢、「ほろよい談義」の事実とともに、私らいかなるかたちの詩を書こうと表現の芯に置くべきものだと思います。(略)。…ひさしぶりに石毛さんの作品を読めたのはよかったです。学校の先生なのですか、「セレク」に連載をもっておられるとか。(略)。詩誌詩集評の両氏は他誌でよく見かける誰の署名でもいいようなテキトーさがなく、さすがですよね。評者の目が光っているから読者も考える材料にもなるだろうと思いながら読みました。評できびしく言われると単純に怒ってしまうもの書きもいるなかで(略)苦労でしょうがよろしくという気持です。ときには本誌作品にも厳しい言葉をと願っています。(略) 8月10日

○I草J男(埼玉県) 先日は『詩の新聞』(略)送っていただきありがとう存じました。…(略)…。…(略)…。…(略)…。…(略)…。…(略)…。…(略)というわけで、沖縄にも行きたいのですが、飛行機怖いのでなかなか足がむきません。
クソ暑い日々です。
何もかも、ぶっこわれたこの恥ずべき国の再生は、まずもって、おのれの足元から変革しなくてはなりません。ご自愛下さいね。8月22日

○Y海Z夫(東京都) パーマネントプレス創刊号 ありがとうございます。
いつもとても面白くて嬉しいです。
(特に社会的な面で。マスコミのこととかも東京にいるとかえって分らないことも多そうです)。 9月16日

○Y木Z男(メール便) 若井様
ご無沙汰しています。パーマネントプレス、ありがとうございました。
いつも、何も返事もせず、ごめんなさい。
じっくりと読んでみます。
私は時々は書いてはいますが、全く、詩から遠離っているような状態です。
覚えていますか、……さんは相変わらず、凄いですよ。
今でも、いろいろなところに、それも定期的に出しています。
……は届いていますか。毎号書き、それに、次々と詩集を出しています。
彼の詩集は届いているのでしょうか。
…(略)…。…(略)…。…(略)…。…(略)…。…(略)…。
そんな近況です。
若井さんはどうしていたのでしょうか。
……さんはどうしていますか。

若井さんの熱意は凄いですね。
ますます、頑張ってください。
※若井■ 
パーマネントプレス2号、できているので送ります。ご笑覧ください。
(略)。(略)。(略)。(略)。
(略)。たくさん書く時間があって羨ましい限りです。
私の場合は若いころからの不定職がたたって、老いた今でも生活に苦闘しています。
沖縄窮状の会を立ち上げようかとか、冗談を言っています。
(略)。(略)。(略)。(略)。
(略)。私は心筋梗塞はまだですが、心臓の拍動数が多すぎで危ないと言われています。血圧も高すぎなので、脳梗塞も心配です。
長命草とフーチバとノニの薬草治療をやっています。
(略)(略)
(略)。今年は「詩的現代」が復刊を果たしましたが、(略)。
(略)。それぞれの場所でしぶとくやっていくということで。
南下、もとい何か書けたらパーマネントプレスにも寄稿してください。次号〆切は1月末です。

○奈由 (メール便) 親とうまくいかず家を出たいと思ってます。
家庭科にいたので料理には自信あります。
出来れば住んでいる場所から遠くに行きたいです。
多少の交通費はあるのですが、住む場所がありません。
仕事決まるまで数日間助けて頂けませんか?
※オヨヨ これはスパムでした。アギジャビヨー。

○I沢J雄(岡山県) 石川為丸様 いま9月29日(土)の夜半の午前3時です。荒ぶる台風が吹き狂っている時刻でしょうか、そのあたりは。
 クィクィ通信とともに、(略)。(略)。(略)。クィクィに載っていた宮城松隆氏の詩を読んだからかな。
 今度の台風は、こっちへ曲がっておいでになるようです。(略)。お元気で。
 ※神経痛、お大事に。私は自転車に乗りすぎて腰が痛い。
9月29日

○F山G雄(神奈川) 石川為丸さま お便りと『クィクイ通信№14』を拝受。(略)。(略)。
 「宮城松隆さん、プレセンテ!」では、「恭順の言語」という言葉が強烈でした。(略)。(略)、この文章を衝撃をもって読んだことです。
 この『通信』の最後頁、パープレ予告広報最終行に、「老齢詩人特集としたものは、評判がかなり悪かった」とありましたが、「評判が悪い」とは、佳い作品が集まらなかったということならまだしも、老齢執筆者対象だということであるのだから、老齢と言ったので評判が悪いというのなら解せない。わたしなど、(略)。
 お体の痛みたいへん、なんとか早めの快復をと願うばかりです。往年の突っかれ蹴とばされた痛みに比べれば、などとおざなりを言うとよけいに神経を刺戟しそうですね、すみません。また、台風被害なかったかと案じています。予報では此方はこれからのようです。
9月30日

○石川為丸(沖縄県) パープレ№1の「ほろ酔い談義」の内容に関連することで、琉球新報社発行の新報小中学生新聞りゅうPON!」の記事中に重大な間違いを発見したので、以下の「記事訂正お願い文」を送付しておきました。

「りゅうPON!」担当者様
 新報小中学生新聞「りゅうPON!!」第70号(5月6日付)の「教えて!池上さん」その15の記事中に、重大な事実経過誤認がありましたので、確認の上、至急訂正とおわびの記事をお願いします。子どもにウソを教えたままではいけないと思います。
 始めの「尖閣諸島とは」のところの、6行目〈1895年、明治時代の日本政府が、どこの国の島でもないことを確認して「沖縄県」の標識を立てました〉というくだりです。
 実際には、その標識は立てていません。尖閣諸島を沖縄に組み込んで標杭を立てることを閣議決定し、沖縄県へそのことを伝えただけです。通知された沖縄県側はそれを実行していないのです。外務省のホームページでも、「沖縄県の標識を立てた」とまで言い切ることはできていません。「……、一八九五年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入しました」と、閣議決定しか言及していません。「沖縄県の標識を立てる」という行政措置がとられていれば、「国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致」するはずなのですが、公表されていない閣議決定だけでは国際法上有効であるとは言いがたいところなのです。(実際に初めて標杭を建設したのは、1968年に国連が地下資源の埋蔵可能性を指摘した翌年の1969年になってからです)。
 わかりやすい資料として、パーマネントプレス№1を同封します。重要な部分に色付けしましたので、それを参考に、間違いの重大さをご確認願います。
 重ねて言いますが、子どもにウソを教えるのはよくありません。訂正記事をお願いします。
 お手数をおかけしますが、ご検討の上、訂正記事の載る日付をご連絡ください。
E-mail (略)  石川為丸
10月17日(水)
(つづく)

詩の新聞 パーマネントプレス 創刊号 発行!

2012年07月31日 | フリー
転戦するメディア 詩の新聞 パーマネントプレス 創刊号  
7月30日(火)発行!

■詩*
石毛拓郎 イワシの頭
  石川為丸 六月 復旧のために。
  井元霧彦 出生
  倉田良成 漂白について
  平 敏功 胎児の忌目(※1)
  福原恒雄 からだの中の
  若井信栄 小詩集

■エッセー*新里英紀 子どもたちの見た悪夢

■ほろ酔い談義 若井信栄*石川為丸

■詩集情報*坂井信夫 「もう、勝手に書けばいいのだ」
■詩誌情報*永井孝史 「絆がファシズムを呼んだら大変だ!」

送料込 200円  5号分予約1000円
メールにてご注文ください。
E-mail:wakais@mail.goo.ne.jp @を半角@に変換してから入力してください。

パーマネントプレス復刊準備号発行のお知らせ

2012年03月20日 | フリー
目次

◆ほろ酔い談義 パーマネントプレス復刊に向けて 石川為丸&若井信栄
◆ブログ「我方他方」より 若井信栄
 ・H氏賞受賞詩人のヘンなコメント
 ・高木敏次が「沖縄をダメにしていく」とまで言った「盗作」とは何だったのか
 ・高木敏次のインタビューにおけるヘンなコメント
 ・高木敏次の詩を読み解く
 ・高木敏次の詩を読み解く 続
◆エッセー 「タイコンデロガ」の悪夢 新里英紀
……………………………………………………………………………………………………
私のものは、ここのブログ記事をプリントアウトしたものをそのまま使いまわすという安直なものでした。

以下第1次発送分へのお便り無断掲載 
○パーマネントプレス読んで胸のつかえがスッーと落ちました。やっぱり若井さんのご批評は鋭く、言葉のウラにあるものも、よく読みこんでいると思いました。(以下略) 沖縄県

○高木氏の詩についてのわかりやすい読解、さすが若井先生だと感服いたしました。H氏賞受賞詩人であるにもかかわらず、その詩についての言及が異様に少なかった中でも(ネットに限りますが)、いちばん納得のいく評価だと思います。元生徒より。 沖縄県

○落としどころが山本陽子では、彼女を高く評価する人たちの非難轟々が予想されますよ。山本陽子のように、詩に自らの存在をかけてしまったドラスティックなところからは、高木氏の場合はかけ離れているはずです。それはちがうだろうと、これだけは言っておきたいです。 沖縄県

○昨日準備号(№0)拝受。準備号を見て為丸さんも信栄さんも変わっていない。「かつても今も十字路に立っている」と、意を強くしました。(中略)パープレ1号は「老齢詩人特集」とか。(企画から「老齢」とうたったところに感嘆の声を上げる)。老齢が歴年の数とどう差が出る・出ない……、私もダンコ参加します。 PS それにしても、詩誌・詩集評・情報の担当者はご時世にウコサベンしない、いい人選びましたね。この辺に石川さんの器量が。 神奈川県
(以下続く)

○「パーマネントプレス」0をお送りいただきありがとうございます。このなかで若井信栄氏の高木敏次の詩を分析している文章を、非常に興味深く拝読しました。正直言って、なんだかよくわからない高木氏の詩の読み方がよくわかったような気がしました。結論から言えば、彼の詩は、ある種の舌足らずな語法(幼児や日本語のよくわからない外国人がやる)と離人症的視点(と見える書き方)によっているが、舌足らずは「天然」であって、意識的な方法として選ばれているのではない、ということですね。読み解いてしまうとどうってことのない内容なんですね。そうなると今後の高木氏の詩がどうなってゆくんだろうと、余計な心配をしてしまいますが。
 「パーマネントプレス」が復刊されるとのこと、また読ませていただければ、と思います。ではお元気で。 東京都
【若井】拙文を丁寧に読んでいただきありがとうございます。文字が小さかったため、老眼が始まっている読者の多くが、見出しだけ読んで済ませたそうなので、○○さんにはしっかりつきあっていただき、嬉しさも一入です。
(以下更に続く)

○△△は午後から雪になりました。パーマネントプレスの復刊おめでとうございます。「ほろよい談義」、興味深く読ませていただきました。詩への思いが自在で、活き活きしていますね。(お酒のせい?)若いころ、石垣島で1週間すごしたことが、忘れられません。あの美しい海!  三重県
(続く)

○前略.「パーマネントプレス」№0ありがとうございます。確かに高木敏次って変な詩人ですね。かつて○○さんが谷内さんに「気持ち悪い詩」と言われて、無視されたことも思い出しました。復刊、楽しみにしています。 愛知県
【若井】高木氏に関して「変な……」と言い始めたのは谷内さんが最初です。わたしはそれを参考にしましたが。「変な詩人」というのが定着したらまずいですね。
ところで、谷内さんのいうところの「気持ち悪い詩」というのは、ひょっとすると彼にとってほめ言葉としてつかっているんじゃないでしょうか。そんな気もします。
こんなの見つけました。↓
http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/5.htm
(続く)

○前略/久しぶりの「パーマネントプレス」 復刊なのですか。私も5月から○○住いとなります。(元の住所です) 元に修(ママ)まるというのに不安感。どのような暮らしになるのかさっぱり……H氏賞の高木敏次氏の日本語の使い方、私もどちらかと言うと似ているので詩の方も不安。まあ、あせらずやって行きます。 お礼までに。  京都府
【若井】日本語の使い方、ヘンなところをプラスに転化するとよいでしょう。詩ならそれをありがたがって評価してくれる人もいるでしょうから。ただし、けっして文章のほうは発表してはいけません。寡黙な詩人として通すことが何よりです。
「やって行きます」の「行く」はこの場合、補助動詞なので、ひらがなが適切です。

○石川さま
復刊準備号、興味深く拝読しました。
やはり10年10年が区切りですね。私もいろいろ思い当たります。
ご発展お祈りします。△△(拝) メール便
【石川】これからの10年、生きられるかなあ、といったところです。パーマネントプレス、それにしても不敵な誌名をつけたものです。
(続く)

○「パーマネントプレス」
なかなか面白く拝見。
私は、もっと辛辣に高木を切りまくりたい衝動にかられましたが
愛をもって痛快に書かれていますね。
(以下略)  メール便

フリーコメント

2012年02月14日 | フリー
長くなったので、新規に専用のコメント欄を設けることにしました。
意外とコメントのやり取りを興味深く見ている人がいるようです。
何と、2月13日のアクセス数は227もありました。
興味は若井の記事ではなく、コメントのやり取りのほうのようです。
だって、若井の記事はずっと更新していなかったものですから。

最終のガジャン君のコメントを載せますので、もし続きを書く場合は、この欄の下に書きつないでいってください。(若井信栄)


見苦しいのは木精くん自身のほうさ。 (ガジャン) 2012-02-14 14:42:21

木精くんは、「私(木精くん)はあなた(スローハンドさん)に対してさようならを済ませています。
 このやりとりを続けたいなら、今度はあなたが私に対してお願いをする立場です。」
なんて言ってるけど、
その前に、スローハンドさんのほうが先に、ちみに対して「さようならを済ませています」よ。
実証:「作品の評価は、形式=政治制度で決定するのではなく、表現の質や内実で決定する、それがまったくわかっていないのはわかった。

言語や表現の質や内実と思索が切り結べない人と、ともに語ろうとは思わない。」

これって、スロウハンドさんからの、ちみへの明確な決別宣言じゃん。ちみ自身もたしか戻るべきBBSがあったはずだから、「そちらへ移動するのが筋じゃないんですか?」。
「このやりとりを続けたいなら」、今度はちみがスローハンドさんに対してお願いをする立場だったはずです。「脳内を洗ってきましたのでおねがいします」とね。

>ところが、あなた、二言目には他人に対する罵倒だ。
むしろ、ちみ自身のほうがセンスの悪い罵倒だ。品位に欠けるお下劣な人柄が見え見えですよ~。

木精くんは相手からの問に答えないまま、かってに相手が言ってもいないことを自己の脳内でこしらえて、それに対して独り相撲を行っている。あとは、「わかる人にはわかるし」という自己チュウの非論理で開き直るという方式の繰り返し。自己チュウと自己マンの独り相撲なり~。
またしても同じことを指摘しなければならないことがシニ残念ですなあ。
たとえば、
「あれだけ多くの解説をしてきたのですから、私の説明責任は果たされており、あとは読み手の側の問題です。」
などと、
自己中心的に他人のせいにして自己満足しているところがデージ幼いなあ。もっとおとなになりなさい。

「今日の75定型詩を「前衛」だなどと思っているからです。」
  ↑
これは木精くんの悪しき思い込みによる誤読だね。
スローハンドさんは「今日の75定型詩」を「前衛だ」などと言ってはおりませんぞ。
こういうことは言っている。
「つまり、かつて『定型』は前衛だったわけです。」
「早世した摂津幸彦さんの俳句を示そう。君にとっては後衛らしいが、わたしには前衛である。」
これは、ちみの、定型だからだめという浅読みに対して、表現の質や内実にしっかり向かいなさい、という文脈での発言でした。しっかり受け留めてちょうだいね。
でもそれができなかったから、
「ああ、ほんとにいい歌だけど、最後の『せり』って何? なるほど、言葉が音数律に拘束されて骨折しちゃったのね。」
などと、表現に向かう上での木精くん自身の軽薄さをあらわにして、さらに
「くるぶしを骨折させた当の敵への妥協です。敵と密通しちゃっているのです。」などと、表現そのものを踏みにじるような最低なところを自己暴露してくれたんだよね。敵も密通の意味もわかってないようですなあ。

「スロウハンドさんて、おセンチですよね。」
こんなことをほざける木精くんって、心底からのカツ鈍くんですね。